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OTA(Now On The Air)

JF3TBMの無線道楽雑記帳。その他、社会随筆も不定期に掲載。明日の活力にと、スパイスの効いたサプリのような。

●日本人観光客は、京都を敬遠。

2024年08月06日 | 町歩き

在阪テレビは『四条大橋』『花見小路通』『清水坂』の『3点セット』で『インバウンドの連中が押し寄せる京都の映像』を『垂れ流す』。在阪テレビが、意外にも『昼間、全国ネットで垂れ流す』ものだから『あんなにインバウンドの連中が来ているなら、うるさいから、ヨソの町に行こう』と、京都を敬遠するし、在阪テレビも『京都をやめて、大阪に来て!』という『恣意的な意図が見え隠れ』。

【写真:市バスの『100系統』は『観光コース』のバスだが、誰でも乗れる】
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◆観光客が多い≒潤っている、というカンタンな図式にはならない。
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京都の観光産業は、全産業のうち『たった10%』である。

 

まあ、他都市の様子は『よくわからない』が、

概ね『5%くらい』だろうから、

京都における観光業のウエイトは、ちょっと大きいのかも知れない。

 

とはいえ、観光業界は『非正規雇用』が多く『持続可能な雇用創出』とは言い難い。

 

要するに『バイトさん』や『パートさん』が多くの業務を担う。

ホテルにしても、チェックアウト後のベッドメイキングとか、

フツーに考えても『パートさん』がやっているのは容易にわかる。

 

もっとわかりやすく、インバウンドが儲けさせてくれないことを述べる。

 

外国人に『八ツ橋』をはじめとする『和菓子』は売れない。

これも、右京区で和菓子店を営む親戚筋の談話の引用だが、

和菓子業界の主要取引先は『お茶関係』が多いし、

あるいは、日本人の『手土産』としての小売りが主体である。

 

そもそも、インバウンドは京都資本の企業にカネを落とさない。

 

東京資本の家電量販店、大手ドラッグストア、あるいは、百貨店等々。

先日も、百貨店やドラッグストアが『免税の過少申告』で『追徴課税』された。

インバウンドで儲けているところほど『さもしい』ことばかりやっている。

 

まちは『生活者のためにあるもの』だ。

 

税金を納めつつ、暮らしがよくなるのならまだしも、

観光客のための『まちの整備』なんて、どうかしている。

また、ただの古い木造家屋が『京町家』に指定されてしまうと、

ちょっとした修繕にしても『あれこれこまかいこと』を言われる。

近隣での『合意』とかも、不可欠である。

 

観光とは『光を観る』というが『光』があれば『影』もあるのだ。

 

京都のことを『よく知らない人』は『ただ見ているだけの人』で、

中身に入っていかないと『わからないことだらけ』である。

 

今、大阪は『万博』で躍起になっている。

 

国民の80%は『大阪関西万博なんか、まったく興味がない』。

そんなものより『この物価高をどないかせえ』と思っている。

私は『京都が先陣を切って、観光で滅びる見本になる』と感じる。

 

京都は観光ではなく、製造業の町であるのを知って頂ければありがたい。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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※記事は、表現と言論の自由に則ったエッセイで、
 公人を除き、登場する個人・団体名は全て架空のものです。
※時事問題については、筆者個人の考えです。
※SNSなどの他サイトへリンクやリツイートはご遠慮ください。
※X(旧Twitter)等、拡散性の高いSNSでのコメント合戦はお断りします。
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●夜の祇園町が『場末の飲み屋街に?』。

2024年08月05日 | 町歩き

テレビのワイドショウは『四条大橋』『花見小路通』『清水坂』の『3点セット』で『インバウンド客で沸く京都』を演出しています。しかし、これが『えらいこと』になっているのをお気づきでしょうか?。


【写真:平日の21時で、人通りがまばら。もはや場末の様相】
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◆日本人観光客が『京都を避けている』のが現実味を帯びている。
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従兄弟が、祇園町、祇園ホテルの南側で料理店を営んでいます。

 

『もう、どないもならんくらい、不景気や』と。

 

夕方くらいまでは『花見小路通』界隈は、

いわゆる『インバウンドの連中』で込み合っていますが、

20時過ぎあたりになると『あらま!』と思うくらい、

人通りが『まばら』になっています。

 

『かろうじて修学旅行で日本人の京都観光は保てているが』

 

かといって、修学旅行生が『祇園町で食事』というのは、ない。

去年は『コロナ禍明け』で『待ってました需要』が多く、

かつ、インバウンドが『さほど来ていなかったため』、

祇園の料理店も接待とかの需要は多かったといいます。

 

『まぁ、ALL JAPANやないと』

 

メディアが訪日外国人が『わんさか』と押し寄せる映像を、

何度も使いまわしして『全国ネットで見せつけている』と、

あたりまえですが『インバウンドがうるさいし、京都はやめておこう』となる。

日本人の観光客が、コロナ禍前から『京都を避け始めていた』のを気づいていましたか?。

 

先日、八坂神社の石段下で見かけたのはChina系の3~4名グループを2組見ただけ。

 

21時台で『たった2組って・・・?』と仰天しました。

祇園南側の料理屋さんが並ぶ路地も、

提灯は点灯しているものの、お店は『本日は閉店しました』の様子。

1軒だけ、お客の見送りで女将さんと若女将さんが店頭に出ているのを見ただけ。

 

大阪もインバウンドに期待するのを、控えた方がいいと思います。

 

今、京都のビジネスマンは『餃子の王将』あたりで『仕事の話』をしています。

私も、王将は好きですが『そこで仕事の話』なんてしませんわ。

そもそも、餃子の王将での商談で『いい仕事』できますかね?。

 

大阪も他人事ちゃいまっせ。

 

実際、北新地も『ひまです』という声が多いです。

まだ、京橋辺りの庶民的な『まち』の方が、人がいますが、

それでも、スナック・ラウンジ系は『ひまです』の声が多いです。

 

私が住む大東市は『飯盛山の古城が国史指定された』と喜んでいる。

 

しかし、大東市で『観光振興課』とかいう『何をやっているかわからない部署』の人たちは、

実際に『観光業には携わった経験がない』ものですから『呑気』なもの。

今のところは『大河ドラマで三好長慶が扱われれば観光に期待』とかぬかします。

 

ドラマの聖地巡礼に期待しているのでしょうかね。

 

まちづくりとかいうと『にぎわいづくり』とかがクローズアップされますが、

にぎわいづくりって『いったい、どのくらいの規模の人数がいるか?』。

まともに答えられる観光振興課の人はいません。

 

はっきりと言いますが『常時10,000人を誘致してはじめて叶う』です。

 

・企業誘致か

・私大誘致か

 

これくらいやらないと『人の動き』も『にぎわい』も生まれません。

 

京都市立芸術大学が『崇仁地区』に移転して久しいです。

崇仁地区が『にぎわっている』とはまったく感じません。

市立芸大なんて『院まで合わせて、1,000人ちょっと』です。

こんなの、ちょっと昔の中・高校の1校分と同数でしょう。

この規模ですと『文房具屋さん』や『本屋さん』が恩恵にあずかる程度です。

 

京都のことを『他人事』と思ってはいませんか?。

 

京都は超保守的なまちですが、意外と革新的なことも受け入れています。

京都で起きていることが、5年後くらいに『大阪でもより顕著になる』のです。

東京の事情は知りませんが、とにかく関西では『京都から始まる』ことが多いです。

 

今のインバウンド崩壊は、やはり京都から連鎖的に流れていくでしょう。

 

大阪は、まだ人口が多いですし、きちんと産業が残っています。

まちは『住民のためにあるもの』で『一過性の観光客のためのものではない』です。

生活者の生活がきちんと成り立って、その余力で『お・も・て・な・し』ならわかります。。

 

あと、3~5年以内にウクライナも決着がつくでしょう。

 

武器輸出の軍需が止まれば『円安』にしておく理由がありません。

先週の日銀介入で『経済界があれだけ混乱した』のですから、

軍需が止まって、元の円高基調に戻ったら、

インバウンドのプチバブルは『必ず崩壊』します。

 

今のうちに『インバウンド税』を課税すべきだと思います。

 

そもそも、円安で『免税店もいらんやろ?』というくらい、

インバウンドの連中は『Oh!リーズナブル!』とか言っています。

円安に加えて免税店で、さらに安く買う。

 

インバウンド税で、ちょっとくらい回収したら?。

 

どうあれ、京都の祇園町が『場末の料理屋街』に成り下がっています。

そのくせ、地代は高騰していますから、

お店は『固定資産税払うのも、たいがいやで』です。

そんなロケーションですから、うっかり貸店舗にしても、

そこらへんの古民家をカフェにして・・・みたいな客単価では成り立ちません。

 

21時台、22時台の四条通でタクシーがヘタっているのを見て愕然としましたよ。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●大阪城公園駅の隠れた背景。

2024年07月05日 | 町歩き

JR大阪環状線『大阪城公園駅』は、戦後に『全額民間出資』で開業した駅、というのをご存知でしょうか。もともと、この地は『大阪砲兵工廠』や『軍施設』がありました。大阪城ホールができたときに民間出資で開業した駅。

【写真:環状線で、この駅だけ『地べた』を走っている・・・】
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◆なぜ、ここだけ『地べた』なのか?。
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リード文にヒントを書きました。

 

森ノ宮-京橋間には『大阪城』があり、

戦時中までは『軍関係の施設があった』のは前述のとおりです。

森ノ宮も京橋も『盛り土の高架』を走っています。

 

大阪城公園駅は戦後にできた・・・。

 

要は、戦時下の軍の機密が『電車の車窓から見えては具合悪い』ということです。

そのため、省線・城東線(現在のJR大阪環状線)を作る際、

森ノ宮-京橋の1区間だけは『軍の機密を守るために、地べたに線路を敷いた』ということです。

 

わからないのは・・・。

 

戦後に開通した『阪神高速・東大阪線』も、

森ノ宮ー船場ジャンクション間が、

JRと同様、中央大通りと同じくらいの高さに下げています。

 

車で走っても『なんでかなー?』と、いつも感じる区間です。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●近隣の『見えない戦跡』<3>。

2024年06月29日 | 町歩き

読者の方から『盾津飛行場跡の行き方を教えてほしい』と要望がありましたので、カンタンに説明しておきます。

【写真:盾津飛行場跡の説明文(盾津中学校正門内)】
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◆最寄り駅は、JR鴻池新田または近鉄荒本からバスで。
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近鉄バスが走っています。

最近は、間引き運転されていますので、

ご自身で時刻をお調べくださいね。

▲最寄りのバス停は『新庄』です。

 

新庄バス停から南に数十メートル南に行くと、

大峯山行きの『道しるべ』があります。

そこを『左(東)』に曲がります。

 

▲大峯山の道しるべから数百メートル歩くと『おかげ灯篭』があります。

 

この『おかげ灯篭』の『Y字』を『右』に取ります。

しばらく歩くと、右手に盾津中学校が見えてきます。

校門の手前には、旧盾津町の遺族会の方が建てられた、

戦没者慰霊塔が見えてきます。

 

▲遺族会が建てられた、慰霊塔です。

▲これが、遺族会の建立された灯篭です。

▲正門は閉まっていますから、インターフォンで連絡してください。

 訪問の意図やらを簡潔に伝えて『許可』をもらってください。

 すべては、自己責任でお願いします。(私は同行もガイドもしませんので)

 

▲盾津中学校から、バス通りに戻り、荒本方面に進むと『本庄西公園』があります。

 

ここも、戦時中は『陸軍の敷地だった』と思料されます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●近隣の『見えない戦跡』<2>。

2024年06月28日 | 町歩き

戦跡をたどるのは『今の自治体ごとに区切って』では、因果関係が見えにくいものです。昨日、紹介した松下航空機から『ここへ運んで飛ばしたのではないか?』と推察される、現在の東大阪市新庄南にある『盾津飛行場跡』へ、ご案内します。

【写真:東大阪市立盾津中学校(撮影協力)正門内に設置された飛行場跡の説明】
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◆盾津飛行場跡に関しては、取材しやすかった。
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盾津飛行場の説明書きは『盾津中学校の中』に設置されています。

池田市の事件以後、校門が閉ざされ『インターホン』で撮影許可を頂きます。

今回は、同校の教頭先生が対応して頂き、校門を開けて頂きました。

▲今は、こんな風に校門が常に閉まっています。

 

▲盾津中学校の北隣に『戦没者の慰霊塔』があります。

 左右の灯篭には『遺族會(会)』も文字が刻まれています。

▲不自然に、左カーブしているのは『飯盛山』を目指した方向に滑走路があった名残。

 

カーブを曲がると、真正面に生駒山系の山が見えます。

概ね、飯盛山の防空監視哨の方向を向いていますから、

練習機は、飯盛山を目指して離陸したのが想像できます。

 

▲かつての陸軍練兵場跡地は、戦後『機械団地』や『トラックターミナル』に。

 

軍事施設の跡地は『空襲の跡』などがなければ、

ここが『戦跡』と特定しにくいものです。

なぜなら、軍事に関しては『超機密事項』だったため、

よほどでなければ『文献』も残りませんし、

機密事項を他人や家族に話したりもできません。

 

施設だったレンガ造りの建物でも残っていたら戦跡とわかりやすいのですが。

 

▲トラック左側の奥の山が、だいたい飯盛山のあたり(ここが旧飛行場と思われる)。

 

・文献も残っていない、敗戦時に焼却処分したとも考えられる

・当時を知る人も、ほとんどいない。語り部もいない

・空襲の形跡なども、あったのかも知れないが整備されてなくなっている

 

日本の『どこの地域』も『戦跡はあるはず』です。

 

私は、仕事で盾津中学校付近の『不自然なカーブ』を走っていて、

違和感を覚えたので、約15年前に地元の方に話をうかがって、

ここに戦時中の飛行場や練兵場があったことを知りました。

城東練兵場が移設され、この地に練兵場ができたと聞きました。

残念ながら、このお話をしてくださった方も、数年前に他界されました。

 

浅学菲才を承知で、戦跡をたどる『まちあるき』は続きます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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