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山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

広域交流圏の形成と山形新幹線フル規格化 (村山民俗学会会報2017年4~12月号)

2017年12月17日 | 日記
 2016年秋の県民俗研究協議会での研究発表において、山形新幹線の問題を取り上げた。そこで、このテーマについて、会報の紙面をお借りして、数回にわたり私見を述べたい。
 実は、山形新幹線開業および新庄延伸時にも、私見を述べたことがあった。当時は外野からの発言に徹したのであったが、県の世界遺産委員会の委員などを経験したこともあるので、民俗学および人文地理学の立場から、この問題について述べてみたい。
 地理学会において、交通地理学の分野では、さまざまな現地調査に基づいた研究成果が発表されているのであるが、新幹線に関する研究報告は、けっして多いとは言いがたい。それは、新幹線の建設が、あまりに政治路線化していることが一因といえよう。
 田中角栄首相時代の「日本列島改造論」が、その典型であり、上越および東北新幹線は、きわめて政治色の強い路線として、計画・建設が進められた。オイルショックの影響により、開業は大幅に遅れたが、ちょうど筆者が山形大学に赴任した時期に大宮駅を暫定ターミナルとして、両新幹線は開業にこぎつけたのであった。
 この時代に、全国の新幹線ネットワークが計画路線として示されたものの、それはまさに絵に描いた餅そのものであった。その後は、緊縮財政の影響もあって、長野冬季五輪に向けて、長野新幹線が開業し、東北新幹線は新八戸から新青森へ、さらには北海道新幹線として新函館まで伸び、長野から金沢まで北陸新幹線も伸びた。一方、山陽新幹線は岡山まで伸びた後、博多まで延伸され、さらに鹿児島まで九州新幹線が開業するに至っている。
 それに対して、山形および秋田新幹線は、建設費を抑えた、いわゆるミニ新幹線と呼ばれる、レール幅を標準軌に拡げた在来線に新幹線車両が直通乗り入れする方式で運行されている。この方式では、従来より大幅なスピードアップは望めないために、時間短縮効果は大きいとはいえず、また、災害にも強くはないこともあって、フル規格新幹線待望論が、にわかに声高に叫ばれはじめた。
 鉄道の高速化によって、時間距離が短縮され、広域的な往来が盛んになることにともない、交流圏の拡大が期待できる。少子高齢化の影響で、今後は人口減少が急速に進展する日本列島、とりわけ広い面積を有する東北地方にとって、高速交通網の形成が悲願であることは確かであろう。ただ、広域交流圏の拡大にともない、地域社会に与える影響は大きく、民俗文化も変化を余儀なくされる可能性が出てくると想定される。
 さて、目下、山形県が推進しようとしている新幹線フル規格化は、山形新幹線にとどまらず、新潟と庄内を結ぶ羽越新幹線も、その構想に入っている。
 山形新幹線は県境付近の豪雪に弱く、一方の羽越線は日本海に面して走るため、冬の強風に弱い。そのために、遅延や運休が頻繁に発生することから、雪や強風に強いフル規格の新幹線待望論が強まっている。
 しかしながら、遅延や運休が相次ぐことには、背景が存在する。それは10年余り前に発生した羽越線での特急いなほ脱線事故である。この事故は突風により、走行中の特急が脱線転覆して犠牲者が出たもので、その事故以降はJRの運行規制が強化され、それまでは風速30mで運休とされたのが、25mになり、徐行の風速規制も引き下げられた。ちなみに、つい先日、12年がすぎてようやく遺族や負傷者との示談がすべて終了したとの報道に、JRの本質をかいまみるような気がした。
 そのために、遅延や運休が相次ぐ結果となり、乗客や乗務員に多くのストレスが生じることを招いた。数年前に秋田行きの特急いなほに乗車した際に山形・秋田県境付近で強風が吹いたために徐行運転となり、なんと国道を走る路線バスに特急が追い抜かれるという珍妙な体験をしたことがあった。
 もちろん、乗客の安全が優先されることは重要ではあるが、あまりにも過度の規制を現実に体験すると、JR北海道で発生したような保線の手抜きなどに予備的に対応しているのでは?と勘ぐらざるをえない。それが新幹線待望論につながるのは、おかしな話ではないのか。
 羽越新幹線については、庄内地方において、酒田市と鶴岡市との意見の対立があり、それを止揚するために、フル規格新幹線導入が提起されたものとも受け止められる。
 その羽越新幹線構想は、山形新幹線の開通と新庄延伸にともない、高速交通網から取り残された庄内地方に新幹線を導入する構想である。新庄延伸計画の当初は、さらに秋田県南の湯沢市・横手市まで延伸する運動も存在したが、秋田新幹線や高速道路の開通にともない、その声はほとんど消えた。
 課題となったのは、庄内までのルートで、新庄から陸羽西線を経由して余目・酒田まで延伸する計画と、新潟から在来線の羽越線をフル規格化して、ミニ新幹線を導入する計画である。前者は酒田市が、後者は鶴岡市が主張して、ともにゆずることなく、膠着状態が続いてきた。庄内全体の利益にとって、港町と城下町というルーツの異なる両市の対立は不幸なことである。
 個人的には、片方はほぼ実現不可能なプランであるのだが、それを止揚するための新たな計画が、この度の山形・羽越新幹線フル規格化であるといえよう。この計画は、一言で言えば、きわめて近視眼的な計画でしかない。このような地方新幹線計画をあおるような根拠に乏しい新書などが出版されており、地方自治体が振り回されている情けない現状にあるため、長期的展望を踏まえた私論を述べることが趣旨である。
 国鉄民営化から既に30年が過ぎた。今日、サービス残業やブラック企業など、労働者の権利をないがしろにするような傾向は、個人的には国鉄解体に端を発するように思えてならない。
 このことは、以下の残念なニュースとも大きく関わる。JR九州が取り組んできたフリーゲージトレインの導入を断念するかもしれないとのことだ。このフリーゲージトレイン(FGT)とは、台車の車輪幅を変えることのできる車両であり、在来線の狭軌と新幹線の標準軌というレール幅の異なる線路を相互に乗り入れできる画期的な列車である。この車両が実用化されれば、もはやミニ新幹線は不要となるのだ。
 このFGTこそが、庄内への新幹線導入の切り札であると認識してきたのであり、既に2008年に刊行された『日本の地誌4 東北』において、その可能性に言及した。目下、新潟駅では、新幹線ホームで、在来線の特急「いなほ」に乗り換えできる工事が進行中と聞くが、この工事は将来のFGT導入に備えるものと個人的には理解してきた。
 かつて、JR北海道で導入を計画してきたレールバスもまた、北海道新幹線を優先するとのことで、実用化間近の時点で開発が断念された。このレールバス(DMV)もまた、ローカル線において、線路と道路をつないで直通運転ができるという画期的な車両である。
 21世紀における地方の公共交通の改善にとって、画期的な開発であるはずのこれら車両の開発が、なぜ断念を余儀なくされるのだろうか?そこには、大都市圏優先のJR東・東海・西の各社の非協力的体質が背景に存在する。かつての国鉄一家と呼ばれた時代であれば、技術開発には一丸となっていたことであろう。民営化の失敗を感じるのは、私だけであろうか。
 ところで、このところ、山形新幹線の庄内延伸をめぐって、中速鉄道なる聞きなれない用語がマスコミで飛び交っている。陸羽西線経由で庄内に延伸する際に、フル規格新幹線よりも、急カーブの緩和や低重心車両の導入による中速鉄道のほうが、時間短縮および工費節減効果があるとするものだ。
 中速鉄道として、国内では京成電鉄の成田エクスプレスが該当するそうだが、この特急は新線を経由することによって、スピードアップと時間短縮が可能となった。それと対極的な事例が会津鉄道である。今から30年余り前に、旧国鉄会津線の第三セクター化とともに、東武電鉄鬼怒川線を延長した野岩鉄道が会津鉄道とつながり、東京・浅草と会津若松が鉄路で結ばれた。
 昨年、ようやく、この鉄道に初乗車する機会があったが、旧会津線内は、かつてのローカル線規格のままで、一部は電化されているにもかかわらず、高速運転ができず、野岩鉄道の新線部分に入ると、スピードアップした。今春から、会津田島行きの直通特急リバティが運行を開始したが、3時間余りを要し、若松まではさらに乗り換える必要がある。
 当初、期待の大きかった、この路線は、いまや東北新幹線や高速バスに押され、沿線は閑古鳥状態となっていた。陸羽西線は途中に地すべり地帯が存在したりと、ローカル線規格を中速鉄道規格に改良するには、膨大な経費と時間を要すると想定される。フル規格新幹線の数分の一の費用で済むとはいえ、1キロ当たり100億円を上回ると仮定すれば、陸羽西線の中速鉄道化だけでも、たいへん高額な経費が必要となる。
 河北新報は実現の見通しは不透明だとの見解を示しているが、ミニ新幹線方式の数倍の経費を必要とする中速鉄道に、いまやJR東日本が積極的に賛同するとはいいがたいであろう。
 ちなみに、そのような経費が余分にあるのなら、七日町の県民会館跡地に、県立博物館ないし公文書館(一体化した施設であれば、なおよし)を建設すべきであろう。県庁から、そのような声があがらないとは誠に恥ずかしい。
 一方、フル規格新幹線の実現を県内および隣接県に働きかける動きがみられる。果たして、山形新幹線および羽越新幹線のフル規格化は、隣県にとって、どれくらいのメリットがあるのだろうか?
 まず、福島県において、会津と浜通りに関してのメリットは、ほとんどないといえよう。そして、中通りの福島市と郡山市についても、山形県内陸部への時間短縮効果に大きなメリットがあるとはいいがたい。東北新幹線で、既に仙台や首都圏と結ばれていることから、さしたる関心があるとは思えない。宮城県の場合も、山形・仙台間の高速バスが頻繁に往復しており、新幹線効果はほとんど間接的でしかない。
 秋田県においては、かつて新庄から県南部への延伸を期待する声もみられた。しかし、高速道路が湯沢・横手から岩手県北上市までつながると、北上駅から新幹線で上京するほうが、はるかに時間距離が短いことが明らかになって、その声は消えるに至った。
 いちばんメリットがあると思われるのは、新潟県であろう。政令指定都市となった新潟市と庄内が新幹線で結ばれれば、広域交流圏が活性化されることが期待される。とはいえ、いわゆるストロー効果が発生する不安もある。ストロー効果とは、人口がより大きな都市へと、さまざまなものが流出することを指す。
 具体的には、秋田新幹線の開業にともない、秋田市内に立地していた全国的企業の視点や出張所が、盛岡あるいは仙台へ移転する現象が顕著にみられるようになった。すなわち、盛岡や仙台から日帰りで秋田へ往復できるようになったために、秋田市内における拠点が不要になってしまったのであった。これと同じく、もし羽越新幹線が開通すれば、庄内の支店が新潟市へ移る可能性は否定できない。
 しかしながら、山形県が期待しているのは、隣県の応分の建設費の財政負担であろう。それを隣県に期待しても、ほとんど相手にされないのではなかろうか。それもあって、「オール山形」で、フル規格新幹線を実現しようとの掛け声が大きくなりつつある。だが、この「オール山形」という表現に排外主義的な違和感をもつのは、私だけだろうか?
 2017年11月に福島-米沢間の高速道路が開通した。そこで、新幹線と高速道路の比較について述べてみたい。
 日本の新幹線の特徴として、旅客輸送のみということが指摘できる。在来線では貨物輸送も行っているが、新幹線では諸般の事情から貨物輸送は排除されている。
 したがって、物資をすみやかに輸送するのは、高速道路に依存することにならざるをえない。この事実が、新幹線駅(とりわけ在来線から離れて新たに開業した駅)と高速道路のインターチェンジ周辺の景観に大きな影響を与えている。
 たとえば、東北新幹線の新花巻駅周辺は、開業後かなりの年数が経過しているにもかかわらず、産業の集積は微々たるものがある。東海道新幹線の岐阜羽島駅も開業当初は政治家が誘致に介入した新駅とうわさされ、なかなか周辺の開発が進まなかったが、現在はようやく都市化が進行しつつある。
 このように、旅客しか運ばない新幹線の影響は実は限定的なところがある。それに対して、高速道路が開通すれば、インターチェンジ周辺には流通に関わる諸産業の工場などの立地が展開することが知られている。
 たとえば、岩手県の東北自動車道の北上江釣子インター周辺には、相当な規模の産業集積がみられる。自前でインターチェンジを造成して、自動車産業などの工場を誘致した北上市の実績は高く評価されている。山形自動車道の山形北インター周辺にも、数多くの食品産業などの工場が立地していることは一目瞭然である。
 この度、福島市から米沢市まで高速道路が開通すれば、なかなか用地が埋まらないといわれてきた八幡原工業団地に進出してくる企業が大いに期待される。山形県内陸部の高速道路は、いまだつながっていない箇所がみられるが、東北道からつながることによって、物資輸送が飛躍的に改善される意義は非常に大きい。
 以上のように、フル規格新幹線という夢幻の構想にとらわれるよりも、高速道路の整備という現実的な課題に、もっと目を向けるべきであろう。
 山形新幹線フル規格化は、早ければよいのか?という問題でもある。そこで、目下、工事が開始されつつあるリニア新幹線について言及したい。
 目下、2027年に品川-名古屋間が開業予定で、リニア新幹線の工事が進められ、さらに大阪までは2045年の開業を目指すという。既に日本自然保護協会は、リニア着工時の、いわゆる環境アセスメントに関して厳しい意見を表明している。それはフォッサマグナという大断層帯を貫いて、新幹線のトンネル工事が行われることに対する危険性への危惧と、それにともなう環境破壊ゆえである。
さらに工事にともなう廃土処分についても、トンネル工事現場の長野県大鹿村において、膨大な量の廃土が発生し、それを運ぶトラックの往来が急増することも指摘されている。
 この長大なトンネルが断層のずれによって破壊されれば、きわめて大きな事故が予想される。そのような危険性を産業界や政界が十分に理解しているとは思われない。そもそも、IT時代の到来によって、さまざまな情報は瞬時に全世界へ伝わるシステムができあがった今、ほんとうに超高速交通機関が必要とされているのだろうか?しかも、最近の報道では、国費をつぎ込んでいる工事で談合疑惑が発覚したという。
 先日、某学会大会に参加するために、JR東海が経営する御殿場線に乗る機会があった。新宿から小田急で新松田で乗り換えたのだが、首都圏に位置するにもかかわらず、スイカなどが使用できないという。やむなく小銭を出して乗車券を買ってホームに向かったのだが、かつての東海道本線であったホームはとても長く、たった2両の車両ははるか前方に停車している。ラッシュ時以外は1時間おきという本数なので、乗り逃がすわけにはいかず、小走りでなんとか乗り込むことができた。
 このような乗客に不便をしいる鉄道会社が、リニア新幹線に大金をつぎこむことが許されるのだろうか。まずは乗客の利便性向上を優先すべきではなかろうか。これも、国鉄民営化の隠れたマイナス面といえよう。
 地方創生というならば、地方の公共交通を改善することが最重要課題ではないのだろうか。山形新幹線フル規格化も、地方の公共交通切捨てに直結することが危惧される。在来線の運営をJRが放棄することがフル規格新幹線の前提であり、東北新幹線の青森・函館延伸および北陸新幹線延伸で、在来線の交通網は寸断に近い現況にある。
 この執筆をはじめた契機は『「スーパー新幹線」が日本を救う』という御用学者の新書に「(鹿児島から北海道までつながった)新幹線がもたらすディープインパクトは、物理的、即物的なものばかりなのではなく、精神的、民俗的なものでもある」という一文であった。
 「民俗的」という用語が安易に使われたことに対する反発の思いを記してきたつもりである。そもそも、この本では、財源論にも踏み込んだと記されている割には、その根拠が薄弱である。
 たとえば、先に述べた福島・米沢間の高速道路と一体のものとして、鉄道路線を併走させることはできなかったのだろうか?JR東日本は福島・米沢間の新トンネルについての構想を準備中とされるが、鉄道の線路と高速道路を共用することは、21世紀の科学技術を結集すれば、不可能ではないだろう。別々に建設するよりは、ずっとコスト節減になるはずであり、縦割り行政ゆえ、このような発想そのものが出てこないのではなかろうか。
 また、九州から北海道まで新幹線がつながったと自慢げに主張するのは勝手だが、それ以前にJR民営化で、鉄道会社が寸断されており、料金体系はバラバラで、その効果は限定的でしかない。
 やみくもに、新幹線をつくろうと主張するよりも、高速交通のネットワークを、より効率的に運用することが重要といえよう。新幹線庄内延伸は、いかにも庄内モンロー主義の産物でしかなく、むしろ新潟県から庄内を経て、秋田県まで高速道路をつなぐことに力を注ぐべきではないのか。
 2017年の総選挙は、国難およびフル規格新幹線という、全国的にもローカルでも国民をまやかす公約とは呼びがたい低次元の争いであった。この拙論が、そのようなまやかしや、ごまかしから覚醒する機会となれば幸いである。
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