ただの映画好き日記

観た映画と読んだ本の自分用メモ。

さよなら、アルマ / 水野宗徳 著

2010-09-19 | 本 犬本
 

  さよなら、アルマ

  水野 宗徳 著     サンクチュアリ出版 /2010.8


  いまからおよそ65年前。
  第二次大戦下の日本では、およそ10万頭ともいわれる犬が殺人兵器として利用されていた。
  人間と共に戦場に出兵する「軍犬」と呼ばれた犬たちである。
  軍犬たちの多くは地雷を踏んだり、狙撃手の標的となり儚く命を散らした。
  運良く生き延びられた犬も、終戦後には戦地に置き去りにされる運命だった…。
  大好きな主人から遠く離れた場所で、軍犬たちは一体なにを思いながら、永い眠りについていったのか。
  本書は消え去ろうとする過去の事実をもとに、犬と人間との心温まる関係を描いた物語である。






最近、めっきり本屋さんに行かなくなってしまったのですが(ネットで買う)、よく行くスーパーのテナントにあるこじんまりとした本屋さんには買い物の帰りにチラッと寄ることがあります。
平積みをサラーッと眺めていたら、この本の帯に書いてある「なんで、犬(アルマ)が戦争に行かなくちゃならないの?」という文字に目が釘付けになりました。
「号泣のメッセージ続々!」だとか、書店員さんの“泣かせる(買わせる)”手書きポップは、ちょっとどうかな?と思いながら本をひっくり返すと帯裏の一枚の写真にやはり釘付け。
シェパードが日の丸の旗を誇らしげに首から下げている写真なのですが、これはノンフィクションなんだ!と思い(込み)、読んでみることにしたのでした。

ところが、読み始めると、ちょっとした違和感が・・・。
で、あとがきを確認してみると、このお話は著者がこの写真を見て作ったフィクションなのだそうです。
私は、戦争や犬に関するフィクションは苦手なので、泣かせるだけのフィクションか・・・と、正直、残念な気持ちになりました。
そして、私は必ず、【参考文献】をチェックするのですが、念のため、こちらもチェックしてみたところ、かなりの量のタイトルがありました。
私も持っている平岩米吉さんのご著書もあり、フィクションではあるけれど、軍犬(軍用犬含む)や戦争、そして、犬の基本を勉強されたんだろうと感じられ、とにかく読んでみることにしたのでした。


ハイ、ここまでが前置きです(笑)。


そして、ここからが本の感想。


アルマ(シェパード)の適正を考えると、軍犬にした方が幸せ(?)だと思うのかな~?と、私にはちょっと理解できませでしたが・・・。
ただ、飼い主の喜ぶ顔が見たい、というのはその通りだと思います。
その昔、使役犬は人間の為に働かされて可哀想と思ったこともありましたが、その犬が、飼い主の喜ぶ顔や飼い主に褒められることが嬉しいのであれば、それは、“働かされている”ということではないのだろうと思います。
その犬その犬の適正に合った役割があるのであれば、それを生かしてあげることは決して間違いではないのだろうと思います。
ただ、絶対に間違ってはならないのは、いくら適正であっても、命を脅かされるような役割があってはならないということを強く思いました。
そして、飼い主の期待に応えようとも、やはり、ずっと飼い主の側にいたいはずだろうと思いました。
ちなみに、うちの犬には、“可愛い”という適正があり、私や夫の役に充分立っています(笑)。

さて、フィクションと分かっていても、最後は号泣でした。。
アルマは自分で最期を選ぶだろうとも思いました。
太一の迷惑にならないように身を引くことが出来る犬だとも思いました。
そんなアルマの優しさは、やはり太一譲りなのかもしれません。
太一がアルマに対して、どうしてしゃべれないんだ、しゃべれたらイヤなことはイヤと言えたのに・・と言う下りがありましたが、アルマがイヤだと思っているはずもなく、だとすれば、太一はそう思うことで自分を追い込んでいたのかもしれません。
太一とアルマの信頼関係は、お互いがお互いを想う優しさによって成立したのかもしれないなと思いました。

私は、飼い犬の最期を飼い主が看取ることこそがその犬に対しての責任であり、使命であり、長い年月一緒に過ごしてきた証であり、そして、感謝なんだと思っています。
決して独りで逝かせずに、最期は「ありがとうね」とそっとなでてこそ、無事に虹の橋へと見送れるのではないのかなと思っています。
なので、独りぼっちで死を迎える覚悟をしたアルマのような別れ方もあるんだな~と、ついついフィクションなのを忘れて考えさせられてしまいました。
これが実話だったらどんなに素晴らしいことかと、やはり残念な気持ちになりました。

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