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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

🤗 若き明石家さんまの登場 🐟

現代を代表するお笑いスター「明石家さんま」さんですが、落語家・笑福亭松之助氏に入門しながらも、師匠の推薦でタレントに転向し、屋号を明石家に変えたそうです。(^-^)

昭和50年前後、新人としての登場がとても印象的だったことを覚えています。
それまでのお笑い芸人とは一線を画したアイドル性というか、爽やかな印象だったんですね。(^。^)

それでいて、しっかりおもろい!
今もそうですが、客席との間とテンポ、それにネタの着眼点が良かった!( ^_^)/~~~

特に、巨人の1番柴田から8番河埜までの選手の形態模写を順番に披露し、最後に巨人のエース小林繁の投球フォームを披露するネタ、、、鮮烈でした。(^。^)

のちに、小林投手が江川投手との電撃トレードに至ったこともあり、形態模写が高じて「Mr.アンダースロー」なるレコードまで出してますよね。🎶

そして何より、彼を世に押し出したのは「桂三枝」の存在が大きいと思います。(^-^)

以下、ネットから引用しますと、、、

さんまの活動が桂三枝の目に留まり、彼が司会する毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』に抜擢。
三枝の愛称「サニー」にあやかって「チャッピー」と愛称を付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわし、林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍の番組内ユニット「ザ・パンダ」を改編して、さんまを加入させた「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる。
その流れで、1978年10月には『MBSヤングタウン』の桂三枝のアシスタントに抜擢され、関西を中心にアイドル的な人気となる。

その後は、ご承知のとおり、現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターであり、ビートたけし・タモリと並び「お笑いBIG3」と称されています。(^_^)

若かりし頃の才能と努力が導いた結果と言えますね。( ^_^)/~~~

  「双葉より芳しと言ふ栴檀の
     大樹の根にや努力の肥やし

by 祖谷馬関

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