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うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

GOOブログ終了に伴いAMEBAブログに引っ越しました。新記事はAMEBAで公開します。URLは自己紹介をご覧ください。

2025九州旅行博覧会_福岡市博多区九州国際センター

2025年03月22日 | 旅行

 2025年2月23日(日)にKBCラジオの人気番組「PAO~N」のイベントに行ったのである。場所は福岡サンパレスで、有料イベントにもかかわらずチケットは完売で当日券は無いという盛況です。さらに会場に来れない人向けに、ネット配信のチケットも売れているとのことです。

 開場14:00で開演15:00です。博多駅から歩いても行けますが、BRTなどの路線バスがあるので、行はバスに乗車しました。

 余裕をもって開場1時間前に行ったら、すっごい行列です。席は指定なので並ぶこともないかと思い、周辺をぶらつくことにします。

 隣の福岡国際センターで「九州旅行博覧会トラベラーズフェス」を発見しました。(事前には知りませんでした)

 入場無料なので行ってみます。

 内容は、旅行会社・航空会社・自治体の観光課・各国の観光PRなどで盛況です。

 自治体の観光PRもあります。LINEの友達登録や、Xなどをフォローするとシールなどを貰える特典も多いのですが、LINEはやってないので見て回るだけです。

 STARLUX(台湾の新興航空会社)のシールは、面倒な友達登録なしで貰えました。知らなかったのですが、LCCではなくフルサービスの航空会社です。台湾はエバー航空がありますがお家争いがあったようで、いろいろあった末に創設されたようです。

 コロナ禍前には福岡⇔フィンランド(ヘルシンキ)の直行便があったのですが、コロナのための利用者減により福岡便は無くなってしまいました。現在は、成田・羽田・関空からヘルシンキ行きの便が出ています。(乗ったことはありません)

 スターフライヤーは、福岡⇔東京便を良く利用させていただきました。(仕事での利用)

 ステージでのトークショーもありましたが、残念ながら時間がなく聞けませんでした。写真は「リーマントラベラー」さんのトークかな?

 福岡国際センター前の広場には、キッチンカーがたくさん出ています。「ねこめ」ってなんだ?(イラストを見れば、だいたい分かるやろ)

 おむすびのキッチンカーでした。しかし、この米の高止まりなんとかならんもんかな。米を投機対象にするなんて許せんな。

 サンパレスの開場時間を少し過ぎたので、パオーン側に行ってみましょう。

 九州国際センター:福岡市博多区筑港本町2-2


2024_北海道旅行記その29(仙台港⇒名古屋港⇒滋賀県甲賀市⇒福岡県)

2025年03月21日 | 旅行

 名古屋港には定刻通りに入港しました。この船の自販機のビールも、腹いっぱい補充されることでしょう。

 往路は、福岡⇒名古屋間を3日かけて一般道を走行しましたが、帰りは疲れるので高速道路で一気に帰ることにします。途中の土山SAで一休みです。

 滋賀県甲賀市土山町南土山1122-74

 土山といったら忍者です。

 伊賀じゃなくて、甲賀忍者ですよ。

 美味そうな「まる天」がばら売りしていたので、1本お買いあげ。

 伊勢市の会社「(株)まる店」の天ぷらです。ネットで調べてみたら、通販もやっているようです。

 伊勢の赤福も人気の商品です。消費期限が短いので、福岡だとなかなか手に入りません。1箱買って帰り、すぐに食べました。

 一気に高速を使って、福岡を目指します。走り続けるわけにもいかないので、ちょくちょく休憩を取ります。吉備SAで人の腹ごしらえと車の腹ごしらえ(給油)をします。ハイブリッド車なので20Km/L以上走りますが、どこかで1回は給油しないと足りません。

 ラーメン美味そうやな。

 よっしゃ、岡山ラーメンに決定じゃ。自販機で食券を買うと、厨房には自動でオーダーが飛び、席で待っていれば番号が呼ばれます。(こりゃ便利だな)

「319番のかたー」

「はーい」(セルフなので取りにいきます)

 ストレート麺の醤油魚介系です。すっきりしたスープです。

「う麺じゃ」(うめいんじゃ)うめー

 吉備といえば、猿・雉・犬を買収した(言い方)食べ物と言うのは有名な話です。

 しかし、北海道で買った「きびだんご」は、動物たちの買収用とは異なるようです。

「そもそもは、関東大震災の復興を願い、北海道開拓精神を込め(起備団合)と命名していたように、保存性に優れたおやつ、非常食として親しまれてきました」とありますので、日本むかし話とは関係ないみたいです。

 ガソリンが高騰してる昨今ですが、高速道で給油したら、198円/Lという見たこともないような金額でした。しかし、背に腹は代えられないので満タンに給油しましたが高いなぁ。

 その際に「このタイヤで福岡に帰るのですか?交換しないと無理ですよ。すぐにできます」と言われました。そのスタンドはタイヤに力を入れているようで、たくさんのタイヤが並んでいます。

 たしかに減り気味ではありますが、車検も通っているしスリップサインも出ていません。こういうセールストークに乗せられると、お高い(価格は聞いていないが)タイヤを購入させられる場合があるので断りました。それでも事故になるとかしつこく言ってくるので、きっぱりと交換しませんと断りました。

 往路の福岡⇒名古屋は一般道を3日かけて走ったのですが、復路の名古屋⇒福岡は高速を使ったので、14時間ほどで走破しました。今回の旅での総走行距離は、4012.4Kmでした。

 旅日記はおしまいです。最後までお読みになっていただいた方、有難うございました。


2024_北海道旅行記その28(苫小牧港⇒仙台港)

2025年03月20日 | 旅行

 ほぼ1ヶ月近くになる北海道の旅も、本州に向かうフェリーの中となりました。自分で運転しないので楽ちんですが、名古屋から福岡までは自走する必要があります。

 部屋にはテレビがあり、地上波(たまに見えない時がある)とBS放送を見ることができます。プロムナードに行くと、大型のTVはありますが、みんなが見るので自由にチャンネルを変えることはできません。船の上部甲板で、まったりと時を過ごすのもいいですね。

 出航から翌日の午前中には、一時寄港地の仙台港に入ります。事前に申請すれば一時上陸はできるのですが、往路で近くのアウトレットモールには行ったので今回はパスしました。

 名古屋港さいならー

「かっぱえびせん」持っていると、カモメにもてます。やめられないとまらない♪っと

 船のレストランは、朝昼晩とバイキング方式なので食べすぎます。(人による)それとは別にコーヒースタンドには、賄いカレーとナポリタンがあるので注文してみます。結構人気で、開店前くらいから行列ができます。席は自由なので、あらかじめ席を確保してから並んだ方がいいでしょう。苫小牧からは、めっちゃ人が乗ってきたのですが、半分くらいは仙台港で下船した感じで船内は落ち着きが戻りました。

 賄いカレー、シンプルでいいっす。

 ナポリタンも、普通に美味いっす。

 無料のビデオ上映もあるのですが、あまり興味のある作品ではなかったので見ませんでした。

 太平洋上では姉妹船の「いしかり」とすれ違います。同じ会社の船なので、かなり近づきます。また、事前にアナウンスがあるので、見逃しはありません。

「おーい」お互いに手を振りあいます。(もちろん声は聞こえない)

 大浴場が気持ちいいのですが、個室にもシャワーがあります。大浴場が面倒くさいという人は、これで十分です。

 晩飯は、苫小牧のスーパーで仕入れた「やきそば弁当」です。湯切り用の湯でスープが作れる、優れものです。

 船内で2泊目です。のんびり船旅はいいものです。

 つづく


2024_北海道旅行記その27(室蘭市⇒苫小牧市)

2025年03月19日 | 旅行

 室蘭の「道の駅みたら室蘭」から出発です。

 本日の夕方には苫小牧発仙台経由名古屋行きの、太平洋フェリーに乗らなければなりません。しかし午前中くらいに室蘭を出発すれば、余裕で苫小牧東港には着けます。

 道の駅での情報で、安田顕氏が卒業した絵鞆(えとも)小学校(廃校)の一般公開が行われるという情報を得たので、行ってみることにします。珍しい円形校舎とのことです。

 しかし、一般公開時間までにはまだ時間があるので、絵鞆小学校にほど近い絵鞆岬を見学することにしました。その前にセコマで朝食です。

 北海道産山わさび使用のおにぎり

 セコマの北海道牛乳

 セコマの北海道アイスクリームで〆る。

 室蘭八景絵鞆岬に到着です。

 展望台があります。

 ここもいいな、地球岬以外にも景気がいいポイントがあります。人も少ないです。

「室蘭発祥の地。絵鞆とはアイヌ語のエンルムから転じたもので、(突き出している頭・岬)というのが語源」とのことです。

 ロケーションが良さげなので、2mFMでCQを出したところ、地元のJE8某局から応答がありました。すぐ近くという事で、自宅に招かれコーヒーをご馳走になりました。昔の合法CB機など、懐かしい機器も見せていただきました。大変有難うございます。

 一般公開の時間になったので、絵鞆小学校に向かいます。車は校庭に停められます。校舎は2棟あり、手前のものが管理棟と最上部は体育館となっています。こちらの方が古く「旧耐震」で設計されたため、通常の立ち入りは禁止されていますが、公開日は有料のガイドツアーが行われます。奥の方はそういう制限がないので、公開日には自由見学ができます。

 安田 顕さん(卒業生)のサインがありました。写真右下の猫は「鞆蔵」(ともぞう)です。後で説明します。

 かつては丸い校舎2棟と通常の直方体の校舎1棟があり、校庭も広かったのですが、直方体の校舎は解体されており校庭も半分くらいになっています。(校庭部分の半分は売却された)当時は児童が多かったため、狭い敷地を有効活用するために、円形校舎としたようです。

 新しい校舎の方から見て行きましょう。

 この周辺には「絵鞆貝塚」があり、貝塚の一部は旧校舎敷地内に現存していることが確認されているそうです。

 こういう丸い教室は初めてみました。扇状に机を配置することになります。

 出入り口付近が教壇になります。特徴としては、次の事が考えられます。

・先生の位置からは逆光になるため、生徒の顔が判別しにくい。

・出入り口が教壇の横にあたるので、遅刻すると入りにくい。

・机の並びが扇形になる。

 校舎の中心には、らせん状の階段が設置されています。

 落下防止用の鉄の棒が曲がっています。これは、児童が悪戯をして曲げてしまったそうです。(小学生くらいならするよな)さらに、ここから落ちた子もいたとか。(大事にはならなかったそうです)

 子供はイメージです。児童がいるころは、賑やかだったのでしょうね。

 旧耐震校舎の見学は、500円/1人の有料ツアーとなります。ボランティアにより保存活動が行われているので、少しでも力になれればと思い参加しました。新耐震の建物の方はいいのですが、旧耐震の建物を残すには耐震工事を行う必要があります。議会ともかけあっているそうですが、工事完了の期限があり保存会としては苦労しているとのことです。

 じゃあ新耐震側だけ残せばという意見もあるでしょうが、同じ円形でも建設された時代が異なり、古めかしいキノコ状のドーム屋根がデザインされたものと、比較的近代化されたデザインの円形屋根の両方が並んでいるのが価値があるということで、両方の存続を目指しています。

 宿直室かな、廃墟感があります。夜は怖そう~

 放送室です、一度は取り壊しが決まっていたので、教室内の備品やこういう機器などは、ほとんど廃棄されてしまったそうです。存続が分かっていたら、残しておくことができたのにとおっしゃってました。この部屋には、唯一この操作卓が残されていました。

 これが旧耐震側建物の最上階にある体育館です。写真だと一部の切り取りになってしまいますが、実際に立ってみるとすげー景色です。有料ツアーに参加して良かったですわ。

 体育館にあった絵鞆小学校校歌です。安田氏も、歌ったのでしょう。

 猫の「鞆蔵」については、ちょっと書きましたが、ここで紹介いたします。絵鞆小学校の七不思議のひとつだそうです。

「旧絵鞆小学校には、顔が2つ脚が6本のホルマリン漬けの猫の標本があり、薄暗いホールの棚の前を通る子供たちをおののかせていたといいます」と説明があります。

 それが、2015年の閉校・校舎解体の危機にキャラクターとなって飛び出しました。このイラストは、猫が振り向いている様を描いているのではなく、ほんとうにこの猫がいたことになります。尻尾も2本あるように描かれていますね。

 その鞆蔵は、夜な夜な瓶から抜け出して、校舎内をさ迷ったとか。その時の足跡が校舎内にいくつか残されているので探してみて下さい。(※諸説あります)

 ※ほんとは、校舎建設途中に猫がまぎれこんで足跡をつけたとか

 鞆蔵は、今や愛されキャラクターとなり、缶バッチにもなっています。これも応援の為に購入しました。

 午後からは、フェリーに乗るために苫小牧に向かいます。

 途中のセコマで昼飯を調達します。和風豚焼きうどん:128円+TAX これもコスパ最高で美味いっす。

 デザートはとろけるラッシー白桃

 あと、セコマのガラナバー 今回の旅でもセイコーマートには、ほんとにお世話になりました。

 なんのトラブルも無かったので、余裕で苫小牧東港に到着しました。いきなり列に並ぶのではなくて、ターミナルビル前の駐車場に停めます。ネット予約はしているのですが、窓口での手続きが必要です。すでに20人以上並んでいたので最後尾につけます。名古屋港よりも手際はいいようですが、30分以上はかかりました。

 手続きが終わってから、乗用車乗船駐車場に並びます。このあたりは、フェリー会社によっていろいろとルールに違いがあるので、事前にネットで調べたり係の人に聞くといいでしょう。

 名古屋行きなので「名古屋」の行先案内紙を掲げて、名古屋行きの列に並びます。この船は仙台港を経由するので、間違わないように区別するためです。めっちゃ車が並んでいて、本日の船は満車のようです。

 乗車時間になると係の人が誘導するので、指示に従って乗り込みます。エレベーターは3基あるので、自分が乗ったエレベーターを覚えておく必要があります。

 無事に乗船できました。やはり思った通り、非常にたくさんの人が乗ってきます。

 さいなら北海道

 やけに人が多いなと思ったら、「8月9日以降、相次いで発生した台風による結構や臨時便での運行により一度も名古屋港への入港ができませんでした。そのため商品の売り切れが多発しております」と書いてます。

 あー、やっぱり欠航が相次いでいたので、乗れなかった人たちがこの便に集中したみたいです。おとといの便も名古屋までは運行していないので、予約時にやむなくこの便になったのは、結果的にラッキーだったようです。

 自販機のビールは全滅だぁ。どうも契約上自販機の補充は名古屋港でしか出来ないようです。売店では「サッポロクラシック」を扱っているようなので、どうしてもビールという人は売店の営業時間に買うことなります。

 こんなに混んでいるフェリーは初めてでした。共用部分には人が溢れています。放送では、指定席の間違い発生、靴の取り違え発生など、注意喚起が繰り返されています。風呂も入りたいとは思いますが、少し落ち着いた深夜に行こうかなと思います。

 乗船する前に、セコマで豚丼を買ってたので部屋で晩飯をいただきます。

 それとスーパーで買っていた季節の檸檬堂(少しお安かった)を、部屋の冷蔵庫で冷やしてぐびーっといただきました。

 つづく


2024_北海道旅行記その26(伊達市⇒室蘭市)

2025年03月18日 | 旅行

 伊達市の「道の駅だて歴史の杜」から出発です。

 この門の奥には広い敷地があり、カルチャーセンター・温水プール・体育館という施設があります。また、西側は公園になっています。

 伊達といえば、仙台の伊達藩を思い起こしますが、伊達市は伊達家の家臣「亘理伊達家」により拓かれました。

 写真右側が、建物群となっています。

 体育館とか温水プールには用がないので、公園部分を散策します。昔の建物があります。

 迎賓館と書いてます。「明治維新に際し、仙台一門亘理伊達邦成主従が、新天地に亘理城再興の夢を託し、明治3年にこの地に開拓の初鍬をおろしました。この迎賓館は、仙台の伊達邸を建てた大工(田中長吉)を棟梁とし、明治25年に開拓者の努力によって建てられたものです」と書いています。

 野草園があります。野草なのであまりぱっとはしませんが、花の写真があるので探してみてもいいかも。(名前は書いていないので分からん)

 またまた古そうな建物を発見です。

 国指定重要文化財旧三戸部家住宅です。明治5年着工のこの建物は郷里の仙台他方の建築様式を取り入れている、と書かれています。

 公園側は、あまり人が来ないようですが、貴重な亘理伊達家に関係する建物があるので、時間があれば見学してもいいでしょう。「リス飛び出し注意」は、福岡では見かけない看板です。珍しいので、撮ってみました。

 また、道の駅には「だて歴史文化ミュージアム」があるので、開館時間を待って入ってみます。

 亘理伊達家の資料が展示されています。

 仙台藩一覧があります。「仙台藩亘理領とは、伊達政宗の片腕として活躍した伊達成実(しげざね)及びその子孫が江戸時代に領有した領地です。武力に優れていたため、仙台藩の最南部であり交通の要所であった亘理の地の防衛は成実に委ねられました」とあります。

 昔の字は達筆だけど、読めんなぁ。

 そうこうしていたら、道の駅の売店が開店しました。お世話になった道の駅なので、買い物をしていきましょう。道の駅限定の伊達おとこハンサム焼きというのがあります。限定品に弱いので、2個お買い上げ。そういえば、ハンサムな男を伊達男といいますね。調べてみたら、やはり伊達政宗からきている言葉のようです。

 これがハンサムかどうかは別として、クリーム入りと粒餡入りをいただきました。なんとなく、蛭子さんの書く漫画の顔に見えるのは自分だけでしょうか(笑)

 もう一つ、「だてのてんぷら」が売りのそば屋があります。

 ごぼう天そばを注文しました。フードコートなので、自由な席でいただきます。魚のすり身を揚げた「まる天」にごぼうが入っています。福岡では「ごぼう天」といえば、一般的にごぼうを袈裟切りにして衣をつけて揚げたものをさすので、丸天がでてきたらちょっと違和感があるかもです。(ところ変わればです)これは、これで美味しいです。

 そば:500円 ごぼう天:140円 セルフ方式です。

 「だてのてんぷらは、北海道伊達市に伝わる幻の特産品いとうのてんぷらの味覚を継承するため、市民有志が結集し設立した(有)伊達紋別による究極のスローフードです」と書かれています。

 そば、出汁、てんぷら共に美味でございました。出汁は、醤油ベースの関東風です。(北海道のそばは、だいたいこの味です)

 今回は、室蘭に行ってみたいと思っていました。北海道の主要な都市は、だいたい行ったのですが室蘭は未訪問でした。まず、観光案内所を訪ねました。建物の裏側に駐車場があります。

 地図・パンフレットが入手できます。人もいるので、親切に観光情報を教えてくれます。

 ここで、マンホールカードと炭鉄港カードを貰うことができます。

 マンホールカードがあるということは、カラーマンホールがあるということです。場所を聞いたら、観光案内所を挟んだ道の向こう側ということで探しにいきました。

 マンホールを探していたら「日本一の坂」を発見しました。なんだ、日本一の坂って?

 うーむ、なにが日本一なのだろうか? 確かに急な坂ではあるが、日本一急でもないかな。

 坂の上に説明文がありました。前半は略すとして「この坂の登り口に、そば屋福井庵日本一、その横には木造3階建ての旅館、山越屋があり、、坂の上には本多旅館創成館があった。日本一の坂の名称は、そのそば屋に由来するという逸話がある」とあります。

 それだけなら「なーんだそうか」となるのですが、続きがあります。「明治30年代、このそば屋の主人は小樽で殺人を犯し、室蘭に流れてきてそば屋を営んでいたが、夫婦喧嘩からその凶行が警察にバレたかと勘違いして逃げ出したことによるという」という衝撃的な内容が書かれています。(ただし逸話の真意は、定かではない)それと、逃げ出した後の主人がどうなったかは分かりません。

 坂下にある「日本一の坂」という文字を見たら、興味をもって上りますよね。

 観光案内所から徒歩で15分くらいのところに、JR室蘭駅があるので行ってみようと思うのですが、その前に敷地内にSL「D51560」が保存展示されているので見学します。

「戦前に札幌の苗穂製作所で製造された数少ないもので、室蘭-追分間を含め全道各地を運行し、廃車後国鉄から市に貸与され、長年室蘭市青少年科学館で展示されていた。現在、市の所有となりこの地に移設された」と書いてます。つや消しみたいな黒色に塗装されていますが、屋根もあり手をいれて保存しているなという状況が良く分かります。

 観光案内所から、徒歩15分くらいの場所にJR室蘭駅があるので歩いて行ってみます。

 訪問時(2024年8月)は有人駅でみどりの窓口もありますが、同年10月1日から無人化することが決まっています。

 ちょうど普通列車が入ってました。

 室蘭駅前の駐車場は、室蘭駅パーク&ライド用で、予約駐車場です。あとは、近くの有料駐車場を利用することになります。

 次は、室蘭市内の「えみらんDENZAI環境科学館・室蘭市図書館」に行きます。

 北海道室蘭市本町2-2-1 Pあり 展示室+プラネタリウムのセット券は一般800円。投影時間指定制

 環境科学館なので、PCBの処理事業についての解説があります。PCB(ポリ塩化ビフェニル)は、人工的に作られた油状の液体で、絶縁性が高く、熱で分解されにくいなど優れた特性を持っていたため、昔の変圧器・安定器などに多用されていました。しかし、毒性があるという事が判明してから製造・使用が禁止されましたが、それを使った機器からPCBを回収し分解する過程が記載されています。PCBは、大量に使用されていたので、現在手背も処理施設は稼働しており、全国に5か所あるそうです。

 PCBが使われていた代表的な部品です。昔の白黒テレビや真空管ラジオ、蛍光灯の安定器などに使用されていました。

 宇宙飛行士の毛利 衛さんがいらっしゃったようです。

 ビー玉積みです。あと3個ほどで完成します。

「完成したら写真撮ってもいいですか?」

「いいですよ」

「あ゛ーー、崩れたぁ」すまん、気が散ったかな。

 プラネタリウムを楽しんで帰りました。

 環境科学館から、室蘭市民俗資料館(とんてん館)に向かいます。

 北海道室蘭市陣屋町2-4-25 Pあり 入館無料

 車輪と車軸だけですね。

「寄贈、昭和55年10月1日(1980年)札幌鉄道管理局北海道鉄道100年記念、室蘭本線・千歳線電化記念」と書かれています。よく見ると「貨車用スポーク型長軸車輪」という説明もありました。貨車自体はないんだな。

 ゴールデンカムイのお話にも出てきそうな古そうなそりです。よく、木をこれだけ曲げられるもんだなぁ。

 館内に入ります。やっぱり北海道の冬は厳しい気候なので、ストーブ大事です。

 これは、TRIOの真空管式通信型受信機の、9R-59DSではないですか。自分が中学校くらいの時、現役で売っていた機種やないかい。もう博物館入りなのか。

 これは、もっと古い菊水電波のS-53という、高1中2(高周波1段中間周波2段増幅)の真空管式通信型オールウェーブラジオ発見。昭和30年代と説明書きがあります。中波から、短波の30MHzをカバーしていてSメーター付きです。これは、かなり貴重なものなので発物館行きは必然ですかね。

 アイヌ文化の展示です。

 室蘭は、良い漁場があるので昔から漁が盛んでした。

 時間制限がある科学館や資料館を先に見学し、時間の縛りが少ない自然の観光地は後回しにしました。室蘭といえば「地球岬」でしょう。

 観光客が少ない瞬間を狙って写真を撮っていますが、実際はかなりの観光客が訪れています。欧米・アジア系の観光客もいます。

 顔はめー、でかっ。

 地球岬は有名な観光地なのですが、すぐ近くに「トッカリショ」があります。こちらは訪れる観光客は少ないようです。

 地球岬は見晴らしがいいので、地球が丸っぽく見えるというのが売りですが、こっちの方は絶景が見られます。自分的には「こっちの方がいいんじゃね」と思うほどです。

 地名由来版があります。「名勝ビリカノカ絵鞆(えとも)半島外海岸トッカリショ浜、ピリカノカとはアイヌ語で美しい・形を意味し、アイヌの物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地群を総称するものです」と書いてます。

 また、「トッカリショ浜は、元々アイヌ語ではトゥカリショと呼ばれ、古くは松浦武四郎の文献などにも記載される地名です。これは、アザラシ・岩という意味で、松浦は鮭場としたように漁場として使われてきました」とも記載されています。

 岬の上からみた限りでは、アザラシも魚も確認はできませんでした。アザラシくらいはいれば見えそうなものだが、今は襟裳岬くらいに行かないと、野生のアザラシは見られないようです。

 だいたい室蘭の見どころは制覇したので、道の駅みたら室蘭で仮眠をとることにします。

 北海道室蘭市海岸町1丁目20-30 Pは少ないが、道を挟んだ側に未舗装の広い駐車場有り。

 道の駅の食堂閉店時間前に到着できたので、室蘭の名物「カレーラーメンと室蘭焼き鳥」を食べることにします。

 フードコートなので、セルフ方式です。

「カレーラーメンと、室蘭焼き鳥2本下さい」

「はい、できたら番号でお呼びします」

 しばし待って、「〇〇番のかたー」と呼ばれたので、取りに行きまた。室蘭名物のカレーラーメンじゃあ。札幌は味噌、旭川醤油、函館塩というように、なんとなく定番というのがあるなか、最近は室蘭といえばカレーラーメンという声を良く聞きます。室蘭がカレーラーメンの発祥の地というわけではないそうですが、町興しとして名物があるのはいいことではないでしょうか。もともと〇〇発祥といっても、諸説ありますという場合が多いからですね。

 室蘭やきとりというのは、鶏肉ではなく豚肉を使っており、肉の間にたまねぎを挟み甘めのタレがかかってます。それを洋からしで食べます。根室タイエーの「焼き鳥弁当」も豚肉を使っているので、特に驚くには値しません。

 少し縮れている太い麺が、スープカレー風のスープを連れてきます。カレーは香辛料が効いていて、ちょい辛で美味いぞ。

 美味かったー、完食しました。

 道の駅のすぐ横は、水遊びができるようになっています。

 柵までが遊泳可能エリアで、それを超えると「港湾施設管理条例違反で罰せられます」と書いてます。

 更衣室はないようですが、水はあります。子供がちゃぷちゃぷ遊んでいました。

 シャワーや水飲み場もあります。

 釣りは禁止です。

 室蘭港には、商船三井の大型フェリー「さんふらわあ_しれとこ」が停泊しています。この船は、大洗⇔苫小牧を結ぶフェリーだと思うのですが、台風の影響で室蘭港に避難していたのかな?

 白鳥大橋、夜間はライトアップしてました。

 つづく


2024_北海道旅行記その25(沙流郡平取町⇒苫小牧市⇒有珠郡壮瞥町⇒伊達市)

2025年03月17日 | 旅行

 平取ファミリーキャンプ場から出発します。燃えるゴミ用の袋(小さ目1袋)はチェックイン時にもらえるので、引き取って貰えます。燃えないゴミと、瓶缶は引き取り不可となっています。

 平取町には義経神社があるというので、行ってみます。キャンプ場からも近く(といっても車で行くような距離)町の中心部にあります。

「義経伝説の里びらとり」と書いてます。まあ、義経伝説といえば全国にありますからね。某大陸に渡って、実は生きていたという話まであるくらいです。

 こちらが展示館となります。

 どうもお祭りをやっていたみたいで、衣装などが置いてありました。「資料館は見学できます」と書いてあるので、入ってみます。

 こんだけ全国に「義経伝説」が残っています。みんな義経好きなのよねぇ。

 なぜ、ここに義経伝説があるかというと「徳川幕府の勘定吟味役・近藤重蔵が蝦夷地に入り、寛政10年(1798)沙流を通過するとき、この地の人たちが刀剣や甲冑を秘蔵し祀っていることを知って「汝らが祀っているものは、源九郎判官義経公のものである。私が次回この地に来る時には必ずその義経公の御神像を持ってきて、汝らに授けよう」と言って、持ってきたのがこの像と言われています。

 ちょっと待て「汝らが祀っているものは、源九郎判官義経公のものである」と断定する根拠はなんなのだ?「義経が着ていたものを見たんか?」(見たのかもしれんが)ということは置いておいて、その一言で平取が義経ゆかりの地となったようです。夢があっていいんじゃないですか。

 平取からは苫小牧に進みます。当初の予定では、この日に苫小牧発仙台経由名古屋行きのフェリーに乗る予定だったのですが、お盆の終わりころになるので、どうしても船の予約がとれませんでした。そのため、次の出港は2日後なのでそれを予約しています。(毎日は出ていない)

 しかーし、台風10号の影響により日本各地の長距離フェリーも影響を受けており、欠航になる便も多数出ているようです。おそらく、本日夕方発のフェリーも欠航になる可能性は高いので、帰路の日をずらしたのは結果的に正解でした。

 長い旅の途中では、何度か洗濯をしないといけません。道すがら、コインランドリーを見つけて数回行いました。苫小牧で最後の洗濯をしようと思って探していたら、ガソリンスタンド(ENEOS)がコインランドリーを併設しているところを見つけました。

 スイーツや飲み物も販売しているので、ちょっとした喫茶店のような感じで来る人もいるようです。(上手く考えたな)地元の情報誌にも紹介されたみたいです。

 じゃあ、せっかくなので洗濯を待っている間に、雑誌に紹介されていたソフトクリームをいただきます。(思うつぼだな)便利だし、椅子もあるし飲み物なんかもあるし、いい取り組みかなと思います。

 そろそろセコマのカツ丼も食べ納めかと思い、苫小牧のセコマに行ってみたらホットシェフがほぼ売り切れ状態で、目当てのカツ丼がありません。オーマイガー! 別のセコマを探そうかなと思ったら、厨房でカツ丼を作っているじゃあーりませんか。こりゃ、待つしかないと出来上がりを待ちます。

 カツ丼が、ホットシェフに並んだ瞬間に購入しました。出来立てのカツ丼は、さらに美味いですわ。

 苫小牧から「道の駅そうべつ情報館i」に向かいました。また2日後には苫小牧に戻らないとならないので、そう遠出はできません。

 北海道有珠郡壮瞥町字滝之町384-1

 ここから昭和新山が観望できます。

 台風の影響で生憎の天気ですが、その姿を見ることができました。もっこりしてますね。(まりもっこりを思い出しました)

 ここは支笏洞爺国立公園になります。クマ牧場もあるのですが、今回は日程の関係で寄ることはできませんでした。

 次は「壮瞥町郷土資料館」ですが「北の湖記念館」とも書いています。

 北海道有珠郡壮瞥町字滝之町294-2 入館料:一般250円

 横綱北の湖は、ここ壮瞥町が出身地です。

 第五十五代横綱北の湖は、優勝回数二十四回(うち全勝七回)という、すばらしい成績を残しています。断髪式のビデオ上映がありましたが、動画となりますので撮影はしておりません。

 こちらは、郷土資料館がわの展示となります。羆いまっせー(どこにでもいます)

 壮瞥町は、倶知安⇔伊達紋別を結ぶ胆振線がありました。かつて「北湯沢YH」があったころ、冬季に胆振線に乗ったことがあります。

 国鉄時代「急行いぶり」は、札幌-倶知安-伊達紋別-苫小牧-札幌とループ状に運行されていました。(これは乗ったことがない)急行いぶりは、昭和55年10月1日(1980年)に廃止となっています。(国鉄民営化は昭和62年(1987年))

 タイムカプセル流行ったなぁ。1970年の大阪万博の時に、当時のものを入れて地中に埋めたりして、ある程度の年月が経ったら掘り出そうとするカプセルです。当時の学校なんかで、タイムカプセル(みたいなもの)を埋めるということが流行ったのですが、だいたい埋めた場所が分からなくなる、とか存在自体が忘れ去られるとかが多かったように思います。それと、首尾よく10年後に掘り起こしても密閉度が足りないため、写真や手紙などは破損が多くてただのゴミみたいになっていたものもあったようです。

 資料館の駐車場には、かつての胆振線の駅名標が保存されています。

 すぐ隣に「壮瞥温泉ゆーあいの家」があったので、ひとっ風呂あびて伊達方面に向かいます。あー、いい湯だった。

 晩飯は、いつものセイコーマートです。

 チキンたっぷりペペロンチーノ コスパ最高の128円+TAX うめー

 セコマ、なに食べても美味いぞ。

 今日は「道の駅だて歴史の杜」で仮眠をとることにする。ここの駐車場は広くて使いやすいです。

 北海道伊達市松ヶ枝町34-1

 つづく


2024_北海道旅行記その24(河東郡上士幌町⇒河東郡士幌町⇒河東郡清水町⇒沙流郡日高町⇒沙流郡平取町)

2025年03月16日 | 旅行

 道の駅かみしほろから出発です。

 ここのレストランのモーニングセットは、昨年食べてとても美味しかったので、開店を待つことにします。行列にはなっていませんが、同じように開店直後に入ろうとしている人が何人かいるようです。

 やはり開店と同時に、数人が入店しました。

 モーニングセット:1,100円(税込)

「ドライトマトとベーコンのキッシュプレートをお願いします」

「はい、パンと飲み物はセルフです」

「わっかりました」

 パン食べ放題なので、メインの料理が来る前に取りに行きます。オーブントースターが3台あるのですが、みんな同じ考えなのでパン焼きに行列です。

 コーヒー、紅茶、牛乳などが飲み放題です。下手すると、食事が来る前に腹いっぱいになってしまいます。(だからセーブしろと)

 きたー、メインデッシュ到着です。ここのモーニングは、一味違ってお勧めです。価格も含めて、大満足でした。

 方向的には平取町を目指します。平取のキャンプ場を予約しているので、夕方には到着するようにしないとなりません。道すがら「道の駅ピア21しほろ」に寄ります。道の駅はトイレ休憩というのもありますが、特産品や観光情報が手に入るので、道沿いにあると寄る場合が多いです。

 道の駅ピア21しほろ 北海道河東郡士幌町士幌西2線

 このあたりは牧場が多く、うっしー君が沢山飼われているようです。「ポテトチップス品切れ中です」と書いてます。そんな、人気のポテトチップスってどこのかな?

 たぶん、これです。(サンプル品を発見)生産者還元用ポテトチップスというのがありました。そういえば、以前余市にに行った時、「道民還元ワイン」というのがあって買ってみたのだが、その類の商品なのだろうか? そんなに人気な商品なら、食べてみたかったかな。

 あら、ねこおじさんこと池崎さんが、「しほろ7000人のまつり」に来るらしいです。士幌町のHPによると、士幌町の人口は5,848人(令和2年10月1日 国勢調査)という数字があります。ということは、士幌町全員+町外からの参加者で計7000人のまつりということかな。(知らんけど)訪問した3日後のイベントということで、残念ながら7000人の中に入ることはできませんでした。

 道の駅を出発し、清水町図書館・郷土資料館を訪問しました。

 次は「道の駅うりまく」です。道の駅好きやな。「乗馬・パークゴルフ・ばん馬(農耕やそりを引いたりする大型の馬)」が売りのようです。

 

 お金を入れると、ばん馬に乗れるようです。(ちょっと違うような)

 こっちでしたね。引馬で楽しむことができます。

 次は「道の駅しかおい」です。(また寄るのか)

 北海道河東郡鹿追町東町3-2

 顔ハメあります。

 これは「チョウザメ」です。チョウザメのたまごは「キャビア」で有名ですが、身も食べられるそうです。(残念ながら食べたことはない)なぜ、鹿追町でチョウザメかというと、町の施策として牛の糞尿の利用方法としてバイオマス発電を開始し、電力と共に大量の熱エネルギーも発生しました。この熱エネルギーを何かに使えないかと検討した結果、チョウザメの養殖を始めたとか。機会があれば、食べてみたいものです。

 清水町には「清水町図書館・郷土資料館」があるので寄ってみます。

 北海道上川郡清水町南4条1丁目2

 清水町は渋沢栄一氏のゆかりの地です。

「1897年(明治30年)渋沢栄一ほか10名が十勝川沿岸の約3500万坪(11,660ha)の貸し付けを出願。翌1898年に、この内、熊牛・人舞・毛根原野の約8,142haの貸し付け許可を得て、出資社員25名、資本金100万円で十勝開墾株式会社が設立されました」とあります。

 しかし交通の不便、気候の寒冷、物資流通の困難などの悪条件により会社は存続の危機に立たされますが、資本金の減額、事業の縮小で再建計画を重ねました。その後、1907年中央鉄道(現釧路本線)の開通を転機として初の収益を挙げ、1912年に約4,300haが北海道から付与されました。付与地は現在の清水町の面積の約10%にあたります。

 また社会貢献として、地域の小学校(熊牛小学校ほか)の建設にかかる資金や資材の寄付、学校運営費も寄付しています。

 これは十勝鉄道清水部線(河西鉄道)の貨車です。

「1920年(大正9)北海道の拓殖政策の一環として、日甜(にってん)は清水町に製糖工場を建設し運転を開始しました。その際、原料の甜菜(ビート)輸送のため約40Kmの鉄道(河西鉄)を敷設開業し、甜菜を主に農産物、牛乳、木材及び地域住民の輸送も兼ね、本町の開拓策芯に大きく貢献しました。時代の変遷により1951年(昭和26)、32年間の業務を終えました」とあります。

 かつての北海道では、こうした地域の軽便鉄道が物資輸送の輸送を担っていましたが、時代の流れと共に30年ほどで消えて行ってしまいました。そして現代においても、赤字路線が徐々に消えつつあります。石炭産業の廃止・林業の衰退、そして物資の輸送がトラックに替わってしまい、また人々の移動手段も鉄道から車に大きく移ってしまっているので、大量輸送機関として建設された鉄道網はローカル地域では存在価値が薄れてしまっています。かつての国鉄ならまだしも、巨額な赤字路線を民間企業が維持するのは、いくら公共機関といっても限界があると思います。(特に北海道・九州・四国のJR各社)個人的には寂しいとは思いますが、時代の流れでしょう。

 清水町から日高町へは、樹海ロードを通ります。国道274号線の日勝峠を超えるのですが、標高を上げていくと霧が立ち込め始めました。あれよあれよという間に、視界は10m以下になってしまいます。車のヘッドライトを点けても危険を感じるほどなので、スピードを落として走ります。ほとんどの車は点灯していますが、前の車(乗用車)は無灯火で走ってます。テールランプが見えるとかなり楽なのですが、無頓着なのかどうか分かりませんが、あぶねーぞ。追突だけはしないようにと、全集中で走りました。

 日高町に下りてきたら、嘘のように晴天です。ふー、なんとか無事に走りきったわい。(まじ怖かった)どっと疲れたので、道の駅樹海ロード日高で一休みします。

 北海道沙流郡日高本町東1丁目298-1

 牛肉コロッケが2個あったので、買おうかなと列に並んでいたら前のおっちゃんに買い占められました。(苦笑)

「野菜コロッケ2つ下さい」

 野菜コロッケもうまいぞー(負け惜しみではありません)

 今晩の目的地、平取(びらとり)ファミリーキャンプ場に到着しました。事前に電話で予約をしておきました。ネットでの予約は不可でした。(2024年7月)ただし希望の区画を聞かれるので、電話をする前にHPで区割りを確認した方がいいです。初めて利用するので「どこでもいいのですが、人の少ない端っこがいいかな」と言って予約しました。

 料金は現地の管理棟で払います。

 北海道沙流郡平取町二風谷

 炊事場に近いところで、いいポジションだったかなと思います。「ここをキャンプ地とする♪」温泉がすぐ近くにあります。徒歩でも行けますが、車で行く人が多いようです。

 近くのスーパーで、味付き冷凍ジンギスカンを買ってきました。(小さなスーパーだったので、選択肢は少なかった)これが北海道内での最後のジンギスカンになるでしょう。

 このジンギスカンうまっ、好きな味かも。

 だいたい夜の10時を過ぎたら静かにするというのがルールと思うのですが、ファミリーや大人数の団体がいるため、子供の騒ぎ声や酔っ払い達の声高な笑い声や話し声が深夜まで響きます。人の少ない端っこの方と言って予約していて正解でした。すぐ隣で深夜宴会をやられたら眠れないので、明日の移動に支障が出る可能性があります。

 つづく


2024_北海道旅行記その23(名寄市⇒士別市⇒旭川市⇒上川郡上川町⇒河東郡上士幌町)

2025年03月15日 | 旅行

 道の駅なよろから出発です。

 朝飯は、前日にセコマで買っておいたパンです。「ずんだ」といえば東北地方の食べ物で、すりつぶした枝豆を餡にしたものですが、北海道ではあんぱんになってました。珍しいので1個お買い上げです。

 士別市博物館を訪問です。開館時間前だったので、しばは駐車場で待機です。

 北海道士別市南士別町2554

 開館時間になったので、入ってみましょう。一般100円という、お得価格です。

 いきなり、ゲームコーナーありました。ニンテンドーのスーパーファミコンも、いまや博物館入りなのでしょう。レトロゲームですが、子供たちに人気があります。(大人にも人気)

 北海道中に勢力範囲を拡大した、アライグマさんです。前にも書きましたが、飼えなくなったペットを野に放した結果、生態系を崩すほどになってしまいました。北海度の冬は過酷なのですが、順応しているのでしょう。

 アカキツネ(キタキツネ)さんですね、首尾よく野ウサギを捕まえたようです。「コンコンとは鳴かない、ギャーンという鳴き声の他、ワンワンとかニャーアニャーの鳴き声を使い分けるぞ」と書いてます。コンコンとは鳴かないというのは知っていたが、犬や猫にも化けるのか? 「あ人間だ、やべーから猫のふりして逃げるか」みたいな。

 エスコンF北海道に行くと、試合の合間でファイターズガールズのキツネダンスで「What Does the fox say?」「ぎゃぎゃぎゃぎゃ」とか歌っていますね。民法のTV放送ではカットされることが多いのですが、たまにはTVでも放映されます。

 ここは「北方圏北極地域資料室」です。

 和泉雅子氏の、北極点遠征計画の資料が展示されています。日本人女性で初めて北極点到達を成し遂げましたが、1回目は失敗しており、2回目で成功させました。スノーモービル・そりを使い、TVクルーも同行しました。物資・燃料は4~5回飛行機の支援を受けています。

 これが、北極点到達に使用したスノーモービルとそりです。

「このヤマハスノーモービル、エクセルⅢは、マコさん(和泉雅子さん)とともに62日間を-50℃という寒さの中で、石よりも硬い氷の路面や背丈の2倍から3倍もある氷の山を生活用具を乗せた500Kgのそりを引いて戦い抜き北極点に到達できました。傷み具合からその厳しさが想像できます。マコさんから、このスノーモービルが日本のスノーモービル発祥の地としての士別のお役にたつのならばと、申し出があり博物館に寄贈されました」と説明が書かれています。また、士別にはマコさんの別荘もあります。

 日本のスノーモービルの発祥の地って士別やったんか、知らんやった。スノーモービルは、カナダのケベック州が発祥の地といわれており、日本のメーカーが開発のため士別で実験を行ったとのことです。それで、ここが日本のスノーモービル発祥の地といわれています。それと、士別にはマコさんの別荘があるそうです。

 博物館なので、郷土資料館とは一味違います。

 2Fに行ってみます。

 子供の頃に遊んだボードゲームなんかが展示されています。懐かしいなぁ、ポンじゃん(簡易麻雀風)とかボーリングゲームは遊んだことがある。

 人生ゲームも、めっちゃ流行りましたね。(もちろん遊んだことがある)

 メンコやベーゴマでも遊びました。ベーゴマ回せます。(後に、簡単に回せるベーブレードが出現した)

 博物館の隣には「士別公会堂」が保存されています。「士別公会堂は大正4年(1915)に建設され、議場・集会場・公民館等に使用され、市文化財に指定された士別市民のシンボル的建物でしたが、昭和59年(1984)、老朽化により解体されました。この建物は、平成元年(1989)に士別市開基90周年を記念して復元されたものです」と書かれています。

 それと、同敷地内には「屯田兵屋」も復元されています。

 お出かけの準備中ですか? ちょっとおじゃましますね。屯田兵の家屋は、いろいろなところで復元展示されていますが、当時の過酷な生活の一部が垣間見れます。

 これは、墓ではありません。奉安殿(ほうあんでん)で、「明治23年天皇制に基づく教育制度を確立するために、国は教育勅語を制定し、御真影(天皇の肖像)と共に全国の学校に配布した。そして、祝祭日儀式などの度に荘重な勅奉読会を行うことを義務づけられ、さらにその保管・取り扱い厳重な配慮が要求された。そして学校は耐火性の社殿を建設し奉安殿と称された」と記載があります。この奉安殿は、大正4年旧川南小学校に設置されたものとのことです。万一の学校火災でも焼失しないように、耐火にして別途に建設したというのが、当時いかに重要なものだったかを物語っています。

 ずずっと南下して、旭川のラーメン村に到着です。昨年は、文字通りラーメンが目当てでしたが、今回は「みよしの」に行くことにしました。

 北海道旭川市永山11条4丁目119-48

 みよしのの冷凍餃子は、福岡でも売っているので食べたことがあります。しかし店の味は知らないので、一度は行ってみたいと思っていました。

 せっかく旭川のラーメン村にいるので、ラーメンも食べたいなぁ。しかし、「みよしのセット」も魅力的だ。(カレー+餃子)

 2分考えて「醤油ラーメンセット」に決定です。テーブルの注文機でオーダーしようとしたら、ラーメンは売り切れということでした。まーじーかー、仕方がないので、みよしのセットにしました。

 ギョーザもカレーも普通に美味しいです。ボリュームがあるので、腹いっぱいになります。あれ、10分ほど遅れて入ってきたお客は、普通にラーメン頼んでいるようだ。あらら、ラーメンが復活している。タッチの差で食べ損ねたか(苦笑)でも、美味しかってので良かったです。

 ラーメン村本体はどうなっているのかなと思ったら、どこもかしこも大行列です。大型観光バスが何台も来ているようなので、ほぼ観光客と思われます。さらに外国人比率が多そうです。こりゃラーメンは無理なので、みよしので正解だったかな。(他にも飲食店はあります)

 腹も一杯になったので、事前に調べておいた上川町のアイスはビリオンに向かいました。

 北海道上川郡上川町栄町40

 こっちの建物は閉鎖している感じです。

 園内にはいくつか建物がありますが、くま牧場は2021年に閉鎖されたようです。アイスパビリオンのみ、営業をしています。

 あら、出川さんが来ていたみたいですね。(残念ながら、その回は見逃してます)

 チケットを買って入場します。一般:1,200円 スノーライダー(そり)、シャボン玉体験はオプション

 なんかワクワクしますね。

 おー、SFっぽいぞ。ネ〇ミーランドみたいだ。夏場に行く人は、当然防寒着はないので、無料で貸してくれます。

 この扉の向こうは、巨大な冷凍庫があります。

 さ、寒いっす。(-20℃だからな)

 どこもかっちんこっちんです。(-20℃だからな)

 これも貸してくれます。お約束で、振り回すとパリパリになります。

 氷の彫刻作品が沢山ありますが、手を触れてはいけません。(氷の作品だから脆いだろうし)

 この、そり思いの外楽しいぞ。(たしか300円だったかな)

 ここが-41℃体験場所です。温度を下げるのではなく、ボタンを押すと強風が上から吹き付けられて体感気温を一気に下げます。これは、かなり効きます。

「もうだめだぁ」となったら、緊急避難用に「暖かい家」があるので逃げ込むことができます。それほど暖かくはないのですが、ほっと一息はつけます。

 くっそ暑い現実の世界に戻ったら、暖かいお茶のサービスがありました。ふー、生き返るぜ。写真を撮ろうと思ったら、レンズが真っ白に曇ってます。眼鏡用には温風機があるので、すぐに曇りは消えたのですが、カメラは内部のレンズまで完全に曇ってしまったのでしばらく復活しませんでした。

 庭にはツリーハウスなどがあり、散策できます。

 手作り感がありますが、なかなか本格的な作りになっています。

 これはビールの原料になるホップじゃないですか。特にホップ畑というわけではなく、ぽつんと植えてありました。

 今日のお風呂は、層雲峡が良さげです。層雲峡温泉には、黒竹の湯という日帰り温泉があるので立ち寄ってみます。温泉の専用駐車場はないので、観光用の共有駐車場に停めて歩いていきます。

 北海道上川郡上川町層雲峡

 黒岳ロープウェイの乗り場近くにあり、温泉だけではなく露天風呂からの眺めも良い日帰り専用の施設です。いい湯でしたが、風呂なので写真はありません。

 ここからは三国峠を通って上士幌方面に抜ける予定なのですが、大雪ダムを発見したので駐車場に滑り込んだ。

 国土交通省北海道開発局のHPによると「大雪ダムは石狩川本流最上部にある多目的ダムで、洪水調節・水質保全・かんがい用水・生活用水・発電・周辺環境の活用などの役割があります」と書かれています。すでに17時を過ぎていたので、管理事務所に寄ることはできずダムカードはいただけませんでした。

 三国峠を越えます。

 道路わきに臨時駐車場があります。昨年ここを通った時は、ありませんでした。

 歩行者用通路が作られています。

 というのも、この景色を撮るために道路わきに無理やり駐車する車が多かったからです。気持ちは分かりますが、通行量の多い場所に駐車されると危険なため、安全な場所に臨時駐車場を作って歩行者が通れるスペースを確保したものです。

 十国峠を下ってセコマがあったので、晩飯を調達しました。道産トマトいっぱいのミートパスタ、驚きの128円+TAXです。いやほんとに美味いんですよ。

 デザートは、同じくセコマのクリームたっぷりオムレット。メインの食事より高いやないかい。

 クリームもりもりで、大満足でした。

 道の駅かみしほろを、仮眠場所とする。

 北海道河東郡上士幌町上士幌東3線227-1

 つづく


2024_北海道旅行記その22(枝幸郡枝幸町⇒上川郡下川町⇒名寄市)

2025年03月14日 | 旅行

 偶然に低緯度オーロラを見た、道の駅マリーンアイランド岡島から出発します。

 どんどん南下していきますが、途中見どころがあれば寄ることにします。一応、予定は立てているのですが、道の駅とか走行途中で観光地っぽいところの情報があれば臨機応変にコースは変更します。

 ここも予定にはなかったのですが「サンルダム」という案内板があったので、急遽寄ることにしました。(ダムも観光地とする)

 北海道上川郡下川町珊瑠1595番地

 クマいるのかぁ(今回は、すでにニアミスありだから注意しよう)

 管理事務所があるので寄ってみます。

 ダムカード貰えましたラッキー。国土交通省北海道開発局旭川建設開発部のHPによると「サンルダムは、洪水調整、流水の正常な機能の維持、水道用水、発電と複数の目的をあわせ持つ多目的ダムです」との記載があります。

 クマに注意しながら、堰堤部分を見学します。魚道が造られていますが、見ている範囲では大型魚の遡上はないようでした。

 次は、ネットで情報を得た「五味温」を目指します。温泉もいいのですが、ランチとセットで千円というお得な価格で利用できるということです。

 北海道上川郡下川町班渓2893

 町からは外れた場所にありますが、木造りでなかなか良い雰囲気を醸し出している建物です。

 これが噂の「入浴+食事」で千円というプランです。(ほんとにあった)

 通常、入浴券は自販機で買いますが、食事セット券はフロントで購入します。その時「本日の食事は〇〇ですが、宜しいでしょうか」と聞かれます。

 ここのレストランが激安なのかというと、そうではなく通常のメニューはそれなりの価格設定です。(定食で1,400円前後)それを考えたら、めちゃくちゃお得感がありそうです。

 風呂の写真はありませんが、地元のおっちゃん達がサウナで話していたのを聞いたら「名寄に新しく温泉施設ができて、そっちに行く人が多くなったなー、でも自分はここの雰囲気が好きだ」ということを言っていました。

 風呂上がりでお楽しみの食事ですが、本日のメニューは「冷やしカツラーメン」です。(一択です)厚く切ったカツに、冷たいラーメンのセットです。これが、この値段で食べられるというのはすっごいですね。もちろん味も抜群でした。こりゃ近くに住んでいたら、名寄よりこっちじゃねと思いました。(名寄の温泉は行かなかったが、名寄天文台の高くなので近くは通った)

 温泉も食事も満足して、おまけにソフトクリームまで堪能しました。

 このスパイスも気になったので、1瓶お買い上げです。

 ひと風呂浴びて町中に向かっていたら、下川町バスセンターの横に列車が保存されているのを発見しました。

 これは、行ってみるしかないということで、バスセンター(商工会・観光協会あり)駐車場に滑り込みました。

 懐かしのキハ22237とキハ22245が静態保存されています。ただ雨ざらしなので、だいぶ傷んでいるように見えます。この場所は、名寄本線(廃線)下川駅跡にあたります。

 場所は、3・4・9ふるさと通りに面したところです。(珍しい表記だな)

 写真を撮っていたら、地元のおいちゃんがやってきて中の掃除をしているみたいです。

「あの、この車両の関係者の方ですか?」

「以前はライダーハウスとして活用していたんだけど、お行儀のよくない人が多くてね、やめたんだよ。今は地元のBBQなどで使うくらいかな」

「そうなんですね、綺麗に使ってくれていたら良かったのにですね。中を見ることはできますか?」

「いいよ」ということで、車両の中に入れてもらいました。おっちゃんも子供の頃に乗っていた車両で、愛着がありボランティアで管理をしているみたいです。中は古いけど掃除がいきとどいていて、愛情をもって維持しているのが伝わってきました。

 名寄本線後は、いくつかの駅舎が残されており地元の有志で維持されています。

 鉄路はすでに撤去されていますが、駅の雰囲気は感じられます。

 さらに走っていると、桜ヶ丘公園内にいろいろな木の彫り物があるのを見つけました。これが、なかなかぶっ飛んだ公園であるのは、行ってみて初めて知りました。

 北海道上川郡下川町西町1026 Pあり

 さる

 ワシとか

 クマもいるし

 昆虫類か?

 なになに「フォトスポット写真撮るだけでインスタ映え間違いなし、2019年のテーマはワイルドライフのフォトフレーム」と書いてあります。どうも、毎年テーマを決めて、世界各国から芸術家が集まり木で作品を作るコンテストが行われているようです。その作品は持って帰るのが大変なので、この公園で展示されているのでしょう。

 驚くのはまだ早い、なーんと万里の頂上が造られています。

 たしかに、万里の長城っぽいです。

 町興しの一環で1986年から人の手で石を積み上げて造られたようです。石には名前が書かれているので、地元の人たちが参加したのでしょう。「訪中記〇 名寄日中友好協〇」というプレートがあります。〇は削れていて判読不能だが、なんとなく想像はつきますね。

 なんじゃこりゃああ! 悪の秘密基地みたいじゃあーりませんか。

 秘密基地に潜入できるのか? いやできませんでした。鍵がかかっているし、特に案内所みたいな所も見当たりません。一般公開はされていないようです。万里の長城といい秘密基地といい、ぶっ飛んでいますが人の姿もなくロストワールドのような雰囲気でした。

 最後に、名寄市天文台きたすばるを訪問しました。この犬は、映画「星守る犬」のハッピー君がモデルです。なぜこんな夜間に訪問したかというと、その夜は「ペルセウス座流星群」が見られるということで、天文観望会が行われました。

 名寄市天文台きたすばるには、日本で2番目に大きな1.6mピリカ反射望遠鏡があり、これも公開(星を見られる)されるということです。

 これは、「きたてらす望遠鏡(口径50cm反射式望遠鏡)」です。(日があるうちに撮影しました)これも、一般公開されます。

 日が落ちると、この簡易ベットで流星観望を行いますが、数が限られているので早い物勝ちです。(首尾よく確保に成功)

・多少雲はあるが、そこそこ天気は良かった。

・流星は5個/1時間くらい見られた。流星があると「おおーっ」と声が上がり、みんなが指を指すので流れたのは分かるが、声がしてから見ようとしても、すでに消えていて見られない。

・それ以上に人口衛星が見られる。飛行機は光が点滅しているが、人口衛星は点滅しないので区別がつく。

 せっかくピリカ望遠鏡と、きたてらす望遠鏡が公開されるので、簡易椅子は他の人に譲って行ってみましょう。望遠鏡を覗くのは順番になっており、列に並びます。ピリカ望遠鏡でM57リング星雲を見せてもらいましたが、はっきりリングが見えたのはびっくりです。ただし、写真で撮ったようなシャープさはありませんが、それでも美しい星雲でした。土星のリングもきれいですし、二重星とかも見せてもらえました。

 この天体観望会は定期的に行われており、多くの地元の人が参加していました。それと、天文台の天体カメラはインターネットで配信されるので、流星群や低緯度オーロラが発生した(する可能性がある)場合も、自宅のパソコンなどで見ることができます。

 天文台に夜遅くまでいたので、セコマで買った「冷たいカップそば」で簡単に晩御飯は済ませました。

 平たい弁当箱型の「そば」は良く見ますが、カップそばは珍しいかな。なんと158円+TAXで、思ったより量も味も満足レベルです。(普通に美味いぞ)

 セコマのスイーツ、どれを食べても美味いですわ。

 名寄天文台から一番近い道の駅なよろで、仮眠をとることにします。

 道北の某所を走っていた所、のら羆と遭遇しました。車で走行中だったので停車せず、すみやかに離れました。たまたま助手席でカメラを手に持っていたため撮影できたものです。そのため画面の中心に映っておりません。徒歩で遭遇したらかなりヤバイ状況となるのですが、幸いに車だったので無事に通過できました。羆だぁと思って、車を停めて車外に出ると大変なことになる場合があるのでやめましょう。

 羆の出没例がある地域には、たいてい「羆(熊)出没注意」の看板があるので、徒歩の場合は熊鈴を鳴らして歩くなどして注意した方がいいと思います。

 つづく


2024_北海道旅行記その21(枝幸郡浜頓別町⇒枝幸郡枝幸町)

2025年03月13日 | 旅行

 道の駅北オホーツクはまとんべつからの出発です。

 

 朝早いので、道の駅はまだ営業を始めていません。近くにクッチャロ湖があるので、散歩がてらに行ってみます。(といっても車でですけど)実際には多くの人が湖畔にいますが、人がいないタイミンクで写真を撮っています。

 湖畔には、環境省の浜頓別クッチャロ湖水鳥観察館があり、無料で入館できます。

 館内の資料によると、冬季はこのくらい白鳥が集まるそうです。まさに白鳥だらけです。しかし夏季なので、湖畔は閑散としていました。

 その代わりといってはなんですが、オートキャンプ場になっているので多くの人間は見ることができます。(まあ、見てもしょうがないのですが)

 道の駅が開店しているころを見計らって戻りました。

 ねこ店長のいる、よっちゃん食堂で浜頓別のホタテ焼きが売られているので、それが目的でした。実際に、この写真のねこを飼っているとのことです。

 本日の浜頓別産ホタテの仕入れは少なかったらしく、なくなったらおしまいと言っていました。

 すかさず1個お買い上げ。炭火で焼いたバター焼きホタテが美味いのなんのって。うめーと言いながら食べていたら、行列になりました。(笑)1枚:300円

 次に訪問したのは、「北オホーツク道立自然公園ベニヤ原生花園」です。

 北海道の地名は、アイヌ語が元になっている場合が多いので、ここも「ベニヤ」というのが、アイヌ語に近い発音が元になっているのかなと思ったら違いました。

「ベニヤ原生花園の由来は、大正末期から昭和にかけて、頓別に居住していた篠崎さんが、このあたりで農場を経営し、除虫菊の栽培を行っていた歴史があり、その農場の屋号がベニヤでったことから、いつの間にか屋号が地名となりました」と書いてます。えー、そうゃったの知らんかった。

 管理棟に行って挨拶し、園内マップをもらってから出発します。ショートカットするコースと、一周するフルコースがあります。せっかくなのでフルコースで廻ることにします。

 羆いるんかい‥

 しかーしマイ羆除け鈴があるので、ガラーンガラーン鳴らしながら歩きます。(そりゃカウベルじゃないのか)

 オホーツク海を眺めることもできます。「この海岸は国有海浜地ですから、どなたでも自由に使用、釣りキャンプ等することができます」とありますが、羆の生息地でキャンプはさすがにチャレンジャーかなと。(まあ自己責任ということかな)

 釣りは可能ですが、「海岸に竿立て・杭・ロープ等設置することは危険です。設置している場合は撤去して下さい。改善されない場合、強制的に撤去します」ともあります。いわゆる海での鮭釣りは、一人で多数の置き竿を等間隔に並べて釣る方式はダメということでしょう。訪問時は、釣り道具らしきものは海岸近くに置いてありましたが、釣り人の姿はありませんでした。

 なんか羆いそうな雰囲気はあります。ガーラーンガラーんと音を立てて歩いていたら「うぉふっ」みたいな獣の声が聞こえたような気がしましたが、それ以上の異変は無かったのでコースを一周して管理棟に戻りました。

 そうだ、原生花園というくらいなので、季節の花はそこここで見られます。花の名は不得意なので、良く分かりません。(ご容赦)

 管理棟に戻ったら、同じコースを歩いていたおっちゃんが係の人と話しています。

「子羆が目の前に現れて、道を横断していきました?」

「え、大丈夫でしたか?親羆は見ましたか?」

「いゃ子熊だけです。怖くて後ずさりしたら藪の中に消えました」

「写真とかは?」

「とっさの事だったので撮ってません」

「ちょっと見に行きますね」(と、一人車で確認に向かった)

 あの「うぉふっ」というのは、親熊が人が近づいてきたので威嚇したのではないかと思った。羆除けの鈴で命拾いしたのかも。カウベルだけど。

 管理棟で一息ついたので、浜頓別産のアイスクリームを食べることにしました。(余裕やな)

 かっちんこっちんで、冷や汗かいた後には甘くて濃厚で美味く感じます。パトロールから帰った人は、特に姿は確認できなかったと言っていました。

 羆は、どこにでもいると思って、羆除け鈴は持っていた方がいいと思います。DCMなどのホームセンターに行くと、普通に売っています。

 南下している途中で寄ったのが、「北見神威岬公園」です。積丹町の「神威岬」の方が有名かもしれませんが、こちらは北見神威岬です。(北見をつけて区別しているのだろう)

 北海道枝幸郡枝幸町目梨泊 Pあり

 さすが「カムイ」(神様)の名がついている岬なので良い景色です。

 ちょっとした崖の上には灯台がありますが、遠くから眺めるだけにしました。(近くまでは行けそうでしたが)

 ここは「ウバトマナイシャチ」とも呼ばれ「シャチとはアイヌ文化の人々が自然の地形をたくみに利用してつくった砦のことです。名称のウバトマナイとは、アイヌ語で浅い泊りにある川と解釈されていますが、詳しくは不明です」と書かれています。

 駐車場から海岸へ下りる道があります。

 ここまで南下すると、気温も30℃近く(といっても、それ以下)になるので、冷たい水が気持ちよく感じます。

 昼飯は、セコマの「照マヨチーズバーグ丼」です。これはホットシェフのなかで、初物でした。見た目、ハンバーグがどうかなと思いましたが、いやなかなか美味かったです。

 同じく、セコマの北海道とよとみのむヨーグルトいちごをいただきます。豊富町は油ぎっしゅな温泉と、エゾシカのジンギスカンでお世話にまりました。それと豊富牛乳公社工場の近くを走った時、近くの農場ではうっしー君も沢山放牧されていて、乳牛王国みいなイメージでした。

 国道238号枝幸バイパスを走っていたら、なにやら立派な建物を発見したので、すかさずUターンして行ってみた。(ノーマークでした)

 枝幸町オホーツクグリーンパークとなっており、その一角に「オホーツクミュージアム枝幸」があります。

 北海道枝幸郡枝幸町三笠町1614-1 入館無料 Pあり

 シャチの骨格標本です。

 一般的な方法では3年~10年以上かかりますが、枝幸方式だと2週間でほとんど骨だけになるとのこと。「エゾシカなど有害鳥獣の枝幸式発酵減量法」と呼ばれる枝幸町とホクレン農業総合研究所が独自に確立した技術とのことです。興味のある方は、ググってみて下さい。

 これは古代生物の骨格見本ですね。(レプリカ)

 北海道ではアライグマが増殖しており、今や全道に生息域を広げています。日本にはいない種なので、ペットとして輸入したものが飼えなくなって捨てられ個体数を増やしたものです。人間の勝手な行いで、自然の生態系が脅かされています。この旅の途中でも、山道で2匹のアライグマを目撃しました。(一瞬だったので写真は撮れなかった)

 すっけすけのヌマガレイの標本です。色も付いていて美しいです。

 この展示物は本物のヌマガレイで、いろいろいな薬品に漬け込んでいって作るそうです。

 なんとクリオネも標本になってました。枝幸ではポピュラーなペットだそうです。

 その日は「道の駅マリーンアイランド岡島」で仮眠をとることにします。なんか不思議な形をしている建物だな?

 北海道枝幸郡枝幸町岡島1978番地13

 建物の屋上に上がることができます。あ、これは船を模しているのか。なるほどなぁ

 その日の夜は「X」で低緯度オーロラが出てるぞと話題になっています。もしかしてここからでも見えるかもと思い、船の上部デッキ、いや道の駅の屋上に行ってみました。北の空を見ると、ぼやーっと赤っぽく見えるじゃあーりませんか。時間の経過と共に白っぽくなったり、明らかに色が変わっています。そちらの方向には町の明かりはありません。

 こりゃ、オーロラだ。低緯度オーロラなので、極地で見られるようなカーテン状には見えませんが、自分的にはオーロラであると信じています。淡い光なので写真には写りませんでした。1時間ほど見ていたら、すーっと消えて漆黒の闇が残りました。

 証拠はありませんが、オーロラを見たという満足感はありました。

 つづく


2024_北海道旅行記その20(宗谷郡猿払村⇒枝幸郡中頓別町⇒枝幸郡浜頓別町)

2025年03月12日 | 旅行

 猿払村の低温+強風に耐えて、無事に朝を迎えました。眠っ~

 北上するとき、中頓別町では砂金取り体験をしたのですが、鍾乳洞は時間が無くて訪問できずにいました。南下する途中で中頓別鍾乳洞に寄ることにしました。

 中頓別鍾乳洞自然ふれあい公園 北海道枝幸郡中頓別町旭台 入園無料なるも寄付あり(任意) 住所を調べてみましたが、旭台までしか判明しませんでした。近くに行けば、案内板があるだとうと考え行ってみたところ無事に到着です。(やはり案内板あり) 

 入園無料ですが、心ばかりのドネーション(寄付)をしました。羆いまっせ、貸し出し用の熊鈴がありますが、マイ熊鈴があるのである。

 どうだぁ、羆除けと思ってエスコンF北海道で買ったのだ。え、これはカウベルじゃないかって?そうとも言う。

 管理棟から鍾乳洞へは、アップダウンのある遊歩道を使います。管理棟からは、熊除けと思われる大音量のTV音声が流れています。屋外スピーカーを使って、かなり広範囲に音を拡散しています。羆いまっせ。

 ガラーんガラーんと音を出しながら山道を歩きます。(カウベルやないかい)

 鍾乳洞は3つありますが、入洞できるのは第一洞だけです。第三洞、第四洞は狭いのと崩落の危険があるので入洞禁止です。なぜか第二洞は地図にありません。

 管理棟から10分くらい歩くと、第一洞があります。

 入り口に、貸し出し用のヘルメットと懐中電灯があるので必要に応じて借りるといいでしょう。マイ懐中電灯は持参しました。帽子をかぶっているので、ヘルメットはいいかなと。

 洞内は照明があるので、特に懐中電灯は無くても歩けますが、あればよりいいかなという感じです。

 それと、結構狭い所を上っていくので気をつけていても頭をぶつける場合があります。気になる人は、ヘルメット被った方がいいかも。ループになっているわけではないので、どん詰まりまで行ったら引き返します。

 念のため第三洞窟を確認しましたが入洞禁止です。

 同様に第四洞も入れる状態ではありません。

 幸い羆にも遭遇せず、中頓別鍾乳洞を後にします。次は、同じ町内の中頓別郷土資料館です。

 北海道枝幸郡中頓別町字中頓別37番地

  青少年柔剣道場が併設されており、郷土資料館見学の場合は受付に行きます。

 入館料は、一般120円です。

 昭和の真空管ラジオや、鉱石ラジオ・電蓄などがあります。

 北海道では一時黄金ブームが訪れ、一獲千金を狙って多くの人が川で金塊採りが行われました。ゴールデンカムイのようだな。初めの頃は金塊と呼ばれるほどの塊りが見つかることもありましたが、次第に採算が取れるような量の金は採れなくなりブームは去っていきました。金が採れなくなったといっても、細かな砂金は現在でも採れるため、観光砂金取りが楽しめます。

 このブログでも紹介したペーチャン川の砂金は、右のように非常に細かなものが主流のようです。実際、採れたのはこのような砂金でした。

 道内で産出される砂金は、川によって特徴があるので、どこで採れたかが分かるそうです。

 アンモナイトは、どこの資料館に行ってもあるようです。

「昭和の初期まで、この鈴を振りながら隣家や学校、市街地まで通った」と記述があります。今よりは、羆の生息数が多かったのでしょう。それにしても大きな鈴だな。

 いつもはセコマを探すのですが、ラーメンが食べたくなって郷土資料館近くの「食楽厨房まるや」に行きます。

 北海道枝幸郡中頓別町中頓別60 Pあり

「空いてますか?」

「ちょっと時間かかりますけどいいですか?」

「大丈夫っす」(それほど混んでいる感じはないが、そろそろ終了の時間だったかも)

「醤油ラーメンお願いします」

「はい」

 じっくり待って着丼です。(最初から時間がかかると言っていたからな)

 これは札幌ラーメン系ではなく、東京のラーメンのようです。それも、懐かしい感じのする下町のラーメンのような見た目と味なのです。めっちゃ美味いですわ、飛び込みでしたが当たりの店でした。

「ごちそうさまでしたー」結局、最後の客になりました。

 北上するときに「豊富温泉」に寄ったのですが、生憎定休日だったので未訪問となっていました。ここは珍しい油を含んだ温泉ということで人気があります。リベンジします。

 豊富温泉ふれあいセンターに到着です。よし、営業しているぞ。

 北海道天塩郡豊富町温泉 入浴料:一般510円 温泉施設なので風呂の写真はありませんが、一般浴場と湯治用の浴場がありますが、どちらも利用可能です。うわさ通りの油ぎっしゅな温泉で、石油を混ぜているのではないかとおもうほどにおいがあります。しかーし、けっこうお肌つるつるになり嫌な感じはしません。上がり湯をかけて、油分をさらっと洗い流してから出るといいと思います。ここはお勧めです。(人にもよるとは思うが)

 温泉もいいのですが、ここの食堂も大人気で行列があります。ただしローカルルールがいろいろあるので、店員さんのいう事は良く聞きましょう。まず、注文する品を決めますが、指示されるので食券は買えません。(通常カバーがかけられています)

 満席の場合は、店内の椅子に代表者1名が座ることになっています。立って並んでいても、並んだとことにはなりません。椅子が一杯になったら、入り口に順番に並びます。

 店員から「食券を買って下さい」と言われたら購入します。珍しい「えぞ鹿ジンギスカンライス付き」にしました。(初めて食べるぞ)もちろん、羊肉のジンギスカンもあります。

 えぞ鹿ジンギスカンライス付き:990円(税込)ちなみに羊肉ジンギスカンライス付きは、1,250円(税込)

 案内されたら席につきます。番号札を渡されるので、それを持って待ちます。

 番号を呼ばれたから、すばやく取りに行きます。(いろんな意味で、これ大事)

 エゾ鹿肉+エゾ鹿ソーセージのセットです(写真は二人前)

 ジンギスカン鍋には水を入れて、水を切らすなと注意書きがあります。(え、そうなの水とか入れていなかったですわ)

 シカといえば「ルイベ」くらいしか食べたことはなかったのだが、焼き肉にしたのは初めてです。まあ正直ちょっとくせがありますが、珍しい物をいただきました。(羊肉より安いしな)

 これも珍しい「えぞシカ角煮の缶詰」がありましたが、写真だけにしました。近年えぞシカは増加傾向にあるようで、個体数調整の為に野生のものを一定数駆除しています。そういう肉を利用して、町興しというのもいい試みではないかと思います。

 今晩は、浜頓別町の「道の駅北オホーツクはまとんべつ」で仮眠することにします。猿払村のキャンプ場では、低温と強風のためとんでもない目にあいましたが、浜頓別では風もなく車の中なので快適でした。(車なので風があってもへっちゃらです)

 北海道枝幸郡浜頓別町中央北21-1

「ひぐまっぷ」ありますぜ。

 つづく


2024_北海道旅行記その19(稚内市内観光その3⇒宗谷郡猿払村)

2025年03月11日 | 旅行

 なんとなく稚内3日目になりました。(いつまでいるんじゃ)稚内駅・港周辺にはカラーマンホールがあるので探しに行きます。

 ガンダムを探しに行きます。

 フェリーターミナル付近にあるはず。

 稚内から、利尻・礼文方面のフェリーが出ているので、いつかは行ってみたいものです。

 ちょうどフェリーが入港してきました。

 よっしゃ、RX-78-2 GUNDAM発見(稚内の白い道は、後程行きます)

 北防波堤ドームへGo。MS-09 DOM 発見です。

 次は、登録有形文化財旧瀬戸邸を訪問しました。

 稚内市中央4-8-27 P5台あり 一般200円

「旧瀬戸邸は昭和27年、底曳漁業を営んでいた瀬戸常蔵によって建てられました。建物は一見すると、明治期から大正期に見られる旅館建築を彷彿させます。建物の正面・裏側につけられた赤レンガの煙突や、切妻形式で赤いトタン葺き屋根、棟飾りなどが特徴です」と説明があります。

 瀬戸常蔵さんは、稚内の稚内機船漁協組合長で実業家です。この彫刻は瀬戸氏とトモ夫人を彫り込んだ作品です。こんな感じの方だったんでしょうね。絵本作家の関屋敏隆さんが原画を描き、市民の方が彫刻したと説明があります。

 これが底曳き漁船です。

 最盛期は56隻あった底曳き網漁船ですが、現在は5隻のみになっています。1977年の200海里規制導入で、ロシア近海の漁場を失い、大規模な減船を受け入れざる得ない状況となったためです。

 現在操業している底曳き網漁船を、港で見ることができました。(模型と一緒だ)

 旧瀬戸邸に話を戻します。瀬戸邸2Fに上がります。ここは宴会場かな?

 やはり宴席ですね。26畳ほどの3連の和室で、当時結婚式や大切なお客様を招いたイベントなどに使われたと書かれています。結婚式も執り行われていたのですね。

 あら、電鍵があって自由に打つことができます。(音出ます)この電鍵は実際に底曳き網漁船で使われていたものとのことです。

 最後に、港の湯2Fの稚内樺太記念館を訪問です。温泉には何度か行ったのですが、開館時間と合わず初訪問となります。

 10:00から17:00(入館は16:30まで)で入館は無料です。

 昭和の横綱大鵬関の出生地は樺太(サハリン)だったんですね。(知らんやった)ちなみに出身地は、北海道上川郡弟子屈町です。子供の頃、親に国技館に連れて行ってもらい、大鵬関や若乃花の土俵を直に見たことがあります。その頃は人気のあるものとして「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行っていました。当時の子供の野球帽は「Gマーク」だし、大鵬強かったし、玉子焼きはよう分からんがみんな好きだったのかな?

 かつて樺太に設置されていた、日ロ国境標石のレプリカです。日本が保管している唯一の2号国境標石(本物)は、根室の歴史と自然の資料館にあります。(以前実物を見た)

 だいたい市内観光は満足したので、稚内空港を見学してから宗谷岬方面に向かうことにします。なぜ稚内空港かというと、行ったことがない空港だからです。新千歳と中標津空港は、実際に使ったことがありますが、その他の空港はありません。陸路ですが、ちょっと立ち寄ってみます。駐車料金は無料なのが有難いです。

 ちょうどANA機の離陸準備中のようです。

 どこが目的地か分かりませんが、行ってらっしゃーい。機体番号は「JA114A」でエアバスA321-211です。

 せっかくなので、空港売店で「稚内の塩使用の稚内牛乳アイスクリーム」を購入しました。

 塩っぽいけど、それがアイスクリームの甘さを引き立てています。それと、自分用に三方六を購入です。

 稚内空港を後にして、宗谷岬に向かいます。宗谷岬といったら、このモニュメントが有名ですね。写真を撮るのに行列です。

 間宮林蔵さんは稚内から樺太に渡り、樺太が島であることを確認し間宮海峡を発見したことで知られていますが、こちらの像はあまり人気がないようです。

 ここ宗谷岬から「白い道」へと上っていきます。

 白い道というくらいなので、白い道が続いており観光地の1つになっています。

 風車群の近くも通りますが「関係者以外立入禁止」の看板あり。

 この辺りが、写真ポイントかな。ちょっとした駐車場ぽい広場があるので車を停められます。

 なぜ白い道なのかというと、ホタテの貝殻を道に敷き詰めているからなのです。人工的に作った、観光地といったところでしょうか。廃棄されるホタテの殻を使って町興しに役立てる、というのはアイデア的にいいのではないでしょうか。実際、観光客の車が結構来ています。

 やっと、稚内市を後にして南下を始めます。日本最北端の村「猿払村」の「道の駅さるふつ村」では、予約不可先着順の有料キャンプ場があるという情報は事前に分かっていたので、そこに宿泊することにします。しかし、台風10号の影響で強風が吹いています。

 こん強風の中で自炊するのは不可能なので、セコマで「和風たれかつ丼」を購入してからキャンプ場に入りました。

 利用料は一人400円ですが、ゴミは一切引き取ってもらえません。またフリーサイトなので、場所は早い者勝ちです。通常の道の駅側の駐車場は無料です。

 時間が経てば少しは風が弱まるかなと思いましたが、全く衰えません。(台風が近づいてきているからな)なんとかテントを設営しましたが、いまにも吹っ飛びそうです。

 気温は15℃くらいなのですが、風速10mくらいの風が吹いているので、たぶん体感気温は1桁台だったように思います。半袖Tシャツでは活動限界を下回りそうです。幸い厚手の寝袋を持って行ったので、包まりました。その上にタオルケットをかけると、寒くはありません。テントが強風を遮っているので、体温低下は免れています。

 真夏の平地で、冬山のような遭難体験をするとは思いませんでした。しかし、風を遮るというのがいかに体温を低下させないことに重要かが身をもって体験しました。

 つづく


2024_北海道旅行記その18(稚内市内観光その2)

2025年03月10日 | 旅行

 稚内市内観光2日目です。キャンプ場は引き払ったので、テントなどは車に積んでの移動となります。

 稚内駅は道の駅や観光案内所、飲食店や土産屋などがあり、さらに無料の駐車場もあるので使い勝手はすっごくいいです。

 本州では最高38℃にもなろうかという猛暑の夏ですが、稚内では20℃以下という過ごしやすい温度で快適です。というか、長そで持ってくりゃ良かったというくらいです。

 ちょっうど特急宗谷が入ってきました。夏季の繁忙期なので、乗客は多いようです。欧米やアジア系観光客の姿も多く見られます。

 ちょっと見にくいのですが、歴代の稚内駅の写真です。学生時代来た時は、下から2番目の駅舎「昭和40年3代目の稚内駅」です。そのころに比べると、凄く近代化されました。

 駅ビルの2Fには映画館もあり、賑わっています。「働く細胞」見たいな。アニメで流行ったものの実写化はどうなんだろう?ゴールデンカムイなんかは良かったようだが(見てはいないのだが)、蟲師なんかは「なんじゃこりゃああ」というのもあったし。チラシを見た感じでは、アニメキャラクターに非常に寄せているので、いい感じのような気はします。

 稚内のファミリーキャンプ場に2泊したのですが、周辺はキャンピングカーが多く停まっており動きがありません。車を全く移動していないサイトも多くあるような気がします。隣の名古屋ナンバーの大型キャンピングカーの方とお話をしたのですが、なんと2ヶ月も滞在するそうです。そして、長期滞在者がかなり多いという情報を得ました。仕事をリタイヤした人ばかりのようですが、暑い本州から夏季だけ稚内に避暑に来ている感じかなと思います。長期滞在なので、あくせく移動して観光する必要もないので、まったりキャンプ場で過ごすというライフスタイルでしょう。そして、たまに食材の買い出しと洗濯に町中に行く程度ということです。キャンピングカーなので、できる技かなと思います。(小型のテント住まいで長期滞在は辛いと思う)

 稚内の主要な観光地は昨日訪問したので、稚内駅周辺を散策してみます。稚内中央アーケードに行ってみました。

 稚内駅から歩いていけますが、商店街を利用する人向けの無料駐車場もあります。

 ロシアに近いため、ロシア船の船員とかが一時上陸で稚内を訪れるのでしょう。ロシア語が普通に書かれています。

 ラーメン屋があるなと思って見ていたら、ロシア人らしき人が店から出てきました。お、外国人も訪問するとは美味い店なんだろうなと思い近づいてみたら「「元祖チャーメン」という幟があります。なんや、チャーメンって?チャーハン+ラーメンとか?

 めっちゃ気になって入店しました。

 メニューその1 塩ラーメンとか醤油らーめんとか普通のメニューぽい。

 メニューその2

 チャーメンでたー

「醤油チャーメンをお願いします」

「はい」

 醤油チャーメン着丼です。なんじゃこりゃああ

 パリパリに焼いている麺の上に、野菜たっぷりのあんかけが乗っている食べ物だった。あんかけ焼きそばかな。調べてみたら、チャーメンは稚内のソウルフードということだ。根室のエスカロップ、長崎のトルコライスのような位置付けのものだろう。

 醤油チャーメンなので、醤油ベースのあんかけが焼いた麺にからんで美味いっす。完食しました。

 大王本店 稚内市中央3-16-26 Pは商店街共用か稚内駅前の無料駐車場へ

 醤油チャーメン:1,080円(税込)

 ぶらぶら歩いていたら、稚内のデザインマンホール発見しました。ご当地マンホールを発見するのも旅の楽しみです。

 セイコーマートもいいのですが、駅前にはスーパー相沢があり、食材が調達できます。長期滞在するなら、こういうスーパーで買い出しをするのもいいかもしれません。

 北海道の旅行中は、セイコーマートを良く利用するので、ついにセコマカードを作ってしまいました。道民ではないので、貯めたポイントを使うのは難しいかもしれませんが、セコマカード提示で値引きがある商品もあるので、作って損はないという考えです。実際、いくつかの商品を割引きで買うことができました。

 セコマでは、北海道限定商品が多いので、珍しいものがあるとついつい買ってしまいます。

 あまり話題性のある話もなく、稚内2日目終了です。(だらっとして過ごした)稚内にいるので、稚内駅前の無料駐車場で仮眠します。夏季のハイシーズンなので駅に近い方は満車になりますが、ひとつ離れた方は余裕があります。大型トラックは駐車できません。

 つづく


2024_北海道旅行記その17(稚内市内観光その1)

2025年03月09日 | 旅行

 稚内の北海道立宗谷ふれあい公園キャンプ場は2泊することにしているので、テントはそのままにして市内観光に向かいます。

 まずは、宗谷本線最北端の駅稚内駅を訪問します。ここには道の駅が併設されており、観光情報も得ることができます。手前の線路状の物は、かつての鉄路は、稚内から大泊(サハリン)への連絡船乗り場まで伸びていたので、それを再現しているものです。

 駅が道の駅?と思いましたが、駅前に広い無料駐車場がありそこを利用できます。また駅のトイレは24H使えるので道の駅として十分に機能しています。

 最北端の線路であります。(撮影ポイント)

 稚内のカラーマンホール発見しました。ご当地デザインマンホールは見つけたら、写真で収集しています。ところによっては、マンホールカードを貰えることもあります。

 稚内駅には観光案内所があるので、観光地図がもらえます。

 それと、無料で最北端証明書がもらえるので、いい記念になります。

 駅から北に歩いて行くとアーチ状の「稚内北防波堤ドーム」があり、観光スポットになっています。かつては日本領だった大泊(サハリン)への連絡船が発着していたところですが、地理的にすさまじい強風が吹くため連絡船と乗客を守るためにアーチ状のドームが造られました。連絡船乗り場の面影はありませんが、堤防ドームだけは残されました。

 ドームの上部は、危険なので立ち入り禁止です。

 かつての稚内北防波堤ドームの風景です。連絡船の向こうには、堤防ドームや建屋を見ることができます。鉄路もここまで伸びていました。

 現在、稚内港からはハートランドフェリーが、利尻島・礼文島へ運行しています。今回は、離島へ渡る予定はありませんので写真だけです。

 大昔、北海道ワイド周遊券で真冬の北海道を旅していたころ、稚内YHに泊まりあわせた人から礼文島を勧められました。

「ぜひ礼文YHへ行って下さいよ。自分が帰ったから客がいなくなって寂しいと言っていましたから」

「そうだな、特に旅のスケジュールは組んでないので行ってみるか」

 ということで、フェリーで礼文島へ渡ったことがあります。その時は、もっと小さなフェリーでした。礼文YHでは歓迎してくれたのですが、暖房があるのが食堂兼談話室のみで寝室は冷凍庫のようでした。あまり厚くもない布団で「凍死するかも」と思いながら寝ましたが、無事に目覚めたので人間簡単には死なんなと思いました。

 礼文・利尻も訪れてみたいとは思いますが、きっちりとスケジュールを立てないと「往復しただけ」になってしまうので機会があればということにします。現地での移動の足とかも考えないといけないけど、車を積んだら高いだろうし。

 稚内駅で「謎解き」を見つけてしまったので、ちょっとだけチャレンジしてみます。稚内市の指定のポイントに行くと、ヒントが得られる仕組みです。

 謎を解きに「北門神社」に徒歩で向かいますが、「さっぱり分からん」無駄でしたぁー(泣)

 この辺りは稚内駅からの徒歩圏内なのですが、普通にのらエゾシカが闊歩しています。

 昼飯は稚内駅に戻って、ふじ田でそばにしました。たぶん最北端の立ち食いそば屋と思います。

 かけや月見じゃひねりがないので、「利尻こんぶそば」にします。

 利尻こんぶそば、着どんしました。稚内からもフェリーが出ている利尻で採れたこんぶを味わいながら、いただきました。やっぱりここも関東系の醤油だしで、美味いです。

 稚内駅には飲食店や土産屋があります。「あぐり王国北海道」(HBCで放映されている、森崎博之氏の冠番組)で紹介された「稚内牛乳」を発見しました。

 そんなに押されたら買わないとな。と牛乳+ヨーグルトを購入しました。

 稚内といえばノシャップ岬は外せません。歩いて行くのはきついので車で行きます。(無料駐車場あり)

 この看板が撮影ポイントです。

 岬自体の風景は、まあこんなもんかなと。灯台と稚内寒流水族館が見えます。

 日本最北水族館「ノシャップ寒流水族館」を訪問します。

 すぐ隣に「わっかりうむ稚内市青少年科学館」があり、入館料はどちらも入れて一般500円です。(通常水族館はお高いのだが、かなりお得価格と思う)

 その前に、水族館裏をちらっと見たら「南極越冬隊資料展示コーナー」がありますので入ってみましょう。入館料はなしで、自由見学できます。

 南極昭和基地の1次隊の建物があります。お役御免となっても破棄されず、稚内で保管されています。

 チケットを買ったので、科学館の方から見学します。というのは、プラネタリウムの投影時間が決まっているので、それを見てから水族館に行こうという魂胆です。

 南極第1次越冬隊といえば、犬ぞり用で南極に連れて行った樺太犬たちが、悪天候のため収容できずそのまま取り残されたお話は有名です。そのうち「タロ・ジロ」のみが、奇跡的に1年間生き延びました。

「タロを生まれ故郷に帰す会」があるそうです。記載されているとおり、タロは北大付属博物館に、ジロは国立科学博物館に保管されており、N村はどちらも見ています。

 科学館のプラネタリウム」は、追加料金なしで楽しめます。

 南極に関する展示が豊富で、南極の氷もあります。かっちんこっちんです。

 続いて、水族館側を見学します。アザラシ君たちの、ちょうどもぐもぐタイムでした。なかなか競争が激しそうだな。

 これは、北海道だけに生息する幻の淡水魚というれる「イトウ」君ではありませんか。巨大な魚がゆったりと泳いでいます。

 かつては、岩手県・青森県でも生息していたが絶滅してしまって、現在では北海道の一部でしか生息していないという絶滅危惧種であります。この分布図を見ると、広い北海道でも生息地は4か所に限られています。

 これは本州でも見たことがある「メバル」っぽいですが、エゾメバルと書いてあります。北方系のメバルで、北海道では「ガヤ」と呼ばれているそうです。

 最後に、屋外でアザラシとペンギンのショーがあるということで見学します。

 まあ動物なので、なかなか思うようには芸をしてくれませんが、丁寧な口調でアザラシ君達にはお願いしていました。(笑)気が向くと、ちゃんと芸をしてくれます。

 稚内市内からも見えていた、山の上の塔に行きます。でっかいな~

 北方記念館開基百年記念塔です。札幌市の百年記念塔や根室のオーロラタワーなどは、老朽化により閉鎖に追い込まれているので、行ける時に行かないと二度と行けない可能性があります。(ここがそうだということではない)

 日本では絶滅したはずの狼やと思ったら、カナダで獲れた狼とのこと。個人からの寄付のようです。

 エレベーターで一気に展望台です。天気がいいので、見晴らしがいいです。

 ここからだと、稚内湾が一望です。北防波堤ドームの形が良く分かります。

 縄文土器などの展示もあります。

 これは何だ、羆の毛皮を保管している箱なのか?

 これは「宗谷の寝棺」というものです。「1792年(寛政4年)に宗谷を訪れた幕府の串原右仲は夷諺俗話(いげんぞくわ)のなかで宗谷の寝棺について記録しています。宗谷で越年する時は寒気をしのぐ「キツ」という厚い板で一人前一畳敷ほど高さ三尺ほどの箱をこしらえ、その中に笹を敷き、上へ熊、その上へ布団を敷き夜具にくるまって横になり、蓋をして寝る」と書いてあります。まさに棺桶のようです。

 昔、真冬の礼文島で暖房の無い部屋で寒さに震えて寝た身としては、とても良く分かります。ワシも寝棺欲しかった。

 今晩も、ふれあい公園キャンプ場に泊まるのでテントなどをセットする手間は省けます。スーパーで食材を購入して戻りました。

 味付け羊肉で、ジンギスカンだぜ。うめー

 稚内での2泊目です。

 つづく


2024_北海道旅行記その16(中川郡中川町⇒中川郡音威子府村⇒枝幸郡中頓別町⇒稚内市)

2025年03月08日 | 旅行

 道の駅なかがわから東に進路を変えて、音威子府方面を目指します。(一応予定どおり)昨晩通行止めだった、道道40号線は開通しています。なにがあったのだろう?と思い注意しながら走っていたら、道路わきの低いところに大型トラックの頭部分のみがひっくり返っていました。

 なんじゃこりゃああ。単独事故のようですが、荷台部分はすでに無かったので大事な荷物だけは回収したのかもです。(知らんけど)

 

 福岡を出てから事故はいくつか見てきました。事故った瞬間ではないのですが、道端で追突とていたり交差点での衝突の衝撃で、普通車がひっくり返っているのを見ました。タイミングが悪いと巻き込まれる場合もあるので、注意して走ることにします。それと、北海道は一般道でも高速並みにスピードを出している車もあるので、付かれたら追い越させるようにします。

 朝飯は、セイコーマートのナポリタンスパゲッティです。なんと、128円+TAXというびっくり価格です。価格が安くても味は普通に美味いです。こりゃ、旅人には助かります。さらに袋が無料なので、食べた後の弁当ゴミなどは、そのまま店内のゴミ箱(またはレジで引き取り)に入れられます。いや、ほんと助かりました。

 音威子府といえば、駅の音威子府蕎麦(黒蕎麦)が有名で、数年前に訪れた時は「玉切れ」で食べられませんでした。その時は駅近くの「一路食堂」で音威子府蕎麦をたべられたのですが、その一路食堂も閉店してしまいました。駅の立ち食い蕎麦はどうなったかなと思って行ってみたら、「閉店」となっており時間が止まったような佇まいです。

 このホームにある木製のSLは、自分が学生時代に北海道ワイド周遊券を使って旅をしていたころからあります。だいぶくたびれてきている感はありますが、音威子府駅のシンボルとしていつまでもあって欲しいものです。

 北海道では音威子府蕎麦は絶滅してしまったので、次の目的地を目指そうとしたら「新音威子府そば」の幟を発見しました。なんじゃこりゃああ、見間違いか?

 どうもゲストハウスのようです。「準備中」の看板があるので、ゲストハウスと新音威子府そばの関係は不明です。と思っていたら、テントがあり数人の人が談笑しています。

「あのー、この新音威子府そばっていう幟は?」

「あー福岡から来たの、蕎麦食べたい?」(福岡ナンバーの車だからな)

「いいんですか?」

「遠くから来たので、追い返すわけにもねえ」(地元だったら、開店時間に来てねと言うそうです)

「すんません、ぜひお願いします」

 ゲストハウスのお客さんは、無条件で音威子府そばが食べられるそうですが、一般の客は営業時間を要確認です。蕎麦は、ゲストハウスの一部である「めし処満腹イケレ」で食べることができます。

「天ぷらそばをお願いします」

「少し時間かかりますが、お待ちください」

「ぜんぜんOKです」

 テントにいた人の一人は、元音威子府そばを製造していた工場の社長さんでした。元社長さんに工場閉鎖のいきさつを聞いたら、高齢のため元気なうちに清算をしたかったからだそうです。村で唯一の音威子府工場が閉鎖されるということで、全国から惜しむ声ややめないで欲しいと言われたそうです。

 音威子府そばは独特の黒い色をしていますが、イカ墨などを練り込んだわけではなく甘皮を取り除くことをしないで挽いているからです。北海道の蕎麦の実を使いますが、社長は種まきから畑を見ており、収穫できたそばの実から音威子府そばに適するものを選別するとごくわずかになるそうです。そういう目利きも必要なので、誰かが簡単に後を継ぐというのも難しかったのかもしれません。

 一時は絶滅したかと思われた音威子府そばですが、いろいろな縁で北海道で収穫された実を千葉の工場(音威子府に縁がある人が経営)に送り、製粉後に送り返してもらっているそうです。試行錯誤して作った音威子府そばは、ほぼ昔の味を取り戻したそうです。そのうち「新」という字を取ろうかなあとも、おっしゃってました。

 というお話を聞いていたら、待望のそばが出来上がりました。おー、この色この味です。偶然ながらも、幻の音威子府そばに出会えました。北海道のそば出汁は関東の醤油系が多いので、東京育ちのN村としては慣れ親しんだ味で美味いです。(味は好みがある)

 一路食堂ですが、大変流行っていたのですが店主が病気で亡くなったそうです。店は残っていましたが、継ぐ人もいないようで閉店のままでした。一路食堂で使っていたどんぶりは、ここイケレで蘇って使われています。

「ごちそうさまでした、いい話も聞けました」

 とお礼を言って、店を後にしました。

 道の駅ピンネシリで、休憩と情報収集を行います。道の駅は、情報の宝庫でもあります。

 中頓別鍾乳洞が良さげです。

 砂金取りも楽しそうだな。ゴールデンカムイでも、川で砂金を取るお話があったし。

 とりあえず、地元産の「なかとん牛乳」を1本お買い上げしました。なるべく地元の物は、購入するように心がけています。

 道の駅で情報を仕入れた、ペーチャン川での砂金取りを体験することにします。道具を貸してくれて、一人500円です。(時間は好きなだけ)砂金取りの方法は教えてくれます。川の水は綺麗で澄んでいるので、ゴムサンダルがあればそのまま川に入れますが、無ければ長靴を貸してくれます。夏は気温が高いので、冷たい川の水は気持ちいいので、マイサンダルがあればお勧めです。

 北海道枝幸郡中頓別町兵安 

 使うのは、砂利を掘る道具と選別用のざるです。(なんか名前はあるのだろう)

 よっしゃ、いきまっせー。黄金を取るぞ!! アブが沢山いるので、虫除けスプレーはたっぷりとふりかけた方がいいでしょう。それでも襲ってくる奴は、叩き落して川に流しました。

 最後に残った細かい砂の中から、光る金を探しだします。小さな黄金に光る物体あれば金なのですが、なかなか難しい作業です。この中にも、数粒金が混じっているので、指にくっつけてビン(別売り)に収容します。

 どうだ、金が取れたぞおぉ! なに、見えないって。これでも数粒取れているのであります。時間制限はないのですが、2時間位するときついので「もういいかな」ということになりました。人によっては、1時間くらいで「もういいかな」と帰る人もいましたが、逆にはまっている人もいます。あまり取れなかった人は、最後に数個おまけで貰える場合もあります。

 中頓別鍾乳洞にも行きたかったのですが、今晩は稚内のキャンプ場を予約しているので諦めて先を急ぐことにします。時間があれば、後日南下するときに寄ることにしたいと思います。

 車で走っていたら、道沿いにF-104を見つけたので、ぎゃっと駐車場に滑り込みました。寿公園と看板があります。

 北海道枝幸郡中頓別町寿 Pあり

 まさしく航空自衛隊のF-104です。この機体は航空自衛隊第2航空団から借り受けたものと表示があります。北部方面隊千歳基地所属の機体ですね。機体番号は「46-8568」です。昔のゴジラ映画などで登場する自衛隊機は、このF-104が多かったように思います。古い機体ですが、比較的保存状態はいいようです。

 さらに、9600形蒸気機関車「49648号機」もあるではないですか。こちらも雨ざらしにしては綺麗な状態です。戦闘機もそうですが、大事に保存されている感じがします。

 さらに、絶滅危惧種の「タコの遊具」があるではありませんか。メインは、看板にも書かれているように、パークゴルフ場・ゴルフ練習場だとは思いますが、侮れんな寿公園。

 稚内は、北海道立宗谷ふれあい公園キャンプ場を利用します。事前にネットで予約を取れます。キャンプ場に入る前に、風呂に行きましょう。いくつか風呂はあるのですが、新しげな「港の湯」に行きました。

 1Fには、昭和初期の商店街があります。

 そして、稚内のFMコミュニティラジオ「FMわっぴー」のスタジオもあります。このコミュニティFM局は、全国で唯一50W免許を得たラジオ局です。(通常は20Wまで)これは、わっぴーが防災ネットワークを目的とするFMコミュニティ局で、広い稚内地区をカバーするために特別に許可されたようです。送信所のロケーションもいいようで、市内の広い地域で良好に受信できました。

 FMわっびーのHPより

 肝心のお風呂は2Fにありますが、風呂なので写真はありません。一言、綺麗でいい湯でした。

 きちんと管理されたキャンプ場なので、静かで快適です。

 今晩はジンギスカンではなく、レトルトカレーにしました。(ご飯は飯ごうで炊いた)

 付け合わせは、岩下の甘らっきょうにしました。うめー

 つづく