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暗いブログ
 



さきの書き込みがあまりに無責任かつ自分勝手なので私の思うところを一つ。

日記は悩みを解決する最も簡単な方法の一つだ。

何で悩んでいるのかわからない、そんなときはとにかく感情のおもむくままに書き付ける。
自分を正当化しようとしてはいけない。してもいいけど効果が薄れる。
思ったこと、感じたことを素直に書くのだ。

そしてそれを何度も読む。
最初は抵抗があるかもしれないが、なれると快感になる。
自分を客観視する最も手っ取り早い方法であり、書きだすことで問題が整理できみえてくるし、慣れてくると書いただけで悩みを自分から切り離すことが出来る。
身近に相談できる相手がいなかったり、相談できる内容じゃなときは日記がいい。

ぜひ一度お試しあれ。
ただ書くことに喜びを見出し、思考癖や悲劇のヒロインになって自分に酔ってはいけない。
そこに注意されたい。

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試験勉強に必要な本を探していたら昔の日記が出てきた。
毎日とは程遠いが、私は日記を書いていたのである。
私は間違いなくネクラである。根が暗い。
そんな私が今までの短い人生で最も病んでいた時期の日記である。
というかそのときしか書いてない。
高校2年あたりから浪人生の頃だ。
よく言えば思春期といえるが、それにしても病んでいた。
浪人の時ゲーセンでキレてゲーム機を破壊した。

その頃の日記を読んでいると、大概バカな青臭い悩みばかりであるが、たまにすさまじく本質を突いた文章があったりする。今の私では考え付かないような斬新な思考である。もちろん社会的現実的とは程遠いが、面白い。さすが浪人の時の小論文模試で全国11位になった奴の文章である。5点刻みだから点数的には3位である。。すいません自慢です。。これがいいたかっただけ。死滅

勉強しなキャッ



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雪がうっすら積もっている。
大学生活最後の試験勉強をしているわけだが一服するために窓をあけた。
私は部屋でタバコをすう時、窓をあけて上半身をのりだして煙が中に入らないようにする。
裏は駐車場で、細い私道をはさんだ向かいには3階建ての20部屋ほどあるアパートがある。アパートの住人は、私を怪しげなのぞき野郎だと警戒しているに違いない。

昔は裏の駐車場が古風な家だった。樹木が生い茂り、鯉のいる池がある立派な庭だった。アパートは昔巨大な銭湯でカポーンというベタだが趣のある桶の音がしたものだ。銭湯と庭という人間味あふれる下町風情が心を癒してくれた。体を乗り出してタバコをすっていたって誰も怪しげなのぞき野郎だなんて思わない。
 しかし、今は窓の外はコンクリートしかない。冬は実に寒々しく、夏は実に暑苦しい。裏のアパートにはどんな人が住んでるのかもしらない。大音量で音楽を聴いていると、といっても昼間だしそれほど大きくないが、どこで調べたのかどこからとも無く電話がかかってきて音を下げてくれ迷惑だと苦情の電話がかかってくる。

生まれた時からここに住み、ご近所さんも生まれた時から変わらず私を知っている。昔から大音量で音楽を聴いている。近所づきあいはお互い様。年がら年中じゃなくてたまの昼間にそこそこ大きな音で小一時間聞いてるだけだ。うちがうるさいときもありゃ近所がうるさいときもある。そんなのはお互い様で度を越さなきゃ気にしない。
それがなんだ我々のコミュニティにいつの間にか入ってきたよそ者が俺のやることにケチを付けようっていうのかい!
とそのときは思ったりしたが今はすっかりおとなしく音楽も自粛している。凝り固まった仲間意識は往々にして外から来るものにとっては邪魔だろう。
アパートなんか建てるから治安が悪くなるんだ、なんて思ったこともあるが時代の流れには逆らえない。
私はルーズである。特に戸締り。鍵をかけない、もしくはかけわすれる。
あるとき「江戸っ子は鍵をかけない」というようなことをテレビで見た。
すかさず「これか!」と思った。
皆が顔見知りでよそ者が入ってくればわかるからだという。張り巡らされた地域の目があるから鍵をかける必要が無いのだ。お隣やお向かいさん合わせて一つの「家」なのだ。所有の意識も低い。だから調味料を借りるのあたりまえみたいな現象が起こったのだろう。原始的な社会に住む人は所有の意識が無いらしい。どこかの民族では勝手に人の家のものを持ち出すらしい。それは盗みというのでは?と思うが盗まれたほうも全く当たり前のことだと思って何も気にしないらしい。つまりは私も原始的な人間なのだ。

このように、私はもっともらしい理由を見つけては何かとこじつけ、正当化するのが非常に得意である。私が鍵をかけない本当の理由は「だらしない」からである。。私の屁理屈には十分注意が必要である。そもそも江戸っ子ではない。
東京生まれ三代目からが江戸っ子である。私は二代目だから江戸っ子ではない。
祖母が小学3年生の時にここに移り住んだらしい。家はそのとき建てたようで築70年だ。ここら辺は空襲で焼けなかったらしく、残った。ゆえに耐震強度は震度5弱以下である。偽装建築もびっくりの代物だ。

とまあうっすらと雪が積もっていて感傷的になったというようなことが書きたかったわけだが話があらぬ方向に脱線しました。




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最近、以前あれほど聞きまくっていたレディオヘッドをあまり聞かなくなって久しい。久々に、満足に聞いていなかった「ヘイルトゥザシーフ」を聞いた。
ライナーを読みながら。
すると驚いたことにトム・ヨークの言葉から「ねじまき鳥クロニクル」がでてきたではないか。村上春樹の描くダークサイドの部分がどうたらこうたらといっていた。

なんとしたことだ。
ファンでありながら知らなかった。トムが村上春樹を知っていたとは!
衝撃も衝撃、私は昔レディオヘッドと村上春樹の類似性について語ったことがある。。

「ノルウェイの森」と「creep」だったか。
高校生の頃、村上春樹狂いの奴に皮肉っぽく「ノルウェイの森はクリープに題名を変えるべきだ」なんてことをいきがっていったことがある。

そのころは両者の描くなんともいえぬ世界観が似ている、同じにおいがする、と漠然と、しかし強く感じていた。
レディオヘッドを聞きながらノルウェイの森を読んでいたからという説もあるが。

ちなみに村上春樹に関してはファンといえるほど知りません。
潜在意識「id」を「井戸」と言うこしゃくな奴と昔は思っていました。
ファンとまではいえないけど好きです。

まあ話がよくわかりませんがトムが村上春樹のファンであったということに衝撃を受けたわけです。

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 一般的にトリックスターとは、「常識を破壊し、新たな秩序を作り出すモノ」のことである。しかし、低レベルなトリックスターは破壊のみをもたらす迷惑者である。スターではない、ただトリッキーなだけ。
 
 ということで私にぴったりだと思ったのでふとブログタイトルをこのように変更致しました。


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自分が属する人間関係の中で悩みがあるとする。

それは一生続くものだろうか?

一生で関わるであろう全ての人間関係の何%にあたるだろうか?

いずれにしても長い人生においては大したサイズではない場合が多い。

一瞬の瞬きに過ぎない。


同時に、自分の一生など、地球の寿命や宇宙の営みから見たら一瞬の瞬きに過ぎない。

一瞬の瞬きにすら満たない。

自分がいたのかいなかったのか、わからない。
自分がいようがいまいが、宇宙にとってはどうでもいい。

今目前にある大きな悩みなど一瞬のまた一瞬でしかない。
この世の終わりのように悩み苦しむだけもったいない。

一瞬しかない貴重な時間をそんなものに費やすのはもったいない。
一瞬をどう生かすかを考えたほうがまだいい。

今目の前にある悩みがこの世の終わりのような強烈なものかもしれないが
どうせこの世は終わるんだからなにも今終わらなくたっていい。

だまってりゃ自分の人生なんて一瞬でおわるのだし。


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ある有名すぎる小説の一節にこうある。

「俺たちがまともなのは、自分がまともじゃないと知っているということだ」

自分の事をまともじゃないと意識する心がある時点でまともだということでしょうか。

自分を普通じゃないと思ったことが少しでもあるあなたはまともです。

本当にまともじゃない人は自分のことをまともじゃないなんて少しも思っちゃいないはずである。

「俺は普通だ」なんて言ってるのが一番あやしい。



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人間関係で悩んだりストレスを感じたりしたらふと考えてください。

「人間の行動は全て生殖行動である」

私はこう信じて疑わない。

何でもこれで説明できる。

先ほどの「ミツバチ」の記事もそう。

サルでいえばオスは強い個体に敵意を持たなければならない。
スキあらばボスを倒さなければならない。
自分が強い地位に立ち、生殖を有利に進めるために。

メスはハーレムの中で強いオスの子孫を残すために邪魔者を排除する。
自分に有利なものだけをお互いハーレムの一員としたがる。

玉の輿は生物としては優秀だ。
家畜をたくさん持っている、狩りの能力が高い個体と一緒になれば生存率は当然上がる。

簡単にいえばそんなことだと思います。
以前芸術と生殖結びつける考えにいたったが今は頭が悪いので全く浮かんでこない。
人間の精神世界と生殖はどう関係しているのだろうか。
誰か教えてっ

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X-MENのリーダー「サイクロプス」。
彼の能力は目から破壊光線を出せることだ。
周知のことだが、彼は四六時中目から光線が出ているのだ。
それを制御するために、あのメガネらしきものを着けているのである。
メガネが外れるとあたり一面大惨事となる。

そこで問題。
日本人はよく電車で目をつぶっていますね。
寝てるわけでもないのにただ目を伏せたりつぶったりしている。
それはなぜでしょう?

目を合わせるのが恥ずかしいから?
引っ込み思案でコミュニケーションに消極的だから?

おしい!!

正解は「サイクロプス」だから、でした。
目を不用意にあけると光線が発射されて大惨事となるからです。

日本人は言葉に頼らないコミュニケーションを重んじます。
その一つが「目」です。
「目は口ほどにものを言う」というように、目で伝え、目から察するのです。
我々日本人からすれば「何をあたりまえな」と思うでしょう。
当たり前ではありますが、相手と目を合わせるという行為は、日本人にとっては重いのです。
目が合ったとき、そこに強力な伝達通路がうまれ、自分の内面が相手になだれ込み、相手の内面が自分になだれ込んできます。
脳が緊張し、精神が刺激されます。
「用も無いのに話しかけるな」なんていう台詞がありますが、それと同様、あるいはそれ以上に
「用も無いのに目を合わせる」ことは大変面倒なことなのです。
我々にとって目を合わせることはコミュニケーションの始まりであり、コミュニケーションを取る意思であり、またそれ自体がコミュニケーションです。
だから、見ず知らずの人に用も無いのに軽々しく目を合わせることは相手にとっても重いし、失礼なのだと考えます。
それは、自分の目から出ている「光線」を浴びせることになるわけですから。
電車に乗っている人全員が目を合わせまくっている場面を想像してください。まさに大惨事です。こわいです。
だから日本人はわざと目をあわさないようにしているのです。
それが暗黙の了解だからです。

だから「なんでみんな目をつぶっているのだろう。おかしな光景だ。」と外国人は思うわけです。
日本人もその影響か、はずかしいことだと思って無理して目を開けて必死で広告などを見ている人もいますが、そんな必要はないのです。我々の眼からは強力な光線が出ているので、そっと閉じてやればいいんです。サイクロプスのように上手に調節してください。

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「NOと言えない日本人」などといってはっきり主張できない日本人を日本人が揶揄した表現がある。
なにをバカなことを言ってるんだと思った。
確かに国際舞台での競争を考えると不利かもしれない。
しかし、日本の文化を捨ててまで欧米化することは私はバカだとしか思えない。
ナショナリズムと思うなら思うがいい。
日本の文化をいとも簡単にほうりだして欧米万歳として取り入れてきたのが日本の歴史だが、
もういいかげんにしてくれ。
日本人はものおじして「NOと言えない」のではない。
「NOと言ってはいけない」のである。

簡単に言えばキリスト教においては、言葉が全てである。
しかし日本においては様子が違う。
「I LOVE YOU」「愛してる」
我々の多くにとって、そんな言葉は意味がないし、意味すらわからない。
欧米ではこの言葉を口にしない限りそこに「愛」はない。
言葉で表現しなければけないのだ。
日本は古来より言葉の危険性を感じてきた。
「口は災いの元」という言葉があるが、どうやら禅宗にもとづく概念らしい。
禅宗では、言葉で表現してはいけないのだ。だから黙って座るのである。
「座禅」だ。

だからこそ日本人が言葉で表現しなければならないとき、比喩的であいまいなのだ。
「察する文化」それこそが日本の美徳だ。
察しの悪い奴や空気が読めない奴は好まれない。
だが大丈夫。日本人である時点で、欧米人よりよっぽど察する力がある。
文化や歴史が違うのだ。
はっきり「NO」ということでしか伝えられないしわからないのならなんと洞察力の無い連中だ。
日本人は軽々しく「NO」などといってはいけないのだ。
言葉の危険性を知っており、言葉に頼らない「腹芸」こそが最高のコミュニケーションなのだから。


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