海住山寺(かいじゅうせんじ)は、京都府木津川市加茂町にあり、かつて「恭仁京」があった「瓶原」を見下ろす三上山中腹に位置します。
山号は補陀洛山、本尊は十一面観音、「裳階」(もこし)という庇状の構造が特徴の五重塔(国宝)で知られています。(^。^)
天平7年(735年)、 聖武天皇の勅願により「良弁」を開山として、「藤尾山観音寺」という寺号で開創したと伝えられます。(^-^)
その後、保延3年(1137年)に全山焼失し、承元2年(1208年)に「貞慶」によって中興され、観音寺から補陀洛山海住山寺に改められました。
貞慶は「解脱上人」とも称し、もと興福寺に属しましたが、南都仏教の堕落と俗化を憂い、建久3年(1192年)、南山城の笠置寺に移ったそうです。
その後、海住山寺に移り、59歳で没するまで、晩年の5年ほどを過ごしました。(^_^)
貞慶の没後は、その弟子の「覚真」が後を継ぎましたが、覚真は出家前の俗名を藤原長房といい、貴族として参議にまで上った人物でした。
41歳にして出家し、貞慶の弟子となった「覚真」は、貞慶の一周忌にあたる建保2年(1224年)、五重塔を完成させました。( ; _ ; )/~~~
「千年の後の出逢ひも懐かしや
聳えし塔の海住山寺」
by 祖谷馬関