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アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

動き始めたフィリピン人看護師・介護士受入れ

2009-01-09 17:08:38 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 昨日8日、「国際厚生事業団-JICWELS」が、ホームページで『フィリピン人看護師・介護福祉士候補者受入れ機関の募集について』の要綱と、来週13日から4日間、東京、大阪、愛知、福岡と4つの会場で、日本国内での説明会が実施されることを発表しました。「国際厚生事業団」は、日本サイドの唯一の、外国人看護師・介護士受け入れ調整機関です。

 フィリピン上院での批准(昨年10月8日)からちょうど3か月、いよいよ動き出した、といった感じがします。

「日本国とフィリピン共和国との間に締結された経済連携協定に基づき、フィリピン人看護師・介護福祉士の受入れが決定され、フィリピン共和国の送り出し機関であるPOEAPhilippines Overseas Employment Administration:フィリピン海外雇用庁)と日本における唯一の受入れ調整機関である社団法人国際厚生事業団との間で、送り出し・受入れにかかる覚書が間もなく署名される見込みとなりました。」

http://www.jicwels.or.jp/html/EPA-Philippine_info.htm

「近くフィリピン共和国でも候補者の募集が開始され、受入れ希望機関と候補者の選考、マッチング等を経て4月下旬から5月上旬頃に候補者が入国し、その後6か月間の日本語等研修の修了後に受入れ施設での就労・研修が開始される予定です。」(ホームページより)


 フィリピンでのケアギヴァー・コース(Caregiver course - 介護士養成課程)は、現在通常6か月間です。ですから、日本の「介護福祉士」とはずい分開きがあり、あくまで日本における介護福祉士の「候補者」です。
 
ですが、ケアギヴァー・コースを修了したフィリピン人にとっても、日本の「介護福祉士」になるための要件はかなりハードルが高いでしょう。↓

厚生労働省のホームページ

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/other07/index.html


 また、「ケアギヴァー」の養成は、現アロヨ大統領政権になってからの国家プロジェクトで、まだ歴史は浅いのですが、「看護師」の方は海外就労(派遣)の歴史もあり、海外では評判が良いようです。

(次回に続く…)


フィリピン人看護師・介護士(ケアギヴァー)の日本受入れの年

2009-01-06 19:18:31 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

<写真> 祝バギオ市制100周年!-バギオ市庁舎

 4日の日曜日、食料品やケア用品等の買い出しに、街へ出てきました。
 買い物の前に、まず日本庭園に行き、それから、バギオ大聖堂に向かいました。正午のNew Year Mass(新年のミサ)には遅れてしまい、介護者がミサの最後に教会内でお祈りを捧げました。キリストご生誕の様子を表した飾り付けが教会中央に見えます。


 その後、バーンハム公園の前にあるホセ・リサール公園に行き、そこから少し上ったバギオ市庁舎を見に行きました。黄色と赤の花が正面玄関に飾り付けされていて、さすがに花の街バギオだと思いました。
The Day of Baguio City」は「9月1日」で、その前後はいろいろな記念行事が計画されているようです。
 
来月のフラワーフェスティバルも、今年は力の入れ具合が違うようです。


 今年はまた、日比間のEPA(経済連携協定-Economic Partnership Agreement)での最終合意により、フィリピンからも二百名の看護師と三百名の介護士(ケアギヴァー)が初めて日本に入る年です。

 昨年8月の、外国人介護士の受け入れに関する、首都圏での介護施設、有料老人ホームへのアンケート結果では、

「実際に24.8%の施設が在日外国人介護士を雇用した事があるのに対して、今後も継続して雇用していきたい新たに雇用したいを合わせて9.8%と大幅に下回る結果となった。」

という厳しい評価が出たようです。↓

 http://www.fgn.jp/mpac/sample/__datas__/impacter/200810_26.html


 在日フィリピン人でヘルパー資格を取得した人がもう「千人」以上いるという事実!すごい数だと思います。
  それと同じ「千人」のフィリピン人看護師・介護士が、今年と来年のうちに日本に入国し、日本語等の研修に入る…!「長い目で見守っていくこと」も必要となるでしょう。


<ひとり言>
 
リサール・パークの横に、「Itay Dental Clinic」という歯医者さんがありました。そのまま読むと、「いたい・デンタル・クリニック」で、「痛い歯医者」となります。この「Itay-イタイ」は、タガログ語で「お父さん」のことで、「お父さんのデンタル・クリニック」という歯医者さんです。
 
ちなみにお母さんは「Inay-イナイ」で、「お母さんのレストラン」という意味の「Inay Restaurant」も…。「いないレストラン」もちょっと…(^^;)。


ドリーのその後…

2008-11-18 16:43:00 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』を読んでいただいた方、また金沢滞在中にお世話になった方にも、著書(下巻)の中の最後の専従介護者「ドリー」のその後についてチラッと触れたいと思います。

 去年の4月、ドリーの同行を得、ダバオを引き払って日本に戻り、6月末まで金沢に滞在しました。床ずれが完治した後、彼女の都合に合わせてマニラに戻った後、日本大使館の近くの、やはり家具付きのコンドミニアムに半年近く住みました。その後、前記、ラス・ピニャス市の平屋に移った訳ですが、ドリーはそのラス・ピニャスに引っ越して三か月後の2月末に私との雇用契約を終え、4月にクウェートに渡りました。

 私の人生の一つの節目の時期に、ちょうど一年間私の生活をサポートしてくれました。その間、彼女自身の身に、実に様々な出来事が降りかかり、私もできる限りの精神面でのサポートをしてきたつもりです。

 ビコール州マヨン火山近くの出身で、体はきゃしゃながら気丈なドリーは、マニラに戻ってしばらくして新しいボーイフレンドと出会い、同年末あたりから、叔父のいるクウェートに仕事を求めてエージェンシーに斡旋を申し込んでいたのです。マニラは、彼女にとって心地よくはなかったようです。コンピューターが得意でない彼女からはここしばらく連絡はありませんが、便りのないのは無事な証拠と、クウェートで元気に働いている彼女の姿を想像しています。

  それにしてもたくましきかな、フィリピーナ!!!過去の私の女性専従介護者のうち、フィリピンに留まっているのはわずか二人です。現に今、バギオで関わってくれている3人全員(ドライバーのレオも含めて)が、「一度は海外へ働きに出たい…。」という希望を持っています。フィリピンの人口約8千万人の1割「8百万人」が海外に出ているという現実、今はそれも仕方のないことなのでしょうが…。 ドリーを含め、やむなく慣れない海外で暮らしている以前の介護者たちの健康と無事を祈るのみです。

 <写真> 2007年5月 ドリー in 金沢(金沢カトリック教会前の高山右近像前)

  さて、ちょっとした床ずれでも、初期のケアが大切。私は、もう少しの間だけベッドの上で過ごす必要がありそうです。体位交換で「♪みーぎーを向いてーもー、ひだぁりーを見―てもー…」、我慢、我慢!

 友人が、明後日の夜、バギオカントリークラブのレストランへ「モンゴリアン・バーベキュー」を食べに行こうと誘ってくれました。それまでには…(無理^^;)。モンゴリアン・バーベキュー?バギオは外国人も多くインターナショナルです。


二人のフィリピン人ケアギヴァー

2008-11-07 18:04:39 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今、私のバギオでの自立生活に関わってくれている二人の介護者です。

 昨日、レオの写真を載せたら「私たちは?」と二人…。(あとで恨まれると怖いので…。)

 写真、向かって左は、専従介護者マリアで、約十か月になります。メディカルの課程(看護や介護の課程)は出ていませんが、ケアのほか、料理もとても上手です。

 右は、バギオで、今入居したコンドミニアムの事務所を通して紹介されたカティです。准看護師課程(二年間)を終えたカティはこれが初仕事。OJT(On the job training)と呼ばれる試用期間中(普通1か月間おいています)です。

  この二人のほかに「助っ人」が一人います。  えっ?お給料?その辺は、今後またボチボチと…。