好きな俳優の一人に、市原隼人さんがいる。
その彼の物まねをする人がある。
それについての、市原さんの感想である。
市原隼人、自分のモノマネに不快感「役者を馬鹿にしてなめてる」
というものだ。
これとは逆にまねをされて、人気が復活した人もいる。
まねされる側の心情をくんでいるかが分かれ道だと思う。
最近の風潮は、少し軽いような気がする。ものまねには時代の風潮があるのではないだろうか。
この軽さ、いや虚無感は、どこからくるのだろうか。
1975年当時のものまね番組を見ながら、玉置宏さん、コロッケさんらが、回想しているコメントにはなるほどと思わせるものがある。
NET象印スターものまね大合戦
1975年、時代を芸能面からリードした、スター達の何気ないものまねには、やはり原点があるのだろう。
1975年という時代、ベトナム戦争も終結し、オイルショックも一巡し、時代は、少し緩くなったのかも知れない。
文化考証をする柄ではないのだが、1973年型アイドルを中心として、70年代前半のアイドルが、芸能界を盛り上げたような、そんな時代だった。
そして、『俺たちの旅』に代表されるように、若者文化が、モラトリアムとともに、大人の文化を離れ、一人歩きを始めたのかなと思わせる自由な空気が生まれたような気がする。
ヒッピーなどが原宿を闊歩し、暴走族がハバをきかすようになった。
良くも悪くも、ベトナム戦争からのアメリカ撤退を受け、時代は、貿易摩擦に向かっていった。
様々な矛盾を抱えながら、時代を明るく克服した『強さ』がこの時代にはあったように思う。
ここで、時代の強さとして、注目したいことがある。
動画のなかで、ものまねを披露するのは、スーちゃんだが、この時期『年下の男の子』から、キャンディーズのセンターは、ランちゃんに替わる。
そしてヒットを量産するようになった。
スーちゃんが下手だったのではないし、だめだったのではない。歌唱力では三人の中ではぬきんでていたと思うし、ぽっちゃり系ルックスだってかわいさはピカイチだった。
天地真理さん系の屈託のない明るさと歌声があり、大好きだった。
それでも、時代の風はランちゃんだった。なぜだろう。
それは、天地真理さんから桜田淳子さんへのアイドルの系譜と符合するように思う。
ゆるキャラ系の天地真理さんから、複雑な要素を持つ可愛さの中にどことなく芯の強さを感じさせる桜田淳子さんというくくりだ。
彼女のおっちょこちょいな性格は、芯の強さを中和するもののように思える。
これは山口百恵さんにも共通するのかもしれないが、流されない強さとひたむきさがある。
ランちゃんには、桜田淳子さんと共通するものを感じる。
アシスタント経験が長かったせいか、コントなどでも、巧みさの中に、センスと品があったように思う。
それが好まれたのではないかと思う。
今にして思えば、この時代選ばれたアイドルは強い。
勝ち抜いた強さがある。
この時代のアイドル達が、その姿を変えながらも、いまだに芸能界で活躍しているのは、そうした強さに起因しているのだろう。
そして、彼女たちの当時の活躍が、いまだにテレビで放映されるのは、単に懐かしさだけではなく、芸能面での普遍性と、強い個性が放つメッセージ性の故ではないかと思う。
私は、桜田淳子さんという個性が、その時代感覚の申し子でありながら、なきものとされてきた最近の20年間に対し、改めてその修正が必要だと痛感する。
その彼の物まねをする人がある。
それについての、市原さんの感想である。
市原隼人、自分のモノマネに不快感「役者を馬鹿にしてなめてる」
というものだ。
これとは逆にまねをされて、人気が復活した人もいる。
まねされる側の心情をくんでいるかが分かれ道だと思う。
最近の風潮は、少し軽いような気がする。ものまねには時代の風潮があるのではないだろうか。
この軽さ、いや虚無感は、どこからくるのだろうか。
1975年当時のものまね番組を見ながら、玉置宏さん、コロッケさんらが、回想しているコメントにはなるほどと思わせるものがある。
NET象印スターものまね大合戦
1975年、時代を芸能面からリードした、スター達の何気ないものまねには、やはり原点があるのだろう。
1975年という時代、ベトナム戦争も終結し、オイルショックも一巡し、時代は、少し緩くなったのかも知れない。
文化考証をする柄ではないのだが、1973年型アイドルを中心として、70年代前半のアイドルが、芸能界を盛り上げたような、そんな時代だった。
そして、『俺たちの旅』に代表されるように、若者文化が、モラトリアムとともに、大人の文化を離れ、一人歩きを始めたのかなと思わせる自由な空気が生まれたような気がする。
ヒッピーなどが原宿を闊歩し、暴走族がハバをきかすようになった。
良くも悪くも、ベトナム戦争からのアメリカ撤退を受け、時代は、貿易摩擦に向かっていった。
様々な矛盾を抱えながら、時代を明るく克服した『強さ』がこの時代にはあったように思う。
ここで、時代の強さとして、注目したいことがある。
動画のなかで、ものまねを披露するのは、スーちゃんだが、この時期『年下の男の子』から、キャンディーズのセンターは、ランちゃんに替わる。
そしてヒットを量産するようになった。
スーちゃんが下手だったのではないし、だめだったのではない。歌唱力では三人の中ではぬきんでていたと思うし、ぽっちゃり系ルックスだってかわいさはピカイチだった。
天地真理さん系の屈託のない明るさと歌声があり、大好きだった。
それでも、時代の風はランちゃんだった。なぜだろう。
それは、天地真理さんから桜田淳子さんへのアイドルの系譜と符合するように思う。
ゆるキャラ系の天地真理さんから、複雑な要素を持つ可愛さの中にどことなく芯の強さを感じさせる桜田淳子さんというくくりだ。
彼女のおっちょこちょいな性格は、芯の強さを中和するもののように思える。
これは山口百恵さんにも共通するのかもしれないが、流されない強さとひたむきさがある。
ランちゃんには、桜田淳子さんと共通するものを感じる。
アシスタント経験が長かったせいか、コントなどでも、巧みさの中に、センスと品があったように思う。
それが好まれたのではないかと思う。
今にして思えば、この時代選ばれたアイドルは強い。
勝ち抜いた強さがある。
この時代のアイドル達が、その姿を変えながらも、いまだに芸能界で活躍しているのは、そうした強さに起因しているのだろう。
そして、彼女たちの当時の活躍が、いまだにテレビで放映されるのは、単に懐かしさだけではなく、芸能面での普遍性と、強い個性が放つメッセージ性の故ではないかと思う。
私は、桜田淳子さんという個性が、その時代感覚の申し子でありながら、なきものとされてきた最近の20年間に対し、改めてその修正が必要だと痛感する。