翡翠色 オパール色 風の声

おひとりさまの人生 感じて 考えて 味わって(?)
草花とメダカに癒され生きています

おひとりさまの緊急連絡網:続編

2012-01-30 | 1人で生きていく事

おひさしぶりです!

暮れにUPしようとして書きかけた記事が、ふと気づけば1ヶ月経過・・・
遅ればせながら・・・今年も宜しくお願いいたしまーす!


大きな大きな出来事が沢山あった2011年が暮れ、2012年に突入して、すでに1月末。

相変わらず、震度5クラスの不気味な地震が、あちこちで起こり、気が抜けないですが、
とにかく怯えて寝こんでいるわけにも行きませんから、
今日を充実させて悔い無く生きる事に、価値基準をフォーカスして、
いつになく精力的に、楽しみをみつけようとしている今日この頃です。


                      




2011年は、クライストチャーチ(NZ)の地震、東日本大震災と福島第一原発の事故、
夏のゲリラ豪雨、秋の台風、同時期に起きたアメリカ東海岸のハリケーン・・・

自らの無事発信と、友人知人達の安否確認、
そしてスポンサーありきのマスコミの流布する放射能情報に懐疑を抱いて、
判断材料になる真情報の収集・・・

インターネットのHP、特にtwitterを始めとする、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を
必死になって追った1年でありました。


                      



gooのSNS“ひとこと”は終了してしまいましたが、その数ヶ月前から始めていた twitter、
更に最近になって参加したfacebook。
すでに私の生活のヒトコマとして、確固たる位置をしめています。


ネット上で、限られた言葉で発信される“人となり”は、
ある一部分だけなので、その人の実際のところはわからないという考え方もあります。

でも、しがらみがないからこそ、素の心で、気持ちを発信していたりする場合も多いのでは、と思います。

少なくとも、私は、ちゃんとその向こうには、心を持った「人」がいると思っていますし、
こちらも「心」を開いているつもりです。


実際に会って、話をしたり、食事をしたり、仕事をしている、いわゆる「リア友」が、
私の心の奥を知っているかというと、これも向き合っているのは一部だけだと思うのです。

そういう意味では、似たようなもの。


ただ、その相手から、更にその先が、繋がっているかどうか、
これは、ネットだけの切り捨てやすい関係と、リア友との大きな差がある事は否めませんが。


                      



但し、実名で素性をさらして、コミュニュケーションをするfacebookというのは、
SNSとは言え、これまで友人たちとやりとりしていたメールと感覚が近く、
Twitterやブログとは、一線を画していると思います。

私の場合、facebookに関しては、素性を知っている人しか繋げていなく、
それ以外の人は閲覧できない設定にしてあるので、リアル生活のコミュニュケーション手段として
かなりの有効性を感じています。

当初、facebookというのは、なんでも情報がさらされると思っていたのですが、
特に親しい人と、そうでもない人と、閲覧可能範囲を分けられますし、
話はそのグループ内しか見られない設定もできるので、まっ、なかなか便利であります。





幼なじみに誘われて、何の気なしに始めたfacebookでありますが、
やり始めて、ある事に気づきました。

実のところ、ここ数年のうち、知り合いが2名、孤独死をとげております。

特に、古い仕事仲間で、ずっとフリーランスで仕事をしていた独身の友人の死は、
昨年、地震や津波以上に( 比べてはいけないけど)、私には衝撃的な出来事でした。

徹夜仕事で、明け方自宅マンションに帰り、布団に潜り込み、それから苦しくなって、亡くなったようです。

・・・脳梗塞だったそうです・・・

彼は、会社員のように毎日顔を合わせる人がいなかったので、すぐに気付かれず、2日後に発見されました。


この状況、昼も夜も、ほとんどの時間を一人で過ごしている私には、
ヒトゴトとは思えなかったわけで、ずっと、ショックの尾を引いておりました・・・


                      



以前、独身の叔母が、緊急手術となった時に、普段を知らない親戚たちが、右往左往するのを見て、
連絡して欲しい人を書き綴った「おひとりさまの緊急連絡網」を作っておくと良いと提案しましたが、
このfacebookこそ、まさに現代版「おひとりさまの連絡網」として有効なのだと、思うようになりました。

例えば、「友人」でも、それぞれの学生時代の友人、仕事を始めてからの友人、留学時代の友人、習い事の友人とか、
それぞれは付き合いがあっても、共通の知り合いを持たない友人・知人も結構いるので、
もし、私が何かあっても、連絡が行かないだろうな、と危惧しておりました。

そこを串刺しにつなげてくれたのが「facebook」というわけです。

そして、一番仲のいい友人にだけは、私が留守にすると告げずに、
3日以上、誰の所に書きこみも、トピックスのUPもしていなかったら、
どこかで野垂れているかも知れないから、自宅と事務所を見に来て、と頼みました。

そして、もし何かあったら、その旨を、facebookで繋がっている人に連絡して欲しい、とも・・・

  

お正月に遊んでもらった友人宅のワンコたち。
私が瓦礫に埋まっても「ここ掘れワンワン!」 してくれる・・・予定の、心強い存在!!




実のところ、ここ数年、結構真面目に、単身者向けの「生存確認サービス」を物色しておりました。
しかし、既存のサービスは、単身のお年寄り向けのものばかりで、
いっそ、現役世代の単身者向けに、そういうサービスをする会社を立ちあげちゃおうかと、密かに思ったり。

でも、とりあえず、解決しました、facebookで。(予想外に~!)


                      



おまけに、一生会えないと思っていた、海外にいる中学時代の友人ともコンタクトがとれ、
先週、30数年ぶりに(年がバレるけど)会いました。

これは本当に、嬉しかったー!!



なんと言うか、この年になって、また新たな人間関係が再構築されている感じがするんです。

みんな、利害関係のない友人と、繋がりたいんですよね、きっと。
子供も育って、あと10数年すると定年になったりして、持つべきものは友人だと、再認識している人も多いような。


                      



強がりではなく、一人でいる事を、寂しいとか、そういう風に思わないのですが、
それでもね、やはり不安は色々あるし、一人で死んじゃったまま干からびるまで発見されないのは、
やっぱり嫌だなと、思うのです、正直なところ・・・




久々かつ、今年初めてのブログが、痛い話ですみません。
気持ちなおしに、パンダでも見て下さい。
よくわからないタイプの(?)パワーが湧いてきます。(笑)
(ギリシャのパンダチーズのCM集)



追記
いよいよ、1月31日でgoo homeそのものが無くなってしまいますが、
「ひとこと」が終了した後も、ずっとずっと私のhomeをのぞきに来て下さったみなさん、
「あしあと」嬉しかったです。この場を借りて、お礼申し上げますね。
ぜひ、ここにメッセージ残して下さい!

日々、脳トレ!?

2010-10-01 | 1人で生きていく事
芽先を摘んでも、摘んでも、花が咲くようになってしまったバジル。
そろそろ葉を食べるよりは、種を付けさせて、来年に繋ぎましょうかね。



最近、すごくツボにハマって、かなり楽しみにしている「ホンマでっか!? TV」という番組。
色々な学者や専門家が、学術的観点(?)から、ウソみたいな情報を、
まことしやかに紹介するという内容。
ご出演されている専門家の面々は、よくぞバラエティ番組に出たもんだという、
トップクラスの方ばかり。
それだけに、なんだか妙な説得力で、どんどんハマっていくわけで・・・

特に、脳科学者の澤口先生の、「色んな意味で」超人的なキャラは、
大のお気に入りで、ついつい、聞き入ってしまします。

そんな澤口先生が、脳の老化防止に良いのは、料理であるとのご発言。
何でも、いっぺんに色んな作業を平行してやるのが、脳にとっても良いのだそうです。

私はあまりマジメに料理はしないので、この先、ちょっとマズイかも知れませぬ・・・


                         


・・・でもね!


ふと気づけば、ここのところ、ものすごーく脳を使っているような気がするんです。
それは、度々のブログでしつこいようですが・・・


メダカのおかげ! です。


最初に次々と☆にしてしまってからは、毎日、ハラハラの日々。


水温は何度か!?

暑さで、お湯になりそうだったこの夏。
太陽光を必要とする蓮と、暑さを押さえたいメダカの狭間で、ジレンマの日々でした。

そして、適温の25℃の日は一瞬に過ぎ、30℃からあっと言う間に20℃を切る水温に。
25℃の日は、本当に元気にエサもたっぷり食べて、気持ち良さそうに泳いでいたのに、
幸せな日は1~2日で過ぎ、とっても気の毒です。


水に油膜は張ってないか!?

気温が下がってから、太陽が当たる度に、泡と共に顕著に出るようになりました。
で、油膜をすくったり、泡が付く浮き草を洗ったり、水替えをしたり、
気休めにスポイトで、ぶくぶく空気を送り込んだり。。。

ビオトープ的な循環のバランスが崩れているのは間違いないと思います。
寒くなる前に、チビメダカに少しでも大きくなってもらおうと、
エサをあげ過ぎて、その残りが原因かも知れません。

水質が悪いと、フンが白っぽくなるそうで、ナナが黒いフンをしていると、
妙に嬉しかったりしています。


チビメダカが共食いをしてないか!?

メダカの赤ちゃんが生まれて、1ヶ月半程経ちましたが、
明らかに縄張り争いが起きていて、大きさにだいぶバラつきが出ています。

水面近くに陣取っている一番大きな「ラナイ」。
「ラナイ」とは、ハワイの言葉でベランダと言う意味で、フラ好きの友人が名付けてくれました。

いくら「ラナイ」に蹴散らかされようとも、目を盗んで水面のエサを食べに来る「マイカ」。
大好きなアメリカのドラマ「HEROES」に出て来る、機械と話が出来る子供の名前から頂きました。

「ラナイ」がどれだけ「マイカ」を追い回しても、我関せずで
黙々と稚魚ネットの底に落ちたエサを食べ続けている「ルビ」。
3日遅れで生まれて小さく、活字についているフリガナみたいな小ささだなーと思って、
こう名付けました。


1cmを超えたので、稚魚ネットが外せるのも、あと半月くらいだと見ていますが、
「ラナイ」が他の子にかじりつかないか、ちょっと心配で、
浮き草の陰で姿が見えないと、えらく焦ります!

そんなこんなで、いつも頭からメダカの事が離れず、
常にその動向を気にして、脳が回転しているような気がするのです。



稚魚ネットの水面近くにいるのが「ラナイ」です。



あー、今回は、メダカ話では無く、別のトピックでブログを書こうと思っていたのに、
また熱く(?)語ってしまいました。。。


本当はね、祖母の事を書きたかったんです。

祖母は、私が生まれる迄は、ずっと東京暮らしだったのですが、
栃木にある祖母の実家の土地が、不在地主で没収されると言われ、50歳代の頃、祖父共に隠居。
その後、75歳で祖父が亡くなった後は、90歳過ぎまで一人暮らしをしていました。

そんな年寄りの一人暮らしは物騒だと思うし、
事実、強盗みたいな人が、生け垣をくぐり抜けて侵入し、「金出せ!」と脅された事件が起りました。

しかし、祖母は「私は留守番の婆さんで、家の人がいないからわからない」と
わざとボケたふりをして、その強盗を追い返したそうです。

いゃ、驚きました、その度胸、その機転!

さすがに、この事件を聞いてからは、かつて祖母が東京に住んでいた時に、
我が家に同居していた知り合いお願いして、お手伝いさんとして、
度々通ってもらうようにしましたけど。


                         


私もその頃は、月に1度は祖母の様子を見に行ってましたが、
いつも何やら忙しそうで、やらなきゃならない事に追われているんですよね。

さあ、来週は、白菜のタネを蒔かなきゃとか、トマトの支柱を立てなくちゃとか、
キュウリが大きくなり過ぎるから穫らなくちゃとか・・・

植物を育てていると、季節の関係で、待ったなしの事がいくつもある訳で、
多少の体調不良も寝込まずに、追われるように作業をしておりました。

この負荷、実は元気でいる為には、とても重要だったと確信しております。

敷地は200坪程で、建物を差し引いても、かなりの面積があり、
芝生のスペース、家庭菜園、いくつもの花壇、果樹のスペース、それと温室、
大きな木は植木屋さんにお願いしていましたが、後は全て祖母が面倒を見ていた訳で、
大変だとか言う言葉は、ついぞ耳にしませんでしたが、これはすごい労力だったと思います。

それぞれの植物によって、育て方も違いますし、祖母の脳はコンピューターのように、
永年の経験から得た膨大な知識が詰まっていて、毎日、それを取り出して、使って、
また新たな経験値として上書きされているんだろうなーと、後になって思いました。

こういう生活をしていたからこそ、多少のド忘れはあったものの、
認知症にならずに93年の生涯を終えられたのだと、私は確信しています。


   
   涼しくなったら、花の色がとても濃くなったランタナ。


私は今、40代半ばを過ぎて、50歳が遠からずの所にありますが、
60歳過ぎて、仕事から解放された後、どう生きるか、ぼんやりと思い描くようになりました。

それは、いくつかある不動産を、今後どうするかという問題に、端を発しているのですが、
どうしても不動産がらみは、ある程度、長いストロークで考える必要があるんですよね。

今は、マンション住まいですが、元々、そこは10年位で売却して、
その頃は高齢となった親の家を建て直して、そこに同居するつもりでいました。

しかし、同居する程の高齢にならず、あっと言う間に両親はあの世に旅立ってしまい、
予定はすっかり白紙に・・・

色んな選択肢が出来た訳ですが、どうやって生きて行きたいか考えれば考える程、
季節に追われながら、植物を育て、メダカと戯れ、生きて行くイメージが湧いてきます。
そう、祖母のように生きて行きたいのです。

一番欲しいものは、庭です。
それには、どこに住むべきか・・・答えは見えて来た気がします。
さあ、リタイヤ後が楽しみだぁー!


あまり料理は好きでないですが、きっとその分、植物を育てる事で、
私の脳トレは、ずーっと続いて行くのではないかと、密かに期待しています。

ねぇ、違います? 澤口先生!



オマケ 認知証予防の5ヶ条



ご記憶にございますでしょうか?
昨夏のお中元に頂いたマンゴーの種を蒔いたものです。
この夏は、ふたまわり大きな鉢に植え替え、葉っぱも大きくなりました。(右隣が昨年植えた鉢です)
ちなみに、マンゴーの葉の出たては、この写真のように茶色くて、段々と緑色に変わります。
パラダイス化の野望は続く~!! しかし、どんどん大きくなるけど、冬は室内に入れなきゃならないんだよなー








人生の楽しみ

2009-10-02 | 1人で生きていく事
なんだか、心穏やかでない9月でありました。

8月に健康診断を受け、約1ヶ月後に結果が手元に届いたのですが、
そこには「要・精密検査」の文字が・・・

40歳を過ぎてから、コレステロール関係の数値が、
正常範囲を少しだけはみ出した事はあったのですが、
まぁ「観察」レベルの話で、生活習慣をいくぶん気にする程度の事でした。

今回、「要・精密検査」になったのは、一般的な健康診断とは別に、
有料でいくつか申し込んだ血液検査のうちの1つです。

なんとなく胸焼けがして、食欲が出ない事が、今年になってから度々あったので、
消化器系が気になり、血液検査を追加で受けたのでした。


ちなみに私の母は、区の健康診断で何一つ「異常なし」と通知が来た直後に、
癌の末期である事が発覚し、その2ヶ月後に亡くなりました。
そんな事もあり、癌の早期発見には、血液検査(マーカー検査)が必要であるというのが、私の持論です。

今回、私が受けた通常の健康診断の検査項目では、消化器系はどこも「異常なし」でした。
でも血液検査では「要・精密検査」・・・怖い事です。

で、「要・精密検査」と出た、血液検査名と出ている数値を元に、ネットで検索。
その数値は、4段階の最悪のカテゴリーにハマっておりました。


   うっそぉー・・・


多少の自覚症状はありましたが、我慢という程ではなかったので放置していたのですが、
慢性的に炎症を起こしていたらしく、いわゆる癌になる一歩手前。
今後、癌になるリスクが、健康な人の100倍高いのだそうです。
もしかしたら、もうなっている可能性も、無きにしもあらず。

私のその臓器は、使い古しのカーペットの様になってしまっていて、
もう元には戻らないそうです。

そう思うと、気持ちはヘコみ、更に食欲が減退してしまいました。
お腹は空いているのですが、食べてしばらくすると、気分が悪くなるので、
食べる事が怖くなっちゃうんですよね。

勿論、あわてて病院に行き、検査結果を見せたら、
精密検査という事になりましたが、混んでいて1ヶ月先。
まぁ、緊急にどうこうと言う程の悪さでは無いからなのでしょうけれど、
この間が、なんとも言えず、嫌な感じ。。。
何か書きたいけれど、うまくまとまらず、ブログも、書いたり、消したり、しておりました。


                     


こんな事は初めてなので、色々と先の事を考えてしまいましたが、
とりあえず、食生活も、それ以外の生活も、見直すべきなのは確か。

あと、どれだけの時間があるかわからないけど、
これまで「何が楽しくて生きているのか」と、まわりから言われる程、地味に生きてきたので、
少し “たが” を緩めて、もう、人生を楽しむ事を、自分に許してもいいかな、と思いました。


   さて、人生の楽しみって何だろう・・・  


行きたい場所も沢山あるけれど、今、私が楽しいと心から思える事、
色々と考えてみても、それは「仕事」なんですよね。
なんだかなーと、情けないでもありませんが、他に思いつかなくて・・・

以前このブログで自分の仕事について紹介した事がありましたが、
幸いにも、今年は本業とも言える仕事がたっぷり出来て、その折々に、えも知れぬ快感を感じました。
もちろん、仕事ですから楽しいばかりでなく、むしろ自らを奮い立たせて取りかからなければならない
厄介な事も沢山あります。
でも、この年迄やってきたからこそ、私の言う事に皆が耳を傾けてくれて、
プロジェクトの骨子を固めている実感、これ以上の快感がどこにあるものでしょうか。

ただ、私の体力は、ハードなその仕事をするのは、限界かもしれないから、
これが最後のプロジェクトへの参加になるかも、とも、何度も思いました。

  
                     


春から携わって来たプロジェクトは、もうすぐ完結します。
ほっとする反面、寂しい気持ちもあります。

今、私が懸念している病気を、3年前から煩っていた叔母は、今年の1月に再発、
9月に入ってから、危篤と持ち直しを繰り返し、先日亡くなりました。
早期発見していれば、助かった筈なのに・・・

そして来週は、やっと精密検査です。
大した事は無いようにも思うんですけど、覚悟もちょっとしないとね。


なんだか、この秋は、人生の節目の1つになりそうです・・・




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記事とは、まったく関係ありませんが、空港にこんな方がいらっしゃいました。
中に人が入っているかと思いきや、とても精巧なロボットでした。

ほおずきの灯

2009-07-12 | 1人で生きていく事
東京は7月13日が、お盆の入りです。

我が家の家族を祀ってある仏壇も、お盆の精霊棚を整えねば!
(・・・前日でいいんだろうか?)


さて、準備を・・・・

お供えセット(マコモの敷物・マコモ縄・おがらの牛と馬・お箸・迎え火送り火用の麻がら)・・・880円也。
ほおづき1本・・・598円也。
その他、お花、御菓子。
(果物は例の如く、お中元の頂き物が、食べ切れない程あります)
あとは、追って、お米や、賽の目のキュウリやナス。


私は、ごく近年、身近な家族を亡くす迄、お盆やお彼岸や法事のしきたりを
あまりよく知らずに生きて来まして、
今思うと、かなりの無作法をやらかして来た事を、恥じるばかりです。


田舎の祖母宅で、お盆にやっていた事を思い起こしても、
子供用の提灯に灯を入れてもらって、お墓からそぉーっと歩いて家に戻った位で、
なんとなくおごそかな雰囲気しか記憶にありません。


自分が先祖代々の仏壇をあずかる身になり、2年前、母の初盆を迎え、どうしたら良いのか・・・んー・・

こういう場合、インターネットの検索とは便利なもので、とにかくあちこち見て
なんとか精霊棚のしつらえを整えました。
当家、真言宗でございます。


祖母の家では見た記憶がなかったのですが、ネットで見ると、ほおずきを吊るすというのがあり、
スーパーに出向いてみたら、確かに、枝付きの立派なほおずきが売られておりました。
それを仏壇の左右の折り畳まれた扉の上に渡し掛けてみると、
仏壇が祭りの会場のような雰囲気になりました。

ほおずき=鬼灯、これはご先祖様達が家に戻る時に目印となる、赤い提灯を表すそうです。
   


どっちが馬で、どっちが牛なんだか・・・ 尻尾で見分ける??



実は、昨年のお盆の日の私はブログには、当時の心配事が、ありのままに記されているのですが、
今、読み返すと、この一年で、自分の気持ちの整理がついてきた事を感じます。


少し前に、父方の祖母の17回忌があり、伯母や従姉妹に、色々と相談方々、お願いをしました。

もし私がいなくなったら、仏壇やお位牌は、供養して焚き上げてもらう事。

お墓は都営霊園で、継承者がいなくなると、共同墓地に入れられてしまう為、
私が動けるうちに、祖父母の故郷近くの樹木葬をしてくれる所に、
みんな移そうと考えているが、それについてどう思うか。

樹木葬というのは、布袋に入れたお骨を土に埋め、墓石の代わりに樹を植えるというもので、
ある意味、後の管理の必要がありません。
元々、私自身は土に還るという事を願っているので、この樹木葬は理想的でもあります。

幸いにも、伯母も従姉妹達も賛成してくれたので、一番の心配事がすっきりした感じです。


お墓やお仏壇の継承を巡って、少子化のこの時代、その為に、結婚できない人が出そうで、ちょっと心配です。
せめてものアドバイスは、やたらお墓を増やさない事。
なんだか本末転倒の話、時々、耳にしますので・・・私自身の事も含めて・・・



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先日植えた、千日紅がよく育ってくれて、仏壇にも供えました。ドライにもなり、へこたれにくいです。



東急ハンズで仕入れた秘密兵器!「溶けない氷」(水の入ったプラスティックを凍らせて使う)
飲み物はあまり冷えませんが、花瓶に入れておくと、切り花が長持ちします。




母の願望

2009-03-07 | 1人で生きていく事
前回のブログで、自分のパートナーについて、あれこれ書きましたが、
親というもの、ムスメの結婚相手について、本人以上に、色々と妄想している事があるようで、
最近「親同士による婚活の為の見合い」がある事をTVで知り、たまげた次第です。


私が20代の終わりに離婚して以来、母に会う度に、
二言目どころか、一言目には、「結婚しろ、孫を産め!!」

兄の子供は、嫁さんが新興宗教の教育上、がっちり掴んで、こちらへはなじませなかったので、
母曰く
     「あの子達は孫であって孫じゃないのよ!
       私は自分の自由になる孫が欲しいのよ!!」



とよく言われまして、そのマトモと思えない動機もさる事ながら、言われたところで簡単に産める訳ではないので、


  翠 「明日にでも相手を連れて来たら、来月にも結婚して、来年には孫を抱かせてあげるわよ!」

・・・と、私は心にもない事を、息巻いておりました。

       
                        


さて、私の再婚を望んでいた母は、色々と言いつつも、
このムスメ(翠)は自分が探した相手となど、どう考えても結婚するとは思えないと
悟っていたのでしょうか、とりあえず、自分の希望をあれこれ述べるようになりました。


最初の頃  「相手は背がすらっとしていて、怒りっぽくない人がいいわ。」

・・・まぁ、私の父、星一徹か寺内貫太郎のように、すぐに爆発的に怒るので、母は大変でしたからね。



しばらくして 「結婚相手に外人はダメよ、日本人にしてね。」

・・・まぁ、私は海外を飛び回っていた頃でしたから、どこかの国に行ってしまうのを恐れていたのでしょう。
  


またしばらくして「とりあえず、東洋人だったらいいわ。ほら、日本人に見えるじゃない。」

・・・見えりゃ、いいわけ!? まったくもう!!



それからさらにしばらくして「あっ、欧米人でもいいわよ。ハーフって孫がカワイイじゃない!」

・・・知り合いの娘さんがアメリカ人と結婚し、そのお子さんの子供をみたら、天使のように美しかったそうな。
   やれやれ・・・



そうこうしているうちに、ムスメ(翠)は、どんどん年をとって行き、
さすがの母もあきらめの境地に達したのか、こんな事をいいました。


「相手はどんな人でもいいけれど、キクユ族だけはやめた方がいいかもね」


・・・どうして、私がキクユ族と結婚するという発想をするわけ!?・・・


 翠  「じゃあさ、マサイ族ならいいわけ!?」


「あぁ、マサイさんならいいわよ。鼻の形もいいし。」


 翠  ・・・・絶句・・・・


たぶん母、この方をとても気に入ってたんだと思います。


           




           




           






マサイマラのホテルにいた、マサイ族のおにいさん。
確かに、イケてると、私も思います・・・


母の生前、2人でケニアを旅しました。
その時のガイド兼ドライバーさんは、小太りで鼻が丸いキクユ族のおじさんでした。
母に色々と気を使ってくれて、いい人だったのになぁ・・・
キクユ族からは、ケニアの大統領も出ているし、なかなか優秀な部族だと思うんですけどね。
まぁ、鼻の形のよくないムスメ(翠)には、鼻の形のよい遺伝子を掛け合わせたかったようで

            



このあきれた話を、友人Iちゃんに話たところ

Iちゃん  「そういう母をもったことを、誇りに思いなさい!」とのお言葉。

 翠   「そ、そうね・・・」


万事に型破りだった母。母親らしい事はほとんどしなかった人ですが、
そんな母だったからこそ、私が女性には稀な仕事を選び、自立して生きて来られたのかも知れません。


まぁ、キクユさんにしろ、マサイさんにしろ、普通に考えて、日本で暮らす私が、巡り合う機会もないし、
結婚相手として適当だとは、どう考えてもありえないと思うんですけどねー・・・母の思いは果てしないです。


                        


父は、私の再婚については、

     「今の若い男を見ていると、女性が結婚したくならない気持ちがよくわかる」

とだけ言って、無理に結婚を勧める事はありませんでした。

でも、きっと私が子供を産んだら、ものすごーくかわいがったに違いありません。


子供を産めるタイムリミット近くに、両親は亡くなり、
とうとう「自由になる孫(?)」を両親に抱かせてあげられなかった事は、本当に申し訳なく思っています。
まぁ、こればかりは、仕方ないですね。
私だって、独身主義でもないし、子供は欲しかったのですが、上手い事いかなかっただけです。


                        



そうそう、私がずっと若い頃、結婚相手について言っていた事を思い出しました。
それは、容姿でもなく、学歴でもなく、家柄でもなく、

「若いうちに貧乏なのは当たり前だから、ひと山当てそうな人をつかまえなさい」

・・・・でした。 

今、思い出しても、なんて母らしい言葉だろうと思います。




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