運命には、伏線がある。
もし伏線がなければ、それは偶然といった方がいいのかもしれない。
それを思わせる、1974年の紅白歌合戦だった。
前の年、レコード大賞の最優秀新人賞を最後まで争ったのは、桜田淳子さんとアグネスだった。
レコードセールスだけをみれば、アグネスが手にするはずだったかも知れない。
それでも、封筒に入っていたのは、桜田淳子さんの名前だった。
受賞後、アグネスが口にしたのは、なぜだという思いだった。
そして、用意されていなかった祝賀パーティに向かう桜田淳子さんのつぶやいた言葉は、『自分一人の力ではない』ということだった。
二人に共通することは、勝負はついていないという思いだけだったのだろう。
それから1年。
もちろん、ファンとしても、すっきりした形が欲しかった。
それは1974年の紅白で、再燃されたといっていい。
アグネス・チャン ポケット一杯の秘密
いつの時代にも、意識しなければならないことがある。
それが、ライバルであれば、なおのことである。
先に歌ったのは、アグネスだった。
バックは豪華だった。
元アイドルの『こまっちゃうな』の山本リンダ、そして白雪姫の天地真理、シンシアの南沙織、フリージアのあべ静江の4人だった。
新旧のアイドルを取り混ぜてバックを固める。
まさに、ナベプロの思惑が見え隠れする布陣と言っていい。
しかしながら、アグネスが一生懸命に歌うのに対し、4人の動きはどことなくぎこちなく見えてしまう。
特に天地真理さんの無表情は、日頃の笑顔と比べて印象に残る。
アグネスの歌唱の後、満を持して、花のトリオの出番となり、桜田淳子さんが『黄色いリボン』を歌唱する。
しかし、この映像を見る限り、勝負は誰の目にも明らかだった。
際立つのは、花のトリオの微笑ましいばかりの光景と、淳子さんの歌唱中の、シンシアのもの悲しくも見える表情、あべ静江さんの柔和な表情とアグネスの真剣なまなざしだった。そして、トップアイドルの天地真理さんの姿はない。
これは、どういうことだろうか。
これほど対照的な対決は見たことがない。
事務所の思惑が空回りしたのか、降参のシグナルか。はたまた・・・・。
しかし、事実としていえることは、この紅白の後、桜田淳子さんは、アイドルの代名詞となる活躍を見せ、1975年の女性歌手をリードすることとなる。
それは、結果的にみれば、アイドルというポジションが、当時芸能界を仕切るナベプロの手を離れ、『スター誕生』を中心としたメディアを介してファンの手の届くところに近づいたことを意味するように思う。
1973年、レコード大賞受賞で、ナベプロの芸能界支配に風穴を開けた事件は、ここに一つの決着を見た思いがする。
黄色いリボン・わたしの青い鳥 桜田淳子
そして、桜田淳子さんという個性的なアイドルが輝いた時代こそが、アイドルがファンに最も近づいた時代だった。
今、一部のプロダクションが仕切り、歌わない歌手の映像を見せられる時、その思いを強くする。
これは、ノスタルジーではない。
昭和という時代を過ごしたものの率直な感想だ。
再び、芸能界に反乱分子による革命がもたらされ、それを支える信念を持ったスターが誕生するという奇跡に巡り会いたいと思う。
追伸 動画に登場する森田健作さんの千葉県知事再選を心よりお祝い申し上げます。
動画のUP主様に感謝します。
もし伏線がなければ、それは偶然といった方がいいのかもしれない。
それを思わせる、1974年の紅白歌合戦だった。
前の年、レコード大賞の最優秀新人賞を最後まで争ったのは、桜田淳子さんとアグネスだった。
レコードセールスだけをみれば、アグネスが手にするはずだったかも知れない。
それでも、封筒に入っていたのは、桜田淳子さんの名前だった。
受賞後、アグネスが口にしたのは、なぜだという思いだった。
そして、用意されていなかった祝賀パーティに向かう桜田淳子さんのつぶやいた言葉は、『自分一人の力ではない』ということだった。
二人に共通することは、勝負はついていないという思いだけだったのだろう。
それから1年。
もちろん、ファンとしても、すっきりした形が欲しかった。
それは1974年の紅白で、再燃されたといっていい。
アグネス・チャン ポケット一杯の秘密
いつの時代にも、意識しなければならないことがある。
それが、ライバルであれば、なおのことである。
先に歌ったのは、アグネスだった。
バックは豪華だった。
元アイドルの『こまっちゃうな』の山本リンダ、そして白雪姫の天地真理、シンシアの南沙織、フリージアのあべ静江の4人だった。
新旧のアイドルを取り混ぜてバックを固める。
まさに、ナベプロの思惑が見え隠れする布陣と言っていい。
しかしながら、アグネスが一生懸命に歌うのに対し、4人の動きはどことなくぎこちなく見えてしまう。
特に天地真理さんの無表情は、日頃の笑顔と比べて印象に残る。
アグネスの歌唱の後、満を持して、花のトリオの出番となり、桜田淳子さんが『黄色いリボン』を歌唱する。
しかし、この映像を見る限り、勝負は誰の目にも明らかだった。
際立つのは、花のトリオの微笑ましいばかりの光景と、淳子さんの歌唱中の、シンシアのもの悲しくも見える表情、あべ静江さんの柔和な表情とアグネスの真剣なまなざしだった。そして、トップアイドルの天地真理さんの姿はない。
これは、どういうことだろうか。
これほど対照的な対決は見たことがない。
事務所の思惑が空回りしたのか、降参のシグナルか。はたまた・・・・。
しかし、事実としていえることは、この紅白の後、桜田淳子さんは、アイドルの代名詞となる活躍を見せ、1975年の女性歌手をリードすることとなる。
それは、結果的にみれば、アイドルというポジションが、当時芸能界を仕切るナベプロの手を離れ、『スター誕生』を中心としたメディアを介してファンの手の届くところに近づいたことを意味するように思う。
1973年、レコード大賞受賞で、ナベプロの芸能界支配に風穴を開けた事件は、ここに一つの決着を見た思いがする。
黄色いリボン・わたしの青い鳥 桜田淳子
そして、桜田淳子さんという個性的なアイドルが輝いた時代こそが、アイドルがファンに最も近づいた時代だった。
今、一部のプロダクションが仕切り、歌わない歌手の映像を見せられる時、その思いを強くする。
これは、ノスタルジーではない。
昭和という時代を過ごしたものの率直な感想だ。
再び、芸能界に反乱分子による革命がもたらされ、それを支える信念を持ったスターが誕生するという奇跡に巡り会いたいと思う。
追伸 動画に登場する森田健作さんの千葉県知事再選を心よりお祝い申し上げます。
動画のUP主様に感謝します。