今日は、京都検定の勉強に明け暮れました、、、あ〜しんど!(°▽°)
蛍雪の功には、遠く及びませんが、学ぶ喜びを噛み締めながら、精進したいと思います。m(__)m
(注)蛍雪の功とは、苦労して学問に励むこと。
「蛍雪」は蛍の光と雪明かり。 晋の車胤は貧しくて油が買えず、夏は蛍を集めて薄い練り絹の袋に入れ、その光で勉強した。同じく貧しかった孫康は、冬は窓から入る雪明かりで勉強したという故事から。
「蛍雪に遠く夜長の古ノート」 祖谷馬関
(注)夜長とは、秋の夜の長いことをいう。秋分が過ぎると、昼よりも夜が長くなり気分的にも、夜の長さが身にしみる。残暑もなくなり、夜業や読書にも身が入る。春の「日永」に対応する季語である。
「京都検定対策シリーズ」
(1)高野新笠の出身である古代豪族は 「土師氏」
(2)東京極大路と鴨川の間に出来た南北の大路は 「東朱雀大路」
(3)本願寺発祥の地とされる知恩院の塔頭は 「崇泰院」
(4)妙法院宮御所を焼き討ちしたバサラ大名は 「佐々木道誉」
(5)1708年、油小路通三条上るから出火した大火は 「宝永の大火」 *六孫王神社/源経基/宝永祭
(6)善導寺前で暗殺された九条尚忠の家臣は 「島田左近」 *二条小橋西詰あたり
(7)浪士組を結成して、新徳寺で演説を行った人物は 「清河八郎」 *浪士組、江戸へ引き上げ
(8)木幡寺とも呼ばれる道長が建てた藤原氏の菩提寺は 「浄妙寺」(室町期に焼失、廃絶)
(9)大正天皇の御成婚を記念して建てられた施設は 「岡崎動物園」
(10)造酒司倉庫跡に建つ京都アスニー内にある平安時代の京都を紹介する施設は 「京都市平安京創生館」
(11)東天王社と呼ばれ、狛うさぎで知られる神社は 「岡崎神社」 鎮守社は藤原高子の東光寺 *西天王社は須賀神社、鎮守は社は美福門院の歓喜光院
(12)宮本武蔵の一乗寺下り松が残る神社は 「八大神社」
(13)「北野天満天神」の勅号、晴明神社創建の天皇は 「一条天皇」
(14)宸殿が再建され秘仏の国宝不動明王像が公開された寺院は 「曼殊院」 *最澄→円仁→良尚法親王、竹内門跡、慈運大僧正(門跡寺院)、梟の手水鉢
(15)東寺で伝法灌頂を受けた法皇は 「後宇多法皇」
(16)石田三成の菩提寺で、原在中の虎の襖絵が残る大徳寺の塔頭は 「三玄院」
(17)以心崇伝が著した外交関係を記録した書物は 「異国日記」
(18)「世継地蔵」と呼ばれ、家康の側室・阿茶局開基の寺院は 「上徳寺」
(19)玉淵の十六羅漢の庭や幸野楳嶺の墓がある寺院は 「妙蓮寺」 *日像、中興氏、柳屋、卯木山、御会式桜、妙蓮寺椿
(20)「清水寺の奥の院」と呼ばれた牛尾観音を本尊とする寺院は 「法厳寺」(今年二月特別公開)
(21)「存古楼」がある橋本関雪の邸宅は 「白沙村荘」
(22)京都市京セラ美術館に見られる和洋折衷の建築様式は 「帝冠様式」
(23)飛雲閣の建つ滴翠園にある池は 「滄浪池」 *(初層)招賢殿、八景之間、舟入之間、(二層)歌仙之間、(三層)摘星楼
(24)金戒光明寺にある山号にちなんだ庭園は 「紫雲の庭」
(25)現存する下鴨神社の社家は 「浅田家」 *秀穂舎(しゅうすいしゃ)、*他に鴨脚家(いちょう)、廣庭家
(26)知恩院の七不思議「抜け雀」を描いた狩野派の絵師は 「狩野信政」 *他に「三方正面真向きの猫」
(27)李唐作の「山水図」(国宝)を所蔵する大徳寺の塔頭は 「高桐院」 *細川三斎が父幽斎を弔う、松向軒、意北軒(千利休邸から移築)、袈裟型手水鉢、(墓)出雲の阿国、興津弥五右衛門/三斎の三回忌に殉死
(28)長刀鉾の屋根裏に「百鳥図」を描いた呉春の弟は 「松村景文」
(29)大報恩寺の十大弟子立像の作者は 「快慶」 *他に、釈迦如来坐像(行快)、六観音菩薩像(定慶)
(30)東福寺の開山・円爾の師は 「無準」 *円爾弁円(聖一国師)国師号第一号
蛍雪の功には、遠く及びませんが、学ぶ喜びを噛み締めながら、精進したいと思います。m(__)m
(注)蛍雪の功とは、苦労して学問に励むこと。
「蛍雪」は蛍の光と雪明かり。 晋の車胤は貧しくて油が買えず、夏は蛍を集めて薄い練り絹の袋に入れ、その光で勉強した。同じく貧しかった孫康は、冬は窓から入る雪明かりで勉強したという故事から。
「蛍雪に遠く夜長の古ノート」 祖谷馬関
(注)夜長とは、秋の夜の長いことをいう。秋分が過ぎると、昼よりも夜が長くなり気分的にも、夜の長さが身にしみる。残暑もなくなり、夜業や読書にも身が入る。春の「日永」に対応する季語である。
「京都検定対策シリーズ」
(1)高野新笠の出身である古代豪族は 「土師氏」
(2)東京極大路と鴨川の間に出来た南北の大路は 「東朱雀大路」
(3)本願寺発祥の地とされる知恩院の塔頭は 「崇泰院」
(4)妙法院宮御所を焼き討ちしたバサラ大名は 「佐々木道誉」
(5)1708年、油小路通三条上るから出火した大火は 「宝永の大火」 *六孫王神社/源経基/宝永祭
(6)善導寺前で暗殺された九条尚忠の家臣は 「島田左近」 *二条小橋西詰あたり
(7)浪士組を結成して、新徳寺で演説を行った人物は 「清河八郎」 *浪士組、江戸へ引き上げ
(8)木幡寺とも呼ばれる道長が建てた藤原氏の菩提寺は 「浄妙寺」(室町期に焼失、廃絶)
(9)大正天皇の御成婚を記念して建てられた施設は 「岡崎動物園」
(10)造酒司倉庫跡に建つ京都アスニー内にある平安時代の京都を紹介する施設は 「京都市平安京創生館」
(11)東天王社と呼ばれ、狛うさぎで知られる神社は 「岡崎神社」 鎮守社は藤原高子の東光寺 *西天王社は須賀神社、鎮守は社は美福門院の歓喜光院
(12)宮本武蔵の一乗寺下り松が残る神社は 「八大神社」
(13)「北野天満天神」の勅号、晴明神社創建の天皇は 「一条天皇」
(14)宸殿が再建され秘仏の国宝不動明王像が公開された寺院は 「曼殊院」 *最澄→円仁→良尚法親王、竹内門跡、慈運大僧正(門跡寺院)、梟の手水鉢
(15)東寺で伝法灌頂を受けた法皇は 「後宇多法皇」
(16)石田三成の菩提寺で、原在中の虎の襖絵が残る大徳寺の塔頭は 「三玄院」
(17)以心崇伝が著した外交関係を記録した書物は 「異国日記」
(18)「世継地蔵」と呼ばれ、家康の側室・阿茶局開基の寺院は 「上徳寺」
(19)玉淵の十六羅漢の庭や幸野楳嶺の墓がある寺院は 「妙蓮寺」 *日像、中興氏、柳屋、卯木山、御会式桜、妙蓮寺椿
(20)「清水寺の奥の院」と呼ばれた牛尾観音を本尊とする寺院は 「法厳寺」(今年二月特別公開)
(21)「存古楼」がある橋本関雪の邸宅は 「白沙村荘」
(22)京都市京セラ美術館に見られる和洋折衷の建築様式は 「帝冠様式」
(23)飛雲閣の建つ滴翠園にある池は 「滄浪池」 *(初層)招賢殿、八景之間、舟入之間、(二層)歌仙之間、(三層)摘星楼
(24)金戒光明寺にある山号にちなんだ庭園は 「紫雲の庭」
(25)現存する下鴨神社の社家は 「浅田家」 *秀穂舎(しゅうすいしゃ)、*他に鴨脚家(いちょう)、廣庭家
(26)知恩院の七不思議「抜け雀」を描いた狩野派の絵師は 「狩野信政」 *他に「三方正面真向きの猫」
(27)李唐作の「山水図」(国宝)を所蔵する大徳寺の塔頭は 「高桐院」 *細川三斎が父幽斎を弔う、松向軒、意北軒(千利休邸から移築)、袈裟型手水鉢、(墓)出雲の阿国、興津弥五右衛門/三斎の三回忌に殉死
(28)長刀鉾の屋根裏に「百鳥図」を描いた呉春の弟は 「松村景文」
(29)大報恩寺の十大弟子立像の作者は 「快慶」 *他に、釈迦如来坐像(行快)、六観音菩薩像(定慶)
(30)東福寺の開山・円爾の師は 「無準」 *円爾弁円(聖一国師)国師号第一号