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「この私が悪いからだ」という思い込み

2023年05月30日 | 目覚め
23歳で、最初の結婚をした私だけど。

離婚するまでの期間、
ざっくり言うと「この自分をどうにかしなきゃ」という想いで
塗り潰された毎日だったなぁと思う。


私のなにがいけないんだろう。
私のどこが悪いんだろう。

なにを直せばいい?
どこを正せばいい?

相手を責めたり。
自分を責めたり。

行ったり来たりを、散々繰り返したけど。


現状がほとんど変わらないという思い込みの行き着く先は…。


「この私が悪いからだ」


まるで、昭和の歌謡曲さながら💦
「2人でいるのに、ものすごい孤独感」が押し寄せて来た。

今度は、その孤独感を追い払おうと必死になった。

心の平安や穏やかさとは、程遠いものだったなぁ。


根底にある「悪いのは私だ」という思い込みの根深さって、それはもう強固。

実は、先日彼と話していた時。

なんの気なしに
「あなたから見て、ここ直してほしいところとかある?」と口からポロッと出た瞬間…。

「うわっ、ひさびさー!!」

と自分で気づいた😅


この期に及んで、まだ言ってる。
(日本語の使い方変かも…だけど)

彼は「ないよ」と即答。


実際これまでも、そういった類いのことを彼が口にしたことはない。
思ったこともないよ、と以前にも話してくれた。

…なのに。

どうにかこうにかして「私が悪い」をでっちあげたい。

ある意味、スゴいな。
(狂っておる)

ここまで来ると、もう滑稽としか言いようがない。

嘲笑うとかじゃなくて。
まだ、いたんですね~、という感じ。

でも、それだけ。

どうも出来ない。

「どうにかしなきゃいけない自分」をでっちあげたいエゴに対して、
これまたどうにかしようとしない。

思い出すと、ちょっと笑えるけど。



NOと言わないことが愛情だと思い込んでいた

2023年05月28日 | 目覚め
かつての私自身もそうだったし。

クライアントさんとのセッションでも、度々出てくる…。

「NOといえないんです」

断り切れなくて…。
あんなことや、こんなことが、自分の意に沿わない結果になって。

程度の差はあれ、なんだかモヤモヤモヤモヤ。

これ、特定の誰か、ということもあるだろうし。
日常で関わる様々な人全般に対して、ということもあるかもしれない。
その時の状況にもよるかもしれない。


今でこそ、「NO」と言うことに抵抗がなくなった私だけど。

特に、近しい間柄においては。
相手に「NO」と言わないことが「愛情」なんだと、
自分に都合よくすり替えていたな~と、今になって思う。

別の言い方をすれば、なんでもかんでも、
ハイハイと受け入れることが愛情だと勘違いしてた。

これは、裏を返せば。

私にとっては、相手が「NO」といわないことが、
イコール、自分への愛情だと思い込んでいたから。


今日、彼とやり取りをしていて、
「NO」を言う言わないは、愛情とは全く関係がないとあらためて思った。

やり取りの部分は端折るけど。

ふり返った時に、あまりに自然に「NO」を言っている自分にびっくりした。

まるで他人事みたいな言い方になるけど。
「そのままの自分」って、こうなんだ…と。


本当は、自分に無理をさせてまで、相手に合わせることなんてないのに。

以前の私は、嫌われたら…という不安と同時に。
不機嫌になったら…という不安が、その何十倍も強かった。

私が「NO」ということで、
相手が途端に不機嫌になるという体験が幼少期からあったからかな。

小さい頃のことは、細かいことまで覚えていないけど。
身体に「怖い」という記憶は、長い間残っていたように思う。
(この記憶は「NO」と言ったそのことだけではないだろうけど)


言うのも。
言われるのも。
どっちも、めちゃくちゃビビッていた。

パートナーシップは、一番近い関わりなだけに、
色々な事柄のあらたな出発点にもなるし、確認点でもあると感じた1日。



昨日のお昼ごはんは、先日伺った地元のお寿司屋さん。
ネタが厚くて、お腹いっぱい😍




その後は、買い物ついでに、
スニーカーを一緒に見てもらって、結局2足も買ってもらった。
(いっぱい歩くど〜!)




おやつは、京都のどら焼き。



お土産のハーゲンダッツは、初めてで、どんな味か楽しみだ〜😋


どこまでいっても、 果てしなく優しい

2023年05月25日 | 目覚め
「今のあゆみさんは、やっぱりラク…という感じですか?」

セッション中に、クライアントさんに尋ねられた。

あらためて、どうだろうと思った時。

うーん。

もはや、「ラク」という感じさえないなぁと…。

もちろん、段階をふんで「ラク」になっていったのは事実。

その上で、今は?と聞かれれば。



「なんもない」という感じ。



そんな味気ない…と思われるかもしれないけど。

朝から晩まで、葛藤に明け暮れていた時のほうが慢性的に味気ない日々だった。


「ラク」って概念自体がない小さな子供に「あなたラク?」って聞いたところで、
「ラクって何?」ってなるんじゃないかなぁ。

実際に聞いたわけじゃないから、わからないけど。

…そんな感じかもしれない。

ま、今どきの子供は色々大変で、「ラクじゃないよ」なんて言うかもしれないけど。



後は「ふりをする」っていうのが、できなくなった。

別の言葉にすると「自分を偽らない」。

「自分に正直になろう!」とか。
「感じたままでいい!」とか。

今は、全く意識はしていない。

これも気づいたら「あれ?」という感じ。

無理をする、我慢をする、ということがなくなったと同時に。

「ほら、私…こんなに大変なんだから」
「別に言わなくてもわかってよ…」
という、ややこしいこともしなくなった。


大人になるにつれて。

どれだけ余計な荷物を背負い込んでいったとしても。

全体性に明け渡せば。

背負っていた荷物を整理して、尚且つ絶妙なタイミングで引き受けてくれるように思う。

もう、いらないってわかっていても。
まだ少し…抱えていたいものがあるなら、それを無理やり奪い取ることもない。


どこまでいっても。
果てしなく優しい。



ルールブックを軽くする

2023年05月24日 | 個人セッション
私達は、成長する過程で。

数々の体験を重ねながら、自分なりのルールブックが出来上がる。


育った環境や背景。
他にも沢山の要素が混じり合い。
その人ならではのものになる。


この世界を


「うまく」


生き抜くために


ルールブックは、どんどん分厚くなっていく。

分厚くなればなるほど。
眼の前で起こる出来事に対して。
ルールブックに則って、ジャッジ&ラベリングに忙しくなる。

その後。
ラベリングされたものに対して感情が湧いてくる。


同じ出来事を見ても。
不快感を覚えて、怒る人もいれば。
全く気にならない人もいるのは、ルールブックが各々違うから。


もちろん。
いちいち頭で考えてやっていない。
「反応」としてそれが起こる。

だから、やっかいなんだと思う。


ルールブックは、あくまでも例えだけど。

「うまく」生きる為の。
心のよすがであり。
頼みの綱だったのに。


…どうやら、違うようだ。


でも、だったら。
どうしたらいいの?


それについては、どこにも書いてない。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


本日は、個人セッションでした。




振り返りで、大事なキーワードが次々と飛び出し、勢いのある拡がりを感じました。

前述したルールブックのページ数が、ガバッと減った様子も垣間見えて、思わず拍手👏

ページ数が減るということは、起こる出来事について、
ジャッジ&ラベリングが減っていくということ。

それは、同時に。

思い悩み、葛藤することが減っていくということ。




私達が、どれだけ「考えて」も。

どのページをどれだけ削除するかなんて、やりようがないけど。

全体性の、計り知れない動きの中では、それは着実に進められていきます。


今回は、それにまつわるような事例をお話ししたり。
私の体験のシェアを通して、大切なキーワードをお伝えしたり…。

いつも以上に、ダイナミックな動きが感じられたセッションでした。


次回は、久しぶりのリアルセッション。
楽しみにしています♡

写真の薔薇は、今朝の我が家のピエールちゃん🌹



意欲

2023年05月24日 | 目覚め
誰かに話しを聞いてもらいたい時って。

正しいとか。

間違っているとか。
そんなことを「確認」したいわけではない。

「答え」が欲しいわけでもないし。
「意見」を聞きたいわけでもない。


ただ


私の話しに


耳を傾けてほしい


そんな時がある。



でも、ただ耳を傾けるって。
簡単そうだけど…簡単じゃない。
(今ならわかる)

親に
「いま忙しいんだから!なに?」

彼やパートナーに
「…で、俺にどうしろって言うの」


そうじゃない😢


その結果
「言うんじゃなかった」とか。
「言ったって、聞いてもらえない」とか。

見当違いの返答をされるぐらいなら。
もう話すのはやめよう。


誰もが、多かれ少なかれ、このような経験があるんじゃないかなぁと思う。

そして。
同じようなことが何度も続くと、心を閉ざし、自分の胸の内にしまい込むようになる。

勝手に誰かを「敵」認定してしまう。

これはこれで、自分がしんどい。

「ぼっち感」が増してくる。

結局、あとには引けない状況を自らつくって、さらにしんどくなる…。


出口が見つからない。


目覚めのプロセスを辿っていく過程で
「自分に折り合いをつける」ということを、気づいたら…やっていた。
(今はまた全然違う)

これは「誤魔化す」とはちょっと違うかなぁと思う。

適当になかったことにする。
と言っても、自分のことは騙せない。

「わかった、わかった」
「ちゃんと話しを聞くよ」

っていうのを自分自身に真摯にやっていた。


苦しくて苦しくて無理ー!!
という時は、全体性に預けた。


泣きながら。


絶望しながら。


そして、絶望の中に潜む「安らぎ」に触れた。



目覚めの面白いところは。
同時進行で。
しかも、自分じゃわからないうちに。
次々と何かが変わっていくこと。
(だから振り返りが本当に大事!)

いつ、どのタイミングで。
「目覚め」の種が芽吹くかは、わからないけど。

大事なのは。


まだ見ぬ世界に対して


怖さと一緒に丸ごと


開いていこうとする


「意欲」だと思う。