『おかみさん時間ですよ』が始まりだった。
そして、1971年秋、一人のアイドルが誕生する。
天地真理さんだった。
1971年といえば、僕が中学に入学したばかりだった。
時期的には、ちょっとませ始めた頃で、年上にあこがれていた頃だったと思う。
『時間ですよ』で、時々出演する、隣の真理ちゃんを見る『けんちゃん』の姿に、自分を重ね合わせていたのかも知れない。
テレビの影響力は計り知れない。
その秋、天地真理さんが歌手デビューする。
もちろん、デビュー曲『水色の恋』は覚えている。耳に焼きついている。
しかし、歌番組の印象は薄い。
むしろ、テレビドラマなどの印象の方が強い。
彼女のキャッチは『白雪姫』だった。
真理ちゃんの歌は、出す曲全部大ヒットであり、だれもが口ずさんでいた。
当然、僕も。
天地 真理メドレー
彼女は、瞬く間に、国民的アイドルに上り詰め、お茶の間に入り込んできた。
誰のファンかと聞かれれば、『真理ちゃん』と答えていれば、無難だった。
そんな時代だったような気がする。
ぼくも、そんな一人だった。
しかし、『二人の日曜日』は、とうとう我慢できなくなり、レコードを買った。
それが、僕にとっての『真理ちゃん』の絶頂期だった。
僕は、名実ともにファンになった。はずだった。
しかし、次の『若葉のささやき』で、僕の心は離れ始めたような気がする。
これではいけないと思いながら、この曲が好きになれなかった。
なぜだろう。
今にして思えば、この年が、1973年型アイドルの時代に入ったからだと思う。
目移りするような、贅沢な時代の始まりだったように思う。
1973年の新人賞は、女性陣が総なめした事実は、象徴的出来事だった。
それまで、芸能界が『ナベプロ』に独占されていたのが、一気に解き放たれた年だった。
天地真理さんというアイドルは、ナベプロ的に売り出されたアイドルのように思えてならない。
徹底したイメージ戦略の前に、国民なら天地真理のファンであるべきだ的な感じがした。
中学生の私には、何の根拠もなくファンに取り込まれたような気がする。
理屈好きの僕は、好きである理由が欲しかった。
それに答えてくれたのが、僕にとっての『桜田淳子』さんだった。
そこには、ファンになる理由があった。
デビュー三曲目の『わたしの青い鳥』までは、序曲に過ぎなかった。
彼女の世界が表現さえてきたのは『花物語』だったと思う。
そこで、感じた世界こそ、僕が彼女のファンであった理由なのだろう。
その世界に1年間閉じ込められた僕が釈放されたのは、『はじめての出来事』だった。
この曲以降、私は彼女の急速に変貌する姿を、来る日も来る日も眺めていればよかった。
桜田淳子『セミロング時代ヒットメドレー』(やっぱりこれでしょ^^)
桜田淳子さんの高校生の三年間は、筆舌に尽くしがたい輝きがあった。
それを、『アイドル』という言葉で済ますには、あまりにも言葉たらずであるが、日に日に輝きに神々しさが漂う様を見ているのは、ためいきが出るほどだった。
今、時折テレビに流れる映像を見ていても、この時期のものがでることはほとんどないことは残念でしかたがない。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
そして、1971年秋、一人のアイドルが誕生する。
天地真理さんだった。
1971年といえば、僕が中学に入学したばかりだった。
時期的には、ちょっとませ始めた頃で、年上にあこがれていた頃だったと思う。
『時間ですよ』で、時々出演する、隣の真理ちゃんを見る『けんちゃん』の姿に、自分を重ね合わせていたのかも知れない。
テレビの影響力は計り知れない。
その秋、天地真理さんが歌手デビューする。
もちろん、デビュー曲『水色の恋』は覚えている。耳に焼きついている。
しかし、歌番組の印象は薄い。
むしろ、テレビドラマなどの印象の方が強い。
彼女のキャッチは『白雪姫』だった。
真理ちゃんの歌は、出す曲全部大ヒットであり、だれもが口ずさんでいた。
当然、僕も。
天地 真理メドレー
彼女は、瞬く間に、国民的アイドルに上り詰め、お茶の間に入り込んできた。
誰のファンかと聞かれれば、『真理ちゃん』と答えていれば、無難だった。
そんな時代だったような気がする。
ぼくも、そんな一人だった。
しかし、『二人の日曜日』は、とうとう我慢できなくなり、レコードを買った。
それが、僕にとっての『真理ちゃん』の絶頂期だった。
僕は、名実ともにファンになった。はずだった。
しかし、次の『若葉のささやき』で、僕の心は離れ始めたような気がする。
これではいけないと思いながら、この曲が好きになれなかった。
なぜだろう。
今にして思えば、この年が、1973年型アイドルの時代に入ったからだと思う。
目移りするような、贅沢な時代の始まりだったように思う。
1973年の新人賞は、女性陣が総なめした事実は、象徴的出来事だった。
それまで、芸能界が『ナベプロ』に独占されていたのが、一気に解き放たれた年だった。
天地真理さんというアイドルは、ナベプロ的に売り出されたアイドルのように思えてならない。
徹底したイメージ戦略の前に、国民なら天地真理のファンであるべきだ的な感じがした。
中学生の私には、何の根拠もなくファンに取り込まれたような気がする。
理屈好きの僕は、好きである理由が欲しかった。
それに答えてくれたのが、僕にとっての『桜田淳子』さんだった。
そこには、ファンになる理由があった。
デビュー三曲目の『わたしの青い鳥』までは、序曲に過ぎなかった。
彼女の世界が表現さえてきたのは『花物語』だったと思う。
そこで、感じた世界こそ、僕が彼女のファンであった理由なのだろう。
その世界に1年間閉じ込められた僕が釈放されたのは、『はじめての出来事』だった。
この曲以降、私は彼女の急速に変貌する姿を、来る日も来る日も眺めていればよかった。
桜田淳子『セミロング時代ヒットメドレー』(やっぱりこれでしょ^^)
桜田淳子さんの高校生の三年間は、筆舌に尽くしがたい輝きがあった。
それを、『アイドル』という言葉で済ますには、あまりにも言葉たらずであるが、日に日に輝きに神々しさが漂う様を見ているのは、ためいきが出るほどだった。
今、時折テレビに流れる映像を見ていても、この時期のものがでることはほとんどないことは残念でしかたがない。
追伸 動画のUP主様に感謝します。