新古今和歌集の部屋

俳句集 花鳥風月 春の宵

はじめに

初めてネットワークに参加したのは、HPだった。マンションの管理組合が定めたブロバイダーと契約して光通信を始めた。

既にネットワークに参加していた叔父が、ウェッブリブログと言うのを勧めたので、2006年10月28日に参加してみる事にしたのが、ブログ名 花鳥風月だった。俳句のブログ友達も5人ほど出来たが、それぞれの方も止めて行った。当時はガラケーで写真を撮っていたので、画像が粗く小さい。それでもあちらこちらを撮って歩いている。

2023年1月に閉鎖されると言う事で、急遽引っ越しをしている。1日分を掲載していたが、読む読者も疲れるだろうと以下をまとめて、俳句集「花鳥風月」と名付ける。

 


 朧月夜   2009年04月04日

朧でも二人で歩く弓の月

少し艶な句を作ろうと思い、そんな夜でした。
影と自分と二人で歩いていたなんて野暮な説明は無しですね。

李白は三人だったのですが。

月下独酌 月下の独酌

花間一壼酒 花間一壺の酒
獨酌無相親 独り酌みて相親しむもの無し
舉杯邈明月 杯を挙げて明月を邈え
對影成三人 影に対して三人と成る
月既不解飮 月既に飲むを解せず
影徒隨我身 影徒らに我身に随う
暫伴月將影 暫く月と影とを伴って
行樂須及春 行楽須く春に及ぶべし
我歌月徘徊 我歌えば月徘徊し
我舞影零亂 我舞えば影零乱す
醒時同交歡 醒むる時同に交歓し
醉後各分散 酔いて後各分散す
永結無情遊 永く無情の遊を結び
相期遙雲漢 相期すはるかなる雲漢に


 桜並木   2009年04月06日

道なりに
角曲がっても桜かな


日本人の桜好きは、何なんだろう?と思う位桜があちこちに植えてあります。良く見るとソメイヨシノ以外も結構植えていますね。今まで一群としてしか桜を見ていなかった。

 

先生の声も軽やか新学期


通勤途中の小学校で、校長先生の新しい先生を紹介する朝礼の放送が聞こえた。
先生にとっても新学期なんだなあと当たり前といえば当たり前なんですが、子供の視点からしか見たことが無かったので、何か新鮮に聞こえました。


説明句になってしまいました。御批評お願いします。
初案
曲がっても角曲がっても桜かな


 電車ストップ  2009年04月07日

急いでも花の散るのに追い付かず


電車故障の為、駅で1時間待っている。
どうせ待つなら桜の散るのを眺めながらの方が良いと、電車の中に閉じ込められている友人宛のメールに添えて。
地下鉄なので何も無いが、動かないものにイライラしてもしょうがないので、ゆっくり桜を和歌を通して鑑賞しよう。

拾遺 雑春 浄蔵
霞立つ山のあなたの櫻花
思ひやりてや春をくらさむ


 灌仏会   2009年04月10日

祖母の手に引かれ象牽く花まつり


小さい頃、花祭は五月だった気がします。何で稚児行列で象を引っ張るのか不思議でした。
その頃は、まだ田舎も活気があり、多くの子供達が参加していたと思います。
幼稚園の頃のおぼろげな記憶でしかない行事ですが。

お釈迦様の御生母の摩耶夫人は、六本の牙を持つ象の夢をみて、お釈迦様を懐妊されたと伝えられております。
お釈迦様の象徴だったのですね。


全面修正いたしました。ご迷惑をおかけしました。


 花月望   2009年04月11日

花を見て月を見て後

 

        又花を

 

今日は満月と残花を鑑賞するために公園に一人でしばし、眺めていました。

公園の歩道を綺麗に掃除するのはよいのですが、落花まで掃き清めなくても…。
まあ仕事でしょうが、無粋な事ですね。

写真は、月光に合わせると桜が写らず、桜に合わせると街灯と月が区別出来ないので、今回は夜桜をメインにしたのですが、桜なのか何なのか分かりにくくなってしまいました。


 花畑    2009年04月17日

春雨のこぼれた跡に花畑


春雨の優しく降った後、その思いが零れた様な花が群生していた。
花壇では無い所なので、種が飛んで来て広がったのかも知れない。

タンポポはもう次の場所を探す準備を始めている。


 隅田川   2009年04月19日

屋形船上下に揺れる麗らかな

唱歌 花 (武島又次郎作詞 滝廉太郎作曲)の本歌取り
春のうららの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき

七五調の優雅な調べですね。
上り下りを波で舟が上下するに変えてみました。
着想は二月前、写真は一月前ですが、あまりに平凡な気がして。凡句の代表みたいなものですね。


 春雨    2009年04月22日

花の雨厭ふ程無く草は濡れ


タケノコののこのこ食べるあの子の子


フウ様の童謡を拝見して影響を受けました。
(= ̄▽ ̄=)V
繰り返しは5回が限界です。

唯春雨が降って草が濡れたという当たり前の句です。


 春の宵   2009年04月22日

木曾殿と薩摩の守の四つの春

兄と久しぶりに飲んだ。
兄は、平家物語木曽義仲に関しては、詳しい。
私は、伊勢物語中心で、平忠度に関心がある。
議論は、とにかく続き、共に滅ぼされてしまった。お互いの主張を聞き、とても面白かった。

道元導師を何故越前、能登に導いたのか?兄は
道元の母は木曽義仲の正妻で、越前には、恩顧の武将が居たからと。

私は、源通親の子で、新古今和歌集の通具の子かもという説を戦わせ良い夜を過ごした。

俳句にとっては、何故義仲かというのは、大きな問題です。
芭蕉が義仲ファンで、墓は義仲寺にと遺言されました。

兄と私の共通は。芭蕉は、決して義経ファンではあり得ない。従った家臣に涙を流しているだけ。
時々つわものどもの夢の跡を義経を慕ってと書いてある本を見るとこれだけで信じられなくなります。

四つは、相撲用語のがっぷり四つから。


 惜春    2009年04月27日

なみ/\と注いで望み春惜しむ

芭蕉の句に
ゆく春を近江の人と惜しみけり
というものがあり、メールに添え。


 長路    2009年05月02日

程遠し長き路あり夏近き


三つの意味のつながらないものを並べて気持ちを表そうとした実験句です。
メールに添えて。
その人だけは意味が通じるのですが…。


 惜春2   2009年05月04日

堀の面に漣立ちぬ春をしみ

静かにも鯉の跳ねたり春惜しむ

 

さざなみ立ちてと繋ぐか、立ちぬの終止形で切るか

終止形「ぬ」の後に「惜しむ」の終止形ではおかしいとか、つまらない文法を考えて、迷ってしまいました。
風立ちぬというと堀辰雄の駄洒落みたいで嫌だな~。とかも。
宮城(きゅうじょう)では、さざ波が立つというのも畏れ多いことですし。

二重橋前を通過して。

本当は、幹線道路横なので、車が多く、静かというのも嘘ですが。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「俳句」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事