Boy, eight, snares whopping 314kg tiger shark
私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)
目ざめよ! 1997-01-08
「地球は火による終わりを迎えますか」
『聖書の見方』
地球は火による終わりを迎えますか
核による大破壊で焦土と化す,膨張する太陽に焼かれて灰じんに帰する,あるいは怒った神が火を放つなど,
方法は様々ですが,人間の住みかであるこの地球は,すべてを焼き尽くす地獄と化す,
つまり大激変を伴う全面的な破壊で終わりを告げると堅く信じている人は少なくありません。
中には,人間が地に対して犯してきた罪悪に対する報復として神がもたらす大火災を予告した聖句を引き合いに出す人もいます。
また,地球が火による滅びを被るのは不可避だという考えについて述べている,オーストラリアのアデレード大学の教授ポール・デーヴィスの意見に共鳴する人もいます。
同教授は自著「最後の3分間」の中で,「太陽がさらに大きく膨張すると……地球は太陽の火のような外被の中にのみ込まれ,灰じんに帰するであろう」と,理論上想定しています。
地球の運命に関する真理とは何でしょうか。火による絶滅を予告しているように思える聖句をどう理解すべきでしょうか。
『神は気遣っておられるか』
エレミヤ 10章10節から12節はこう教えています。
「主(神)は真理の神,命の神,永遠を支配する王。その怒りに大地は震え,その憤りに諸国の民は耐ええない。このように彼らに言え。
天と地を造らなかった神々は,地の上,天の下から滅び去る,と。御力(みちから)をもって大地を造り,知恵をもって世界を固く据え,英知をもって天を広げられた方」。
神は地球を造り,それを堅くお立てになりました。ですから,神は知恵と愛と理解力をもって,人間のための美しい住みかとしていつまでも存続するよう地球を注意深く整えてくださいました。
聖書は神が人間を創造されたことについてこう伝えています。
「男性と女性にこれを創造された。さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,『子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ』」。
(創世記 1:27,28)
神はご自分の創造の業を完了した時,「それは非常に良かった」と断言することができました。
(創世記 1:31)
神は地球がそういう状態で存続することを望んでおられたのです。
ちょうど,親になろうとしている夫婦が生まれて来る赤ちゃんのために育児室を設計し,整えたりするように,
神は美しい庭園を設け,それを拡張させ,管理させるために,アダムと名づけられた人をそこに置かれました。
「神である主は,人を取り,エデンの園に置き,そこを耕させ,またそこを守らせた」。
(創世記 2:15)
アダムは完全性と地を管理する務めとを放棄しました。
ところで,創造者はご自分の目的を放棄されたでしょうか。
イザヤ 45章18節はそうではないことを示して,「天の創造者……地を形造られた方……それを堅く立て,それをいたずらに創造せず,人が住むために形造られた方,神(エホバ,ヤハウェ)はこのように言われた」と述べています。
「降り注ぐ雨,また雪は,天から下り,実際に地にしみ込み,ものを生じさせ,芽を出させ,そして,種が種をまく者に,パンがそれを食べる者に実際に与えられなければ,その場所に帰らない。
わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」。
(イザヤ 55:10,11)
人間は管理人としての務めをおろそかにしましたが,神は地球とその上の生き物に対するご自分の契約を引き続き履行してこられました。
古代イスラエル国民に与えられた律法には,7年ごとに「その地のために全き休みの安息」を与える規定がありました。その律法には,動物をある程度保護する,思いやりのあるおきてもありました。
「しかし,七年目には,その地のために全き休みの安息,神(エホバ,ヤハウェ)に対する安息が設けられるべきである。あなたの畑に種をまいてはならない。あなたのぶどう園の刈り込みを行なってはならない」。
(レビ記 25:4)
「もし,あなたが敵の牛または,ろばの迷っているのに会う時は,必ずこれを彼の所に連れて行って,帰さなければならない。
もしあなたを憎む者のろばが,その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は,これを見捨てて置かないように気をつけ,必ずその人に手を貸して,これを起さなければならない」。
(出エジプト記 23:4,5)
「あなたの兄弟の牛または羊が迷い出ているのを見ながら,故意にそれから身を引いてはならない。是非ともあなたの兄弟のもとにそれを連れ戻すべきである。また,もしその兄弟が近くにおらず,
あなたがその者を知らないのであれば,それを連れ帰ってあなたの家に入れるように。あなたの兄弟がそれを捜し求めて来るまで,それはあなたのもとにとどまるのである。こうしてそれを彼に返すように」。
(申命記 22:1,2)
「鳥の巣が道であなたの前,何かの木の中か地の上にあって,ひなや卵がそこにある場合,母鳥がひなや卵の上に座しているならば,あなたは母鳥をその子と共に取ってはならない。
是非ともその母鳥を飛び去らせるように。しかし,その子は取ってもよい。これは,あなたにとって物事が良く運ぶため,あなたが自分の命の日を長くするためである」。
(申命記 22:6,7)
「そして,言われた。『あなたたちの中に,自分の息子か牛が井戸に落ちたら,安息日だからといって,すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか』」。
(ルカ 14:5)
これらの事柄は,神が人類と,ご自分が人間に管理させるよう委ねたものをすべて大変気にかけておられることをはっきり示す聖書中の二,三の例にすぎません。