風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

時代の悲劇~佐良直美さんそして桜田淳子さん

2013-06-10 02:44:32 | 日記

あれはいつの頃だっただろうか。

紅白に限らず、歌番組に気品がある時代だったように思う。

その中で、NHKの歌番組で記憶にあるのが、佐良直美さんだった。

当時、私の父は、佐良直美さんが歌うときは、目を細め、歌のうまさを褒めていた。

ほとんどニュースしか見ず、歌謡曲とは無縁と思っていた父が、彼女だけは褒めていたことが昨日のことのようだ。

そのためか、歌と言えば、佐良直美さんが真っ先に頭をよぎるようになった。

デビュー曲の『世界は二人のために』での新人賞、1969年の『いいじゃないの幸せならば』でのレコート大賞受賞などは、当然だったが、あまり曲に恵まれたという記憶は無い。

それでも、歌手の中では一番だったと思う。

しかしなんといっても、紅白歌合戦での司会の印象が強い。

1970年前後の紅白の司会といえば、宮田輝さんだったが、70年代の紅組の司会は、水前寺清子さん、そして佐良直美さんだった。

水前寺清子さんが、その歌声とともに、その真っ直ぐな気質なのに対して、佐良さんは、しっかりした現実感を持ちながらも、先を見通せるようなそんな賢さがあったように思う。

共通するのは、実力があることはもちろん、思いやりがある人だったことだ。

そして、ある意味中堅として、旗手であったのかもしれない。

70年代の新人歌手は、彼女により、全国に紹介されていった。

桜田淳子さん、山口百恵さん、岩崎宏美さん、皆んな彼女の曲紹介から始まった。

佐良直美 「オー・シャンゼリゼ」


しかしながら、1980年5月佐良直美さんには突然不幸なことが報道される。

キャッシーさんが、アフタヌーンショーで佐良さんとの同性愛関係を暴露し、マスコミが騒ぎ始める。

2010年11月13日
佐良直美が30年前のレズ騒動を語る


以下が、インタビューの抜粋である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
=芸能界への未練は?
全くありません

と答えている。

そして、
=80年のレズ騒動について こう答えている。
レズ騒動ですか。あれは何が何だか全然わかりません。ビックリするだけでした。
だた、どの社会にも裏表や力関係がある、そういうことなんでしょうね。
しょうがないです。事務所を独立した後でしたし、やっぱり弱い者は強い者にのまれるんでしょうね。

=そして、人気をねたまれたのかとの問いに対しては、
そうじゃなくて、人身御供も必要ということです。一人いけにえに出せばほかは助かるとか、こっちに溶岩を流す口を作れば、こっちの村は助かる・・・。そういうことだと、私は聞きました。

=最初に報じた梨元勝レポーターに対して
当時は頭にきてましたよ、それはね。でもそんなことを引きずって何になりますか。あの方はあれが仕事なんです。お会いしてお話ししたかったですね。でもこういうことを言って、化けてられたら怖いですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

もちろん、これは誤報で、キャッシーさんの謝罪になるのだが、これにより、佐良さんの芸能界への思いは薄らいでいったことは間違いないし、その年以降、紅白歌合戦への出場もない。


上記インタービュー記事のなかで、芸能界の力関係に飲み込まれたというのが、率直な気持ちだったのだろう。


僕は、この記事を読んで、同じ月の、あることを思い出す。

それは、桜田淳子さんの銀座博品館で行われた『私小説ライブ』でのMCだ。
以前こんな記事を書いたことがある。

鮮やかな交代

この中で、80年は、時代の節目だった。として、松田聖子さんへのアイドルとしてのバトンタッチを書いた。

80年は山口百恵さんの結婚引退も含め、80年的表現方法としての世代交代が加速されたと解釈している。


そうした一連の時代の波にのまれたのが、佐良さんの事件だったのだろう。

正直でまじめで、ひときわ芸能界への思いが強い、功労者と言うべき人から、その功績を一瞬で奪い去る報道には正直やるせなさが残る。

そして、こうした犠牲者は、多くを語らず、迷惑がかからないように去って行く潔さを持っている。

佐良さんの功績こそ再評価にふさわしいと思うのだが。


70年代、それは、小さなプロダクションから数々の才能が現れ、プロダクションの垣根を越え活躍した時代だったように思う。

そして、芸能人主導の芸能界であり得た。

それは、ファンの意思でもあり、それを受け止めていたのが、アイドルはもちろん当時の芸能人だった。

僕はそう信じてやまない。


彼ら、彼女らは、ファンとともに同じバスにのり、70年代を突き進んでいった。

80年になると、再び、プロダクション中心の芸能界が頭をもたげてくる。
それは、より華やかであったかもしれないが、バスは、ファンを残して走ってしまったのではないだろうか。


芸能界、芸能プロダクション、所属する芸能人、報道する芸能マスコミ、そしてそれを取り巻く人たち。

佐良さんの記事はそうしてことを思わずにはいられない。

そして、犠牲になるのはごく一部。


十年後再び繰り返される。

1989年松田聖子さんのサンミュージックからの独立、
1991年桜田淳子さんの独立
1992年サンミュジック事務所の大量解雇

しかしながら、相澤会長が、当時、桜田淳子さんの姉から200万円で壺を買った、と公開することが必要だったのだろうか。

以後、桜田淳子さんへのマスコミの霊感商法報道は暴走する。

『泣いて馬謖を斬る』
という古来中国のことわざがある。

経営判断とは、残酷なものだ。
情に流されていては、倒産してしまう。

僕らは経営判断をとやかく言うことはできない。

相澤会長をして、苦渋のそして厳しい経営判断をさせたもの。

そこに、20年間サンミュージックがアイドルを手がけなかった理由があると思う。

事実、桜田淳子さんが、事実上引退した後は、マスコミによる霊感商法などの報道が急速に冷めていく。

それは、『イデオロギーの終焉』という儀式に必要な宴のための生け贄だったのだろうか。


再び、佐良直美さんの言葉は、胸に刺さる。
そして、今もなお愛犬を育て、経営の才覚を発揮されていることに敬意を表する。

追伸 動画のUP主様に感謝いたします。