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山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

2005年10月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年10月04日

「一関市本寺地区における信仰碑」
 本寺地区には、数多くの信仰に関わる石碑が分布している。これらの中には、他地域の神仏を祀った石碑もみられる。
 たとえば、月山・羽黒山・湯殿山の文字を刻んだ「出羽三山」碑をあげることができる。山形県のほぼ中央部に位置する月山を中心とする出羽三山信仰は東日本に広く拡がっており、とりわけ東北地方には羽黒山伏が中世から存在し、その信仰を布教していた。
 近世になると、村々に講と呼ばれる信仰集団が組織され、冬場には出羽三山の山伏が村々を訪れて、布教のためにお札を配ったり、占いや加持祈祷(お払い)を行ったりした。夏になると出羽三山参りに代表者を派遣した。代表者を派遣する形の講を代参講と称した。つまり、遠距離の霊山に講の全員が毎年お参りすることは不可能であるため、くじ引きなどで代表者を選んで順番に交代で参詣にでかけたのであった。たとえば、40軒の講集団があったとすると、毎年2軒づつ派遣すれば20年で全戸から参詣にでかけたことになる。講集団の全員が参詣を終えたことを記念して、石碑が建立されることが多かったといわれ、今に残る「出羽三山」碑は、かつて本寺地区に出羽三山信仰の講が存在したことを物語る石像物なのである。
 遠距離にある霊山の信仰碑としては、その他に古峰山の石碑もみられる。栃木県にある古峰山は、日光山信仰に関わる霊山で、とりわけ火伏せ(火災予防)の神として信仰された。
 また、慈恵塚の付近に、若木山(おさなぎやま)の石碑があるが、この若木山は、山形県東根市にあり、疱瘡(天然痘)神として知られていた。かつて、慈恵塚付近は骨寺村への入り口にあたり、若木山碑は、いわば村境に祀られた石碑と考えられる。つまり、道祖神と同じように、村の中に疫病などの悪いものが侵入してくることを防ぐための意味を持っていたのであろう。
 さて、本寺地区にみられる信仰碑の中で、圧倒的に多いのは馬頭観音碑である。そこで、以下では、なぜ本寺地区に、たくさんの馬頭観音碑が分布しているのかを述べてみよう。
 本寺地区では、今も牛の牧畜は盛んに行われているが、かつては牛よりも馬の飼育が盛んであった。その馬が無事に成長することを祈願する守り神が馬頭観音であった。そもそも、馬頭観音は邪悪を踏み砕き、衆生の苦しみを救う異形の菩薩であるが、頭上に馬頭をいただく姿から、馬の守護神としても信仰を集めてきた。また、馬櫪神は、馬頭観音よりも古い馬の守護神といわれ、馬櫪とは馬糧桶のことで、それに馬の心霊が宿るとされた。
 そもそも、北東北、特に岩手県北部から青森県にかけての旧南部藩領は馬産地として古来有名であり、なかでも北上山地では馬の飼育が盛んに行われていた。今も遠野市などに残る「南部の曲がり屋」は、住居と馬小屋が合体したL字形の民家として知られている。
 古代から、南部馬は都にもたらされ、源平の合戦として有名な宇治川の先陣争いで活躍した騎馬も南部馬であった。とりわけ奥州糠部郡(岩手県北から青森県下北にかけての地域)で生産された馬は、「糠部の駿馬(ぬかのぶのしゅんめ)」として、中世には鎌倉武士や京の都で高い評価を受けていた。
 本寺地区で、馬の飼育が盛んになったのは明治時代に入ってからともいわれるが、馬頭観音碑の年号からも、それが裏付けられる。石像物調査によって判明した馬頭観音碑の年号は、明治9年、明治11年、明治17年、明治26年、明治40年となっており、馬櫪神碑も明治26年と昭和16年のものが確認されている。これらの建立年代からみても、本寺地区が馬産地として確立したのは、明治時代以降のことであろう。
 また、明治40年建立の馬頭観音碑は、陸光号の墓石を兼ねており、5月17日の日付が刻まれている。この時期は、日露戦争の直後であり、想像するに、この陸光号は日露戦争で活躍した軍馬だったのではないだろうか。実は、明治時代に入って、馬の飼育が本格化するのは、日本の富国強兵政策と対応している。おそらく、軍備増強にともなう軍馬の需要が本寺地区を馬産地に成長させたのであろう。本寺地区で、馬の飼育が衰退に向かうのもまた、第二次大戦の敗戦を契機にするものと考えられ、馬頭観音碑と馬櫪神碑も、戦後の建立はみられなくなってしまった。このように、本寺地区における馬の飼育は、時代の流れとともに盛衰の道をたどったのであった。
 また、馬頭観音碑と馬櫪神碑は、駒形神社付近に集中して分布しているが、これらの中には元の場所から移動したと伝えられる石碑も含まれ、道路工事などで石碑を移動させる際に、馬の守護神の信仰も含まれる駒形神社に集められたものと思われる。駒形神社と関わる栗駒山の信仰については、既に「山形民俗」16号に拙稿を記した。
 なお、本寺地区で信仰されている馬頭観音は、山形県最上町の富山観音であるといい、富山観音には明治33年に小猪岡地区から奉納された絵馬が現存する。一関市舞草・宮城県東和町鱒淵・山形県最上町富山を奥羽三大馬頭観音と呼ぶが、本寺地区の馬頭観音信仰が、距離的に近い北上川対岸の舞草ではなく、山形の富山観音であることは、栗駒山系の広がりの中で理解すべきであり、山伝いに展開した文化的交流の深さを示すものといえよう。
 本寺地区に残存する石像物をみると、近世と近代でかなりの差異があることに気が付く。
 すなわち、江戸時代の石像物には、「南無阿弥陀仏」や「庚申」、「巳巳供養」などの仏教的色彩の強いものが、かなり多く見受けられる。「南無阿弥陀仏」の石像物は寛政や享保の年号がみられ、大飢饉の後年のものも多く、大飢饉で亡くなった死者の霊を弔うための造立かもしれない。
 また、庚申と巳待ちは、いわゆる日待ち・月待ちの行事であり、庚申の夜に籠もるのが庚申待ちで、巳の日に籠もるのが巳待ちであった。
 それに対して、近代の明治以降の石像物は神道系のものが多くみられる。出羽三山碑は、当地では明治以降の神道になってからの時代のものしかみられない。古峯神社の石碑もいくつかみられるが、古峯信仰は火伏せの神様として知られ、近代に栃木県の日光山信仰から分かれたものである。
 また、「馬頭観世音」と「馬櫪神」とは神仏が入り交じってはいるが、いずれの石碑も明治以降のものがほとんどである。
 なお、幕末から近代にかけて造立された石碑に「行山鹿子踊供養」がある。この行山とは、南三陸の宮城県本吉町にある行山寺の流れを汲むものといわれ、戦前までは当地で行山鹿子踊が行われていたという。おそらくは、戦時体制下で消滅したのであろうか。
 さらに、いくつかの雷神碑もみられるが、岩手県南では落雷した場所に石碑や小祠を祀り、雷神さまと称する。雷神様は火の神でもあり、水の神でもある。それを雲南さまと呼ぶところもあり、あるいは骨寺絵図にみえる宇那根社とも関わりがあるのかもしれない。
 最後に、明神碑も相当数が存在する。当地に多くみられる明神は屋敷神で、家の西側に祀り、西に木を植えることを明神グラと称し、エグネとも呼ぶ。この明神は三十三回忌をつとめあげた祖霊神である。
 なお、先に触れた若木山の石碑について、調査を担当された国学院大学の大塚統子氏より次のような連絡をいただいた。本寺の若木大権現碑の年代は安政5年とのことだが、それに加えて、平成8年12月12日の阿部四郎氏「須川山麓厳美町の石碑について」という講演の添付資料、「厳美(町)地区、別供養碑」(1979.6.2)に碑銘「若木山大権現」が厳美(本寺・山谷地区ではない)に1基あり、同添付資料「厳美地区年代別供養碑表」(1979.6.2現在)で、その若木の碑1基は文化年間に区分されているという。この厳美地区は、本寺地区の下流にあたる。
 ところで、駒形神社は本寺の鎮守であり、元来は馬頭観音を祀る堂舎であったのだろうか、今も村人からは「観音様」と親しまれている。駒形神社の祭礼は3月17日、6月17日と9月17日で、駒形の別当の寺崎と山谷の神官とで、お天王さま回しをする。 白山社は駒形神社の背後の平泉野にある小祠であるが、足尾と金神も合祀されているといい、3月17日と9月17日が祭礼日である。白山は歯痛の神でもある。中屋敷の裏の「レイ田」は、米を駒形と白山に奉納する。林崎が白山の別当で、中屋敷は山王の別当である。
 本寺のすぐ北に位置する三吉山の山頂に祀られる三吉さまは、秋田県から来た神様で、3月17日にお祭りをする。「鉄の編み笠」が奉納されており、5升の餅とお酒を供え、足がじょうぶになるようにお祈りするという。
 若神子社は祭神などはよくわからないが、塚バス停そばの二軒が別当である。若神子には、昔、尼寺があって「どくろ」伝説があったという。大石直正氏によれば、「ワカ」も「ミコ」も奥羽では巫女を指すことばであり、霊の意思をこの世に伝える役割を果たす存在であった。山王岩屋は、その奥の院とみられ、骨寺の地名とともに納骨信仰との関連を想起させる。「どくろ」伝説も、巫女の霊媒としての役割と関係するものであろうか。
 大師堂は慈恵大師を祀り、お祭りは3月18日、6月18日、9月18日に行われる。かつては中尊寺から僧侶が来て、護摩焚きが行われた。
 大石直正氏の指摘のように、若神子・骨寺・山王岩屋は、この世とあの世を結ぶ信仰のラインであり、その奥にそびえる栗駒山の山岳信仰と納骨信仰とを結び付けるのが、山王岩屋すなわち天台の信仰であった。このことは骨寺絵図の構図の上にも示されている。
 また、今も、駒形・山王・若神子の別当をつとめる家は駒形神社から塚バス停を結ぶ道路沿いに並んでいる。この道路が中世以来の聖なる道であった可能性は高いといえよう。骨寺絵図にみえる宇那根社の現地比定は困難ではあるが、この道沿いに存在したのではなかろうか。
[付記] 本論は、1990年代後半に本寺地区の荘園遺跡の国史跡指定をめざして国学院大学文学部地理学研究室および東北学院大学文学部民俗学研究室などによって実施された調査に同行した成果の一部であり、村山民俗学会会報170・171号に掲載したものを一括して、一部を加筆したものである。
[参考文献]
小野寺正人「馬と馬頭観音信仰」『東北民俗』29号、1995年。
山形県最上町教育委員会『祖先からのおくりもの』、1992年。
大石直正「陸奥国骨寺絵図」『 中世荘園絵図の世界 中世荘園絵図大成 第一部』1997年、河出書房新社。


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2005年9月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年09月02日

「村山民俗」19号刊行!!
 情報が遅くなりましたが、6月末に、「村山民俗」19号が刊行の運びとなりました。目次は以下の通りです。
関口健「葉山縁起追考ー失われた山岳霊場の空間復元に関する試み」
居駒永幸「西行を伝える家ー大庄屋佐藤家と東大寺大仏殿再建」
伊藤登啓「太陽暦の布告と年中行事について」
野口一雄「天童市山元若松寺の信仰ー『家運永榮講』を読む」
市村幸夫「漆山遍照寺縁起ー六部時政坊と遣唐使賢問子」
村山正市「永蔵坊文書の「腕香」について」
村田弘「魚類の「毒もみ漁」について」
加藤和徳「「ヨエ貸す」、「ヨエ返す」という話」
木村博「畑に地シバリ、田にビル藻、家中に○○○○○が無けりゃいい」
岩鼻通明「紹介 戸川安章著作集ー『出羽三山と修験道』『修験道と民俗宗教』」
居駒永幸「松平大和守日記の頼義奥州責」
 問い合わせは、プロフィールのメルアドまで、お願いします。


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2005年7月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年07月10日

韓国の博物館9  韓国仏教美術博物館
 この博物館もまた、前回に紹介した嘉會博物館と同じく、ソウル中心部の北村地区に存在し、世界遺産にも指定されている朝鮮王朝時代の王宮のひとつである昌徳宮の西側に隣接して立地しており、1993年に開館した。
 観覧時間は、午前10時から午後6時までで、旧正月と秋夕のみ休館となる。観覧料金は、大人5000ウォン、学生3000ウォンと、韓国の博物館としては、やや高めとなっている。
 3000点余りの仏教美術品を所蔵しているとのことで、さほど規模は大きくないものの、3つの展示室から成り、第1展示室には「霊山会上図」や「三蔵菩薩図」などが、第2展示室には「水月観音図」や「阿弥陀極楽九品会図」などが、第3展示室には「釈迦牟尼佛坐像」や「指章菩薩三尊佛龕」などが展示されている。なお、野外には七層石塔なども展示されている。
 韓国の仏教寺院は、朝鮮王朝時代の弾圧によって、地方の山麓に立地していることが多く、文化財も古くは秀吉の侵略時、近年では植民地支配下の略奪や、朝鮮戦争にともなう消失によって、さほど多くは残されていないので、仏教美術品を数多く収集している博物館は貴重な存在といえる。
 もちろん、公州や扶余、慶州など何ヶ所かの国立博物館には、仏教美術の優品の展示は存在するものの、ソウル市内の中心部に専門的な博物館が立地していることは有意義といえよう。
 なお、京畿道の陶磁器で有名な利川の東に位置する驪州の郊外に木牙仏教博物館が存在するが、残念ながら未見である。
 (村山民俗学会会報168号より転載)


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2005年5月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年05月04日

韓国の博物館8 嘉會博物館
 この博物館は、いわゆる街角ミュージアム的雰囲気の博物館といえよう。場所は、ソウルの景福宮と昌徳宮に挟まれた北村地区に存在する。
 この北村地区は、近年、伝統的町並み景観の保全がソウル市当局の肝いりで大々的に実施され、韓屋マウルと呼ばれる町並みが再生した。昨秋に韓国で公開された、キム・ギドク監督の映画「空き家」では、早速この地区でロケが行われて、韓屋の民家が効果的に活用された。
 この博物館そのものも、やはり韓屋を展示スペースとして活用したものであり、2002年に開館した。民画などの伝統工芸品や民俗資料など、1500点余りが所蔵されている。
 また、体験室では、木版印刷や、拓本とりなどの体験もできるといい。全羅道から直送された緑茶も味わえる。
 開館時間は、10時から18時までで、毎週月曜日が休館日となっている。入場料は、大人2000ウォン、学生1000ウォンとなっている。地下鉄3号線の安国駅から徒歩10分ほどの距離にあるが、ソウルの中心部に位置する伝統的町並み巡りを楽しむ中で、立ち寄りたい博物館のひとつとして、紹介したい。
(「村山民俗学会報」166号より)


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2005年2月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年02月01日

最近の朝鮮半島情勢-韓国映画をとおしてみた(日本科学者会議第15回総合学術研究集会報告)
 11月27日に京都で開催されたJSA15総学での報告内容を予稿集に加筆修正して以下にアップします。
 21世紀に入り、韓国では金大中前大統領の太陽政策を継承したノ・ムヒョン大統領が、弾劾裁判を経験したものの、総選挙での与党ウリ党の過半数獲得によって、安定した政治基盤を確保した。ただ、公約の首都移転が憲法裁判所から違憲判決を受け、国家保安法廃止をめぐる保守派との対立もあって、前途多難ではある。
 さて、昨年末から、韓国映画の世界においては、観客動員記録を更新する映画が、相次いで現れた。ひとつはクリスマスから公開された「シルミド」であり、この映画は韓国から北朝鮮へのスパイ侵入を題材にしたものであり、従来では映画化が困難であったテーマであった。韓国映画史上、初めて観客動員が一千万人を超える大ヒットとなった。
 それに加えて、旧正月を過ぎて公開された「ブラザーフッド」は、朝鮮戦争を本格的に扱った大作映画で、「シルミド」の観客動員記録をことごとく更新するメガヒットを記録した。
 これらのふたつの韓国映画は、対照的な性格を示しているといえよう。前者のテーマは、昨秋の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された、韓国で暮らす北朝鮮のスパイを取材した「送還日記」(来春から東京をはじめ日本各地で劇場公開の予定、韓国民主派の視点の柔軟さがうかがわれる)とともに、南北のスパイ合戦を客観的に公平に把握し、いわば彼らの名誉回復を扱った内容ともいえようか。
 それに対して、後者は、南北分断の原因となった悲劇である朝鮮戦争という、これまた大きすぎる課題ゆえに、映画化が困難であったテーマを描いたもので、あえて韓国軍の支援を受けずに、独力で戦闘シーンの撮影を巨費を投じて行った。この9月にはアメリカで公開され、好評であると伝えられるが、「ブラザーフッド」というタイトルは、アメリカ公開を前提にしたものであるといわれ、北朝鮮の軍人を人間扱いしないという前時代的な表現もまた、アメリカおよび日本での公開を意識したものであったのだろうか。不思議と国連軍も、ほとんど登場しない。
 これらの映画は、「シュリ」や「JSA」の南北分断の悲劇を描いた路線を継承するものであるが、南北首脳会談や釜山アジア大会を経て、北朝鮮の女性と韓国の男性の出会いをテーマとした内容の映画も、いくつか制作されたが、それらは大ヒットにまでは至らなかったけれども、映画を契機にした南北交流は確実に進展しているといえよう。
 2002年W杯の終了とともに、過ぎ去るかにみえた韓国ブームも、これらの映画の日本公開に加えて、いわゆる「冬ソナ」現象で、空前の勢いを呈している。従来は、ある程度、限定された日本人しか関心をもたなかった韓国という国を、多くの日本人が身近に感じるようになった変化は大きい。韓国の文化や言語に関心を広げる傾向は、日韓交流を深める上で、大いに歓迎されよう。この夏、ソウルのホテルは、軒並み、日本人観光客で満杯と伝えられるが、映像上だけでなく、実際に韓国を訪問して、現地で様々な文化などを体験することは、あるがままの韓国を知るという点で、意義は大きい。
 ただ、誤った情報が一人歩きする面がないわけではなく、とりわけネット情報には、その傾向がたぶんに存在する。たとえば、韓国の民法で定められている「同本同姓不婚」は、違憲判決が90年代に出されたものの、今春までは保守派が多数を占めていた国会での改正は進まなかったにもかかわらず、違憲判決をもって解消されたとする誤記が散見している(その後に調べたところ、99年1月1日をもって法律は失効したが、改正も削除もなされないままであるとのことで、それ以降は、8親等以内の婚姻は禁止されているとのことだが、これは改正案の内容であり、それが便法として適用されているようだ)。
 一方、マスコミなどでの北朝鮮バッシングは相変わらずで、南北の鉄道と道路整備や開城での工業団地建設など、着々と進展している韓国との連携を、ほとんど反映していない。従来の閉鎖的な国策を転換しつつある北朝鮮との国交樹立を、日本は一刻も早くめざすべきであり、それなしに戦後補償問題は解決の糸口を見いだせないといえよう。拉致問題との関連で叫ばれる経済制裁は、ロシアなどからの援助を受ければ実効性を持たないことは明白であり、脅し文句に過ぎず、逆効果でしかない。日本が果たすべきは、アメリカと連携した軍事大国化ではなく、東アジアの安定的平和を実現させるリーダーとしての役割であろう。





2005年02月19日


韓国の博物館7 ソウル市立美術館
 今回、紹介するソウル市立美術館もまた、前回に紹介したソウル歴史博物館と同じく、2002年W杯の直前に開館した。もっとも、この美術館のほうは、移転リニューアルであり、以前は確かソウル歴史博物館のある慶熙宮の敷地内にあったような記憶がある。
 2002年5月に移転開館した、この美術館は、正面の部分は、かつての大法院の建物を保存活用して、その後ろ側にメインの建物が新築されている。現代美術のすべてのジャンルを収容した総合的な現代美術
館とのことで、展示面積は広大で、デジタル映像などを活用した超モダンな展示が印象に残っている。
 場所は、ソウルの中心部の徳寿宮の外周の道を少し入ったところに立地しているが、屋根には、巨大なにわとりのとさかの像が飾られており、よく目立つ存在となっている。冬季でも18時まで開館してり、入場料も700ウォン(約70円)と安く、このあたりは、ぜひ日本の博物館・美術館も見習ってほしいものだ。休館日は月曜日となっており、この慣行は日本と同様である。
 折に触れて、企画展や特別展が行われ、目下は、第3回ソウル国際メディア・アート・ビエンナーレが昨年末から2月初旬まで、この美術館を主会場に開催されているそうだ。(「村山民俗学会」会報164号、より)
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2004年12月の日記

2012年02月29日 | 日記
2004年12月02日

「山形民俗」第18号発行!!
 山形県民俗研究協議会の機関誌「山形民俗」第18号が、11月20日付けで刊行されました。主な目次は以下のとおりです。
大友義助「若木山信仰について」
武田 正「てんぽう物語 考」
木村 博「遠くの神様有難い」
岩鼻通明「山岳信仰と女人禁制」
菊地和博「山の神がいる石原ささら獅子舞」
市村幸夫「白鷹町瀧野の廻国納経帳」
村山正市「平塩永蔵坊文書にみる夜念仏史料」
加藤和徳「米沢市の「彫刻・刻彫」と彫られた供養塔のこと」

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2004年11月の日記

2012年02月29日 | 日記
2004年11月03日

韓国の博物館6 ソウル歴史博物館
 この博物館を初めて訪問したのは、開館まもない2002年5月のことだった。ちょうど、日韓共催のW杯が開かれる直前のことであった。すぐ近くに位置するソウル市立美術館も開館したばかりであった。
 先に紹介した全州歴史博物館もまた、同時期の開館であり、韓国ではW杯がらみの地域開発が、日本以上に積極的に展開されたことが知られる。
 さて、この博物館は、実はりっぱな日本語サイトを有しているので、わざわざ紹介するまでもないのだが、ソウル市庁の日本語サイトにリンクされており、YAHOOなどの検索サイトから簡単に探し出すことができる。
 この博物館は、光化門十字路から西へ向かった慶熙宮跡地に建設されたもので、敷地そのものが史跡公園になっている。たいへん広大な展示であり、常設展示は、首都ソウル、ソウルの人々の生活、ソウルの文化、都市ソウルの発達など、多様な内容であり、さらにパソコンを活用した展示や、実物に触れることのできる展示など、工夫が凝らされている。また、寄贈品などを展示する企画展示室も設けられており、韓国の古地図研究の大家であった故李燦先生のコレクションが昨年末には展示されていた。
 観覧料は大人700ウォン(70円)と安く、開館時間も午前9時から午後9時(冬季は8時)と遅い時間まで開いているのはありがたい。また、展示室以外は無料で開かれており、昨年末には、毎週水曜日の夕方に無料映画会も開催されていた。ソウルの新名所のひとつともいえよう。
(村山民俗学会会報より転載)





2004年11月18日


山形県民俗研究協議会総会のお知らせ
 山形県民俗研究協議会の研究発表会および総会が以下のように開催されます。
日時:2004年11月20日(土)
会場:山形県立博物館講堂(山形市霞城公園内)参加費500円(資料代)
日程:10時半 開会 会長あいさつ
10:45~12:00 講演「民俗芸能の変容と継承について」菊地和博東北芸工大助教授
13:00~研究発表 村山・置賜・庄内・最上の各学会より4名の予定
15:00~15:30 総会
16:00~ 懇親会(置賜民俗学会奥村幸雄副会長の斉藤茂吉文化賞受賞祝賀会)

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2004年10月の日記

2012年02月29日 | 日記
2004年10月28日

サイト移転!!
 これまで利用していた無料サイトが閉鎖されることにともない、「村山民俗学会」および岩鼻研究室のサイトを移転しました。
 まずは、以下に経歴と業績などをアップいたします。
 経歴:1953年6月 大阪府生まれ 1981年3月 京都大学大学院文学研究科修士課程修了(文学修士) 1983年9月 京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退 1983年10月 山形大学教養部講師に就任 1987年8月 山形大学教養部助教授に昇任 1996年4月 山形大学農学部助教授に改組のため配置換 2003年3月 博士(文学)京都大学  2004年2月 山形大学農学部教授に昇任
 研究テーマ:山岳信仰・社寺参詣・山岳観光の地理学的研究  古地図・参詣曼荼羅・絵画資料の歴史地理学的研究  韓国地誌研究 
 所属学会:日本地理学会・人文地理学会(協議員)・歴史地理学会(評議員)・東北地理学会(評議員・会計監査)・日本山岳修験学会(理事)・日本民俗学会(評議員)・村山民俗学会(会長) 
 社会活動:山形県ユースホステル協会副会長(2004年6月退任)・山形ハングル学習会事務局長 
 主要著書:『神社古図集 続編』臨川書店、1990年(難波田徹と共編) 『出羽三山信仰の歴史地理学的研究』名著出版、1992年 『西川町史 上巻』山形県西川町、1995年(分担執筆) 『出羽三山の文化と民俗』岩田書院、1996年 『新潟県の地名』野島出版、1996年(分担執筆) 『日本民俗誌集成 第3巻東北編(2)』三一書房、1998年(嶋田忠一と共編) 『歴史地理調査ハンドブック』古今書院、2001年(分担執筆) 『出羽三山信仰の圏構造』岩田書院、2003年 





『農書に見る東北農民の姿』
村山民俗学会編の『農書に見る東北農民の姿』が、この度、原人舎から刊行されました。定価は、1680円で、ISBN4-925169-70-X です。
 内容は、3年前に開催したシンポの報告集で、佐藤常雄「農書が語るもの」、伊藤登啓「凶作と郷倉について」、大友義助「歌農書「農業百首」について」、犬塚幹士「大泉四季農業図等に描かれている農作業と農具」、梅津幸保「草木塔に刻まれたもの」から成っています。
 では、以上、ご紹介まで。

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韓国の博物館1 ソウル教育史料館
韓国へ足しげく通うようになって10年が過ぎた。1993年に大田で開催された科学万博を契機として、日本人のノービザ観光が認められるようになり、それと同じ頃に仙台から韓国行きの国際線も運航され始め、年に数回の訪韓をするようになった。98年・01年・03年と派遣助成もいただき、韓国地域研究を手がけ始めたが、その過程で、韓国各地の博物館や美術館を訪問する機会も多く、それらの紹介をこの会報の紙面をお借りして、紹介していきたい。
 最初に、紹介するのは、ソウル教育史料館である。この史料館を、わざわざ訪問したというよりは、昨年末にソウル市北村地区の韓屋保存地区の現地調査を行った際に、その地区内に、この史料館が存在していたのであった。
 写真(省略)からもわかるように、この史料館の開館は1995年であるが、赤レンガの建築は、おそらくは日本の植民地支配下のものとみられる。
 常設展示は6部門からなり、伝統期・開化期・民族抵抗期・米軍政期・教育課程期・ソウル市教育庁の昨日と今日、から構成されている。とりわけ、朝鮮戦争の戦乱期にも継続された教育の展示に心を打たれた。
 また、その向かい側には、企画展示室が設けられ、訪問時には「朝鮮時代のソンビと文房文化」の企画展が開催中で、いわば在野の学者としてのソンビが残した伝統的な文房具の数々が展示されていた。
 この史料館は、地下鉄3号線の安国駅から徒歩10分ほどの、チョンドク図書館の敷地内に位置し、入場は無料となっている。では、次回も、教育関係の博物館を紹介したい。
 以上は、村山民俗学会報よりの転載です。

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韓国の博物館2 富川教育博物館
 今回もまた、前回に引き続いて、教育に関わる博物館を紹介しよう。富川は、ソウルの西郊にある衛星都市で、ソウルの外港としての役割を有する港町仁川とソウルの中間に位置し、近年はソウルのベッドタウンとして人口が急増している。そのような衛星都市が、このような博物館を有していることに驚くとともに、近年の韓国の教育熱の高揚を反映するものでもあろう。
 さて、ソウルから仁川へ伸びる国電京仁線は、富川の先まで複々線化されているが、地下鉄1号線と相互乗り入れしている国電を富川駅のひとつ手前の素砂駅で降り、市内バスで北へ10分余りの富川総合運動場のスタジアムの1階を活用して、この博物館が設けられている。ちなみに、次回に紹介を予定している韓国漫画博物館もまた、このスタジアムの一画に設けられている。
 入場料は、大人1000ウォンで、月曜日が休館日となっている。展示室は、8つのコーナーに大別され、富川の教育では教科書に現れた富川を、三国時代~朝鮮時代では古書を、書堂では朝鮮時代の書堂の再現を、日帝時代では植民地支配下の教育資料を、50年代では朝鮮戦争当時の教育資料とユネスコを通して援助された教科書を、60~70年代では当時の学用品や学習資料などを、教室では60~70年代の教室の再現を、80年代以降では変化する世界と変化する教育を、それぞれ展示している。展示資料の総計は、5000点を越えるという。教室のダルマストーブの上に積み重ねられた弁当箱が往時を懐かしく思い出させてくれた。
 では、次回は、この富川教育博物館に隣接する韓国漫画博物館を紹介したい。

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韓国の博物館3 韓国漫画博物館
 前回に紹介した富川教育博物館と同じ富川総合運動場のスタジアムの1階に、韓国漫画博物館が設置されている。ソウル郊外の富川(プチョン)市にある、この博物館は、韓国で最初の漫画専門博物館として知られており、一度は訪れたいものと思っていた。
 今日の韓国の、漫画やアニメは高い水準を有しており、日本のアニメ製作も、韓国などとの国際分業の形をとっていることはよく知られている。さらに、日本では、大学に設けられた漫画学科は、京都に唯一、存在するのみのはずだが、韓国では、いくつもの大学に漫画学科が設置されているそうで、今や、日本を上回るアジアの漫画大国となっているのだ。
 さて、この博物館の入場料は、大人3000ウォン、子供1500ウォンで、富川教育博物館と同じく月曜日が休館日となっている。展示は、韓国の漫画の過去、現在から未来を見通す内容であり、漫画の資料館、企画展示館、アニメ上映館、閲覧室、体験教育室などを備えている。
 展示の内容は、20世紀初頭以来の韓国漫画の歴史的歩みや、昔の漫画資料群を通して韓国を知ろうとする試み、さらには主要作家の履歴や代表作に関するものなどから構成されている。
 また、ミュージアムショップでは、過去の漫画を複製して販売するなど、数多くのミュージアムグッズが販売されており、たいへん興味深いものがある。大人も子供も、家族で楽しめる博物館として、多くの来場者を集めている。(「村山民俗学会会報157号より)

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韓国の博物館4 全州国立博物館
 韓国には、9つの道ごとに、国立の博物館が存在しており、その点では、日本よりも博物館行政は進んでいるといえるだろう。
 今回、紹介するのは、全羅北道の道庁所在地である歴史的都市の全州(チョンジュ)にある全州国立博物館である。この博物館は、1990年に道内の文化遺産を研究、保存、展示する目的で開館した。5年ほど前に一度訪れたことがあったが、2003年12月に再度、訪問する機会を得た。
 位置的には、全州市の西南部の郊外にあり、中心部からは、バスで30分ほど要する。地方の国立博物館は、不便な立地の場合が多く、外国人観光客の訪問には適していないといえようか。
 さて、常設展示室は、1階が考古室で、先史時代から統一新羅時代に至る豊富な考古遺物が展示されているが、中でも百済時代の黄金遺物がすばらしい。2階には、美術室と民俗室があり、仏教美術品、陶磁器、金属工芸品や、農耕、食生活、民俗工芸、民俗芸能などの展示があり、あわせて1300余りが展示されている。1階には企画展示室も設けられ、毎年、多様なテーマの企画展が開催されている。
 入館料は、400ウォン(約40円)と安く、開館時間も9時から18時(冬季は17時)で、土日と日は19時まで延長されるなど、日本の博物館も見習ってほしいほどである。休館日は毎週月曜日となっている。
 なお、野外には、広大な敷地の中に、古墳や石碑などが遺跡公園として展示されており、隣接して全州歴史博物館が設置されており、一帯は文化地区を形成している。
(村山民俗学会会報第158号より)


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韓国の博物館5 全州歴史博物館
 前回、紹介した全州国立博物館と同じ敷地の中に、全州歴史博物館も立地している。以前に訪問した際に、気がつかなかったのかと思って、この博物館のサイト(韓国語のみ)をみてみたら、開館は2002年5月と、最近であったことがわかった。
 この時期は、日韓共同開催で行われたW杯サッカーが開催される直前であり、この博物館そのものが、いわばW杯特需で建設されたといえよう。後日、紹介しようと思っているソウル歴史博物館もまた、同時期の開館であった。
 さて、博物館の展示紹介に移ろう。展示室は5階建てになっており、1階と2階は企画展示室となっている。2003年12月に訪問した際には、11月から翌年3月までの会期で、「民画に聞く昔の話」展が開かれており、故事と絵画を対照する展示が行われていた。2004年5月から8月までは「出版・印刷文化のメッカ、全州」と題した企画展が開催中である。
 また、3階は体験室で、版画刷りや、昔の遊びなどを体験学習できる施設となっている。4階は常設第1展示室で、東学農民革命に関する展示が、5階の第2常設展示室には、独立運動から現代の民族運動に至る展示が行われており、全州の近代史に関する展示が中心となっている。
 なお、休館日は月曜日と1月1日で、午前9時から午後6時までの開館となっていて、入館料が無料であるのはありがたい。
 2004年5月に、全州を訪問した際には、豊南祭の会場で、全州の古地図についての出前展示が行われており、その熱意には敬意を表したい(「村山民俗学会会報」160号より)。

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『村山民俗学会会報合本復刻版』の刊行!!
 この度、『村山民俗学会会報合本復刻版』が、原人舎より刊行されました。定価は3990円です。1986年の会報創刊号から、本年の155号までを収録しています。
 「村山民俗学会は、1986年4月に設立総会が開かれ(当時の名称は「村山民俗の会」)、会報第1号は、86年7月28日付で発行されている。設立当時の事務局は、当時、県立博物館で民俗担当の学芸員を務められていた野口一雄副会長であり、それ以降、2000年6月発行の第120号まで、15年間の長きにわたって、会報の編集を担当されてきた。我々、村山民俗学会の財産である、この会報復刻版の刊行に際して、まず、その大部分を編集していただいた野口副会長にお礼を申し上げたい。
 また、本学会の設立に際して、多大なるご支援をいただいたのは、山形県民俗研究協議会会長を、1985年の設立から、10年務められた鶴岡市在住の戸川安章先生であった。柳田國男の直弟子である戸川先生は、庄内民俗学会代表幹事として、庄内で早い時期に、日本民俗学会年会を開催するなど、山形県における民俗研究の先達として活躍してこられた。本学会設立の年に、羽黒山で山岳修験学会大会を開催されたことは、懐かしい思い出でもある。目下、戸川先生の著作集の校正が進められており、岩田書院から今年中には刊行の運びとなることは、山形県の民俗研究の金字塔となろう。
 戸川先生の後任として、山形県民俗研究協議会会長を務められた月光善弘先生は、本学会設立以来、伊藤清郎前会長にバトンタッチするまで、会長を務められ、本学会の発展に貢献された。ここまで、本学会をリードしていただいた戸川先生、月光元会長、伊藤前会長にも、お礼を申し上げたい。
 最後に、出版事情の困難な折に、『農書に見る東北農民の姿』に続いて、本学会の出版物の刊行をお引き受けいただいた原人舎に、感謝の言葉を申し上げて、結びとさせていただきたい」以上は、本書序文よりの引用です。
 では、以上、お知らせまで。

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農学部1年生「食農環境マネジメント学概論」成績講評

2012年02月13日 | 日記
 マネジメント概論の成績を入力しましたので、内訳を記します。
 試験受験者は161名で、S評価(90点以上)は5名、A(80点台)は49名、B(70点台)は71名、C(60点台)は36名となりました。個別の成績表は4月に鶴岡キャンパスで開かれるオリエンテーション時に配布される予定です。
 では、以上、お知らせまで。
 
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講義レポート課題および成績講評など

2012年01月30日 | 日記
 従来のサイトが閉鎖になるため、過去ログを当ブログにアップしておきます。
 では、以上、お知らせまで。

1月30日分レポートについて
iwahanamichiaki
 基盤教育「韓国の文化と社会」で、本日に提出されたレポートは以下のとおりです。来週が提出期限となります。
 金日成、在日歴史編、昭和の家事、グーグル革命、人工太陽の日食、イラク戦場からの告発、ジャハーダ、女工哀歌、海女のリャンさん。
 では、以上、お知らせまで。

1月23日分提出レポートについて
iwahanamichiaki
 先の月曜日に提出されたレポートは以下のとおりです。
リトルヤンゴン物語、靖国、海女のリャンさん、あんにょんサヨナラ、チェゲバラ、Salud!ハバナ、金日成、戦場の女たち、ママカレ、在日、Dear Pyongyang、ピョンヤンダイアリー、人工太陽の日食、以上です。

地域・環境問題概論レポートについて
iwahanamichiaki
 提出期限:2月14日(火)17時(厳守) 旧環境学科支援室(2号館1階)まで。

 枚数:本文および注記3000~4000字。これに加えて図表・写真などを添えてよい。手書きの場合は必ず原稿用紙を使用すること。
 課題:講義で取り上げた内容から、各自が関心を持ったテーマを選んで、文献調査(複数の文献ないしHPに依拠すること、一方のみに依拠したものは評価を下げる)を行って、まとめること。浅く広くまとめるのではなく、できるだけ深く掘り下げてまとめること。
 レポートには、できるだけ、テーマに即した主題図を添付すること。ベースマップは、インターネットからダウンロード可能。写真も、テーマに即したものを、ネットで検索した画像ファイル(プリントはモノクロで可)を添付してもよい。
 また、文献調査は、図書館での本・論文探索とネット検索の双方を組み合わせて活用されたし。なお、引用と参考文献については、スタートアップセミナーのテキストの記載を参考にすること。
 前期開始時までに、この掲示板(サイト移転の予定)に成績の講評をアップする予定。
 なお、問い合わせは、この掲示板、もしくは電子メールを活用すること。

人文学部4年生のレポートについて
iwahanamichiaki
 民俗文化講義で4年生については、成績評価期限上、1月30日ないし2月6日の講義時にレポートを提出すること。

民俗文化講義(人文学部)&韓国の民俗文化(基盤教育)レポートについて
iwahanamichiaki
 テーマ:講義の内容から各自が関心を持ったテーマについて、文献およびHPに依拠しながら、まとめること(広く浅くは望ましくない)。できるだけ、文献とHPサイトを組み合わせながら、まとめること(一方にしか依拠していないものは評価を下げる)。出典(参考文献)はスタートアップセミナーのテキストに記載されている要領で必ず明記し、自分の文章と他人の文章(引用文には必ず「」をつけること)を区別して書くこと。
 提出期限:2月13日(月)17時までに基盤教育1号館レポートボックスへ提出すること。
 枚数:本文と注をあわせて3000~4000字程度で、それに加えて図表や写真なども適宜、入れてよい。手書きの場合は必ず原稿用紙を使うこと(サイズは自由)。ワープロの場合は、読みやすい書式で、A4ないしB5版にプリントすること。
 以上。

1月16日分提出レポートについて
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは「龍山」、「放課後」・「自転車」、「ミニ・ジャパンの子供たち」、「いのち耕す人々」、「テンダー・フィクションズ」、「Flying Giants」です。残りの講義は、2月6日まで後3回ですので、その間にレポートを提出してください。

12月19日提出分レポートについて
iwahanamichiaki
 19日に提出されたレポートは「フープ・ドリームス」、「牛の鈴音」、「LET ME Go~あなたは叫んだ」です。どこでビデオ・DVDを見たかを明示してください。

12月12日は休講
iwahanamichiaki
 12月12日は休講となります。レポートの対象となるドキュメンタリー映画は付属図書館に相当の量がありますので、既に提出済みのものと重複しないように選んでください。映画祭の作品も、まもなく入れ替えになることでしょうか。
 では、以上、お知らせまで。

11月28日分レポートについて
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは「ヘンニムの輝き」、「The True-taste. Show」です。
 なお、現在の提出者数は履修登録73名中、23名です。

11月21日提出分レポートについて
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは「赦し その遥かなる道」と「家族写真」でした。レポートには、どこで観たかを明記してください。
 また「家族写真」は同一日に同じ映画に関するレポートがふたつ提出されました。このような場合は高い評価にはなりえません。
 そのような点も含めて、複数回のレポート提出を歓迎します。
 では、以上、お知らせまで。

11月14日分提出レポート
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは「別名」、「あるアナーキスト」、「家族写真」、山形国際ムービーフェスノミネート作品から「ネコ魔女のキボラ」・「メリーゴーラウンド」・「大きな財布」です。
 では、以上、お知らせまで。

10月31日提出分レポート
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは「あんにょんサヨナラ」です。
 なお、複数回のレポート提出も認めますが、出席カード1回分ほどのウェイトであると思ってください。

10月24日提出分のレポート
iwahanamichiaki
 本日、提出されたレポートは「ソレイユのこどもたち」、「新しい神様」、土屋監督&雨宮さんの対談、「放課後」・「自転車」(小林茂監督)です。
 なお、レポートは、基本的には1回の提出となりますが、複数回の提出も可とします。

10月17日の提出レポートのテーマ
iwahanamichiaki
 本日に提出されたレポートは映画祭で上映された「新しい神様」、「殊勲十字章」、「朝が来て終わる夜を見たことがない」と「あんにょん」です。
 なお、レポートには作品名だけでなく、監督名、制作国、制作年、といった情報も明記してください。
 では、以上、お知らせまで。

2011年度前期成績講評
iwahanamichiaki
 スタートアップセミナーについては省略するので、基盤教育の文化地理学のみについて、以下のように講評する。
 履修者93名のうち、レポート提出者は81名で、評価の内訳はS4名、A18名、B55名、C1名、F3名となった。
 できるだけ文献とネット検索を組み合わせるように指示したにもかかわらず、大半がネット検索のみに依拠していたので、今後は両方を満たしていなければ、C評価とするなどの対応をすることにしたい。
 不合格は出典を明示していないものに加えて、信じがたいレポートがあった。まったくのコピー&ペーストでしかなく、きちんとその出典は明示されていた。このような安易なレポートははじめてで、当然ながら不合格となる。
 では、以上、講評まで。

前期レポート(基盤教育・文化地理学)について
iwahanamichiaki
 課題:講義中で取り上げた話題(映画に関連するものに限る)の中で、関心のある問題について、詳しく掘り下げて調べること。出典は必ず明記すること(記載の方法については、下記の過去の掲示板の情報を参考にすること)。できるでけ、文献とネット情報を組み合わせて、まとめること。
 字数:2000字以上~4000字程度までとする。手書きの場合は必ず原稿用紙を使うこと(レポート用紙は不可)。なるべくワープロでのプリント・アウト原稿が望ましい。書式などは読みやすければ自由とする。
 期限:8月11日(木)午後5時(厳守)までに基盤教育センターのレポートボックスへ提出すること。
 成績は、このレポートと数回の小テスト(出席カードへのコメント)をあわせて評価する。
 なお、成績評価終了後に、この掲示板に成績講評を記す予定。

2010年度後期成績講評
iwahanamichiaki
 基盤教育「文化地理学」
 レポート提出者32名中、S9名、A10名、B7名、C4名、F2名となった。甘めの評価となったかもしれないが、よくまとめられている内容のものが多かった。引用の出典が明記されていないものは不合格とした。
 農学部「地域活性化論」
 レポート提出者52名中、S1名、A15名、B30名、C5名、F1名となった。すぐれた内容のものは少なかったのが残念だった。明確な目的意識のもとに焦点をしぼった内容が要求されるのだが、あれもこれもといったレポートが少なからずみられた。
 以上、成績講評まで。

農学部新入生および在学生へ
iwahanamichiaki
 農学部の新入生および在学生の各種相談に対応します。前期は月曜日と金曜日の16時30分~18時の時間帯を基本とします。
 なお、出張などで不在の場合もあるので、必ず 前日までにメールで予約してください。相談窓口は人文学部3号館7階農学部環境地理学資料室となります。森田・行方研究室の奥のドアを入ったところにありますが、不在の時には入り口のドア が閉まっています。
 連絡先のメルアドは、imichiaki@mail.goo.ne.jp です。
 緊急時の電話
は、 023-628-4752 (内線4752) です。
 なお、4月27日~5月8日は不在となります。
 2011年4月1日
 農学部学務委員 岩鼻通明

2010年度後期レポートの課題
iwahanamichiaki
基盤教育「文化地理学」
提出期限:2月4日(金)17時(厳守)
提出先:教養センター1Fレポートボックスまで
字数:2000~4000字程度(なるべくワープロでプリントすること、手書きの場合は必ず原稿用紙を使うこと。レポート用紙での提出者は不合格とする)。図表や写真を添えてもよい。
課題:講義の内容から各自が関心を持ったテーマについて、文献およびHP(ネット検索)に依拠しながら、まとめること(広く浅くは望ましくない)。できるだけ、文献とHPサイトを組み合わせながら、まとめること。出典は別途記した要領で必ず明記し(2009年7月の下記の記載を参照)、自分の文章と他人の文章を区別して書くこと。出典を明記していないものは不合格とする。
 なお、成績評価は、レポートと4回の小テストをあわせて行う。

農学部「地域活性化論」
提出期限:2月17日(木)17時(厳守)
提出先:学科支援室(旧学科協力室)のレポートボックスまで
字数:2000~4000字程度(なるべくワープロでプリントすること、手書きの場合は必ず原稿用紙を使うこと。レポート用紙での提出者は不合格とする)。図表や写真を添えてもよい。
課題:講義の内容から各自が関心を持ったテーマについて、文献およびHP(ネット検索)に依拠しながら、まとめること(広く浅くは望ましくない)。できるだけ、文献とHPサイトを組み合わせながら、まとめること。出典は別途記した要領で必ず明記し(2009年7月の下記の記載を参照)、自分の文章と他人の文章を区別して書くこと。出典を明記していないものは不合格とする。
 なお、前期開始時までに、この掲示板に成績講評をアップする予定。
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研究業績一覧

2012年01月29日 | 日記
 こちらのブログにデータ移行を試みましたが、ほんとにNTTの技術って、お粗末・・・。ということで、とりあえず業績一覧をアップしておきます。
  研究業績一覧(著書)
 2011年末までの研究業績を著書・論文・その他にわけてアップします。
1.山崎謹哉編『暮らしの地理学』古今書院1986.5.所収 「村と町の移り変わり」 p.89-110.
2.長谷川典夫編『地理学トピックス』大明堂1987.5.所収(1991.5.改訂)「条里と荘園」、「新田開発」 p.219-222 227-230.
3.久武哲也・長谷川孝治編『地図と文化』地人書房1989.4.所収(1993.4.改訂)「行基図-最古の日本地図」「社寺境内図-聖地のシンボリズム」p.32-33 58-61.
4.難波田徹・岩鼻通明編『神社古図集 続編』臨川書店1990.5. 300p.
5.山田安彦・山崎謹哉編『歴史の古い都市群4』大明堂,1990.10.所収「開発がすすむ非戦災都市山形」・「米沢織で名高い米沢」p.122-147.
6.藤岡謙二郎監修、山田・伊藤・青木編『東山道の景観と変貌』古今書院,1991.7.所収 「出羽三山の山岳信仰」 p.192-198.
7.岩鼻通明著『出羽三山信仰の歴史地理学的研究』名著出版,1992.2. 270p.
8.戸川安章編『仏教民俗学大系7 寺と地域社会』名著出版,1992.8.所収「講の機能と村落社会」 p.143-158.
9.『西川町史 上巻』「三山信仰の拡がり」山形県西村山郡西川町,1995.3. p.958-1049.
10.岩鼻通明著『出羽三山の文化と民俗』岩田書院,1996.8. 193p.
11. 越後・佐渡地名を語る会編『新潟県の地名』野島出版,1996.12.所収「山岳信仰と地名」p.213-240.
12. 岩鼻通明・嶋田忠一編『日本民俗誌集成 第3巻東北編(二)』三一書房、1998.7.(解説・解題・文献目録を執筆担当)
13. 有薗正一郎他編『歴史地理調査ハンドブック』古今書院 2001.5.所収「宗教景観の構造」・「マンダラ図・社寺縁起」p.146-149 202-206.
14.岩鼻通明著『出羽三山信仰の圏構造』岩田書院、2003、250p.
15.安田喜憲編『立山信仰と日本人』NTT出版、2006.4.所収「立山信仰の歴史地理学的研究」・「山岳信仰と女人禁制ー立山と羽黒山の比較から」p.109-124.193-201.
16.やまがた草木塔ネットワーク事務局編『いのちをいただく』山形大学出版会、2007.8.所収「草木塔と出羽三山信仰」p.188-192.
17.田村俊和・石井英也・日野正輝編『日本の地誌 4 東北』朝倉書店、2008.04.所収「東北地方の地域性ー4.住民と生活 2)伝統文化」および「山形県地域誌 庄内地域」p.55-58.412-418.
18.岩鼻通明著『韓国・伝統文化のたび』ナカニシヤ出版、2008.5.152p.
19.『日本の神仏霊場』別冊歴史読本40 新人物往来社、2009.3.所収「出羽三山」p.40-43.
20.宮家準編『山岳修験への招待 霊山と修行体験』新人物往来社、2011.3.所収「中世の伝統を伝える羽黒山四季の峰」p.83-92.
21.山形大学人文学部編『異郷と同胞 日本と韓国のマイノリティー 山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー・セレクション第2集』山形大学出版会、2011.10.所収「韓国ドキュメンタリー映画の諸相」p.28-43.

  研究業績一覧(論文)

1.「観光地化にともなう山岳宗教集落戸隠の変貌」人文地理33-5 1981.10. p.74-88.
2.「出羽三山をめぐる山岳宗教集落」地理学評論56-8 1983.8. p.535-552.
3.「宗教景観の構造把握への一試論-立山の縁起、マンダラ、参詣絵図からのアプロ-チ」京都大学文学部地理学教室編『空間・景観・イメ-ジ』地人書房1983.9. p.163-185.
4.「出羽三山信仰圏の地理学的考察」史林66-5 1983.9. p.83-128.
5.「縁起と絵図と-葛川縁起に展開された宗教的世界-」地理29-4 1984.4. p.79-86. (田中智彦と分担執筆)
6.「羽黒修験と遠野」地域社会研究(山形地域社会研究読書会)9 1984.11. p.72-77.
7.「参詣曼荼羅にみる立山修験の空間認識」歴史地理学紀要27 1985.3. p.131-149.
8.「湯殿山即身仏信仰再考」歴史手帖13-8 1985.8. p.32-39.
9.「戸隠中社の講集団」あしなか(山村民俗の会)195 1986.1. p.1-5.
10. 「西国霊場の参詣曼荼羅にみる空間表現」水津一朗先生退官記念事業会編『人文地理学の視圈』大明堂,1986.4. p.345-356.(雄山閣に再録)
11.「立山マンダラ作成年代考」山岳修験2 1986.9. p.46-54.
12. 「道中記にみる近世の出羽三山登拝」東北生活文化論文集(東北生活文化学会)6 1987.3. p.4-12.
13. 「参詣曼荼羅の読図に向けて」芸能29-10 1987.10. p.8-16.
14. 「道中記にみる出羽三山参詣の旅」歴史地理学139 1987.12. p.1-14.
15. 「北東北からの出羽三山参詣」山形民俗2 1988.3. p.6-11.
16. 「参詣曼荼羅ことはじめ-社寺参詣曼荼羅の世界1-」月刊百科313 1988.11.p24-27.
17. 「吉崎御坊と蓮如-社寺参詣曼荼羅の世界2-」月刊百科316 1989.2.p.23-31.
18. 「山形における交通と観光をめぐる諸問題」『地域と地域科学』山形大学教養部総合科目研究会1989.3.p.25-38.
19. 「法輪寺参詣曼茶羅と嵐山図-社寺参詣曼荼羅の世界3-」月刊百科319 1989.5. p.25-27.
20. 「羽黒山花祭り」宮田登他監修『仏教行事歳時記 7月 夏祭り』第一法規出版1989.6. p.157-163.
21. 「立山マンダラにみる聖と俗のコスモロジ-」葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジ- 下巻』地人書房1989.7. p.223-238.
22. 「善光寺参詣曼荼羅の周辺-善光寺・戸隠信仰と“まいりの仏”-社寺参詣曼荼羅の世界4-」月刊百科323 1989.9. p.25-32.
23. 「大宰府観世音寺絵図考-社寺参詣曼荼羅の世界5-」月刊百科325 1989.11.p.14-17.
24. 「紀行・絵図にみる中世北日本の空間認識」羽下徳彦編『北日本中世史の研究』吉川弘文館1990.2. p.547-564.
25. 「六十里越街道をゆく人々」山村民俗の会編『峠路をゆく人々』エンタプライズ1990.8. p.1-13.
26. 「白河関の明神-峠に祀られた境界神」山村民俗の会編『妣なる山に祈る』エンタプライズ1990.11. p.23-35.
27. 「社寺参詣曼荼羅の系譜における立山曼荼羅の位置づけに関する研究」富山県立山博物館調査研究報告書富山県教育委員会1991.3.14p.
28. 「近世の旅日記にみる比叡山参詣」山岳修験7 1991.6. p.91-99.
29. 「大網地すべりと大日坊の移転」庄内民俗30 1991.10. p.1-9.
30. 「越中立山女人救済儀礼再考」芸能34-2 1992.2. p.17-23.
31. 「近世の旅日記にみる善光寺・戸隠参詣」長野165 1992.9. p.16-38.
32. 「戸隠信仰の地域的展開」山岳修験10 1992.10. p.31-40.
33. 「観光地化にともなう山岳宗教集落戸隠の変貌(第2報)」山形大学紀要(社会科学)23-2 1993.1. p.179-198.
34. 「修験道と文芸-近世紀行文を中心に-」国文学解釈と鑑賞58-3 1993.3.p.146-151.
35. 「出羽三山の参詣路-史料にみる山中の地獄と浄土の世界-」山形郷土史研究協議会研究資料集15 1993.3. p.22-38.
36. 「国絵図にみる東北日本の環境変化」山形大学学内特定研究報告書,1994.3. p.58-76.
37. 「出羽国からの熊野三山参詣」東北生活文化論文集12,1994.3. p.60-66.
38. 「山岳信仰研究の地理学的諸問題-小田氏の書評に答えて-」山形民俗8 1994.8. p.41-47.
39. 「韓国民俗学の研究動向と課題」山形民俗9 1995.11. p.51-56.
40. 「地図にみる韓国の計画都市水原の発展」東北生活文化論文集15 1996.3. p.40-48.
41. 「山岳仏教」日本の仏教6 1996.8. p.70-74.
42. 「出羽三山-日本の霊地」『日本「霊地・巡礼」総覧』新人物往来社、別冊歴史読本68 1996.9. p.76-81.
43. 「道中記にみる霊地」『日本「霊地・巡礼」総覧』新人物往来社、別冊歴史読本68 1996.9. p.290-295.
44. 「出羽三山の両造法論と絵図」西村山地域史の研究14 1996.11. p.2-22.
45. 「山岳修験の食文化に関する研究」東北生活文化論文集16 1997.3. p.37-58.
46. 「描かれた善光寺と記された善光寺」『長野市立博物館特別展図録 古代・中世人の祈り-善光寺信仰と北信濃-』1997.4. p.118-123.
47. 「立山曼荼羅研究の成果と課題」山岳修験20 1997.11. p.15-20.
48. 「出羽三山の絵図を読む」山形郷土史研究協議会研究資料集20 1998.3. p.44-55.
49. 「本道寺檀那場帳にみる檀那場の競合-文翔館所蔵長井氏資料(出羽三山関係)の紹介を兼ねて」山形民俗11・12 1998.8. p.68-72.
50. 「絵図にみる北野社の景観変遷-北野社参詣曼荼羅の作成年代をめぐって」村山民俗12 1998.11. p.18-36.
51. 「出羽三山の縁起」国文学解釈と鑑賞63-12 1998.12. p.137-143.
52. 「観光地化にともなう山岳宗教集落戸隠の変貌(第3報)」季刊地理学51-1 1999.3. p.19-27.
53. 「城壁都市ソウルの発展と大都市圏の形成」成田孝三編『大都市圏研究(上)』大明堂 1999.4. p.185-202.
54. 「庄内平野の修験と民俗」悠久80 2000.1. p.70-78.
55. 「近年の出羽三山信仰の研究動向」村山民俗14 2000.6. p.26-31.
56. 「粉河寺参詣曼荼羅にみる聖域空間の表現」足利健亮先生追悼論文集編纂委員会編『地図と歴史空間』大明堂 2000.8. p.428-435.
57. 「近代の旅日記にみる善光寺参詣」長野213 2000.9. p.17-22.
58. 「旅の異空間-地理学と民俗学の間」山形民俗14 2000.11. p.114-128.
59. 「立山の山岳信仰」山と溪谷792 2001.7. p.118-120.
60. 「出羽三山への道-新出の三山参詣旅日記から」山形民俗15 2001.11. p.38-45.
61. 「栗駒山の山岳信仰」山形民俗16 2002.12. p.48-52.
62. 「絵図にみる霊場寺院の他界観」『中世出羽の宗教と民衆』高志書院 2002.12. p.277-290.
63. 「近世の出羽三山参詣」悠久92 2003.1. p.85-93.
64. 「絵図にみる出羽三山の神仏分離」山形郷土史研究協議会研究資料集25 2003.3. p.5-13.
65. 「韓国農村における伝統的景観の保全と活用」『農村空間の研究(上)』大明堂2003.3. p.435-451.
66.「山岳信仰と女人禁制」山形民俗18 2004 p.36-40
67.「韓国都市における伝統的町並景観の保全と利用―ソウルと全州を事例に」季刊地理学57-3 2005.p.150-153.
68.「韓国映画に描かれた民俗文化」山形民俗19 2005.p.67-71.
69.「韓国映画に描かれた民俗文化(続)」村山民俗20 2006.p.113-115.
70.「長野県戸隠高原の三十年~信仰と観光のはざまで~」山形民俗20 2006.p.66-70.
71.「朝鮮半島と東北文化の歴史的交流」山形県地域史研究32 2007.p1-8.
72.「出羽三山と最上川が織りなす文化的景観まんだら」庄内民俗34,2008.4. p108-111.
73.「鳥海山の境争論と装束場」山形民俗22,2008.11.p18-22.
74.「山形県と世界遺産」村山民俗23,2009.6.p.92-94.
75.「映像に描き出された韓国のムーダン」村山民俗24,2010.6.p.34-36.
76.「羽黒山五重塔小考」山形民俗24,2010.11.p.25-28.
77.「宗教と境界ー飯豊山・鳥海山・蔵王山を事例として」地図情報116,2011.2.p.16-18.
78.「震災復興と民俗学」村山民俗25,2011.6.p.93-95.
79.「出羽三山信仰の諸課題」地方史研究352,2011.8.p.43-46.

  研究業績一覧(その他)

1.「観光保養都市白浜」(小林博編『空からみた都市景観』大明堂1978.3. p.54-55.
2.「大山歴史地理散歩」(1)-(22)月刊大山(大山の自然を守る会)131-174. 1982-1986.
3.「学界展望(民族・文化)」人文地理37-3 1985.6. p.63-65.
4.『出羽三山参詣道中記史料集』文部省科研費報告書,山形大学教養部,1986.3. 20p.
5. 書評:佐藤博之・浅香勝輔『民営鉄道の歴史がある景観』歴史地理学135 1986.12. p.39-40.
6.「山岳信仰の旅」週刊朝日百科 日本の歴史75,1987.9. p.268-269.
7.「信夫山の即身仏と九戸城の鉄門海碑」村山民俗1 1988.3. p.8-9.
8.「北日本中世における絵画史料」科研費報告書,1988.3.p.106-109.
9.書評:長野覚『英彦山修験道の歴史地理学的研究』東北地理40-2 1988.5.p.151-152.
10. 「絵解き研究と図録」絵解き研究6 1988.6. p.13-15.
11. 書評:川口久雄『山岳まんだらの世界』山岳修験4 1988.10. p.160-161.
12. 書評:石井実『地理写真』東北地理40-4 1988.12. p.293-294.
13. 「空間の民俗学と文化地理学」村山民俗2 1989.3.p.7-8.
14. 「芭蕉と羽黒修験」あしなか(山村民俗の会)204 1989.12. p.10-12.
15. 書評:石井実『地と図』歴史地理学148 1990.3. p.42
16. 「空間の民俗学と文化地理学・続」村山民俗3 1990.3. p.13-14.
17. 「大江寺蔵「立山曼茶羅」のこと」絵解き研究8 1990.6. p.67-70.
18. 「学界展望(地図 近世以前)」人文地理42-3 1990.6. p.81-82.
19. 書評:広瀬誠編『越中立山古記録 第一巻』山岳修験6 1990.9. p.69-71.
20. 書評:徳田和夫『絵語りと物語り』日本民俗学184 1990.11. p.117-120.
21. 「千葉県の出羽三山行屋史料」村山民俗4 1991.3. p.30-31.
22. 書評:小野寺淳『近世河川絵図の研究』庄内民俗30 1991.9. p.55-56.
23. 「立山曼荼羅の世界」富山県立山博物館開館記念展図録1991.11. p.25-26.
24. 「即身仏の足跡」村山民俗5 1992.3. p.34-37.
25. 書評:内藤正敏『修験道の精神宇宙-出羽三山のマンダラ思想』山形民俗6 1992.7.p.85-88.
26. 書評:鈴木正崇『山と神と人-山岳信仰と修験道の世界-』山形民俗6 1992.7. p.54.
27. 「270号添付図「白山図」の解説の誤りについて」古地図研究273 1992.11. p.8-9.
28. 書評:高瀬・広瀬編『越中立山古記録 全4巻』山岳修験11 1993.3. p.86-88.
29. 『旅日記にみる女人禁制の民俗文化的研究』文部省科研費報告書 山形大学教養部 1993.3. 28p.
30. 「但馬国からの出羽三山旅日記」村山民俗6 1993.3. p.16-17.
31. 書評:藤田定興『寺社組織の統制と展開』山形民俗7 1993.8. p.26.
32. 「古地図と曼荼羅」古地図研究284 1993.10. p.8-9.
33. 「上州朽津家の出羽三山旅日記」村山民俗7,1994.3. p.45-46.
34. 書評:由谷裕哉『白山・石動修験の宗教民俗学的研究』週刊読書人2037 1994.6.10. p.4.
35. 「富士山と羽黒山の女人禁制の解禁」西郊民俗147 1994.6. p.1-3.
36. 「出羽三山信仰と遠野」遠野市立博物館講座講義集,1994.12. p.42-46.
37. 「湯殿山信仰と「湯殿精進」」常総の歴史15 1995.1. p.121-122.
38. 「韓国ソウルのニュ-タウン」季刊地理学47-1 1995.3. p.46-48.
39. 書評:宮家準監修『峰入』、松田義幸編『出羽三山と日本人の精神文化』山岳修験15 1995.4. p.74-76.
40. 「月山高清水通り登拝記」村山民俗8・9 1995.6. p.25-27.
41. 書評:山田安彦編『方位と風土』地理学評論68-9 1995.9. p.637-638.
42. 「蔵王県境移動国賠事件-31年目の逆転勝訴の意義」日本の科学者30-10 1995.10. p.38-42.(佐藤欣哉と分担執筆)
43. 書評:梅津慶豊編『出羽三山史料集 上巻』山形民俗9 1995.11. p.87-88.
44. 『高速交通網の整備にともなう観光リゾ-ト開発に関する地域比較』文部省科研費報告書,山形大学教養部,1996.3. 12p.
45. 書評:長谷川成一『失われた景観』弘前大学国史研究100 1996.3. p.140-141.
46. 展示批評:「福島の山岳信仰」展、地方史研究262 1996.8. p.112-113.
47. 浮田典良他監修『日本地名大百科 ランドジャポニカ』小学館、1996.11. 1344p.(山形県内の地名と東北地方の街道を執筆担当)
48. 「『三山雅集』にみる三山信仰の拡がり」村山民俗10 1996.11. p.27-29.
49. 書評:村山市史編さん委員会編『村山市史 地理・生活文化編』山形民俗10 1996.11. p.156-157.
50. 新刊紹介:羽黒町編『羽黒町史 別巻』山形民俗10 1996.11. p.158.
51. 「山岳修験の食文化に関する研究」『助成研究の報告6』財団法人味の素食の文化センタ-,1996.12. p.41-44.
52. 「近世史料にみる巡礼と参詣の概念」村山民俗11 1997.11. p.25-26.
53. 「大学入試センタ-試験と柳田国男」村山民俗11 1997.11. p.39.
54. 紹介:『図録庄内の歴史と文化』・『出羽三山』・『東北民俗学研究第5号』・『研究集録集地域研究30年の旅路』村山民俗11 1997.11. p.40-41.
55. 書評:高野史男著『韓国済州島』季刊地理学49-4 1997.12. p.307-308.
56. 講演要旨:「出羽三山の信仰と街道」出羽街道探訪実行委員会編『まなびのあと』1998.3. p.16-20.
57. 「山形県の交通-整備の進む高速交通網-」山形県経済社会研究所編『山形県の現在と未来』1998.3. p.22-23.
58. 『日本宗教民俗辞典』東京堂 1998.3.(出羽三山信仰・立山信仰・戸隠信仰の項目を執筆担当)
59. 紹介:『戸隠信仰の歴史』山岳修験21 1998.3. p.53-54.
60. 「出羽三山の修験道」週刊朝日百科「日本の国宝」97 1999.1. p.216-217.
61. 「国絵図にみる霊山の表現」文部省科研費報告書『画像処理による出羽国絵図の研究』,茨城大学教育学部(研究代表者:小野寺淳)1999.3. p.27-34.
62. 「森の生業と文化」『平成10年度鶴岡学講座記録集』鶴岡市教育委員会,1999.3. p.55-78.
63. 書評:『立山信仰と立山曼荼羅』日本民俗学218 1999.5. p.105-108.
64. 「旅日記にみる羽黒山の女人救済儀礼」村山民俗13 1999.6. p.16-18.
65. 紹介:『山に暮らす海に生きる 東北むら紀行』・『図説 みちのく古仏紀行』・『山形県の歴史』村山民俗13 1999.6. p.34.
66. 「故郷と田舎-山形の地域イメ-ジに関する一考察」山形民俗13 1999.11. p.57-60.
67. 『日本民俗大辞典』吉川弘文館、上、1999.9.下、2000.3.
68. 紹介:『地理と民俗への道-自学のすすめ-』歴史地理学198 2000.3. p.28-29.
69. 「インタ-ネット・ホ-ムペ-ジにみる韓国事情と韓国における日本語教育」『山形大学日本語教育論集』3 2000.3. p.93-97.
70. 紹介:『地域文化の話題提供』・『中世日本の国家と寺社』・『中世奥羽の民衆と宗教』・『庄内民俗 復刊第四号』村山民俗14. 2000.6. p.43-44.
71. 紹介:『地理の風景』季刊地理学52-3 2000.8. p.195.
72. 「巡検報告」歴史地理学200 2000.9. p.60-62.
73. 「国絵図にみる霊山の表現(続)」文部省科研費報告書『国絵図の画像処理による東北地方の環境・景観変化に関する研究』,茨城大学教育学部(研究代表者  :小野寺淳)2001.3. p.21-23.
74. 紹介:『熊野古道』山岳修験27 2001.3. p.82-83.
75. 「権現さまに参ろじゃないか」地域文化(八十二文化財団)56 2001.4. p.10-11.
76. 書評:『羽黒修験』日本民俗学226 2001.5. p.129-134.
77. 「紀行文と旅日記にみる立石寺」村山民俗15 2001.5. p.47-49.
78. 「日本の神々の辞典」大修館
79. 「日本歴史辞典」小学館
80. 「絵図にみる立山信仰」『なにが分かるか、社寺境内図』国立歴史民俗博物館 2001.10. p.128-129.
81. 「立山信仰の世界」国立能楽堂 2002.2. p.25-26.
82. 「大邱市友鹿里における日韓交流と観光開発」中央大学校日本研究所(韓国),2002.2. p.255-259.(村山民俗16 2002.6. p.54-57.に再録)
83. 「仁川中華街の再開発」季刊地理学54-1 2002.3. p.34-36.
84. 紹介:『ケイコ・韓国奮戦記』季刊地理学54-2 2002.7. p.122-123.
85. 『岩波仏教辞典 第二版』岩波書店2002.10.
86. 紹介:石井実・井出策夫・北村嘉行著『写真・工業地理学入門』季刊地理学55-1 2003.3. p.48.
87.『常総・寛永期の大日石仏』の刊行によせて、村山民俗17 2003. p.47-49.
88. 紹介:松井圭介『日本の宗教空間』季刊地理学55-2.2003.p.133-134.
89.『歴史学事典11巻 宗教と学問』弘文堂,2004.1.
90. 崔教授報告「近代的発展の表象としてのソウル」コメント、千田稔編『東アジアの都市形態と文明史』国際日本文化研究センター、2004.p.344.
91. 史料紹介「奥羽旅行控」村山民俗18,2004.p.38-41.
92. 書評:田中智彦『聖地を巡る人と道』山岳修験34.2004.11.p.76-78.
93. 書評:戸川安章著作集『出羽三山と修験道』・『修験道と民俗宗教』村山民俗19.2005.p.55-58.
94. 「山岳信仰と出羽国絵図」『国絵図の世界』国絵図研究会編、柏書房 2005.p.152-154.
95.紹介:野口一雄著『山形県の金毘羅信仰』宗教民俗研究14・15.2006.p.289-291.
96.紹介:渡辺幸任著『出羽三山絵日記』山形民俗20.2006.p.77-79.
97.紹介:青木栄一編『日本の地方民鉄と地域社会』季刊地理学58-4.2007.2.p.242.
98. 「最上川と三山まいり」まほら(旅の文化研究所)50.2007.p.20-21.
99.「戸川安章先生を偲ぶ」村山民俗21.2007.p.63-66.
100.「新出の月山湯殿山参詣道中記について」山形民俗21.2007.p.59-61.
101.「三山参りと宿坊」『村山ふるさと大百科』横山昭男監修、郷土出版社、2008.5. p196.
102.「手嶋健博氏「「出羽三山」の宗教世界」に触れて」村山民俗22.2008.6.p.80-82.
103.「韓国を題材にした授業の紹介」山形大学高等教育研究年報3.2009.3.p.6-7.
104.「神仏習合の構造」難波耕司・岩鼻通明,村山民俗23.2009.6.p.79-87.
105.『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店,2009.11.
106.「紹介『史料集 ゆくてのすさび 羽黒山日記』」難波耕司・岩鼻通明,山形民俗23.2009.11.p.87-88.
107.「宮本袈裟雄先生と山岳修験学会」『宮本袈裟雄追悼文集』2009.12.p.26-27.
108.紹介:沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』史林93-4,2010.7.p.120-121.
109.「地方発信映画にみる地方都市再生の試みとその担い手ー山形県における映画「よみがえりのレシピ」を事例としてー」『日本科学者会議第18回総合学術研究集会予稿集』2010.11.p.268-269.
110.紹介:三木一彦著『三峰信仰の展開と地域的基盤』日本民俗学268.2011.11.p.82-83.




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gooブ前へのデータ移行のお粗末さ!!

2012年01月29日 | 日記
 本?E?ooブ前への?E⑤如璽唇楾圓鮖靴討澆泙靴燭♤∧源修韻世蕕韻里△泙蠅里橡気飽∩魁Ⅰ?br /> OCNcafeのみなさま、断固た?E概弔鬚靴泙擦ΑⅠ
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ソフコメ、ォ、鯡クイスコ筅?鬢惕ヲ。ェ。ェ

2011年04月20日 | 日記
。。、ウ、ホナル、ホソフコメ、ヌ。「クナハクス?ハ、ノ、ホハクイスコ筅筅゛、ソツ遉ュ、ハネ・イ、??ア、ニ、、、・ャ。「、ス、・鬢?゜、ェ、ヲ、ネ、、、ヲサ釥゜、ャウ霾ッ、ヒケヤ、・・ト、ト、「、・」
。。セワ、キ、ッ、マ。「、ソ、ネ、ィ、ミNPOヒ。ソヘオワセ・?ヒサ?チハンチエ・ヘ・テ・ネ・・シ・ッ、ハ、ノ、ホ・オ・、・ネ、?イセネ、、、ソ、タ、ュ、ソ、、、ャ。「サウキチハクイスー莉コヒノコメ・ヘ・テ・ネ・・シ・ッ、筵ワ・鬣?ニ・」・「ツホタゥ、?ーネ?キ、ハ、ャ、鯤・メテマ、ホハクイスコ筅?鬢・釥゜、ヒシ隍・ネ、゜、ト、ト、「、・」
。。シツ、マソフコメ、ヒセ隍ク、ニクナハェセヲ、ハ、ノ、ャネ・メテマ、ヒヌ网、スミ、キ、ヒヘ隍・ウ、ネ、ャ、「、遙「コ蠢タツ鄙フコメ、ヌ、箴ツコン、ヒ、ス、ホニー、ュ、ャツクコ゜、キ。「コ」イ?筅、、チチ皃ッセ隍・ミ、キ、ニ、、、・ネ、、、ヲ。」
。。タ・邊ネ、ヌ、ハ、ア、・ミ。「・ャ・・ュ、ネネ・メ、キ、ソハクイスコ筅ネ、ホカ靆フ、マコ、ニ?ハフフ、ャ、「、遙「、タ、ォ、鬢ウ、ス。「タ・邊ネ、ホシ熙ヒ、隍・?チオ゜スミ、ャノャヘラ、ネ、ハ、・」
。。、゛、ソ。「ソフコメノ・ス、ネハクイスコ簗ンク釥マホセホリ、ヌ、「、遙「テマー隍ホナチナ?ハクイス、?鬢・ヒ、マ。「エ?ワナェ、ヒクステマノ・ス、ャナ?ウ、ネ、ハ、惕ヲ。」
。。チ?タヌ、?ート?ネ、キ、ソ、隍ヲ、ハナモハ?、筅ハ、、オャフマ、ホノ・ス・ラ・鬣?マフオーユフ」、ヌ、「、遙「、キ、ォ、篥マー隍ホナチナ?ハクイス、?サ、ハ、ヲキ・フ、ヒ、ハ、熙ォ、ヘ、ハ、、。」
。。、ス、・隍熙筍「テマニサ、ハコニキ妤ャノャヘラ、ハ、ホ、ヌ、「、遙「ハクイスコ筅?゜、ヲ、ウ、ネ、マ。「、ス、ホー・、トヘ、ネ、、、ィ、隍ヲ。」
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