『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『足るを知る(渡辺謙さん)』

2012-02-03 | みんな、やさしさからできている。
みんな、ホントに、日本のこと、好きなんだろうか

ダボス会議のスピーチでさえ、全文の掲載をしたのは、ほぼ1社のみだったなんて、
なんだか、寂しい気がする



【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】
<渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える>

<2012年1月26日 東京新聞

スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、
各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、
原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

<スピーチ全文は次の通り。>

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。
皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。
さらには近代の軍人や一般の町人たちも。

その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。
役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。
ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。

260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。
そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。
人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、
子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。
世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。
長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。

まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。

しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。

携帯電話、インターネット、
本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。
文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。

そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。
それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。

電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。

そこに何が残っていたか。

何も持たない人間でした。
しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。

半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。
困っている人がいれば助ける。
おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。

そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。
多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。

人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、
すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。
私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。

しかし度を超えた成長は無理を呼びます。
日本には「足るを知る」という言葉があります。

自分に必要な物を知っていると言う意味です。
人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。
こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。

「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、
再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、
新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。

がれきの荒野を見た私たちだからこそ、
今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。

今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。

しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。

そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。



先日観た『ALWAYS 三丁目の夕日’64』を思い出しました。

着るものが汚れていても、汗にまみれていても、
みんなの笑顔が、最高にキラキラしていた

豊かになるとは、どういうことだろう

あるアーティストの曲が売れました。
どこに行っても曲を耳にする。名前を聞く。
本人もスタッフも、家族も、みんな喜びました。すごく嬉しかった。

数ヵ月後、通帳に、信じられない桁の数字が並びます。

そのアーティストは、まず引っ越しをしました。
洋服を買いました。
旅行に行きました。
車も買いました。

お金という形のあるものには、限りがあるんです。
数年が経った頃、曲は売れなくなりました。

目の前にあった形だけの楽しい暮らしの中に埋もれている間に、

夢を一緒にみていた仲間も友人も、いなくなり、
家族も、口をつぐみ、

残されていたのは、残額僅かの通帳と、からだのみでした。



本当に大事なもの、
自分にとって、何があってもなくしたくないものって、何だろう?

形のあるものでしょうか?

一番大事なのは、大事な人たちの、
かけがえのない笑顔ではないでしょうか?

いろんなことがあったけど、
苦しくて、せつなくて、どうしようもなかった時、

誰ともつながっていなかったら、きっと、生きていられなかった。



渡辺謙さんの「足るを知る」という言葉を、
心のなかで、かみしめたいと、思いました。



『最近読んだ本』

2012-02-03 | 立ち直っていく、という時に。
その1
角田光代さんの『福袋』



先週、角田さんの本を、とある地下鉄の中で読んでいました。

電車に乗り込んで来た人の鞄がチラリと目に入り・・・あ・・・あれいいなぁ・・・
そのまま、顔を見たら、角田さんご本人でした・・・あっ本人

ここで、電車、動き出す・・・

すぐ先の駅で降りる私・・・・・・鞄の中に本をしまう時、閉じることができず、
開いたまま、つっこみました・・・

そういえば、前にも・・・



そうだった。その時は・・・

宮藤官九郎さんの、
『やぁ宮藤くん、宮藤くんじゃないか!』を電車の中で読んでいた時、



今回(角田光代さんの福袋)は地下鉄だったけど、
その時は私鉄。

どっちも始発駅で

本を開いて読み始めたら、隣りに男の人が座ったのでした。

何気なく横向いたら・・・・チラ

その、座った人が、宮藤さん本人だったという・・・

本の表紙には、宮藤さんの写真がバッチリ

あの時はどうしたんだっけかなぁ・・・



「私たちはだれも、
 中身のわからない福袋を持たされて、
 この世に出てくるのではないか…」




『福袋』に例えられる人生。が、描かれています。

中に何が入っているのかわからない。
つまり、当たりが出るのか、ハズレるのか、わからないのが福袋。

まるで「福袋」みたいに、
人生は、明日何が起こるのか、誰に会うのか、
どんなことになり、笑うのか、泣くのか、わからない。

「福袋」から出てきたみたいな人生の、あれとかこれとかを、
 それぞれが、どんなふうにとらえて生きるのか、

『なにか』を手にとった人たちが、
 少しだけ、別の選択や、別の気持ちを「持つ」かんじが、
 引きこまれました



2冊目は、
内澤旬子さんの『身体のいいなり』



38歳の時、ステージ1の乳がんと診断され、
2度の部分切除を経て、乳腺を全摘出し乳房再建・・・手術を重ねてきた著者。

大変さを強調した闘病記を書くつもりはない。という著者。

がん以前と比べ、むしろ元気になってしまった経緯を書いてほしいと言われ、
体験をまとめてみようという気持ちになった著者。

その頼もしい著者が、
病をきっかけにして『身体のいいなり』になり、どんどん変わっていく。



病というのは、他人のものではないです。

誰でも、なってしまうもの。
誰にでも、起きてしまうこと。です。

そうなった時に見えるもの、
人それぞれだなぁと思いました



以下は『身体のいいなり・・・より』

同年代の友人たちが体調の悪化や老化を憂いているときに、
なんか癌なのに元気になっちゃったんだよ、と大騒ぎしていてちょっと申し訳ない・・・

癌を通じて身体が不如意になってみて、
ようやく心と身体は連動しているものだと気がついても、
心は身体がいいというものに全面降伏するわけではない。

どうやら自分の身体は、
思ったよりもずっと大きく変わりつつあるらしい。(ヨガを続けて)

乳首を残すツモリデゼンテキしても、
目が覚めたらのっぺらぼうという、哀しい結果になることもありうる。
これはさすがの自分でもキツイかもしれないなぁ。

Tさんは死んでいく。
そして私はまだ生きていて、
生きているかぎり、
嫌でも生き続けねばならない。

友人の死を認めるには、どうしたらいいのだろう。

困ったことに、
身体と同じ速度では精神は回復してくれなかったということだ。

気がつけばあるものと思ったものは、
観ようとすると案外捕えにくいものだった。

私は今日も身体のいいなりなのである。