希望を強化する方法
希望を強化する最善の方法は,その源であられる神に注目することです。神の言葉である聖書を勤勉に勉強しましょう。
ローマ 15章4節は次のように述べています。
「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。
(ローマ 15:4)
さらに,将来に対するわたしたちの希望があいまいな抽象的概念になってしまわないようにしなければなりません。
心の中でそれを現実のものにする必要があるのです。地上のパラダイスで永遠に生きるという希望を抱いていますか。亡くなった親族などが地上に復活して来るとき,彼らに会いたいと思いませんか。
もしそう思うのなら,自分がその場にいるところを思い描いてください。ほかにも,イザヤ 65章21節と22節はすべての人が自分の家を建ててそこに住むと述べています。
「人々は家を建てて住み,ブドウ園を造って実を食べる。建てた家に他人が住むことはなく,植えた物を他人が食べることもない。私の民の寿命は木の寿命のようになり,私が選んだ者たちは働く喜びを存分に味わう」
(イザヤ 65:21.22)
目を閉じて,自分が新築の家の屋根の上で最後のこけら板を釘で止める作業をしているところを想像できますか。
あたりを見回して,自分の計画と苦労が実を結んだところを見てください。家を建てるときのにぎやかな音は静まっています。景色を眺めると,夕方になり影が伸びてきています。
木々をやさしく揺らすそよ風が,働いてほてった体に心地よく感じられます。子供たちの笑い声が鳥の鳴き声と混じって聞こえてきます。真下の家の中からは,愛する人たちの会話が聞こえてきます。
そうした幸せなひとときを心に描くのは,無駄な推測ではありません。むしろ確実に成就する預言について黙想しているのです。
「私たちは,見えるものではなく見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが,見えないものは永遠だからです」。
(コリント第二 4:18)
その見込みがあなたにとって現実的になればなるほど,そこに行きたいという希望は強くなります。
そのようにしっかりとした明白な希望があれば,「良いたよりを恥じて」それを他の人に知らせる割り当てからしりごみしてしまうことはないでしょう。
「私は良い知らせを恥じてはいません。その知らせは,信仰を持つ全ての人にとって,ユダヤ人をはじめギリシャ人にとっても,救いのための神の力なのです」。
(ローマ 1:16)
その反対に,使徒パウロのように確信をもって他の人に良いたよりを知らせることにより,『希望を誇りに』したいと思うでしょう。
「しかしキリストは,神の家を治める子として忠実でした。そして,私たちこそ神の家です。ただし,終わりまで気後れすることなく語り続け,誇りとしている希望をしっかり持ち続けるならばのことです」。
(ヘブライ 3:6)
希望を与えてくれるのはとこしえの将来だけではありません。希望の源は,現在にもあるのです。どのようにでしょうか。
カシオドロスという西暦5世紀のローマの政治家は,「将来得られる益に対して希望を抱くのは,すでに得ている益を認める者である」と述べました。
まさに格言です。現在得ている祝福を認識できない人が,どうして将来の祝福の約束から慰めを得られるでしょうか。
祈りも,今すぐ希望を強めてくれます。
かなり先の将来について祈るだけでなく,現在必要としているものについても祈るべきです。家族や仲間のクリスチャンとの間の関係がよくなることや,次の霊的食事や,物質的に必要としているものについてさえ祈り,
希望を持つことができます。
「主(神)よ,あなたの道をわたしに示し,あなたに従う道を教えてください」。
(詩編 25:4)
「今日,この日のためのパンを私たちにお与えください」。
(マタイ 6:11)
そのような希望を神のみ手に託すことは,わたしたちが一日ごとに耐え忍ぶ助けになります。
「あなたの重荷を主(神)にゆだねよ。主(神)は、あなたのことを心配してくださる。主(神)は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」。
(詩編 55:22)
わたしたちが耐え忍ぶとき,忍耐そのものも希望のかぶとを強めてくれます。
「それだけでなく,苦難に遭っても喜びましょう。私たちが知っている通り,苦難によって忍耐力が身に付くからです。そして,忍耐すると神から良いと認められ,神から良いと認められると希望を持てます。
その希望が失望に至ることはありません。私たちに与えられた聖なる力によって,神の愛が心の中に注がれているからです」。
(ローマ 5:3~5)