今年になって、父が入院し母の認知症が発覚してから、今までのように着物を着る時間も気持ちもありませんでしたが、
今日はちょっと着てみましょう。
これまでは、(両親がこんな時に、キモノを着てもいいのだろうか。)と、思いながら暮らしていました。
極端な話、テレビを見て笑う事すら不謹慎な気がしていました。
それでも、ここ数日は少しずつ(こうゆう時だからこそ、自分の楽しみを見つけて暮らした方がよいのでは)と、考える事が出来るようになりました。
実は昨日の日曜日、入院→施設へ入所と、二ヶ月以上実家から離れていた父が、日中の数時間だけですが久しぶりに帰ってきました。
今まで四人で撮ったことがない私達家族の家族写真を撮るために、ヒゲ君も久しぶりに実家へ。
まだ会話や普通の食事は出来ないものの、久しぶりに実家の定位置に座っている父は、病院で見た父よりも明るい表情でしたし、父が発する片言の言葉でしたら私たちにも理解できるので、数時間だけでも賑やかな昔に戻ったようでした。
母は母で、父に一生懸命語りかけています。母なりに父の世話をしているのでしょう。
「今日はよく話が分かるよ。早く治るといいね。私もこの病気(認知症)を治すから。」
と、父を励ましながら自分も認知症と闘うと言っているのです。
「認知症を治したい」という母のこの言葉を聴くたびに、私達兄妹は切ない気持ちになります。
「認知症は治らない」と母には絶対に言えません。
その母の施設入所が決まりました。
幸運な事に、父と同じ施設です。
本日が面接で、入所日は来月の九日です。
このままずーっと離れ離れになるわけではありませんが、自分の実家がただの古い家具が置いてある場所になる日が決められたような気持ちです。
無口な父といつも笑顔で迎えてくれた母が居ない実家は、私にとってはただの箱です。
『実家』とは、建物の“家”を指すものではなく、そこに住む家族に対しての感情だったのだと、この歳になって初めて知りました。
あともう少し、実家に居る母との時間を大切にしたいと思います。