OTA(Now On The Air)

JF3TBMの無線道楽雑記帳。その他、社会随筆も不定期に掲載。明日の活力にと、スパイスの効いたサプリのような。

●大阪城公園駅の隠れた背景。

2024年07月05日 | 町歩き

JR大阪環状線『大阪城公園駅』は、戦後に『全額民間出資』で開業した駅、というのをご存知でしょうか。もともと、この地は『大阪砲兵工廠』や『軍施設』がありました。大阪城ホールができたときに民間出資で開業した駅。

【写真:環状線で、この駅だけ『地べた』を走っている・・・】
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◆なぜ、ここだけ『地べた』なのか?。
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リード文にヒントを書きました。

 

森ノ宮-京橋間には『大阪城』があり、

戦時中までは『軍関係の施設があった』のは前述のとおりです。

森ノ宮も京橋も『盛り土の高架』を走っています。

 

大阪城公園駅は戦後にできた・・・。

 

要は、戦時下の軍の機密が『電車の車窓から見えては具合悪い』ということです。

そのため、省線・城東線(現在のJR大阪環状線)を作る際、

森ノ宮-京橋の1区間だけは『軍の機密を守るために、地べたに線路を敷いた』ということです。

 

わからないのは・・・。

 

戦後に開通した『阪神高速・東大阪線』も、

森ノ宮ー船場ジャンクション間が、

JRと同様、中央大通りと同じくらいの高さに下げています。

 

車で走っても『なんでかなー?』と、いつも感じる区間です。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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※記事は、表現と言論の自由に則ったエッセイで、
 公人を除き、登場する個人・団体名は全て架空のものです。
※時事問題については、筆者個人の考えです。
※SNSなどの他サイトへリンクやリツイートはご遠慮ください。
※X(旧Twitter)等、拡散性の高いSNSでのコメント合戦はお断りします。
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●近隣の『見えない戦跡』<3>。

2024年06月29日 | 町歩き

読者の方から『盾津飛行場跡の行き方を教えてほしい』と要望がありましたので、カンタンに説明しておきます。

【写真:盾津飛行場跡の説明文(盾津中学校正門内)】
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◆最寄り駅は、JR鴻池新田または近鉄荒本からバスで。
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近鉄バスが走っています。

最近は、間引き運転されていますので、

ご自身で時刻をお調べくださいね。

▲最寄りのバス停は『新庄』です。

 

新庄バス停から南に数十メートル南に行くと、

大峯山行きの『道しるべ』があります。

そこを『左(東)』に曲がります。

 

▲大峯山の道しるべから数百メートル歩くと『おかげ灯篭』があります。

 

この『おかげ灯篭』の『Y字』を『右』に取ります。

しばらく歩くと、右手に盾津中学校が見えてきます。

校門の手前には、旧盾津町の遺族会の方が建てられた、

戦没者慰霊塔が見えてきます。

 

▲遺族会が建てられた、慰霊塔です。

▲これが、遺族会の建立された灯篭です。

▲正門は閉まっていますから、インターフォンで連絡してください。

 訪問の意図やらを簡潔に伝えて『許可』をもらってください。

 すべては、自己責任でお願いします。(私は同行もガイドもしませんので)

 

▲盾津中学校から、バス通りに戻り、荒本方面に進むと『本庄西公園』があります。

 

ここも、戦時中は『陸軍の敷地だった』と思料されます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●近隣の『見えない戦跡』<2>。

2024年06月28日 | 町歩き

戦跡をたどるのは『今の自治体ごとに区切って』では、因果関係が見えにくいものです。昨日、紹介した松下航空機から『ここへ運んで飛ばしたのではないか?』と推察される、現在の東大阪市新庄南にある『盾津飛行場跡』へ、ご案内します。

【写真:東大阪市立盾津中学校(撮影協力)正門内に設置された飛行場跡の説明】
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◆盾津飛行場跡に関しては、取材しやすかった。
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盾津飛行場の説明書きは『盾津中学校の中』に設置されています。

池田市の事件以後、校門が閉ざされ『インターホン』で撮影許可を頂きます。

今回は、同校の教頭先生が対応して頂き、校門を開けて頂きました。

▲今は、こんな風に校門が常に閉まっています。

 

▲盾津中学校の北隣に『戦没者の慰霊塔』があります。

 左右の灯篭には『遺族會(会)』も文字が刻まれています。

▲不自然に、左カーブしているのは『飯盛山』を目指した方向に滑走路があった名残。

 

カーブを曲がると、真正面に生駒山系の山が見えます。

概ね、飯盛山の防空監視哨の方向を向いていますから、

練習機は、飯盛山を目指して離陸したのが想像できます。

 

▲かつての陸軍練兵場跡地は、戦後『機械団地』や『トラックターミナル』に。

 

軍事施設の跡地は『空襲の跡』などがなければ、

ここが『戦跡』と特定しにくいものです。

なぜなら、軍事に関しては『超機密事項』だったため、

よほどでなければ『文献』も残りませんし、

機密事項を他人や家族に話したりもできません。

 

施設だったレンガ造りの建物でも残っていたら戦跡とわかりやすいのですが。

 

▲トラック左側の奥の山が、だいたい飯盛山のあたり(ここが旧飛行場と思われる)。

 

・文献も残っていない、敗戦時に焼却処分したとも考えられる

・当時を知る人も、ほとんどいない。語り部もいない

・空襲の形跡なども、あったのかも知れないが整備されてなくなっている

 

日本の『どこの地域』も『戦跡はあるはず』です。

 

私は、仕事で盾津中学校付近の『不自然なカーブ』を走っていて、

違和感を覚えたので、約15年前に地元の方に話をうかがって、

ここに戦時中の飛行場や練兵場があったことを知りました。

城東練兵場が移設され、この地に練兵場ができたと聞きました。

残念ながら、このお話をしてくださった方も、数年前に他界されました。

 

浅学菲才を承知で、戦跡をたどる『まちあるき』は続きます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●近隣の『見えない戦跡』<1>。

2024年06月27日 | 町歩き

大東市には『かつて、三洋電機の工場があった』のは、まあまあ知られています。三洋があったところは『三洋町』という地名まで付き、同社が撤退しても『三洋電機前』という交差点名が残っています。

【写真:ここが『戦跡』とは、誰も知らない】
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◆松下航空機跡。
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松下電器が軍需産業に駆り出されたのは、

かつて、NHKの朝ドラでも放映されていたのは、

多くの方がご存じと思います。

 

その一部が、現在の大東市にありました。

 

▲三洋電機の跡地。ここに『松下航空機』があった。

 

大東亜戦争当時『北河内郡』の『住道町界隈』は、

鐘紡、松下航空機、松下無線などの『軍需産業』で、

いろんな人が『徴用工』やらで従事していました。

 

松下航空機では『明星』という『木製飛行機』が製造されました。

 

木製飛行機は『敗戦色が濃くなった、資材不足』の苦肉の策でした。

本来『軽量化』すべきところ『木製』ゆえに『重量が増す』ということで、

明星の『艦載爆撃機』から『練習機』に転用された、ということです。

 

松下航空機から、南西に約2kmほどのところに『盾津飛行場』がありました。

 

おそらく、工場から盾津飛行場まで運んで、

練習機を飛ばした・・・のでしょう。

大東市の場合、戦時下の人口が少ない上に、

文献がほとんど残っていないため、

近隣の戦跡を探すのには、ちょっと苦労します。

 

松下無線は・・・。

 

航空機に搭載する通信機を製造する軍需工場の会社で、

阪奈道路の上り線『寺川』付近にあったと聞き出せました。

まだ『ウラ付け』が取れていないので『何とも言えない』のですが、

松下航空機から、現在の府道・八尾枚方線を通って、

盾津飛行場へと運んだのではないかと推察しています。

 

となれば、八尾枚方線は『元、軍用道路だった?』と。

 

八尾方面に関しては『大正飛行場(現・八尾空港)』の予備滑走路を、

のちに『府道へ転用した』という経緯もあり、

軍用道路だったのは、あながち間違ってはいないと感じます。

 

軍関係施設だったところは、たいていが戦後に『公営住宅』が建っています。

 

・松下航空機跡:三洋電機と朋来住宅

・松下無線跡:寺川住宅

・盾津飛行場横の練兵場:春宮住宅、機械団地、トラックターミナル

・鐘紡工場跡:住道駅前住宅、大東四条畷消防組合消防本部、サーティーホール、ベルパーク

 

大東市内には、爆撃の跡などは見つけられませんでした。

 

とはいえ、これだけの軍需工場があったのですから、

戦争が長引けば、空襲の危険もあったと考えられます。

ちなみに、FM大阪、FM802、NHK-FMの送信所がある『飯盛山』には、

 

防空監視哨の建物が、山頂に残っています。

 

これは『敵機来襲』を早く見つけて、

中部軍管区(現在の陸上自衛隊・中部方面隊:伊丹市)に伝達し、

大本営へ報告が上がったのだろうか・・・と考えています。

 

追い追いと、近隣の戦跡を紹介していきます。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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●まちづくりって、何スかねぇ?。

2024年06月25日 | 町歩き

アマチュア無線で『記念局』というのが、しばしば出ています。ほとんどが『カードはワンウエイで送ります』とか言っています。記念局のおおかたが『市政〇〇周年記念』だとか、アナウンスしています。私は、記念局をほとんど呼びません。なんか『しらこい(しらじらしい)』というのか、記念局って、運営は大変だとは思うのですが『まち』の『本質』が『本当にわかっているのかな?』と感じるからです。『まちづくり』とかも、非常に違和感を持っています。なぜなら『すでに「まち」は「あるから」』です。私は、趣味で『まちあるき』をしますが、しばしば『まちづくり系の方ですか?』とか聞かれます。なんなん?『~系って?』とか感じます。まちづくりは『不動産屋や建設会社の仕事』ですから、私は『単に、まちを深掘りしているだけです』と答えています。

【写真:なぜ、ここに『駅』があるのか・・・も、深掘りしたらおもしろい】
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◆しつこいですが『まち』は『すでにあるもの』です。
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まちづくりの定義を知っていくと、大抵が・・・活性化を目標にしています。

 

・人づくり、とか

・コミュニティづくり、とか

・公共施設の建設、とか

・循環バスの運行、とか

・観光、祭り、イベント企画、とか・・・のことを言うようです。

 

まちは『つくる』というより『深掘り』していくものです。

 

・なぜ、ここに『まち』をつくったのか?

・最初に『まち』をつくったのは、誰?

・それが、旧石器時代なのか、縄文時代なのか、あるいは、もっと後々なのか?

 

そこに『まち』をつくった先達の思いが、必ずあるはずですね。

 

そして、その後の展開があります。

いろんなものが『結節』して『まちの原型』ができたはずです。

私は『まちの原型』の中に『まちの未来がある』と感じます。

 

ここまで、伝わっていますか?。

 

まちの原型は、その『まち』の『存在理由そのもの』です。

これが『わかることこそが大事』だと考えます。

まちは『活性化』させるようなものではなく、

そこに住む人々の生活の拠点として『安定化』させることこそが大事です。

 

・便利にしたり

・賑わいを『演出』したり

・効率化したり

・人を集めたり

 

それが最初からあったとは思えません。

 

最初にあったものは『生活そのもの』です。

さらに『その生活の安定化』です。

まちには、自然に沿った『役割』が見える『共同体』がありました。

 

そこでの生活は『交感神経』ではなく『副交感神経』が主導します。

 

・ゆるやかなふれあいがあって

・落ち着いて生きていける状況が先決です

・生活拠点としての『まち』は『活性化』ではなく

・安定した生活圏としての『維持』が最重要です

・集金システムのような『観光』は、二次的なものであるべきでしょう

 

私が行う『まちあるき』とは・・・

 

・歴史の時代区分や

・政治

・経済

・文化・・・などを『個別領域』で『切り離す』ことはしていません。

 

全体的で循環的な視点から『深掘り』すると、

まちの存在理由が、おぼろげに見えてきます。

なぜ、ここに人が集まって『まち』ができたのか・・・。

 

人は、自然と共同体によって生かされてきました。

 

かつて、それぞれの『家』には『何らかの自給自足や生産活動』があり、

その『過不足』を補うために『贈答』がありました。

安定供給が必要ならば『業(なりわい)』が『産まれ』ました。

 

それが、本来の『産業の姿』だと実感します。

 

産業の原点は自分の『役割』が見える、

『ムラ』『集落』といった『共同体』が、

基盤になっているはずです。

 

まちあるきの本質は『まちの深掘り』。

 

原型である『まちの存在理由』から出発し、

それぞれの役割が見える『共同体』を『再構築』することです。

従って、自分が生活している身近な規模での『自給自足』や、

あるいは『協同作業』や『助け合い』を『仕組むこと』です。

 

・まちの『存在理由』を知ること

・そこから『将来』『未来』を『展望する』こと

・その未来展望を『肌感覚』『五感』で感じ取ること

・素人でも、浅学菲才も承知の上で取り組んでみる

・まちを『真摯』に捉え、確かめる『ひとつの見方』

 

ここから、詳しい人に叱正や助言をいただく

 

共同体とは、煩わしさもありますが、

それに勝る『生活の律』がありました。

昭和40年(1965)頃から、

自然や共同体が次第に消えて現在に至ります。

戦時中の隣組を模した『形だけの「町内会」』はありますが、

正直なところ『あっても、なくても、どっちでもいい存在』です。

 

今の『大人の幼稚さ』や『倫理観の欠如』は、この頃から始まっています。

 

▲河内街道沿いの、お寺(大東市内)

 

なぜ、ここに『お寺があるのか?』の存在理由もあるはずですね。

 

毎度おおきに。ほんじゃーね!!

 

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