まずカメラの前になぜシンディ・ローパーが悲しいかと言うところ
から始めなければならない。
誰が聴いてもシンディ・ローパーはポップである。
悲しくなる要素などどこにも無いではないか。
これは時代をさかのぼる辛い仕事となる。
要するに家族で出かける時によく車の中でかかっていたわけだ。
なので長らく聴くのを止めにしてきたけれど、思い出の場所に行っ
てみて、殻に閉じこもることも無いではないか、悲しいときは悲し
いと、はっきり言えばよいではないかという事になって、また聴き
出したのだ。
確かにシンディ・ローパーを聴き出したらどっぷりと悲しい気分に
なる。
でも、悲しいときは悲しいのだからそれを我慢することは無いでは
ないかという事だ。
次にカメラだ。
コンパクトデジカメで28mm固定と言うズームも何も出来ないこ
のカメラのそれもシルバーではなく黒いやつである。
私はこのカメラのシルバーは後から買った。
それはそれで満足して今でも使っているけれど使うシュチュエーシ
ョンが違う。
カメラ店にあった黒い方のデモ機(随分前のことだが)を見てこれ
は何か悲しいカメラだと思ってすぐにそれをを購入した。
それがこの黒いクールピクスAである。
悲しい感じだと思いつつも使う事はなく長らく箱のままだったがつ
い最近・・・と言っても去年だが引っ張り出して眺めているとなぜ
だかやはりさみしい時にはこれだなぁと、根拠のない理屈をつけて
さみしい時にはこのカメラを持つようにしている。
フィルムカメラのライカM4と言うカメラもあるのだがそれはもう
想い出の塊で手にするだけで寝込む勢いなのでカメラ庫の中である。
こうやって何のつながりもないシンディ・ローパーと黒いコンパク
トカメラを結び付けてセットにしているのだ。
まあ、誰が見るわけでもないけれど、私がシンデ・ローパーを聴き
ながらこの黒いカメラを首から提げていたらそれはかなり危ういサ
インである。
危ういと言うのは心が方が崩壊しそうな時であって決して暴れる前
兆とかそういう事ではない、むしろ逆で寝込む寸前であると言うこ
とである。
変な人だと思われようが別に良い。
人からどう見られようが自分の内面のことなのだから・・・・。
ちなみにクールピクスAとは最近出たAシリーズのことではないの
であしからず。(旧製品)