“日本における、結婚の成り立ち” 古代の日本では、恋愛と結婚とのさかい目は明確ではなく男女の関係は対等であり、平安時代に入り源氏物語に描かれているように夫が妻の実家に会いに行く通い婚を経て、同居するのが一般的であったようです。しかし、通い婚は妻にとってはなかなか辛いもの妻はひたすら待つだけで夫が訪ねてこなくなれば、即離婚の状態また、夫が愛人をつくってもどうすることも出来ない。この頃、家父長制(男性による女性の支配形態、性別の権力関係を指し男性中心社会・男性優位社会を維持するために不可欠な権力形態で家族内のいっさいの権威は家父長にのみ帰属する制度)の成立で女性の地位が低下していたようです。
☆鎌倉時代になると妻が夫の家に嫁入りするようになり、この習慣は武士から始まって徐々に社会全体へ広がり嫁入りをするようになると妻は夫の所有物と考えられるようになり、妻の不倫は夫への反逆として厳しく罰せられ女性は夫を自分の意思で選べなかった。武家の結婚は政略結婚=政略結婚とは相手を「味方につける」あるいは「油断させる」ために結婚が行われ、愛情や人柄で相手を選ぶこと事態“夢のまた夢”の状態で有ったようです。
☆江戸時代になると、幕府は上下の秩序を守るため「家」をすべての基礎とした女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従うという、低い地位におかれ子どもが産まれない、産めない妻は、離縁されても文句は言えなかったので妻が夫に妾を勧め、その子を自分の子として育てることもあり、それをやらなければ離縁されることもあったようです。庶民では「三下り半」と呼ばれる離縁状を妻に渡すことで離婚が成立したようです。
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