【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ エピローグその1(写真は明石大橋をくぐる。娑婆へ帰った。)

2023-02-21 13:39:56 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ エピローグ
  四国曼荼羅花遍路‐通し打ち45日のマイウェイ‐ エピローグその1

 四国曼荼羅花遍路‐通し打ち45日のマイウェイ‐のエピローグをアップします。少し分
量が多いので、2回に分けてです。プロローグより分量が多くなりましたが、その分多
くのことを学び、新たな価値観を実感できたからでしょう。続編は引き続きアップし、
次回のブログアップ(カテゴリーが代わりますが)まで、エピローグをトップにアップ
します。

----- 以下 エピローグその1本文 -----

(履き潰してしまったカジュアル・サンダル。心強い相棒だった)

  エピローグ

遍路宿のこと
 四国遍路の通し打ちをしていると宿泊と食事の計画が必須となってきます。そんな
ときにメンタルの支えとなっていただける心強い味方は遍路宿さんです。
 この記録(以下『本文』と書きます)ではまとめて遍路宿と書いていますが、その
形はいろいろです。宿坊、旅館、民宿(本文ではこの違いは屋号に準じて書いていま
す)、ゲストハウス風、ホテル風、無料で泊まれる善根宿、さらにはスーパー銭湯と
か宿泊ありの温泉施設やビジネスホテルなど本業が商業施設として営業されながら
『お遍路さん歓迎』ということで宿泊や食事が可能で便利で気持ちのこもったお接待
をして頂ける施設も四国にはたくさんあることが、歩いてみると改めて良く分かりま
した。また歴史を刻み、歴史を感じさせる古い建物から、最近改築されて奇麗で快適
で便利な遍路宿さんや多種多様です。食事の方も屋号に関わらず二食付きや素泊まり
のみなど。宿のご主人や女将さんの世代も、ご高齢の方が多いのですが、現役世代の
方たぶん現役世代の方は兼業が多いのではないかと思いますが。一人で切り盛りされ
ておられる宿やご夫婦で、あるいは従業員の方を雇用、あるいは共同管理で営業され
ておられる方など、いろいろです。少し驚いたのですが、何処にでもいろんなところ
から四国に移住されたり、若者がUターンで四国へ戻ってきたりして、遍路宿やら喫
茶、レストラン、食堂などお接待に関わる施設を営業されておられる方に出会うこと
が多かったです。
 共通しているのは、一般的な商業施設にはないお接待の思いや心遣いがごく自然と
伝わってくることです。今回お世話になった遍路宿さんは予備知識もなしに遍路地図
に紹介されている施設にランダムに連絡をしてお世話になった一期一会のご縁です
が、遍路宿さんは他にも多くあり、その多くの遍路宿さんも同じようなお接待の気持
ちで開宿されておられることは、宿でのお話やいろんな情報で、十分に分かります。
 ある遍路宿で伺った話ですが、長引くコロナ禍で遍路さんが極端に少なくなり、ご
高齢のご主人や女将さんで、これを機に引退=廃業されたところも多くあるというこ
とです。確かにかつては賑わいのある寺前通りが現在は閑散として灯りも点いていな
いという街並みもありました。私も今回まで四国遍路通し打ちが遅くなった理由の一
つは、コロナ対策で評判の良くない大阪府からわざわざ四国霊場にコロナ・ウィルス
を持ち込んではいけない、不安を持ち込んではいけないという思いがあり、自分の欲
求のままに通し打ちをすることは迷惑ではないかという気持ちをずっと持ち続けてい
ました。通し打ちで結願を達成しえた今、ご迷惑をかけたのではという気持ちは今も
ありますが、それにもまして心休まるお接待を頂いた四国曼荼羅ワールドの皆様に、
心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思っています。

 なお、本文ではご了解を頂いた遍路宿さんのほか、宿坊と生業として宿泊客を受け
入れられているビジネスホテル、旅館、温泉施設などは、そのままの屋号で紹介させ
ていただいています。ご了解を頂いていない宿は 単に『遍路宿』と書いていますが、
他意は全くありません。

  四国曼荼羅ワールドの重要な『要素』
 四国のへんろ道のあちこちに、『へんろ休憩所』『おへんろサロン』『お接待所』
などいろんな施設が点在しています。普通の東屋や、オープンなウッドハウス風、民
家の一室、臨時テント、在所のお地蔵さんなどの集り処、プレハブやちょっとしたコ
テージとかいろいろです。全部の施設に立ち寄りたいのですが、そうもいかず『今日
は歩くぞ』と決めた日などは、素敵な接待所に出会うと本当に後ろ髪を引かれる思い
ですが素通りと言うことになります。接待所や休憩所は無人で施設だけであっても中
には情報交換のノートがあったり文具などのお接待グッズを用意しているところが多
く、時間があれば立ち寄りました。地元の皆さんがお接待をして頂いている所では、
お茶やお菓子のお接待、おにぎりなどの行動食などを頂けることもあります。そして
何よりも皆さんと話をするのが得難い経験になります。
 いろんなお話をして頂いてよく喋っていただけるのですが、それが何よりも心地良
いのです。遍路に対して尊敬や敬愛がじっくりと感じられて、それが私への心地良い
自己肯定感の高まりとして伝わってきます。勿論新しい経験知を得ることも沢山あり
ます。接待所だけでなく道を歩いていても話しかけられたり、お菓子や果物や飲み
物、行動食、中には現金を頂くこともあります。
 こういったいろんなお接待やお接待所もすべてが『要素』となって、四国曼荼羅ワ
ールドが空気のように拡がっている、そんな思いがします。『四国曼荼羅ワールド』
という言葉は私が勝手に使っていまして、『公用語』ではないのですが、私に絵心が
あれば是非まったりとした世界を描いてみたいのですが。

  反省したこと
 そういった四国曼荼羅ワールドの中で、反省したこともあります。
一つは遍路宿に関わってですが、慣れてくるとかえって遍路宿への予約が前日となる
場合が少なくありません。最初のうちは今日はここまでは何としても到着するといっ
た計画がノルマになって、それが3日程度の予定として、それに合わせて遍路宿も予
約します。そして荷物なども先送りしていましたが、修行の道場と言われる高知県に
入ってくらいから、お接待を頂いた方々と談笑したり、古仏や地蔵さんやらがあった
ら碑銘を読んで昔を偲んでみたり、あるいは景色に驚嘆して写真撮影やゆっくりした
り、時には昼寝もしたりで予定通りに行きません。修行の道場と言われる高知県の西
半分に入ったあたりからは、先の詳細予定は立たず、遍路宿についてそれから天候や
体調を考えて翌日の予約をするいった『その日暮らし』状態となっていました。その
せいか、ある遍路宿さんでは午後7時ごろに翌日の予約の連絡をしたところ、女将さ
んとご主人とでしょうか相談されていたようですが結局断られてしまいました。その
時は、きっと忙しいか予定がお有りかと思ったのですが、こういったやり取りがあり
ました。

 「いつの時間でも泊めてくれるホテルがありますよ。」

 と言われ、電話番号を教えて頂きました。早速電話をしてみると、

 「チェックインは午後6時で、それより早くなる場合は1時間に付き千円頂きま
  す。」

 とのことで対応がかなり事務的なのと、料金システムからしてラブホテルではない
か、と思いとりあえずこちらから遠慮しました。幸いすぐに別の遍路宿さんの予約が
取れたのですが、ことの顛末から、電話のやり取りの雰囲気から私のマイペースさや
真剣さの不足とかが原因で断られたのかなあと、少しショックでもあり、また反省も
しました。のちほどそのホテルをインターネットで調べると、以前はラブホテルであ
ったが最近改修してシティーホテルとして営業、観光のファミリー客や遍路さんも利
用するとのことでした。
 とにかく、宿の予約の連絡は商業施設以外では予定の前々日、遅くとも前日朝まで
にはしておきたいものです。自分が遍路宿を運営する立場で考えれば、当然と思いま
す。

 反省の二つ目は、ある遍路宿さんで夕食時に皆さんと和気藹藹で話していたのです
が、十代のころから四国遍路を始められた年配の方との会話はこんなものでした。

 私「すごいですね、大ベテランの大先輩ですね。ところで何で遍路を始められたの
   ですか?」

 その方「私は、子供のころ体が弱くて、元気に育つようにと言って母親に連れられ
     て遍路をはじめました。」

 瞬間、大反省。

 私「そうですか。大変だったですね。」

 とだけ言って、話題を変えました。四国遍路をする理由は私のように『楽しく元気
に長生きしてマイペースでマイウェイ』などと『浮かれて』いるのは、ひょっとする
とごく少数かもしれません。個々の皆さんそれぞれの理由で『覚悟の遍路』をはじめ
られる。そこには決して楽しくはない悲しく辛い思いが凝縮されている場合も歴史的
には多くあります。今でもそのような思いを持って遍路をされておられる方も少なく
はないでしょう。何気ないつもりの私の問いかけも、同じように自分本位のマイペー
スが相手の人や周りの人達にどんな思いを抱かせるかという配慮がまったく欠けてい
たからだと大反省の思いです。
 『曖昧の心地良さ』はとても大事だと思います。何かのきっかけで問い詰めたり、
説明を求めたりするのではなく、その方の思いや考えは全て受け入れることによっ
て、相手の方に対する尊敬の態度を自然と伝えることができます。自分もまた相手の
方に受け入れて頂くことによって、心地良く自己肯定感を実感することができる、そ
ういった『曖昧の心地良さ』は、お接待の心遣いにも通じるのではないかと思いま
す。
  (その2に、続く)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ エピローグその2

2023-02-21 13:39:26 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ エピローグ
エピローグ その2です。次回のブログアップ(カテゴリーが代わりますが)まで、エ
ピローグその1、その2、をトップにアップします。近日中にカテゴリーを変えて記事
をアップします。

----- 以下エピローグ その2 本文-----

      お役立ち情報(…かな?)
 お役立ち情報、(…かな?)と思うことをいくつか報告します。いずれもあくまで
私の場合であって、決して『普遍的正解』ではありませんので、あくまでご参考まで
に御笑見頂ければと思います。
 まず、何よりも第一に足元、履物です。歩き遍路の無念のリタイアで一番多いのは
おそらく履物が合わず、結果足の激痛でリタイアということかと思います。20年前の
自転車遍路の時は、徳島県の平等寺から薬王寺へ向かう国道で、金剛杖を頼りに足を
引きずり、泣きながら少しずつ歩を進める若者に出会いました。その時は何も声掛け
もできなかったのですが、いまだに忘れられません。私自身白峯寺から最後の結願だ
けはと思いパートナーと歩いて遍路をしましたが、登山靴を履いて行ったため、足指
が白化するほどにダメージを受け、87番長尾寺で無念のリタイアを決断しました。た
だ、その時はリタイアのバスの便を調べに営業所へ寄ったところ、結願の寺大窪寺ま
での路線バス(現在はコミュニティバスになっている)を教えてもらい、何とか結願
に至りましたが。今回も、徳島県で焼山寺から降りてきた宿で、通し打ちで来た遍路
さんが靴が合わずひどいマメに耐え切れず、ここでリタイアと言っておられたり、観
音寺市の本山寺でお会いした方はかなりの健脚のようでしたが、結構なウォーキング
シューズを履いておられたのですが、やはりそれが合わず足痛で、徳島の遍路ころが
し手前で断念し、思案しながらJRを利用して逆打ちで交通機関利用遍路をしてここ
(本山寺)まで来たけれど、この先は無理かと思っている、とのこと。その方は、そ
の時の私の足元がカジュアル・サンダルだったのを見て、『結構ラフで不謹慎』とも
思いつつ、興味を持ち声を掛けてきたとのことでした。
 私の足元はと言うと、前回の教訓もあり絶対足にフィットして足にストレスを掛け
ないもの。私はかなり酷い外反母趾であり、かつ偏平足の甲高で、市販の靴では全く
足にフィットしません。今回も履き慣れたウォーキングシューズを履いてきたのです
が、早くも2日目には足が悲鳴を上げました。
 3日目には持参のカジュアル・サンダルに履き替えて吉野川の開拓農地や潜水橋な
どを歩いて遍路をしましたが、これが大正解でした。4日目は遍路ころがしでサンダル
では無理なのでやむなくウォーキングシューズ、しかしそれも焼山寺の境内ではサン
ダルに履き替えました。この先考えれば多少地道でも可能な限りサンダルで、それが
超変形足の私にはフィットしています。但しサンダルと言ってもスポーツ系で、滑り
にくく踵はベルトなどがきっちりついたものが必要かと思います。ウォーキングシュ
ーズは宿毛まできて家に送り返し、布製の柔らかい安価なスクールシューズのような
スニーカーを仕入れ、イチかバチかで以後の遍路の山道ではシューズに履き替えまし
たが、これも正解で、すぐに足に馴染んで足痛に悩まされることはありませんでし
た。大阪から履いてきたサンダルはやはり道中でへたってしまいました。ところが道
中スポーツ系のカジュアル・サンダルの置いてあるスポーツ品店がなく、宇和島まで
行ってやっと代わりのサンダルを仕入れました。まったく『正統派』ではなく、いい
年してラフな感じですが、私はそんな足元で今回は大成功。

  2番目のお役立ち(…かな?)情報は地図です。
 地図は必須で、今回は「四国遍路ひとり歩き同行二人 地図編」(へんろ道保存協
力会監修・発行、本文中『遍路地図』と表記)を使用しました。遍路地図は詳細で最
新の情報が載せられ、巻末には遍路宿の紹介と連絡先も掲載され、大変重宝しまし
た。ただ、これは個人の認知機能の問題でしょうが、私の場合は『北が上』の地図で
ないと位置、方向のイメージが全くといっていいほど分からなくなります。遍路地図
は地図のページのスペースに合わせ、次の札所までの道を方角と地図上の上下左右と
関係なくランダムに書かれています。私の場合、日本中もっと言えば北半球では日中
でしたら晴れていればどこに行っても方角が分かります。日差しと時間と景色でほぼ
間違いなく東西南北はわかります。山に行くときはあらかじめ地図を見て、どの方角
に山、平地の展望、尾根、谷とかイメージができて行動します。所属していた山岳会
でも私の役割は、歩荷(荷物担ぎ)とルートファウンディング(道探し)でした。そ
のため今回の遍路地図では大いにパニクリました。59番札所 国分寺から 60番札所 横
峰寺へ向かう道では、間違いなく東に向いて歩いているはずなのに、瀬戸内海が右手
に続いています。川や入り江ではありません、間違いなく瀬戸内海であることが分か
ってパニクリました。1時間以上前に今治の市街を離れたのですが、再び市街地が近
づいてきました。やむなく分けが分からない状態で大きくUターンして、再び1時間以
上かけて、やっと左側に瀬戸内海を見ながら自分の気持ちもフィットしながら東へと
向かう遍路を実感することができました。遍路地図では北が下、つまり真逆の方角で
書かれています。
 これらは、遍路地図が不備と言うことでは全くありません。多分ナビゲーターなど
に慣れておられる方には分かり易い地図なんだろうなあ、と思います。これほどでは
ないけれど、道迷いの小パニックは何度もあり、都度地元の方にお世話になりまし
た。個々人の地図情報に対する認知機能と言うか慣れの問題と思いますが、私のよう
にかたくなに『上が北』の人間には少ししんどい地図ですので、老婆心ながら。

  その他気付いたお役立ち情報ですが、『荷物の先送り』も有効でした。
 歩き遍路ですと遍路宿泊まりでも荷物の重量は10kg程度にはなってしまいます。私
の場合、モバイルパソコンにケーブル類も持参ですので10kg超になります。そんな
時、3~5日先の宿泊所でビジネスホテルなどの商業施設の場合不要不急の荷物は、そ
の宿泊先に先送りしました。荷物は当面の着替え、タオル類、スニーカーかサンダル
の履き替え用、あと行動食とポカリスェットくらいで、軽くしていきました。但し、
これも送り先が商業施設の場合のみで、天候の加減で遅れても連絡だけで対応してい
ただける場合に限ります。旅館、民宿、ハウスさんなどは個人あるいはご家族で管理
されているところが多く、荷物を『送りつける』とかえってご迷惑をかけるかもしれ
ませんので、重々ご配慮を。
 
  もうひとつ。これも私の場合は、と言うことですが、マイペースで行くのが通し
  打ちの秘訣の一つかなあと言うことです。
 最初の計画した時には、全長1,300~1,400km、45日間連続歩き通すのは脊柱管狭
窄症、網膜剥離術後、黄斑上膜等のリスクが気になり、おおむね3勤1休の予定を立て
ました。実際は室戸半島を回るまではそのペースでしたが、慣れてくると遍路が楽し
くなってきて、松山を過ぎてからは高松まで1休は無し。それでも快調に遍路を続け
ることができました。マイペースは道中でも。私は宗教の教義とかは不案内で、実は
般若心経も唱えられません。それでも山岳修験の寺へ行ってじっくりと山の雰囲気に
浸ったり、山岳修験の由来なんかを何とか碑銘を読んでみたり、寺の僧侶さんがおら
れたら話をお聞きしたり、古代宗教や行者の世界に思いを馳せたりもしました。勿論
遍路中によく四国、近在の方にお声掛けを頂くのですが、そんなときもゆっくりお話
をさせていただくのも好きです。私にはこれらのことが自分の遍路のマイウェイの中
に捻じり込まれて、それらが新しい財産になってきたように思います。今回も遍路中
に親しくなっていろいろと話した方もいましたが、通し打ちとなると、いつのタイミ
ングでも「ここからは、それではマイペースで。」「See you again.」
を躊躇しません。マイペースが結願への秘訣だろう、と本当に思います。もしパート
ナーと一緒に結願まで、というときは、フィジカル、メンタル、社会的諸条件すべて
ハンデのある方に合わせる、遍路中の興味関心は無条件で相手に合わす、等のまた違
った『覚悟』が必要です。これも今回通し打ちをしたうえで、新たに実感したことで
す。

 他にもお役立ち情報(…かな?)と思うかともありますが、本文をお読みいただい
た方でご質問等がありましたら、分かる範囲でお答えさせていただきますので、どう
ぞご連絡いただけましたら、お答えいたします

 長々とエピローグを書きました。本文もろとも拙い文書でしたが、プロローグでも
書いたように本文は私の通し打ちの記録として留めておきたいことを、プライベート
ブック(私本)にして纏めました。最終原稿の版下の状態にまで自分でワードとテキ
ストの貼り付けで作成し、印刷・製本を業者さんにお願いしました。ということで長
い時間がかかり、拙い文書も奇麗にならずとても社会に公開できるものには全く至っ
ていないのは、重々承知しております。にもかかわらずお読みいただいた方、本の製
作にご協力いただいた皆様には感謝をいくらしても及ばないでしょうが、改めてお礼
と感謝の意をお伝えしたいと思います。
 そして何よりも、四国遍路通し打ちで私のマイペースにもかかわらず、本当に心の
こもったおもてなしを頂いた四国の皆様に深く感謝をいたし、そのいくらかでも受容
して頂けましたら望外の喜びです。
                                   (完)


※参考資料・文献
 「四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編」(へんろみち保存協力会・第12版)
 「四国遍路の世界」(愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター  ちくま新書)
 「歩く旅シリーズ 四国八十八ヵ所を歩く」(山と渓谷社  2000年4月初版 第1刷)
 「四国遍路 作法とお経の意味」(百万人に、お遍路を伝える会  1番札所霊山寺内)
   他各札所、遍路サロンで頂いた配布資料等