仙人をめざして

2011年1月新装 
 第1部「パン屋の気持ち」及び 第2部「疾風伝」は 2010年12月26日で閉幕

猛暑の2023

2023年08月27日 | Weblog




末っ娘の結婚

2023年06月16日 | Weblog

 末娘が結婚した。これで 我が家の三人娘が みんな余所の家の 奥さんになったわけで、我が家は とうとう老夫婦二人だけになってしまった。 それでも嬉しかった。
 彼女らは 私の会社員時代に 駐在のための 米国生活を五年余も過ごした。 ほぼ 小学校時代の全てを いきなり英語だけの現地校で学び、土曜半日の 日本語補習校で 国語と算数だけを勉強しただけだ。もちろん、英語は堪能にはなったけれど、帰国後も 色々苦労したに違いない。 それでも、妻共々 いつも、愚痴も言わず ケロリとした感じで 頑張ってくれた。ありがたかった。
 三人の夫君は 長女の夫君から順に ちょうど一学年違いということだ。
娘たちもそれぞれ 性格が違う、顔もそんなに似ていない。それだけに、かえって 上手くやってくれそうに思う。桜梅桃李とかいうものを信じている。
 さて、この末っ娘の結婚で 何かが変わる気がしている。もちろん我ら夫婦にとって 今以上に いい方向にだ。そして私は、今まで苦労かけたこの四人のためなら なんでも してやらねばと思っている。
 末っ娘さん、おめでとう。 ありがとう。   『男の気持ち』掲載 原文

夕飯づくり一年経過     

2023年04月30日 | Weblog
夕飯づくり一年経過
 とうとうと言うか 遂に一年が過ぎた。
夕飯づくりだ。夫婦二人になってからは、気まぐれに何度か やったことはあるが、今回は、ほぼ毎夜作り続けた。実は、大手スーパーの顧客プレゼントに応募した妻が 手に入れたのが「圧力なべ」だったというのが、ことの始まり。  かつての仕事柄、新しい機械モノについては、口も手も出すことから、この「圧力なべ 」にも興味半分という感じで、第一作目を担当した。取説を読み、レシピ冊子から手持ちの食材で すぐ出来そうなものを選んで、下ごしらえ、うちなべに入れセットし、スタートボタンをオン。数分間の加圧の後、三十分程度で出来上がった。 翌日からは妻に引き継ぐはずであったが、どうしたことか、「レシピ集をひと通りやってみるよ」と口に。「美味しかった」と言われたからでも鍋が気に入ったわけでもない。が、あれよあれよで一年経ち、この後も引き継ぎ時期は未定だ。新たに分厚いレシピ本を買ったり 時には食材選びに妻と出掛けるという有り様、そんな自分に苦笑いしている。調理と言っても、下ごしらえをするぐらいだが、レシピの表記に戸惑うことも。「かえし」や 「少々」「適量」と数値のないものもにも慣れてきた。よく登場するローリエ、はじめ聞く名前の調味料、その意外さに ちょっと楽しくなったりしている。さて、いつまでやるのか。永遠か。    (投稿原稿・毎日新聞「男の気持ち」)




家族との記憶を記す   

2023年04月28日 | Weblog
 家族との記憶を記す
 一昨年から「短歌」にハマっている。通信講座で半年余り学んだ後、各紙誌に投稿するようになった。本紙にも 主に埼玉版ではあるが、月一程度で掲載されるようになった。  その中のいくつかは 妻や子供たち家族を詠ったものだ。孫を含めた子供たち一家をテーマにしたものが載った時には 写メールなどで伝えているが、「好いねえ、記念だね、ありがとう。」と言った返信がある。そこで、近頃は「家族を詠み、紙面に掲げられるのは、なにより相互の素敵な記念になる」と考えるようになった。日常、贈り物や写真の交換などはあるが、家族のことを書いたものが、雑誌や新聞紙面に載るようなことは ごく稀だ。そんな中、短歌は 文字どおり心を顕すもので、紙誌への投稿、そして 掲載されれば いつまでも公に印刷されたものとして残る。短歌集は出せないが、掲載紙面のコピーを纏めれば 素敵な作品集が出来る。
我が家の情景、私の気持ちを書き上げて 投稿を続けたい。
 掲載された中から そういったもの三首記しておく。
「プレゼントお洒落な品はなくなって食べものばかり届く父の日」
「お年玉 口を結んでかしこまる君は未来もきっと美少女」
「元気なの?会うたびに聞くわが娘いつからきみは問う側にいる」


        2023.3.18    (投稿原稿・毎日新聞「男の気持ち」)


投稿原稿(1/31~3/15毎日新聞・みんなの広場)

2023年03月17日 | Weblog
3月15日
高市大臣の国会答弁を機に 「放送法」が話題になり、今朝のこの欄(3月15日みんなの広場)でも
メデイアの対応を危惧と期待の入り混じった声が読み取れます。  私はこの時にこそ、メデイアは一気に
闘う姿勢を見せるべきだと思うのです。「報道の自由度」で先進国最下位と評されるまでになりました。
政権に辛口の番組やキャスターも減ってゆく一方だとも言われています。 危険なのは、私たちの多くがそれを感じなくなってしまうことです。権力のある人、声のでかい人が 言論の場を支配してはなりませんし、それに甘んじるメデイアであってはならないと思うのです。 今朝もネットでは 昨夜 当紙を含む報道各社やNHKの解説員が 岸田首相と会食をしたと話題になっています。 いかがなものでしょうか。読者に説明すべき事ではありませんか。 ともあれ、この機を逃さず ジャーナリストの名誉にかける意気込みで、権力に抗い庶民の側に立つメデイアの姿勢を鮮明にしてもらいたいのです。

5⃣  2月17日
「新聞よ もっと尖れ」と思います。バラェテイ化したとか、政府広報みたい等々言われ出したテレビの報道番組とは違い 新聞には「読ませる、考えさせる」文字による空間と時間があります。新聞読者の多くはこの過程を大事にし、魅力を感じていたはずです。ところが、近頃は 主義主張のない まして糾弾の姿勢などない、体制側的な口調で書かれた記事が多くなった気がします。新聞紙離れの一因かと思います。ネットでは 騒然とし始めた事象にも触れなかったり、記事にしても淡白すぎます。例えば旧統一教会と自民党との深い関係という件も、もっと 実態解明と批判の先鋒であるべきでした。最近の 「反撃能力への賛成過半数」という件、たしかに大半の世論調査でも専守防衛をかなぐり捨てる敵基地攻撃への賛意が6、7割ですが、こんな重要なテーマも 国民的な議論にもならないまま通り過ぎそうなのは、新聞はじめメデイアの怠慢だと思います。「新聞よ もっと尖れ」です。




4⃣  2月10日
同性婚についての元総理大臣秘書官の発言が、議論を巻き起こしている。「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」と言った。この発言を最初に報じたのは毎日新聞の女性の政治部・官邸キャップとのこと。オフレコの許容を超えたという彼女と当紙の判断に賛成だ。失望したのは、この荒井氏を更迭した岸田首相で、国会答弁では同性婚によって「社会が変わってしまう」とも発言した。世界を見てみよう。アメリカでは、同性カップル世帯はとうに100万組を超えており、同性の恋人同士も普通だ。同性婚を法制化したフランスやドイツなどでは出生率が上がった。同性婚で少子化が進むというのは根拠のないデマ。社会が変わるというのなら、望ましい方向に変わるということだろう。もっと緩やかな優しい社会に。岸田首相は荒井氏を更迭して終わりではなく、なぜダメなのかを示すべきで、それが真の性的マイノリティ理解の必須点、出発点だろう。


3⃣  2月5日
岸田首相が荒井秘書官の差別発言に「言語道断だ」と言った。であるならば、なぜ同性婚に反対するのか理解できない。つい先日の予算委員会で首相は、同性婚の法制化に関し「極めて慎重に検討すべき課題だ」と述べ、否定的な考えを改めて示した。同性カップルに結婚の自由を認めようとしない理由について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と強調した。首相が「多様性を認め合う、包摂的な社会を目指す」のなら、同性婚にも、夫婦同姓別姓選択制にも反対する理由はないはずだ。反対するということは、「多様性を認め合う、包摂的な社会」を望まないということになる。いっそG7で「我が国では多様性は受け入れていません。なぜなら同性婚は社会を変えてしまうからです。」とスピーチしたらいい。こんな国はG7では日本だけ。 首相には、こういった 言葉と行動の乖離が多々ある。猛省すべきだ。



2⃣  2月4日
首相秘書官がLGBTQ差別発言を謝罪・撤回した。又、この秘書官は首相のスピーチライターでもあったという。先日の国会での首相答弁から解る気もするが、問題だ。 驚いたのは「首相には申し訳ない」と言ったことだ。お詫びする相手が違う。と、もっと大きな問題だと感じたのは 根本的にこうだ。 今回のような セクシュアリティについては、人それぞれ 個人的な「偏り」や 嫌悪感や違和感を覚えても仕方ない。しかし、「公人」たるものは決して口にすべきではない。公人は自分に反対したり異なる意見の人達をも 擁護し、その利害を代表する義務を負う。どんなに人生観や思想、気質・性癖が 当人として受け入れられなくとも 「公人」は その人達に代り政策をたてる義務があるからだ。 今回の発言をした秘書官、「公人」としては欠陥があったと言わざるを得ない。首相にも任命責任があるはずだ。


1⃣  1月31日
近頃、各紙誌での論調に 違和感ともの足りなさがある。例えば、1月30日「風知草」の「防衛費増額」に関する件。山田氏の指摘も まず増額が前提になっている。 そして野党の追及手順がお粗末だと言う。 一理あるようにも思える。が、先般の国会の様子を愚問・愚答だと書いている。しかし、ジャーナリストなら 「なぜ、果たして、増額なのか」を徹底して問い詰めることを 先ず やりきるべきではないだろうか。軍備増強の是非を語るべきだ。 増額手段の議論は その後だ。これに割く時間、議論の少なさに 受け入れ難い感覚がある。残念にも思う。本件に限らず、首相の発言、閣議決定に大した批評もせず その進め方も素通りしてしまう各紙誌の論調。 閣議決定万能を 記者も認めたように見える。もっと主張すべきだし、文面・論調も 体制・権力側に対し批判的でよいのではないか。 それとも 山田編集委員は 我々を 愚民とでも思っているのだろうか。