入間のおじさんが寄稿した記事を見つけました。JJC創立20周年を迎えという表題です。入間のおじさんも、師匠を尊敬されていたことが今確認できました。少々手がしびれますが、頑張って当時の寄稿文を掲載してみます。
『ジープセンター20周年に寄せて』平成3年9月
我が国の四輪駆動車ブームの原点とされる黒岩政明さんの日本ジープセンターが設立20周年を迎えたと聞いて、一台のウインチの思い出を書いてみました。
《思い出の8274》
現在のように様々な電動ウインチが簡単に入手可能なのに比べますと二昔前は極めて選択肢がありませんでした。というよりも4x4につける電動ウインチと言えばアメリカ・ウオーン製の8274型12ボルトしかなかったのです。多分、電動ウインチと言えば町の工場にあった天井走行式のものを指していて後はキャリアカーの電動ウインチぐらいでしたので、車につけるなんて考えられないことでした。
ろくろく、4x4につけるアクセサリーなんてなかった時代に電動ウインチはジーパー達にとって喉から手が出るほど欲しいものでした。それも現在のようにファッションの為やセールスマンの口車に乗せられてつけるのではなく、趣味で走り初めていたジーパーの多くがウインチを必要とするような走りをしていたからです。当時でも結構多くのJ3やFJ40はPTOウインチをつけていましたが、これらは極めて重いのと、うまく中古が買えればよいが、新品を三菱やトヨタの部品として買うには、価格も30万円超と高すぎたものでした。
当時は今よりも現場での能力の差が4x4に付けるものの選択基準であって、例えばあの頃、既にアメリカから少しづつ輸入されていた太いタイヤが払下げのヒビだらけのゲタ山に優らないということは、「実証」されていました(繰り返しますが「評論」ではなく実証されていました)。
ウオーンの電動ウインチの存在はアメリカの専門誌FOUR WHEELER(アメリカのというよりも世界に一誌しかなかっただろう)とか、販売していたジープセンターが持っていたウオーン社のカタログで知っていて、なんとか欲しいものだと思っていました。でも、中古の三菱のPTO式の相場が10万円以下の頃でしたから、20万円くらいはした電動ウインチはまさに高嶺の花でした。
そんな頃、当時から大型免許を持っていた私は、ある幼稚園の送迎バスの運転手を頼まれてやることになりました。高齢の運転手さんが寝込んでしまい困っているのを付き合いしていた整備工場の親父さんや保母をしていた同級生に頼まれてお手伝いすることになったのでした。2ヶ月ほど朝晩の運転をやって得た臨時収入を手にして欲しかった電動ウインチを買おうと思いました。そこで、それまでも何度も遊びに行ったりフリーハブを分けて貰っていた四谷のジープセンターに電話を入れてみました。すると、一台は在庫があってテストに一度使ったから安くするということで買うことにしました。何でも当時一台のウインチは栃木かどこかの井戸掘り業者が使ったとかで、私に来るのはジープセンターでその能力をテストしたものとのことでした。

引き取りに行く算段は後で考えるとして、ともかく送金をしました。当時、現金書留の限度額が10万円だったので2通に分けて18万円を送ったのを覚えています。そしたら、何と黒岩さん自らがボロなシトロエンの2CVのバンで私の住む入間まで届けてくれたのでした。途中まで迎えに出た私に「このフランスの貧乏人の車のドライブシャフトは等速じゃないから曲がるときにぎくしゃくしやがってね」なんて言いながらも、あの独特の笑い方でシトロエンが可愛くて仕方がないように言われました。
一度テストに使ったと言われるその8274は、ドラムのサポートのカバー側に亀裂があったのですが、部品は到着次第送ってくれるという約束でした。当時はウインチ本体だけではなく専用のバンパーもアメリカから一緒に来ていてワイヤーはそれを貫通する位置にある穴を通りローラーフェアリードで導かれていました。
あのウインチが後になってバンパー上に位置するようになったのは、CJ5のステアリングギヤボックスがバンパー側に近く移動した頃からだから、このバンパーと一緒に来たのは、本当のCJ3B用のキットだったのだと思います。取り付けは自動車屋さんの工場を借りて行いましたが、電動なので簡単と思っていたら、三菱のバンパーを止めているリベットを飛ばすのに難儀しまし。た頭にポンチを打って揉んでもサンダーですり減らしてもまっすぐ入っているとは限らないリベットは、なかなか取れなかったものでした。当時24ボルト用はなかったので片方のバッテリーから電源は取り出してしまいましたが、電気に余裕のあるディーゼル車であったので能力に不足はありませんでした。それでも時々は、左右のバッテリーを入れ替える「バッテリーローテーション」をしたり、オフロードでの作業中にパワーがなくなった時には、バッテリーを繋げかえたり、他のJ3あたりからジャンプケーブルで給電して貰ったりもしました。
(その⑧に続く)
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで
『ジープセンター20周年に寄せて』平成3年9月
我が国の四輪駆動車ブームの原点とされる黒岩政明さんの日本ジープセンターが設立20周年を迎えたと聞いて、一台のウインチの思い出を書いてみました。
《思い出の8274》
現在のように様々な電動ウインチが簡単に入手可能なのに比べますと二昔前は極めて選択肢がありませんでした。というよりも4x4につける電動ウインチと言えばアメリカ・ウオーン製の8274型12ボルトしかなかったのです。多分、電動ウインチと言えば町の工場にあった天井走行式のものを指していて後はキャリアカーの電動ウインチぐらいでしたので、車につけるなんて考えられないことでした。
ろくろく、4x4につけるアクセサリーなんてなかった時代に電動ウインチはジーパー達にとって喉から手が出るほど欲しいものでした。それも現在のようにファッションの為やセールスマンの口車に乗せられてつけるのではなく、趣味で走り初めていたジーパーの多くがウインチを必要とするような走りをしていたからです。当時でも結構多くのJ3やFJ40はPTOウインチをつけていましたが、これらは極めて重いのと、うまく中古が買えればよいが、新品を三菱やトヨタの部品として買うには、価格も30万円超と高すぎたものでした。
当時は今よりも現場での能力の差が4x4に付けるものの選択基準であって、例えばあの頃、既にアメリカから少しづつ輸入されていた太いタイヤが払下げのヒビだらけのゲタ山に優らないということは、「実証」されていました(繰り返しますが「評論」ではなく実証されていました)。
ウオーンの電動ウインチの存在はアメリカの専門誌FOUR WHEELER(アメリカのというよりも世界に一誌しかなかっただろう)とか、販売していたジープセンターが持っていたウオーン社のカタログで知っていて、なんとか欲しいものだと思っていました。でも、中古の三菱のPTO式の相場が10万円以下の頃でしたから、20万円くらいはした電動ウインチはまさに高嶺の花でした。
そんな頃、当時から大型免許を持っていた私は、ある幼稚園の送迎バスの運転手を頼まれてやることになりました。高齢の運転手さんが寝込んでしまい困っているのを付き合いしていた整備工場の親父さんや保母をしていた同級生に頼まれてお手伝いすることになったのでした。2ヶ月ほど朝晩の運転をやって得た臨時収入を手にして欲しかった電動ウインチを買おうと思いました。そこで、それまでも何度も遊びに行ったりフリーハブを分けて貰っていた四谷のジープセンターに電話を入れてみました。すると、一台は在庫があってテストに一度使ったから安くするということで買うことにしました。何でも当時一台のウインチは栃木かどこかの井戸掘り業者が使ったとかで、私に来るのはジープセンターでその能力をテストしたものとのことでした。

引き取りに行く算段は後で考えるとして、ともかく送金をしました。当時、現金書留の限度額が10万円だったので2通に分けて18万円を送ったのを覚えています。そしたら、何と黒岩さん自らがボロなシトロエンの2CVのバンで私の住む入間まで届けてくれたのでした。途中まで迎えに出た私に「このフランスの貧乏人の車のドライブシャフトは等速じゃないから曲がるときにぎくしゃくしやがってね」なんて言いながらも、あの独特の笑い方でシトロエンが可愛くて仕方がないように言われました。
一度テストに使ったと言われるその8274は、ドラムのサポートのカバー側に亀裂があったのですが、部品は到着次第送ってくれるという約束でした。当時はウインチ本体だけではなく専用のバンパーもアメリカから一緒に来ていてワイヤーはそれを貫通する位置にある穴を通りローラーフェアリードで導かれていました。
あのウインチが後になってバンパー上に位置するようになったのは、CJ5のステアリングギヤボックスがバンパー側に近く移動した頃からだから、このバンパーと一緒に来たのは、本当のCJ3B用のキットだったのだと思います。取り付けは自動車屋さんの工場を借りて行いましたが、電動なので簡単と思っていたら、三菱のバンパーを止めているリベットを飛ばすのに難儀しまし。た頭にポンチを打って揉んでもサンダーですり減らしてもまっすぐ入っているとは限らないリベットは、なかなか取れなかったものでした。当時24ボルト用はなかったので片方のバッテリーから電源は取り出してしまいましたが、電気に余裕のあるディーゼル車であったので能力に不足はありませんでした。それでも時々は、左右のバッテリーを入れ替える「バッテリーローテーション」をしたり、オフロードでの作業中にパワーがなくなった時には、バッテリーを繋げかえたり、他のJ3あたりからジャンプケーブルで給電して貰ったりもしました。
(その⑧に続く)
★三菱ジープ互助会★
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当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで
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