土曜日、すごく傷ついた。
それは、たぶん、悪気はない。
私の斜め前にいた新人監督の瞳に、
私の知人への、憎しみに似た、嫌悪の色が浮かんでいて、
その矛先がその後、私に向けられたことも、
仕方がないという言葉は好きじゃないけど、仕方ない。
彼が生きてきた、苦しかった日々は、
たぶん、数回しか会っていない私に配慮することよりも、
私の知人の、『恵まれて見える』今日を否定することでしか、
そこにいられなかったのだろうから。
チャットモンチーが歌ってる。
わたしの知らないところで
わたしに傷つけられてはいませんか?(Last Love Letter)
私は、彼の、悪魔のような瞳を見て、自分の事を思いました。
私が傷つけてしまったかもしれないひとを。
私の瞳は、言葉は、あなたをえぐりませんでしたか。
彼の作ったものは、せつないあたたかさで滲むような映画です。
そばに置くことはできないけれど、忘れない。
苦労って、笑顔の下で、みんなしていると思う。
夢を追ってお金がなくなったり、
信じたばかりに、
大きな借金ができてしまったり、
病気になって、余命を考えたり、
でも、『それでも笑ってる』と、
そんなものは、なくなっていたり、も、する。
あたらしい、何かを、つかんでいたり、も、する。
目の前のひとが、
傷ついていたとか、傷つけたとか、
そんなこと関係ない、という瞳が、
苦しく痛かった。