年明け早々に、仕事の出鼻をくじかれるような3連休。
どうも成人式は1月15日じゃないとピンとこない、昭和女の翠です。

昨年、ふと思った事なのですが、
今、私が好きな音楽、作家、そして何かと頼りにしている友人たち、
そのほとんどは、10代の頃に培ったものだなーと、言う事。

特によく会うのは、中学時代の友人が多いのですが、すでに付き合いは30年を越え、
もうここ迄来たら、間違いなく、彼らとは一生付き合って行くんだろうなー・・と、
このような友人を人生の中で得られたのは、なんとありがたい事かと、
友人たちと“運命”に、感謝せずにはいられません。

もちろん、社会に出てから出来た、親友と呼んでも差し支えない友人もいますが、
何と言うか、大人になってから出来た友人は、類は共を呼ぶというか、
似た境遇で、価値観が近しいから、考え方に共感しやすいし、
行動パターンも似ているから楽、というのが前提になっているように思います。

私の子供の頃は、私立の小学校や中学に進学する子は僅かで、
リッチな家の子も、そうでない子も、みんな同じ学校に通っていたので、
まわりの子の親の職業や地位なんて、考えた事もなかったし、
遊びに行っても、大きな家であろうが、公営住宅の2間住まいであろうが、
意識の中での差別は一切なかったように思います。
たまたま最初に座った席が近かったとか、偶然の理由で仲良くなった、
そういう事なんですよね。




「スタンド・バイ・ミー」という映画を観た時、大人であれば、
きっと友達にならなかったであろう、まったくタイプの違う子供達が、
仲間としてお互いを認識して、日々を過ごして行く・・・
これこそ、学生時代の友人のいい所だなと、認識したものでした。

だって、好き嫌いもなく、他人とつきあう事がなかったら、人間成長しないような気がして。





それから、i-Podで良く聴く曲を考えてみて、苦笑。
その昔流行し、クイーン、イーグルス、エリック・クラプトン、サム・クック、
サイモン&ガーファンクル、柳ジョージ&レイニーウッド、矢沢永吉・・・すでに懐メロの域ですね。

あとは、かつてシングル盤を買って聴き込んでいた、
ランディ・ヴァン・ウォーマーの「アメリカン・モーニング」(原題は違います)、
カンサスの「すべては風の中に」、バグルスの「ラジオスターの悲劇」、
スーパートランプの「ブレックファースト・イン・アメリカ」、
クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」。
歌詞カードを読み込んで、歌ってみては、英語なんとかしようと苦戦いたしました。
今もよく聞きたくなり、You Tubeで探しては聴き入っております。
そして10代から今日まで、延々と絶え間なく聴き続けている山下達郎さん!

でも、山下達郎さんのアルバムで、どれを一番よく聞いているかと問われたら、
間違いなく、1978年発売の「IT'S A POPPIN' TIME」と答えるでしょう。
六本木PITT INでのライブを収録したものなのですが、JAZZYでシンプルで素晴らしい!
ちなみにキーボードは坂本龍一さん。これもすでに30年ものですね。


それから間違いなく、日本音楽業界のエポックメイキングとなったと思う
1980年発売、1人アカペラの多重録音によるアルバム「ON THE STREET COUNER」。
この発売から間もない頃、ニューヨークを初めて訪れ、
これまた発売早々のウォークマンで、マンハッタンを移動しながら聴いた時の感動!
「Remember me baby」最高でした。

間違いなく、この曲を聴きながらでなかったら、私にとってのニューヨークは、
ジャンキーや娼婦だらけの恐ろしい街で、終わってしまった事でしょう。



残念ながら、当時のレコードのジャケットとはデザインが違います
そんなこんなで、20歳あたりから成長していないのか、
いまだにその頃を引きづり続けてアラフィーとなったのですが、
あの時代に得た全てのものは、一生の宝物になっています。






ちなみに、私の20歳の成人式には、親にあつらえてもらった緑色の振り袖に、
母の毛皮のショールを羽織り、明治神宮にお参りに出掛けました。
しかし、原宿駅前で待ち合わせをした当時のボーイフレンドは1時間遅刻。
携帯電話もない時代だったので、寒空の中、半べそで待っていましたっけ。

同級生の彼はバリバリのアイビー青年で、真っ赤のブレザーにレジメンタルのタイ。
目が大きく、ちょっとしたジャニーズ系の顔立ちだった彼は、凛々しいというより、
七五三のようで、怒る以前に、笑っちゃっいました。

今も手元に2Sの写真が残る、懐かしい思い出。
この彼は、残念ながら一生ものにはならなかったですけれど・・・





今回のブログ、同世代じゃないと、なんだか訳のわからない話ばかりですよね。
まぁ、浮かれた10代でしたけど、なんとか今「大人」やっています。
実は、20歳前後、一番よく聴いていたのは、角松敏生さんじゃないかと思います。
この曲を聴きながら、みんなで夜中に湘南にドライブに行きましたっけ!
超懐かしい~、楽しかった思い出です。


アラフィーの皆さん、そんな時代じゃなかったですかね?

角松さん、昔、よくSaipanに潜りに行ってたとき、
ご一緒しました。ジーンズにサインもらったりして。
どちらかといえば週中のお休みの方が嬉しいのですけどね。
サイパンで角松さんと一緒に潜ったのですか?
すごい羨まし~!
年齢が近いので、高校時代仲良しだってという友達がいたり、
角松さんの事務所のすごく近所に住んでいたり、
なんとなく縁ありそうなのに、会えませんねぇ。
ただただ懐かしいばかりです。
なんの祝日だろう?と思ってたところです~
上のsoraさんのコメント見ましたが、ハッピーマンデー法なんてのがあるのですか~
(私も思いっきり浦島花子な昭和の女です。(^^;)
翠さん、洋楽よく聞いてらっしゃったんですね。
私の兄がビートルズのファンだったので、私も同じく聞いてました。
当時小学生で英語も読めないので耳コピで歌ってましたよ。意味もわからずに、、、(笑)
それで兄の前で英語の歌が歌えると自慢げに披露していました。
懐かしい思い出です~
角松敏生さん、初めて聞きましたが、ほんと湘南ドライブが似合いそうな音楽ですね~♪
やはり(?)少しだけ翠さんはお姉さんでしょうか(笑)
私の十代は、諸事情にもより自分で暗く過ごしていましたが、
それでもやはりその頃聴いていた音楽は、今でもベースになっています。
「ラジオスター~」「ニューヨークシティ~」は大好きな楽曲です。
今年の成人式は、もうすべての人が平成生まれだそうで。。。
時代背景も様変わりですが、昭和世代の温かみも懐かしくあり。。ですね
そうそう! 第2月曜が成人の日になったのですよ。
何年前だったかしら・・・
お正月明け早々の、もっと早い日に成人式だった事もあり、
これが終わらない事には、今年は始まらないという感じになりましたかね。
pekoさんの英語初め(?)は、ビートルズでしたか!
英語は耳から入ると、発音がカタカナ的でなくなるので、よいのではないかと密かに思っております。
「Let it be」は、小学生の頃、「L P」だとばかり思っておりましたが。
でも「レット・イット・ビー」よりマシよね!?
その昔、私のインチキ英会話は、大昔、英会話学校の講師さん達と、度々飲みに行って、習得したものです。
もうすっかり抜けちゃいましたけどねー。
はい、10代の頃のお話でごさいます
今年は、節分に豆をまかなきゃいけない女なものですから・・・
おそらく20代に突入してからハマったホール&オーツやスティング、ヒューイ・ルイスあたりになると、
るちぃるさんのUKロックの時代とリンクするのでは?
昔は中年になったら(あぁ、もうすっかりそういう年だわ)、ムード歌謡とか演歌とかを
聞きたくなるものだと、なんとなく思っていましたが、
きっと70代になっても「やっぱりクイーンはいいわぁ~」と浮かれている事でしょう。
「ニューヨーク・シティー・・」は、NYに行って、気に入りまくって、帰国したらヒット。
あの夢のような夜景が目に浮かぶ曲でした。
そろそろ職場にも平成生まれが登場しますね。
頭の中身は、大して変わっていないのに、彼らの前では、
ちゃんと「大人」しなくちゃなぁ・・・
だって、くーちゃんは中学のお友達とは連絡なしなんですもの・・・
年賀状だけのやりとりの方は少しだけいるけどね。
学生の時のお友達が今現在も交流が続いてるのは大事にしたい縁ですね。
成人式のお着物が緑色なのは「翠さん」は緑色が好きだからかしら?
アイビールックが似合うジャーニース系の七五三の彼を想像してしまいました。
ほほえましい思い出ですね。
東京に生まれ育つと、比較的、みんな遠くに行かないので、ずっと付き合いが続いているのかも知れません。
特に、バブル頃に結婚している場合が多いので、家賃も不動産を買おうとしても、とてつもなく高騰していたので、結婚しても実家に留まっている例もよくありますし。
くーちゃんも年賀状だけのやりとりでも、子育てが一段落した頃に、また交流が復活したりするので、学生時代の友達も大切にしておくことを勧めますよ。
着物は、アンティークのような渋い小豆色のが欲しかったのですが、
母が20歳の時は20歳にしか着れないものがいいと言い、
呉服屋さんが持って来た反物の中で、一際鮮やかだった
緑地に紅型の模様がちりばめられた着物に決まってしまいました。
最後に着たのは、いつだったかなー・・・実家の桐箪笥に眠っています。
一世代を10年として、一世代、二世代、三世代。
その世代の違いを超えて昔を思い出しました。
お金持ち、お大尽と子供の頃は言っていたような。
貧乏人も庶民もお大尽も一緒に住んでいた街が東京だったような。
今のように街のカラーが強くなかった気がします。
自分の生まれ育った街でも女中(途中からお手伝いさんにかわりました。)が何人もいて外車で乗っている人までごったに混ざっていたような。
そんな幼い頃を思い出しました。
今頃になって思うと、10代から20代前半は覚えている曲がたくさんあるのに、
30代以降に流行ったはずの曲にはほとんど馴染みがない。
「いったいなにしてたんだろう?」と愕然とするほどです。
つい最近の友人との話題、靴のサイズ。
昔は文(8文半とか言ってたっけ)、私たちはcmだけど、最近はインチになっちゃって自分のサイズが覚えられない・・・
いつからこんなに幼少時から受験をするようになってしまったんでしょうね。
私の兄は中学から私立に行ったのですが、近所に友達がいなくて、
結局、家に寄り付かなくなってしまいました。
我が家は狭小住宅ですが、ご近所には、お大尽もお大臣もいて、
臆する事なく、普通におつきあいさせていただいました。
お手伝いさんがいるのは、どちらかと言うと、当たり前の事と思っていたようにも記憶しています。
みな、バブル期の相続で、マンションにかわってしまい、残念です。
原村さんの幼少期は、もっとそれが顕著だったのでしょうね。
あの優雅さ、あの気安さ、記憶に留めておきたい空気感です。
今回のブログは、昭和30年代あたり生まれの方しか、さっぱり判らない内容を覚悟で書いたんです。
やくさんに、ちよっとでも懐かしんでいただけたら、とても嬉しいです。
ヒットソングの記憶は、就職で一線を引かれているような気がしませんか?
1970年代半ば、キッスやクイーンなど洋楽全盛期で、
ラジオのチャート番組をよく聴いておりました。
レコードは、中高生の財布には、高価な買い物で、なかなか買えず・・です。
靴や服のサイズは、私もよくとまどいます。
35とか、6 1/2とか、全く自分のサイズがわかっておらず、
お店の方に、23cmなんですけど、と度々聞いています
気取ってないで、統一して欲しいんですけどねぇ。。。