耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

初めて作った“ゴボウ”を掘る~出来は上々!

2009-07-13 09:03:56 | Weblog
 初めて作った“ゴボウ”を収穫した。「サカタのタネ」から取り寄せた岩手県産の極早生『てがるゴボウ』である。「根長35~45cmなので、スコップ一杯の耕起でラクラク栽培ができます」という宣伝文句に引かれて作ってみたが、宣伝にウソはなかった。伝来のゴボウを作っている本家の奥さんは、畝(うね)をなんと70~80cmも盛って作るが、これは30cmもあれば十分で仕事はきわめて楽だ。早速、一緒に作っているニンジンと合わせ「きんぴらゴボウ」でいただいたが、味も極上。これだから百姓はやめられない!


 掘り出す前の繁ったゴボウ:
           


 掘り出したゴボウ:
           

 
 ウエブサイト『食材事典』の「ごぼう(牛蒡)」には以下のように記している。

 <中国から渡来したと考えられます。そうとう昔に渡来したらしく縄文初期の貝塚からもゴボウの種が発見されたという話です。古くはキタキス、またはウマフフキという名で呼ばれました。
 西暦900年ごろ中国から牛蒡という名で“再び”紹介され、この後200年の間に食用として広まってアザミ(当時、根や葉が食用にされていた)に取って代わりました。
 “和名抄”(『倭名類聚抄』(923~930))に面白い記述があります。
「牛蒡。本草に言う悪実(アクジツ)は一名牛蒡。和名、岐太岐須(キタキス)。一に言う宇末不々木(ウマフフキ)。今案ずるに俗に房となすは非也」
(ゴボウ。薬草の悪実はゴボウの事。和名はキタキス。ウマフフキとも言う。牛房と書くのは間違い。)

 悪実はゴボウの種で、解熱、浮腫、咽頭痛の薬です。…
 この時代に書かれた延喜式の内膳司(927)の「耕種園圃」にある朝廷の菜園の栽培リストにはアザミはあるがゴボウはありません。その後、『類聚雑要抄』(1146)には、ゴボウが朝廷の献立に用いられた記録があります。だからこの間の約200年間に食用として定着したと考えられます。>

 一方、フリー百科事典『ウィキペディア』の「ゴボウ」をみてみた。

 <…旬は初冬で、新ゴボウは初夏となる。根は、日本の他、日本が統治していた朝鮮半島、台湾、中国東北部の一部以外では食材としないが、ヨーロッパなどでは初夏に若葉をサラダとして食べることもある。

 日本には薬草として中国から伝来。薬草としては発汗、利尿作用のある根(牛蒡根)のほか、浮腫、咽頭痛、解毒に用いる種子(「悪実」または「牛蒡子」という)を用いる。日本では乳腺炎に種をそのまま食べるか、煎じる使用法も有効として民間に口伝で知られる。繊維質が多く、便秘予防に効果があるとされる。>


 第二次世界大戦中、捕虜にゴボウを食べさせたところ、木の根を食わされたと勘違いし、戦後、責任者が捕虜虐待の罪に問われたという話がある。食習慣の違いを示す逸話だろう。ゴボウ掘りの手伝いに来た近くに住む甥が、長く伸びたきれいな茎を持ち帰り、蕗(フキ)料理みたいにして食べてみたらしい。ゴボウの調理法をネットで調べたら、以下のような記述があった。

「茎の部分だけを5分ほど塩茹でしてから水につけておく。3度くらい水を替えながら一晩水にさらしてから茎の皮をむき、軽く油でいためてから醤油1・酒1・だし2の割合の汁で強火で煮る。」

 手間ひまかかることだが、捨てるにはもったいない食の活かし方。「身土不二」「全体食」に心がけるのも大切と改めて思う。

 

安田節子著:『自殺する種子』を読む~農業に未来はあるか?

2009-07-11 11:27:05 | Weblog
 昨日の『東京新聞』コラム「筆洗」をお読みの方は、巨大資本の正体をまざまざと見せ付けられたことだろう。

 <借金は完済、給料は二倍に。このご時勢に何とも景気のいい話だが、海の向こうにはそんな結構な会社がある▼米金融大手ゴールドマン・サックス。政府から一兆円の公的資金を借りていたが、先ごろさっさと完済。さらに先日の報道によれば、従業員への今年の報酬は昨年のざっと二倍、一人当たり平均六千七百万円に上りそうだとか。他の大手金融機関でも高額報酬復活の兆しがあるらしい▼…何か変じゃないか。元はといえば、米金融界の“強欲”に原因する世界不況なのに、その当事者側は早々再生して「六千七百万円」を謳歌(おうか)、側杖(そばづえ)を食っただけの実体経済の末端の担い手はなお日々の暮らしに困る状況とは…▼町内の火事で多くの世帯が焼け出され苦労しているのに、火元の家が真っ先に建て直し豪勢な新築祝いでもしているようなものだ。理屈はどうあれ、とにかく間尺に合わない。>

 「間尺に合わない」と嘆いてみても、これがマルクスの教える巨大資本の行動原理である。「利益の最大化」を目的とする資本は、競争社会で必然的に寡占化、独占化へ驀進(ばくしん)する。資本主義国家はこれを支援・助成することで成り立っているわけだ。奴らは、世界中が雇用不安に見舞われ、貧困にあえぐ人民がどんなに増えようが、自分のふところが痛まない手段を用意している。海の向こうの話だけではなく、10兆円もの内部留保金を持っているトヨタが、派遣社員や期間工をまるでオガクズのように社外に抛り出しているのも、同じ理屈だ。


 「利益の最大化」のため資本は「狡猾」に振舞うだけではない。奴らは「政府と一体化」して“法”を我が物にしてしまう。その見本がアグロバイオ(農業関連バイオテクノロジー)企業だろう。安田節子著『自殺する種子』(平凡社新書)は、資本の行動が世界をいかに支配し歪めているかを“食”の視点から迫っている。『自殺する種子』とは言いえて妙だ。本ブログでもたびたび指摘してきたが、野菜や花作りをしている人はとっくにお気づきだろう。販売されいる種物のほとんどは外国産で、しかも「一代交配種」ないしは「自殺する種」に限られ、伝来の固有種はきわめて稀だ。安田さんの著書はその仕組みを解明してくれる。

 「自殺する種子」を開発したのは、アメリカのミズーリ州セントルイスに本社を置く多国籍バイオ化学メーカーの“モンサント”社。農薬メーカーとしても有名で、ベトナム戦争で使われた悪魔の「枯葉剤」が同社製だったのは周知のことだ。「自殺する種子」はターミネーター技術によって生れた。同書から引用(以下<>は引用)する。

 <ターミネーター技術とは、作物に実った二世代目の種には毒ができ、自殺してしまうようにする技術のことです。この技術を種に施して売れば、農家の自家採種は無意味になり、毎年種を買わざるをえなくなります。この自殺種子技術を、「おしまいにする」という意味の英語 terminate から、RAFI(Rural Advancement Foundation International`:現ETC)がターミネーター技術と名づけました。>

 「自殺する種子」をめぐっては10数年前、インドで綿の「自殺する種」を買わされた綿花農民が暴動を起こした事件を記憶しているが、いまや世界中の農民が悪魔(モンサント社など一部のアグロバイオ企業)の餌食にされつつあるのだ。彼らの貪欲さはここにとどまらない。

 <また業界はターミネーター技術をさらに進化させた、トレーター技術も開発しています。植物が備えている発芽や実り、耐病性などにかかわる遺伝子を人工的にブロックして、自社が販売する抗生物質や農薬などの薬剤をブロック解除剤として散布しない限り、それらの遺伝子は働かないようにしてあります。農薬化学薬品メーカーでもあるこれら企業の薬剤を買わなければ、作物のまともな生育は期待できないのです。RAFI が、この技術をさす専門用語 trait GURT にかけて traitor(裏切り者)技術と名づけました。>

 鳥インフルエンザ、豚インフルエンザの発生源も超過密飼いの工業化した畜産巨大多国籍企業だということは今では常識だが、農業がアグロバイオ企業に蚕食されている実態もきわめて深刻なことを教えている。詳しくは同書を読んでもらうしかないが、目次の章だけあげておこう。

第一章 穀物高値の時代がはじまった
第二章 鳥インフルエンザは「近代化」がもたらした
第三章 種子で世界の食を支配する
第四章 遺伝子特許戦争が激化する
第五章 日本の農業に何が起きているか
第六章 食の未来を展望する


 筆者は「大規模近代化農業には未来はない」といい、大規模農業で利益を上げてきた米国農民が、こんにち、化学肥料や農薬の大量使用によって土壌が疲弊し、無謀な灌漑用水の使用が地下水を涸渇させピンチに立たされていると指摘している。加えて、米国流のシステムで規模拡大を図ったわが国の酪農も行き詰まっているという。本ブログ(08年2月21日『「稲作小言」~“船津伝次平”の「小農の薦め」』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20080221)でも書いたが、わが国の農政は“船津伝次平”の教えに学ぶべきだが、行政はとんとその気はないらしい。

 
 最後に教えられたことを一つ。日本有機農業研究会の創立者の一人である一楽照雄が、会の名称をつけるに先立ち黒沢酉蔵(1885~1982:雪印乳業の前身、北海道製酪販売組合の創立に参画、北海道農業に尽力した人物)を訪ねたときのことだ。

 <黒沢から「機農」という『漢書』のことばを教えられ、その意味は「天地、機有り」と聞いて天啓を得たのでした。「機」とは大自然の運行のしくみであり、天地、すなわち自然の理(ことわり)を尊重する、自然の側に基準を置いた農業といえます。これに対し近代化農業は、人の側に基準を置いた自然制圧農法といえます。「有機農業」とは、単に農薬を使わず、有機物を土に入れた農業といった方法論によるだけのものではなく、思想なのです。>

 
 多国籍バイオ化学メーカーによる世界の農業支配に抗しつつ、古来伝承された農法にこだわりながら「有機農業」に挑戦する少数派の百姓たち。“道遠し”の観はあるが、人類の食の未来はこの百姓たちの思想の実践にかかっている。

『長寿恥あり』~アメリカへ行った「憲政の神様」のはなし

2009-07-09 09:02:04 | Weblog
 「憲政の神様」と崇められた尾崎行雄(1858~1954)は95歳まで衆議院議員を務めた。実に63年間、連続25回当選の記録保持者である。

 ついでに触れておくが、惜しくも「憲政の神様」になれなかった男がいる。「風見鶏政治家」と評されながらも連続20回(56年間)の当選を果たした中曽根康弘(1918~)で、小選挙区制移行(2003年)にあたり比例北関東終身一位を約束されていたが、小泉純一郎自民党総裁(当時)の「比例区73歳定年制」導入に伴い引退を迫られ、尾崎の記録を敗れなかった。

 
 プロレタリア文学作家で有名な“宮本百合子”(1899~1951)は「憲政の神様」をとりあげ、戦後間もなく『長寿恥あり』という短文を書いた。

 <90歳の尾崎行雄が、きこえない耳にイヤ・ホーンをつけて、「ちょっととなりへ行くつもりで」アメリカへ行った。90歳まで生きている人間そのものが、アメリカで珍しいわけもない。「日本の憲政」の神様とよばれた彼が九十であるところに、何かの意味があったのだろう。
 アメリカへ行くとのぼせて、日本人に向かっておかしなことをいう日本人は、冬のさなかにサン・グラスをつけて、フジヤマ・スプレンディット(素晴らしい富士山)と叫んだ田中絹代ばかりではない。池田蔵相もだいぶおかしくなったらしい。尾崎行雄は年甲斐もなく亢奮して、日本の国語が英語になってしまわなければ、日本で民主精神なんか分りっこないと放言しているのには、日本のすべての人がおどろいた。元来民主主義は英語の国から来たものだからだそうだ。
 カクテール・キングとあだ名されるバオダイ・ヴェトナム王でさえ、まさかヴェトナム人の言葉が外国語になればいいという「くだ」はまいていない。そういう尾崎自身はワシントンで議会訪問した折、国会図書館長のラップ氏から、同図書館に陳列されている自作の和歌をしたためた色紙を示されて、ニンマリ満足した上眼づかいの写真を写されている(6月17日、読売)。
 帝政ロシアの貴族たちはフランス語で話した。中国の「台湾ぐみ」も自分の国語を二つもっている連中である。民衆は常にその民族の言葉を話す。>(1950年6月:ウエブサイト『青空文庫』参照)


 世間に「老害」という言葉がある。こんにち、中曽根康弘元首相や彼の盟友・読売新聞社の渡辺恒雄らの言動が代表格と目されている。棺桶に片足を突っ込みながらも天下を睥睨して止まないこういう御仁は、天下を治めえる後継者を育てえなかったわけだ。宮本百合子の一文は、こんにちの日本が「米国の植民地」と喝破した経済学者・宇沢弘文説(本ブログ:09.4.18『「植民地としての日本」~』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20090418)を裏付ける有力な史料の一つだろう。

 「老害」は「老醜」に通じるが、その存在の裏には「親離れ」できない子どもの存在がある。かくして問題は「親(アメリカ)離れ」できない子(日本)と「子(日本)離れ」できない親(アメリカ)へと敷衍する。自立できない「日本国」の実相は、「憲政の神様」がアメリカを訪問した半世紀余の昔を引き摺ったままであることに気付く。

愛媛県警“記者クラブ”の頽廃と「正義」を実践した“仙波敏郎”さん

2009-07-07 08:24:47 | Weblog
 愛媛県警の「裏金」を内部告発した現職警察官“仙波敏郎”さん(本ブログ07.10.28『“犯罪”は誰が取り締まるのか?』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20071028をご参照下さい)が、数々の嫌がらせを受けながら職務を全うし本年3月末で定年退職した。これを機にOB会「松山南警友会」に入会を申し出たところ仙波さんは入会を拒否されたという。「ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)」さん(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/m/200907)の記事(7月5日)を引用する。

 <元愛媛県警の警察官で、捜査費を裏金にする偽領収書作成の実態を告発した仙波敏郎さんが、OB会である松山南警友会の入会を断られたのだという。こわいですね~、組織を裏切った者は許さないってことなんでしょうね~。しか~も、この入会拒否を仙波さんが記者クラブ(おそらく愛媛県警記者クラブ)に情報提供したところ、愛媛県警の関係者が来て、配布した資料を回収したという。本当に怖いですね~。

 しかし、しかも、仙波さんの入会拒否はなんと、どの社も報道しなかったというのだ~。これは、大変なことですよ。私はこのことが本当かどうかは知らないが、もし、嘘だというのならば、記者クラブは、仙波さんと、仙波さんがこのことについて書いた記事を掲載した「紙の爆弾」(8月号)に対し、抗議すべきだろう。

 記者クラブで配布された資料を警察に回収されたうえ、記事にしなかったというのだから、所属記者にとっては、名誉毀損もはなはだしいはずだ。これを読んだ読者は、所属記者は、①配布された資料を警察に渡すなんて警察の犬だ、と思うだろうし、②無理に持ち去られたとしても、奪われたこと自体は記事にできるはずだ、と思うだろうし、③資料がなくても再度仙波さんに連絡して入会拒否の記事を書くことはできたはずだ、と思うだろう。もし、所属記者がこの仙波さんの告発に対して、何にもアクションをとらないならば、それはこの仙波さんの告発を認めることになると思うし、自らが警察の言いなりになる存在であることを認めることになると思うよ。

 記者クラブを批判するとマスメディアは、必ずといっていいほど、権力を監視するために役立っていると反論する。そういう一面があるのは否定しない。しかし、今回のようなことを見聞きすると、権力を守るためにある組織のようにしか思えなくなってしまう。

 紙の爆弾8月号のこの記事は必読だ。ぜひ、買って読んでほしい。>


 “権力”に関してはたびたびふれてきたが、“仙波敏郎”という人物は、躊躇することなく立ちはだかる巨大な壁に立ち向かった稀有な人である。イギリスの歴史学者J.E.アクトンは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」との有名な言葉を残したが、これは歴史が認める真理だろう。だが、もう一つの言葉を忘れてはならない。

 <権力は腐敗するとしばしば言われる。しかし、弱さもまた腐敗することを知るのが、等しく重要であろう。権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる。>(エリック・ホッファー『魂の錬金術』(作品社))

 この箴言にある「弱さ」が愛媛県警記者クラブの連中を示唆しているのは言うまでもなかろう。ここにもう一つ、明治・大正・昭和初期に、ジャーナリストの本領を示した“桐生悠々”の言葉を見ておこう。

 <人動(やや)もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。
 私は言いたいことを言っているのではない。徒(いたずら)に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。>(『桐生悠々自伝』:鎌田慧著『反骨のジャーナリスト』/岩波新書より引用)

 悲しいことに、「言わねばならぬこと」を黙して語ろうとしないジャーナリストが現代社会に遍満する。


 次の動画は“仙波敏郎”がいかなる人物かを実証するものだが、同時に、「権力」(直接的には「愛媛県警」)の醜悪さを如何なく物語るばかりか日本という国家に慄然とさせられる貴重な「ドラマ」です。
 ぜひ、二本を続けてご覧になってください。


 「You Tube 仙波敏郎さん 5-3」(8分:41秒):http://www.youtube.com/watch?v=To7EwiNw3KI&feature=related

 「You Tube 仙波敏郎さん 5-5」(10分:11秒):http://www.youtube.com/watch?v=TgsQHiegnoU&feature=related

「駄洒落と下ネタ」が趣味だった“米原万里”さんの愉快な小咄

2009-07-05 09:42:38 | Weblog
 ロシア語同時通訳およびエッセイスト・作家で知られた米原万里さん(1950~2006)については前にも書いたことがあるが、彼女の遺作は『必笑小咄(こばなし)のテクニック』(集英社新書)とされている。趣味が「駄洒落と下ネタ」という彼女らしい話が盛られていて楽しく読める。才女は「小咄」のつまった大きな引出しを持っているものらしい。引出しから三つ選び出してみた。

 
 これは騙しの究極のテクニックだろうか?

【小咄その一】 

「へぇ、お越しやす」
「嬶(かか)が新しい水壺買うてきてくれ言いよりましてな……」
「へぇへぇ、右ん棚が十円もん、左ん棚が五円もんになってます」
「ごっつう高こおますなあ……この左ん棚の白いんがええわ。遠いところから来てるんやから、せいぜい気張ってやー」
「そうでんなあ、どおーんと勉強して、四円! これ以上はまからしまへん」
「そうでっか。そなら失礼しますわ」
「三円! 儲け度外視ですわ」
「ほな、もらおうか」
「ありがとさんでおます。へぇ、たしかに三円いただきました。どうぞ、これからもご贔屓(ひいき)に」
 ところが、店を出ていった客が半時も経たぬうちにまた戻ってまいります。
「へぇ、お越しやす。おやまあ、さっきのお人やおまへんか」
「嬶に見せよったら、この壺は小さい言いよりますのや。右ん棚の大ぶりな壺もらいますわ。せいぜい勉強してや」
「七円!」
「六円!」
「殺生な……仕方ありませんな。手え打たしてもらいますわ」
「おおきに。そいでこの小さい方の壺は下取りしていただけまっか」
「よろしおます。三円で引き取らせていただきまひょう」
「さっきの三円と壺の下取り賃三円と合わせてちょうど六円や。ほな、この壺、もろていくで。つつまんでもええがな」
「へぇ、おおきに。またお越しやす」


 次はソヴィエト連邦と独裁国家崩壊後のロシアをじかに見てきた米原万里さんらしい小咄である。 

【小咄その二】

 天寿を全うしたブレジネフ書記長は、当然の成り行きとして地獄に落ちた。入り口のところで地獄の職員が待ちかまえていて、注意する。
「ブレジネフさん、地獄に来た以上、必ず罰を受けなくてはなりません。書記長とて逃れるすべはありません。ただし、どんな罰を受けるかは、選択できる仕組みになっています。自分でみて選びなさい」
 そう言われてブレジネフは、地獄を一通り見学した。すると、レーニンは針の山でもがき、スターリンはグツグツ煮えたぎる釜の中で悶えていた。ブレジネフは思わず身震いをしたほどだ。
 ところが、なんと向こうのほうでは、フルシチョフがマリリン・モンローと抱き合っているではないか。ブレジネフは手を叩いて叫んだ。
「これだ。わたしにもフルシチョフ同志と同じ罰を与えてもらいたい」
 地獄の職員が言った。
「とんでもない。あれはフルシチョフではなく、マリリン・モンローが受けている罰ですぞ」


 最後に、米原万里さんが好んだ「下ネタ」から。いやはや、才女には敵わない!

【小咄その三】

 世の中には時々、自分のほうが妻より優れていて当然という根拠のない妙な強迫観念に囚われて劣等感に苛まれる男がいるものだ。例えば H さん。妻のほうが学生時代の成績も現在の稼ぎも酒量もはるかに多い。テニスをやっても将棋をさしても妻に勝ったことがない。走っても泳いでも妻にかなわない。自分は結婚した時は童貞だったのに、妻はすでに何人か男を知っていた等々。ライバル心など持たずにとっとと事態を素直に受け入れればいいものを、往生際が悪いものだから、自己嫌悪に陥って陰々滅々としている。このままではますますダメ人間になってしまいそうだ。これではいけないと、H さんは『劣等感の心理学』なる本を見つけて目を通したところ、ケース・スタディで自分とソックリな症例があり、次のアドバイスがあった。
「どんなくだらないことでも構わないから何か一つでも、彼女より優れている自分の長所を見つけること」
 三日三晩、ない智慧を絞って考えついたのが、どれだけ高くオシッコを飛ばせるかという競技。妻は意外にもあっさり、「いいわ」と同意した。さっそく庭に出て塀の傍に立ち、スカートをめくると片足を高く上げてクルリと回転しながら勢いよく放尿した。塀に出来た染みの最高点を測ってみると、1メートル82センチ。H さんもおもむろに「社会の窓」を開け、モノを取り出し上のほうに向けて放尿しようとしたところ、妻が憤慨したのだった。
「ちょっと、汚いじゃないの。手を使うのは反則だわよ!」

民主党都義“吉田康一郎”と鳩山民主党代表への公開質問状

2009-07-03 09:18:22 | Weblog
 都議会選挙が今日告示された。インターネット新聞『日刊ベリタ』代表/編集長の大野和興氏が、6月26日、東京都議会議員吉田康一郎(民主党)と民主党代表鳩山由紀夫に「公開質問状」を出している。内容は、吉田都議の奇怪な言動を質すものだ。

 質問状によれば、右翼市民運動「在日特権を許さない市民の会」主催の竹島デモ集会(09.2.21)で、吉田都議は「不逞朝鮮人は全員出て行け!」と演説したそうだ。周知のごとく「不逞朝鮮人」とは、関東大震災時、混乱に乗じて「“不逞鮮人”が蜂起し暴徒化した」として無辜の朝鮮人が大量虐殺された事件に由来する差別語である。非常識きわまる言動をまき散らす突拍子もない吉田康一郎とはいかなる人物か、調べてみた。

 
 彼のWebにある「プロフィール」によれば、昭和42(1967)年、東京・中野に生まれ、慶応普通部、高校、大学を出て経団連事務局に入局。2001年、小沢一郎の自由党から世田谷区より都議選に出馬するも落選。その後、今井洽衆議院議員(自由党・元法務大臣)の政策秘書となり、2005年、中野区より都議選に出馬し当選した。もちろん、本日告示の都議選にも民主党公認で立候補している。

 このWebに記載の彼の「書棚」には11冊の本が挙げられている。
 
 「中国が隠し続けるチベットの真実」
 「中国を追われたウイグル人」
 「中国は日本を奪い尽くす」
 「中国の“核”が世界を制す」
 「抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか」
 「南京事件“証拠写真”を検証する」
 「中国はいかにしてチベットを侵略したか」
 このほか「世界がさばく東京裁判」や渡辺昇一の「全文 リットン報告書」などがあるが、11冊中7冊までが“反中書籍”というこの「書棚」から奇怪な人物像が浮かんでこよう。

 先の「公開質問状」には、本年3月20日開催の「外国人参政権に反対する会」集会での彼の発言もみえる。

 <…対馬が経済的に非常に悪い状態でして、対馬に韓国人の観光客がいっぱい行ってですね。経済を完全に韓国依存にしてしまえと。そして住民を韓国びいきにしてしまえと。そして、韓国人の投資をどんどん進めて、土地を買ったり、ホテルを買ったり、あるいは韓国の観光会社がバスを運営したり、さまざまな事で、経済を韓国の支配下に置いてしまえと。そして韓国人の移住者をどんどん増やしてしまえと。そして、外国人の地方参政権や、あるいは住民投票、こういう権利を認めさせて、議会の議決で、あるいは住民投票で、韓国帰属を決めさそうと、これです。これを本当に考えているんですよ>

 何を意図してこのような挑発発言を繰り返すのか、誰しも首を傾げるだろう。『日刊ベリタ』の大野代表は、かかる人物をなぜ、民主党は公認しているかを鳩山代表に問うているわけだ。


 ところで東京都にはもう一人、「都議会右翼三羽烏」と呼ばれる民主党所属の人物がいる。土屋敬之都議である。首都の小皇帝・石原慎太郎の近衛兵として活躍する男だが、園遊会における“天皇との会話”で一躍有名になった将棋の米長邦雄(都教育委員=米長の国旗・国歌発揚発言をたしなめた天皇の“お言葉”)らと足並みをそろえて教育行政を踏みにじり、外国メディアのインタビューに答えた土屋敬之の発言から、「天皇(平成)をも畏れぬ男」(米長への“お言葉”を不服とするもの)として知られている。彼の異常な言動はいくつかの訴訟沙汰になっているが、あまりの異常さゆえ、大方敗訴している。現在は都議会民主党総務会長で今回都議選は4期目。本来なら衆議院選候補に挙げられるところだが、異常が災いして国会への道は遠いらしい。吉田康一郎はこの土屋敬之の子分格との説もある。こういう人物らを公認しているのが民主党なのだ。


 “政権交代”を望まぬわけではないが、仮に民主党が政権をとっても「新しい酒を古い皮袋に盛る」ことにならないか心配で夜も眠れぬ。


 興味のある方は次のリンクをご覧ください。

 「土屋敬之」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E6%95%AC%E4%B9%8B

 「米長邦男が将棋名人になれたホントの理由」:http://www.news.janjan.jp/column/0905/0905223866/1.phphttp://www.news.janjan.jp/column/0905/0905223866/1.php
 

大資本の掠奪に苦しむ“アマゾン先住民”~米支配下のペルー

2009-07-01 09:17:23 | Weblog
 昨日の『毎日新聞』は「中米ホンジュラスの左派、セラヤ大統領(56)が28日早朝、軍に拘束され、コスタリカに移送された」と報じた。これを読んで思い浮かんだのは「チリのクーデター」である。(詳しくは本ブログ08.10.28『今の“世界恐慌”はチリのクーデターが発端!』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20081028))このホンジュラスのクーデターに米国が無関係とは考えにくい。米国支配を脱した中南米諸国の左派政権は一斉に「クーデター」を非難しているが、いずれ真相は明らかになるだろう。

 ここまで下書きしていたら、愛読サイトの『マスコミに載らない海外記事』にクーデターの背景事情が記されていた。中南米諸国で起きた過去のクーデター同様、米国の関与は否定できないようだ。大統領が代わっても「懲りないアメリカ」は続く。詳しくは次のリンクをご覧ください。

 「ホンジュラスでクーデター進行中:オバマ最初のクーデター」:http://eigokiji.justblog.jp/blog/2009/06/post-5b1e.html


 「懲りないアメリカ」のもう一つの話。米国支配から脱しきれないペルー政権は、アマゾン開発をめぐり先住民の激しい闘いに悩まされているという。『北沢洋子の国際情報』(6月28日)に「アマゾンの先住民にたいするペルー政府の弾圧」という記事があるので、全文引用する。

[引用開始]

1.憲法違反の「ジャングル法」

 さる4月9日、ペルーのアマゾン熱帯雨林地帯に住む先住民たちは「無期限スト」を訴えて立ち上がった。
 これはペルー政府を驚かすものだった。槍で武装した先住民たちは油田事務所を占拠し、川をブロックし、ハイウエイをピケした。これでアマゾンへの入り口は完全にブロックされた。先住民たちは熱帯雨林と先住民社会を脅かすとして政府の10件の法案を廃案にすることを要求した。
 これは正当な要求であった。なぜなら、ペルー議会の超党派の憲法審査会までもが、問題となっている10件の中の一つ「森林と野生動植物法」をすでに憲法違反であると宣言しているからである。しかし、正式に法案を廃棄するには、議会で十分な討議と裁決を経なければならないという問題がある。
 また先住民たちが要求している残りの9つの法案についても、08年12月、同じく超党派の憲法審査会が「憲法違反」であると、宣言している。
 しかし、ガルシア大統領の党APRAからの締め付けと、投獄されているフジモリが率いる右翼政治家たちのサポートもあって議会では憲法審査会の決議を議論できないでいる。
 議員たちのなかでは、先住民の闘いを支持する選挙区の声に押されて、法案に反対している。

2.先住民AIDESEPの闘い

 この先住民の闘いを率いているのは「ペルーの熱帯雨林開発協会(AIDESEP)」のアルベルト・ピザンゴ代表である。彼はペルーのアマゾンに住む35万人、1,350の村の長老たちから選出された「apu(首長)」である。AIDESEPは30年前に設立された。

 彼は「要求のすべてが受け入れられるまで、続ける}と語った。
 ピザンゴ代表は、「政府にまず望みたいことは、5月9日にアマゾン5地域に発令した非常事態法(とくに午後3時から翌朝の6時までを外出禁止にした)を廃止することである」という。彼はまた「議会は憲法違反の悪法を廃止し、先住民とともにアマゾンの開発について、時間をかけてじっくりと議論すべきだ」という。
 実は、ペルー議会は、07年末に、アマゾンの開発に関して例外的な権限を大統領府に与えたのであった。その結果、ガルシア大統領は、2006年に米国との間に締結された「自由貿易協定(FTA)」(ラテンアメリカでFTAを受け入れたのは3カ国でしかない)に沿って、ペルーのアマゾン地域の開発のフリーハンドを獲得したのであった。

 これは2008年10月に、リークされたビデオによって明らかになった。ビデオはガルシア政権の高官と多国籍石油会社のロビイストたちが先住民の領土で開発することについて交渉している内容であった。
 ペルーに投資した多国籍企業は、08年半ば、すでにアマゾン開発に関する99件の法案を策定した。そのなかの10件が、石油、鉱山、森林伐採、ガス、バイオ燃料などの資源開発のために、熱帯雨林を危機に陥れることになるものであった。例えば、ペルー政府のプランでは石油と天然ガスの開発区域だけで、ペルーのアマゾン地域の72%をカバーする。
 これらは総称して「ジャングル法」と呼ばれる。

 ピザンゴ代表は、これらの法律は、ペルー政府が国際労働機関(ILO)と交わした先住民の土地と文化の権利の尊重を決めた協定第169条に違反すると言っている。これはペルー政府自らも署名したものであった。
 5月27日、首都リマでAIDESEPのピザンゴ代表とペルー政府のシモン首相との間で話し合いが行なわれた。シモン首相は左派で、元政治犯であった。先住民たちが話し合いを公開すべきだという要求にもかかわらず、この交渉は秘密裏に行なわれた。
 シモン首相は「ガルシア大統領の非」を認め、「過去1世紀に亘ってペルー政府には先住民にたいする政策がなかった」と述べた。
 一方、政府はマスメディアを使って先住民にたいする汚い人種差別発言(「野蛮だの、動物的だ」という)を繰り返した。
 ついに6月5日、ピザンゴ代表は全面的な叛乱を呼びかけた。「我々は十分忍耐してきた。しかし、もう沢山だ」と言った。
 現在、石油を運ぶ川のルートは完全にブロックされ、ノール・ペルー石油パイプラインも流れが止まっている。ペルーの国営石油会社PURUS`ETROLもストのため操業が停止していることを認めた。

3.「悪魔のカーブ」虐殺事件

 先住民たちのストが一転して流血の惨事となったのは、6月5日、金曜日のことであった。ペルーのアマゾン北部を走っているハイウエイの「悪魔のカーブ」と呼ばれる地点(Bgua市に近い)で、頭を鳥の毛で飾り槍を持ってハイウエイをピケしていた先住民たちに向かって特別機動隊が実弾を発射した。現場近くの町でも警察の銃弾の発射音が聞こえた。多くの犠牲者が生じたことは言うまでもない。その中には、4歳の子供もいた。死者の数は40人と言われるが、明確ではない。逮捕者は150人以上に上るといわれる。
 警察が怪我をした人びとを強制的にエルミラグロの軍事基地に運んだという証言もある。また、警察が袋詰めにした死体をUtcubamba川に投げ込むのを見たと現地のジャーナリストがラジオで語った。
 ピザンゴをはじめとするAIDESEPのリーダーたちは逮捕状が発行されたので、地下に潜った。ピザンゴ代表は「悪魔のカーブ」虐殺は、先住民にたいする20年来の事件だ、と言った。
 1986年6月、今と同じガルシア大統領時代、彼はリマ市内の刑務所で待遇改善を要求した政治犯に対し、軍隊を差し向けた。大砲や小銃で最低400人の政治犯を虐殺した。この虐殺事件は、ガルシア大統領がリマで開かれた「社会主義インター」の会議のホストを務めていた最中であった。この会議に出席したヨーロッパの社会民主主義政党の代表たちは大いにばつが悪かった。
 ガルシア大統領は「アマゾンの反乱を収めるためにやむを得ず採った手段であった」と弁解した。
 一方先住民たちは、「悪魔のカーブ」の虐殺に対して反撃にでた。その日のうちに政府の官庁やガルシア大統領の与党APRA党のビルを打ち壊した。
 「悪魔のカーブ」での虐殺ははじめてのことではない。ガルシア大統領はナポ川をブロックしていた先住民に対して海軍を派遣し、弾圧をしたことがある。

4.ペルー先住民の闘いに対する支援

 ペルーの先住民にたいする「悪魔のカーブ」での虐殺事件は、ペルー政府に対する国際的な非難の的になった。「アマゾンを守ることは、ペルー先住民だけでなく、全人類のためである」という共通のスローガンである。45の国際的な人権擁護団体が共同で声明を出した。世界中の11の都市でペルーの先住民虐殺に抗議するデモが行なわれた。
 ペルー国内でも、労働組合総同盟、農民組合、市民組織が、6月11日を先住民に連帯する日として、大規模なデモを呼びかけた。
 同時に多くの非先住民のボランティアが現場に赴いた。6月5日の「悪魔のカーブ」での流血事件の最中でも、非常事態宣言の中を、怪我人を運んだり、飲み水を届けたりした。広範な市民社会の運動の中に先住民たちの闘いを支援する「いのちと主権を守る共同体戦線」が設立された。
 現在のところペルーの先住民の闘いはどうなるか予測できない。先住民はガルシア大統領の辞任と全「ジャングル法」の廃止を要求している。ガルシア派ではない野党、マスメディア、労組などはガルシア大統領が何人かの閣僚、とくにシモン首相と内相を辞任させろと要求している。警官の労働組合は「警官とインディアン兄弟たちの死を悼み、それをガルシア大統領のせい」だといっている。
 「悪魔のカーブ」虐殺事件から6日たった6月11日、ペルー議会は、先住民と交渉するために、「ジャングル法」の中の「森林と野生動植物法」である第1090号と第1064号議案を59対49票という僅差で、90日間停止させることを決めた。
 勿論、AIDESEPは「ジャングル法」の10法案のすべてを廃止することを要求している。

5.先住民の国際会議

 今年の5月29日から始まる1週間、ペルー高地のプノ市で、第4回Abya Yala先住民サミットが開催された。Abya Yalaとはパナマのクナ先住民が使っている言葉で「アメリカ」の意味である。
 これにはラテンアメリカの先住民の代表が5,000人集まった。これは、今年の最も重要な出来事である、と言われている。なぜなら、彼らが議論した内容は、資本がもっとも苛酷な形で地球の生存を脅かしていることを明らかにしたのであった。
 第1回先住民国際会議は2000年にメキシコで開かれた。そして、エクアドル、グアテマラと続いた。2007年のグアテマラの先住民国際会議の際、先住民の女性たちが、抑圧されていることを克服するために、自身の会議を開こうということになった。そこで、今年のプナでの第4回会議の際に、5月27日、2,000人の女性たちが会議を開いた。会議が始まる前、先住民の女性たちが、広場から会場となったAltiplano国立大学に向かってデモをした。最初は少人数であったが、途中から大勢が参加して、最後は大規模なデモになった。

[引用終り]


 国民の圧倒的人気で大統領になったオバマだが、残念ながら米国国家の本質は変わらない。しかし、中南米諸国の「カジノ資本主義」離れは加速こそすれ、もはや後退はしないだろう。「金は力なり。力は正義なり」の政治哲学の終焉は近い。

痛ましい不慮の死~友人の「忌明け法要」に出席して

2009-06-29 12:14:14 | Weblog
 昨日は、先月、不慮の事故で急死した友人の「忌明け法要」に出席した。鹿島市で開く定例の「同級生囲碁会」で顔を合わせた四日後の夜、世話役の T 君から「O.Y君が自宅の裏山で死んだらしい」と電話があった。陶磁器の窯元を息子に譲って事業は続けているといっていたが、当初は事情がわからないまま、仕事上の悩みでもあって自殺したのではないかと仲間内では憶測が飛びかった。後で聞いた奥さんの話。
「野イチゴ採ってくるよ、と声をかけ出て行って間もなしでした。通りかかったトラックの運転手さん(自宅兼窯元は“旧長崎街道”に面している)が崖下に倒れているのを見つけ、119番通報してくれたんです。ほんの2メートルほどの高さで、よほど打ち所が悪かったのでしょう」

 Y 君とは高校時代サッカー部で一緒、おまけにお互いの実家が「焼き物屋」だったので特別親しかった。彼の姉さんは有名な陶芸家・小野珀子さん(1925~1996)。「釉裏金彩」の技法で“豪華絢爛で幽玄な世界観”を表現したと評され、国立近代美術館はじめ国内外の美術館が収蔵、今もあちこちで遺作の個展が開かれているようだ。佐賀県重要無形文化財保持者だった。Y 君は一時期、父親が創始した「琥山窯」を兄弟で経営していたが、今は分離独立し、息子に譲って悠々自適の身だった。


 法要は地元禅寺の同級生僧侶 K 君が“般若心経”“観音経”を唱えるなかしめやかに行なわれた。私は、友人と相談の上『別辞』を用意して行き、彼との交友を織り交ぜ、最後を次のように結んだ。
 
 <…川柳作家の井上信子さんの句に

   一人去り 二人去り 仏と二人

 とありますが、いずれは仏の身元に行く「倶会一処」のわが身です。
 「諸行無常」といい「一期一会」といいますが、Yちゃん、縁あってこの世で君に出会えてよかった。すばらしい想い出をくれた君に、心から感謝し、無念の思いを抱きつつも「さようなら」を言います。
 Yちゃん、安らかにお眠りください。>


 いろいろの出会いがあると同時に、いろいろな別れがある。死期の迫った良寛和尚をみとる貞心尼の様子を水上勉は『良寛』(中公文庫)で書いている。

 <…手をつくし、遠からず逝きたまうお方かと思えば、かなしくなって、ついわれしらず
 
  生き死にの界(さかい)はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき

 ともらすと、良寛は、それを耳に入れたとみえ、力なく、つぶやくように返した。

  うらをみせおもてをみせて散るもみぢ >


 本来、死とはこういうもの。不慮の死に見舞われる人間の不幸ほど痛ましいものはない。



 

『まんが日本昔ばなし』:「貧乏神と福の神」~ほどほどが一番という話

2009-06-27 10:10:17 | Weblog
 金さえあればなんでも手に入る世の中だが、「豊かさ」の実感はそれほどでもない。まして、“ワーキングプア”などという政治的遺物が存在する社会では「豊かさ」など夢のまた夢だろう。こんな時ふっと、思い出されるのが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』である。

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋(イカ)ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萱(カヤ)ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ


 ずいぶん昔のことだが、民間放送夜7時のゴールデンタイムに『まんが日本昔ばなし』という番組があって楽しみに視ていた。市原悦子と富田富士男のなんともいえない包み込むような語りにゾクゾクした覚えがある。その一つを『youtube』でご覧いただきたい。宮沢賢治が思い描く人のおはなしである。


「貧乏神と福の神」:http://www.youtube.com/watch?v=XRhKULxyQ5o&feature=related

「虫が減って受粉できない」~だが、Aさんの畑ではスイカが豊作

2009-06-25 09:31:15 | Weblog
 やっと梅雨らしくなって雨が続き、畑の野菜も元気になった。それはいいが、雨で一日畑に出なかったら、自然生で元気がよく鈴なりの実をつけているミニトマトに“テントウムシダマシ”がびっしりたかって、ほぼ半分の葉を食い荒らしていた。この“テントウムシダマシ”はナスにもたかって、葉っぱを網の目にしている。昨日は朝から捕殺に大わらわだった。マクワウリやカボチャ、キュウリには朽葉色の“ウリハムシ”がつく。この虫は近づく人影を察知するとたちまち飛び去るので、なかなか捕殺できない。地主のおばさんが「朝方なら捕りやすい」というので、早めに行って確かめたら本当だった。昼間とくらべ確かに逃げ足が鈍い。昔の人はよく知っている。無農薬野菜づくりは先人に学びながら害虫との闘いである。ネット検索で知ったが、唐辛子とニンニクの煮汁を冷まして竹酢液を加え、これを噴霧器で散布すればよいとあった。さっそく試してみるつもりである。

 囲碁仲間の A さんが「サツマイモの苗はいらんかネ」というので、貰いに行った。自宅の裏庭に苗床があって、50本ほどいただいた。その苗床のすぐ傍にニホンミツバチの巣箱があり、ハチが飛び回っている。ひと月ほど前、桃の木に「ハチ玉」ができたので、専門家に問い合わせ仮の巣箱を作って入れている話は聞いていたが、専用の巣箱を買い求めて本格的に飼いはじめたらしい。現在の巣箱は二段で、間もなく三段目をつぎ足すと言う。巣箱の位置が邪魔で、ハチが巣箱に戻った夜、5メートルほど移動させたところ、ハチが巣箱を離れもとの場所に戻ってしまった。専門家に電話して訊くと「巣箱をすぐもとの場所に戻しなさい」といわれたので、巣箱を戻すとハチが全部巣に戻ったと驚いていた。ニホンミツバチとセイヨウミツバチの違いをいろいろ教えられ、A さんは「一からハチの習性ば勉強しとっとバイ」と言う。

 ついでに A さんの畑に案内してもらった。友人三人で借りている畑はかなり広い。目についたのはスイカだ。彼の借地三ヵ所では20センチほどのスイカがゴロゴロ実っている。思わず「イヤー、すごいネェ!」と声をあげた。A さんは、上の方の本百姓は「今年はスイカが結果しない」と嘆いているが、自分は朝の散歩前に雄花と雌花を受粉させたという。私は地主のおばさんが「カボチャは受粉させないと成らないよ」と言っていたことを思い出した。A さんは「今年はキュウリの実つきが悪いが虫がいないからだろう」という。そういえば、うちの節成りキュウリも実つきが悪い。今さらながら環境の微妙な変化に驚かされる。


 早朝5時40分からNHKラジオで「健康講話」をやっているが、今週のテーマは「体内時計と健康」で、東京女子医大の大塚教授が興味深い話をしている。すべての生物は太陽や月など宇宙の運行に同調する体内時計を持っていて、その時計に狂いが発生すると生体に異常が生じる。この事実は随分昔からわかっていたが、最近、遺伝子レベルで疾病や死との関連が検証されているらしい。A さんのミツバチの話とも関連し、以前切り抜いていた新聞記事(『毎日新聞』?)からミツバチの「体内時計」について引用しておく。


 <あらゆる虫たちのなかでも特殊な行動形態と機能性を持つのがミツバチです。ミツバチは、その脳の中に「サーカディアン・クロック(リズム)」と呼ばれる約24時間周期で振動している時計機構をもっています。
 たとえばセイヨウミツバチの場合、女王蜂と雄蜂の交尾飛行の時間帯は午後1時~3時。これは遺伝的に決められていて、彼らはデートの時間を勝手に変えることはできません。この、神秘的でかつ非常に正確なミツバチの体内時計は、太陽の運行つまりは光の明暗サイクルに連動させ綿密につくりあげられるメカニズムです。
 ミツバチの体内時計の使い方を知ると、さらにその高度性に驚かされます。そのひとつが「時刻学習」と呼ばれる方法です。
 ミツバチの生活はとても効率的に進められるようになっていて、彼らは少しでもたくさんの濃い蜜をできるだけ労少なく集めようとします。そこで、花が蜜を一番よく出す時間帯を記憶して毎日その時間がくればその花を訪れるという風に時計を利用するわけです。この時間の記憶活動は、ひとつの花だけではなく、A という花なら10時、B は11時……と複数の時刻をデータとしてインプットし毎日設定時間がくるとベルが鳴るタイマーのような働きをします。

 もうひとつは、「時間調整」のメカニズムです。ミツバチは、太陽コンパスを使って密のありかをみつけますが、太陽の運行は季節によって多少のずれがあります。この太陽の動きと体内時計とを連動させて頭の中で計算し、時刻によって角度を補正していきます。
 さらにミツバチの世界では、仲間うちでの時刻情報を交換し合ってもいます。「今何時?」「「もうすぐ1時」とはいかないまでも、ミツバチ同志は暗い巣箱のなかに集まって、互いに体内時計を調整しあうミーティングを開いていることが発見されています。>(資料提供/玉川大学ミツバチ科学研究所)


 この「時計を抱いた生き物たち」という特集には“時を告げる花の美学”“太陽と月に示されてひとは生まれるという……おはなし”などの記事があり、生命の不思議を紹介している。益虫、害虫を問わず、畑の虫たちはまわりの植物と共存しているとみるべきなのだろう。それにしても、大切に育てている野菜を食い荒らす虫には、我慢ができぬ!