暗いブログ
 



人間は複雑ですね

私は幼くして両親が離婚しているから

それを受け入れざるを得なかったという経験をしているから

大抵のことは受け入れられると

そう思って生きてきた。

現に、若い時はそうだった。

しかし、最近、何も受け入れられない。

自分を否定するイベント全てが受け入れられない。

要するに、怒りっぽい。

常に怒っている。

俺はこんなんじゃなかったのに。

包容力豊かで、なんでも笑って許せる

仏様のような人間だったのに。

生まれた時からどん底だから、

何があったって耐えられる。

うつになんか、絶対ならない。

常にうつだから。



なんてことを言っていたわけです。

でも今、うつです。

人はいとも簡単にうつになります。

宗教なんて信じる奴はどうかしてるぜ!

なんていってましたが、今ならいとも簡単に信じます。

なんでもいい、俺を助けてくれ

よりどころが欲しい。そんな気分です。

まあ、そりゃそうだ。

俺が一体包容力豊かだった時期などあるのか?

昔からすぐキレるじゃないか。

家の戸棚やタンスやフスマは常にぼろぼろ

なぜなら俺が怒り狂って殴る蹴るから

小学校の席替えで、気に入らない席になったら暴れてドアをぶっ壊し

気に入らねーからお前席変わってくれと言う始末。

思い通りにならないとすぐキレる

思い通りにならなかった人生だから

受け入れるのではなく

逆に、思い通りにならないことを

これ以上受け入れられない。

そんな感じだった。

俺の尊敬するばーちゃんはいった。

俺が一番気位が高く、気性が荒い、と。

その通りだ。

俺は穏やかな人間であったことなど一度もない。

とてつもなくキレやすい、負けず嫌いの塊だ。

いいひと。に見せようとがんばってきたが、

俺の本質はキレキャラだ。

つまり、昔はなんでも許せたのに今は許せない、劣化した

なんていって悩んでいるけど

間違ってる

昔から同じ。

むしろ、歳を経てマイルドになっているとさえ思う。

ただの理想による記憶のすげ替えがなされているだけだ

私は昔から攻撃的な人間だ。

認めよう。



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そうだ、遊ぼう。

もういい、吹っ切れた。

遊びなんだよ、人生は。

もともと、終わったらそれでいいんだよ。

次がある。

今が全てじゃない。

ダメになりそーなら

ダメになってもいいんだよ

リセットするチャンスさ。

次があるんだよ。

だめだったら

だめでいーんだよ。

それが運の尽きだったわけで

固執することなんかないのさ

遊びさ

ゲームと一緒

マリオは一体何回死ぬんだって事だよ

失敗を繰り返しながら前に進む

ゲームも案外いいじゃないか

人生を教えてくれる。

人生は狭い

自分が認識したものしか人生に登場しない

他にもあるんだぜ

だから、目の前の失敗なんて

大した問題ではない

楽しもう

人生は、遊びなのだから

ゲームなのだから


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最近、怒りの感情がとまらない。

怒らないのを売りにしていた自分が

すぐ怒りだすし、怒りだしたらとまらない。

それがつらい。

怒りたくないのになんで怒ってしまうのか。

自分に余裕と自信がないから。

そう思うとますます罪悪感に苛まれる。

しかし

喜怒哀楽というように

人間の感情は全て平等である

そう捉えることもできる

なぜ怒りだけ悪く思うのか

喜べば、同じだけ怒る

悲しめば、同じだけ楽しむ

まったく並列にあって良い感情だ

喜びを抑えるか?

楽しみを抑えるか?

答えは否。

ならば、ネガティブ群、

怒り

悲しみ

同じだろう。

相手及び自分に与える影響がネガティブなだけで

感情としては平等だ。

何が言いたいかというと、

怒りの感情を否定する必要はない。

ごく当たり前よように存在するものなのだから

怒りたい時は、気の済むまで怒ればいい。

怒る自分を、否定しなくていい。

ごくふつーの感情なのだから。

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僕は、繁華街を行くとき、

その人の多さに驚く。

まあ、幼少期から繁華街に親しんできたので

人の多さにいまさは驚くことはないが

思いきり逆のこといいましたが

このすれ違う一人一人に、

相応の人生があるんだ

俺より深い人生があるんだ

そう思うと、計り知れない人生の重みを感じます。

宇宙の果てを思う時と同じような感覚

まあ自分の人生の悩みなんて

たいしたことないんじゃね?

っていう感覚に陥ってくれればこれ幸い。


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誰か、人生の楽しみ方を教えてください。

そんな気持ちでネットサーフィンしていたら、

ネガティブな言葉はネガティブな事実を具現化する、

だから、ポジティブな言葉、例えば「ありがとう」

そんな言葉を多用すれば、

ポジティブな事実が具現化される、

的な趣旨のサイトを見つけました。



なるほど、そうですよね。

自分もピグマリオン効果とかいって

自分が思っていることは相手に伝わりその通りになる

なんてことを提唱していましたが、

まさにそのとおり、

はっ、としました。

このブログ、ダメじゃん。

タイトルからしてネガティブ。

誰かに愚痴ることも大事、

でもその時の言葉は大体ネガティブ、

根本解決にはならないし、負のエネルギーがたまる

てきな。

ぶちまけてスッキリする目的で作ったこのブログタイトルが

結局は負の力しか生み出さないと

そういうことか。

言われてみれば、そうかもしれんね。

俺、リアルでは何故だか、ポジティブシンキングの人だとか

なんでも受け止める、スポンジのような人だとか

怒ったことあります?とか

そんなことを言われるんだけれども

心がけてはいるものの

マジで俺は不安定でキレやすいですわ

と自分で思っているのですが

なにが周りにそう思わせるのか、

実はあまりよくわかっていません。

ただ、何気にこのブログタイトルに反し

実は結構ポジティブなことを毎回書いている気がするのです。

まあ、この世は結局クソ、期待するな、

さすれば大抵のことは楽しいぜ、

超意訳すると毎回そういうことを言っているわけです。

絶対、無理やりですね。。

ま、どーせたまたま発生した細胞の塊に過ぎない我々は

あれやこれやと悩んだところで

時間の無駄ってことさ。

たまたま、俺らは発生してしまったんだよ

好きなことを、好きなようにしたらいいさ。

自分の悔いのないようにね。


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私は、父親である。

しかし、私には、父親と暮らした記憶はない。

物心つく前に、両親は離婚している。

子供の頃、3ヶ月に1回くらい父親に会っていたのだろうか。

兄は、物心ついてから、離婚している。

つまり、父親を認識している。

父親が、好きだったのだと、思う。

私は、この人がお父さんなのだろう、とは理解している。

しかし、接し方がわからない。

兄は違う。

全力で、父親にぶつかる。

私が、多分父親なのだろうと思うおじさんに、

全力で戦いを挑む。

おじさんは、兄をぶんまわす。

兄は、何故だかとても楽しそうだ。

こんな兄は見たことがない。

いつもは私に暴力をふるい、残虐性すら感じる兄が、

自分の全てを、その人にさらけ出すように、心から笑っている。

あんな無邪気な兄を見たのは、初めてだ。

だから今でも記憶しているのだろう。

あの時、私はどうしていいのかわからなかった。

兄を手本に生きてきた。

今兄は、おじさんに全力でぶつかっている。

やられて、全力で笑っている。

私も兄に続かなければ。



でも、できない。

私はあのおじさんに、全力で立ち向かえない。

誰だかわからないおじさんに。

何故兄はあんなに楽しそうにしているのか、まるでわからない。

おじさんも、どうやら私には興味がないようだ。

私は子供ながらに、何か私の入る世界ではないのだろう、と感じた。

ここが、秩父であることは知っている。

わざわざ秩父まで来て、私はただ、2人のやりとりを茫然と見て、

帰っていくのである。



なにが言いたいかというと、私には父親がいない。

正確には、いるけど父親という存在を認識していない。

いざ自分が父親になるにあたり

目指すべき像がない。

ステレオタイプがない。

これはある意味、素晴らしい。

日本の父親像というものが、リセットされた。

父親の威厳だの、父親はこうあらねばならないだの

そんなものはない。

父親がいなくても私は真っ当に成長したからだ。

父親は必須ではない。

自分の存在を肯定するなら、そういうことになる。

だから、父親は威厳がとか、私にとっては無意味だ。

むしろ、そんなものなくて良かったと思う。

父親がいなかった私にとって、父親はいるだけでいいじゃないか

父親の存在自体が、ボーナスステージだ。

だからって、なにしてもいーわけじゃないけど、

父親は威厳がどうこう、なんて肩肘張る必要はないのだ。

ちゃんとそこにいる、それだけで十二分だ。

まあ男の私にとって、父親がいたほうがよかったなと思う点は何点かある。

でもね、そんな理想はどんな環境にもあるわけで

オプションにすぎない。

基本、父親はいなくても、子供の発達に対して影響しない。

ま、いまでも大人の男が少し苦手ですけどね。

信用できないから心を開けない。

弊害はそれくらいかな。

ま、ステレオタイプを持たない、

先入観にとらわれない私の思考の原点は、ここにあるのだとおもいます。

もし、子供への影響が原因で離婚をとどまっている方がいらっしゃるのであれば

無理して一緒にいるメリットは、そんなにないんじゃないかな、

と、わたしは思います。

あくまで、一意見として、取り扱いください。







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いやーこの前ね、こんなことがあったんですよ。

Amazonさん、複数注文すると、大抵バラバラに届きますよね。


まあそれはね、しってるからいーんです。ふつーです。

でもね、

全く同じ商品を、数量2って注文したらね

ふつう一緒に来ると思うでしょ?

それがなんと、

別々にきたんですよ〜

いやだなーいやだなー

しかも、厳密には、2個目はまだきてないんですよー

こわいなーこわいなー

1個目届いて1時間くらい経つのに

まだこないから、思わず書いちゃってるんです。

18:00-20:00だから、そろそろかなー

くるなかーくるかなー

配送業者も、時間指定も、注文履歴見ると全く同じ

一字一句違わず、全く同じ

でも、

別々にくるんですよ

こわいなーこわいなー

‥そろそろうざいですね。

‥あ、怪談の季節ですね。

なにを買ったかっていちおういいますと、

シーリングライトですね。

一個前に買ってよかったんで、追加で2つ。

家中全部おんなじ電気。

こわいなーこわいなー


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