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本当の希望の根拠 ~ 聖書

2020年10月05日 | 日記


本当の希望の根拠

 

信仰と同じように,本当の希望は事実,現実,真理に基づいています。これを聞くと驚く人もいるでしょう。
ある文章家が述べたように,「ほとんどの人は,希望とは一種のばかげた現実否定にすぎないと考えている」からです。
しかし,真の希望は物事が棚ぼた式にうまくゆくという楽観的な見方,つまり望むものが何でも得られるとか,どんな小さなこともうまくゆくといったくだらない信念ではありません。
人生には,そうした輝かしい幻想に現実という冷たい水をかけるような出来事がつきものです。

「私はこの地上で次のことも知るようになった。足の速い人がいつも競走に勝つわけでも,強い人が戦いに勝つわけでもない。また,賢い人がいつも食事にありつけるとは限らない。知的な人が裕福になるとも,知識がある人が成功するとも限らない。なぜなら,思いも寄らないことがいつ誰にでも起きるからだ」。 
(伝道の書・コヘレトの言葉 9:11)

真の希望はそれとは違います。それは願いからではなく知識から生じます。冒頭のなぞなぞに出てきた2番目の家族のことを考えてみましょう。
政府が約束を破ることで有名だったなら,この家族はどんな希望を抱いたでしょうか。しかし,約束に加えて,政府を信頼できる証拠があったので,その家族は希望を抱くしっかりとした根拠を持てたのです。


この王国は聖書の音信のまさに中心にあります。何千年もの間,王国は女性たちやアブラハムのような男性たちの希望の源となってきました。

「アブラハムは真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の設計者および建設者は神です」。
(ヘブライ 11:10)

神はご自分の王国によって,この腐敗した古い世界の体制を終わらせ,新しい体制を招来すると約束しておられます。

「創造物はむなしい状態に置かれましたが,自分の意志でそうなったのではなく,神によってそのようにされ,同時に希望を与えられたからです。創造物も腐敗への奴隷状態から自由にされ,神の子供の輝かしい自由を得るという希望です。 私たちが知っている通り,創造物全てはこれまでずっと共にうめき,共に苦痛を感じています」。 
(ローマ 8:20~22)

「しかし,私たちが神の約束によって待ち望んでいる,新しい天と新しい地があります。そこには正しいことが行き渡ります」。
(ペテロ第二 3:13)

この王国の希望は現実であって,夢ではありません。その源であられる神,宇宙の主権者なる主は,控え目に言っても非のうちどころのない方です。
神の物質の創造物を見るだけで,神が存在しておられ,ご自分の約束をすべて果たすのに十分な力を持っておられることが分かります。

「神の見えない性質は,世界の創造以来明らかです。造られた物を見れば,神が永遠に力を持っていて,確かに神であるということが分かります。ですから,彼らは言い訳ができません」。 
(ローマ 1:20)

神が人間を扱われた記録を詳しく調べれば,神の言葉が果たされないことは決してないことが分かります。

「私の口から出る言葉も,成果を収めずに私のもとに戻ることはない。必ず私の望むことを成し遂げ,私が託した使命を確実に果たす」。
(イザヤ 55:11)

しかし残念なことに,クリスチャンであると自称する人のほとんどは真の希望を見失ってしまいました。神学者パウル・ティリヒの行なった説教が最近出版されましたが,その中ではこう述べられています。「初期クリスチャンは終わりを待つことを学んだ。しかし彼らは待つことを徐々にやめてしまった。……主の祈りをささげる度に,み旨が天のごとく,地にも行なわれんことを,と祈っているにもかかわらず,地球上の物事が新しい状態になるという期待は弱くなった」。

何と悲劇的なことでしょう。希望は聖書の中にあって,いつでも手に入れることができるというのに,希望をすぐに必要としている何百万の,いえ何十億もの人々は全く希望を持っていないのです。
その惨たんたる結果を見てください。思いを保護する健全な希望がないのですから,多くの人が絶望状態,つまり「非とされた精神状態」に陥り,不道徳や暴力がはびこって世界が汚染されているとしても何の不思議もないのではありませんか。


「彼らが神を認めようとしなかったため,神は彼らが堕落した考え方をして不適切な事柄を行うに任せました」。
(ローマ 1:28)

わたしたちも決して同じわなに陥ってしまわないようにするのはとても大切なことです。

希望のかぶとを脱ぎ捨てるのではなく,いつも強める必要があります。