新古今和歌集の部屋

都名所図会 長明方丈石


都名所圖會卷五
長明(チヤウメイ)方丈石(ハウジヤウセキ)は日野(ヒノ)村のひかし五町計(ハカリ)外山(トヤマ)の山腹(サンフク)にあり。石床(セキシヤウ)三間(ケン)四面(メン)高(タカサ)弐丈計(バカリ)一説(セツ)に名(ナ)を千人石(チビトイシ)といふ。右は笠取(かさとり)炭山(スミヤマ)の往還(オウクアン)なり。此地(チ)甚(はな)々地勢(チセイ)の風系(フウケイ)方丈記(ハウジヤウキ)にくはし。○峠(トウゲ)のひがしに巌(イハヲ)の中(ナカ)より清泉(セイセン)涌出(ワキイヅ)る所あり。炎暑(エンショ)の節(セツ)樵夫(キコリ)の舌(シタ)を潤(ウルオシ)はせんがため弘法大師此巌(イハヲ)を穿(ウガチ)ぬふとぞ。
東鑑に曰建暦元年十月十三日鴨社人菊大夫長明入道《法名蓮胤》、依雅經朝臣之擧此間下向奉謁將軍右大臣實朝公云云。
方丈記に曰
住家は則ち淨名居士の跡をけがせりといへどもたもつところはわづかに周梨槃特が行にだも及ばず。もしこれ貧賤の報のみづから悩ますか、将又妄心のいたりてくるはせるか、其時こゝろ更に答ふることなし。たゞ傍に舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申てやみぬ。時に建暦の二とせ弥生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。
月かけは入山の端もつらかりきたへぬ光りを見るよしもかな 長明

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