ココロと機械

ココロの病を患う私の気ままなブログです

家族

2020-11-20 03:30:03 | ブログ

旦那がパチンコ狂だろうが女房がキッチンドランカーだろうが、子
供の腕が一本無かろうが、それらがひとつ屋根の下に集って「家族」

親が子供のために血反吐を吐こうが奔走するのなんて当たり前の中
の当たり前。

冷凍食品ばかりの料理でも毎日ちゃんとしたご飯が出て「家族」が
集う、それだけでわたしから見たら十分「リア充」

親父は去年の年末も年末12月30日に死んだ。
心臓病だが、最初に大手術したときに「持って5年」と言われたの
が、医学の目覚ましい進歩もあってか20年以上生きた。

死ぬ数年前から調子悪くなってきて、これじゃいずれ死ぬ、という
のは覚悟していたけれど、親父が死んだときには悲しみはなかった、
むしろ「よく頑張ったな」と労いの言葉をかけた。

ただ「まだ早いだろう、やっと念願かなったのに」という思いはあ
ったけれど。

わたしの前の家族は行方知れず「失踪者」として警察に届けられて
いる。

女房に子供3人、半日のうちに雲のようにものけの殻にして消えた。
20年一緒に居て、女房がパチンコ狂だったので「パチンコ辞めた
ら籍入れる」という約束で、そろそろいいかな、と思った矢先の出
来事だった。

これ以上細かいことは書かないけれど、一瞬にして「家族」を失っ
たわけだ、そして結局最後に残ったのは残ったのは「悲しみ」と
「苦しみ」だけ。
どこかで生きているだろう、ただ完全に音信不通、死んでるかもし
れない。

こういう事を言うとまた反感を買うだろうが、いっそ交通事故か何
かでわたしだけ生き残りました、の方が、わたしとしては「諦めが
つく」だけマシだ。

もちろん加害者に対しての怒りも残るだろうし思いも残るだろうけ
れど、「生きているのに詳細不明」よりはわたしとしてはまだまだ
マシだ。

「蛇の生殺し」状態のわたしには家族もないし希望もないし「相手
が生きているだけ幸せだと思え」なんてとんでもない。

前を向いて歩け、だって? 出来るわけがなかろう、なったことが
ない人間だから言えることだ。

今は3人目の女房と一緒にいるわけだけれど、この女房とは「相互
共助」のような関係で、女房も精神病者で、独りになって生活が成
り立たなくなったから、一緒に生活するか、という事で我が家にや
ってきたのであって、恋愛でもお見合いでもなんでも無い。

二人共精神病者だからお互いに助け合いながら生活しているだけだ。
ホームシェアのままでは何かと都合が悪いし、長く一緒にいれば情も
湧くわけで結婚したのだ。

今の女房の状態ではご飯すらまともに作れない。
毎日白飯にふりかけだけという食生活だがそれは仕方がないので出
来るときにだけ作ってくれたらいい。

わたしも女房も助け合いながらそれなりの生活が出来ているから不
満はないけれど、女房も子供と引き離されているし、二人とも「幸
せ」なんてものは持ち合わせていない「家族」ではなく「家庭」で
あるだけであるから。(家族が幸せの全てだとは言っていない)

「家族」というものがあって初めて「幸せ」というものを感じられ
るわけで、わたしから言えばそれだけで「リア充」、それが不平不
満や悩みを述べても「ああそう大変ね」としか思わないのだ。

「どん底の悲しみ」なんてのは誰かが死んだからとかだけではない。
相手がなまじ生きているゆえにそれに苦しめられている人間もいる
のだ。

この苦しみや悲しみは「リア充」さんには分かるはずもないだろう。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
考えされられました。 (原村)
2020-11-20 17:36:39
こんばんは。
只々、自問自答して考えさせられました。
良いとか、悪いとかではなく。
自分に問いかけました。
ありがとうございます。
返信する
Unknown (ji2fjb2)
2020-11-20 17:51:19
原村さんこんばんは。
家族が全てというわけではないですが、
幸か不幸かどうかについてちょっと持論を持ち出しました。
大変だと思っていても、傍から見たら「そんなもん」って事はよくあることです。
当事者は気づいていないだけでね・・・。
返信する

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