山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

映画をめぐる現代民俗-日韓の比較から-(「村山民俗」29号より、末尾に追記あり)

2015年07月26日 | 日記
  映画をめぐる現代民俗-日韓の比較から-
                           岩鼻 通明
 一 はじめに
 本論文は、二〇一五年度東北地理学会春季大会において報告した「映画祭を通した地域活性化-日韓の比較から」の内容に加筆修正したものである。映画を通した地域活性化の概要に関しては、既に前稿で記したこともあって、ここでは前稿以降の推移や補足を論じることとしたい(注一)。
 また、日韓の映画祭の比較に関しても、まもなく別稿が刊行される予定であるため、ここでは、その内容とできる限り重複を避けながら論じることとしたい(注二)。
 
 二 映画祭をめぐる現代民俗
 映画祭は映画の百年余りの歴史の中で生み出された近現代的祝祭であり、現代民俗の研究対象となりうる。一般的には新作映画のお披露目(いわゆるプレミア上映)の場であり、その中から優秀な作品に対して賞が与えられるコンペティション部門が設定されることもある。
 映画祭の担い手は、国際映画祭などの大規模な場合は映画業界人が中心となるが、地域で開かれる映画祭では、地域住民がスタッフとして支える例がしばしば存在し、多くの場合はボランティアとしての活動となっている。
 一方、映画祭の観客は、業界人に加えて、シネフィルと呼ばれる、いわゆる映画ファンが集まる場となるが、映画祭と連動して、その地元で制作された地域発信型の作品が上映されることもあり、その場合はエキストラとして出演した地域住民たちが数多く上映に集まる現象がみられ、地元と密着した映画祭となり、地域活性化に寄与する効果が大きいといえよう。
 さて、日韓の映画祭の歩みを比較すると、日本ではテレビの普及にともない、映画が不況になって、大手映画会社が撮影所を維持できなくなった一九八〇年代に入り、映画産業の復活を賭けた宣伝の場として、東京国際映画祭などが立ち上げられたものと憶測される、
 現存する映画祭で、最古の歴史を有するのは、大分県の湯布院映画祭で、今夏で四〇回目を数える。小規模で、地元観光業界のサポートが得られ、日本映画の特集が組まれることから有名な監督や俳優がゲストとして来場し、毎晩ゲストを招いた交流パーティーが開催されることなどが息長く継続できた要因といえようか。
 その一方で、映画祭の消長も激しく、たとえば東北では、中世の里なみおか映画祭(青森県)は上映作品をめぐる軋轢と広域合併の過程で消滅した。みちのく国際ミステリー映画祭(盛岡市)はスポンサーの撤退などの理由から消滅し、個性的な映画祭として知られた、あおもり映画祭や、しらたか的音楽映画塾も消滅に至った。沖縄国際映画祭や京都国際映画祭のように新たに生まれた映画祭もみられるが、それらは吉本興業の国際戦略上のものであって、観客重視の映画祭とは言いがたいものがある。
 それに対して、韓国では、多くの映画祭が前世紀末以降に立ち上げられた。一九九七年末に起こったアジア通貨危機によって、国際通貨基金の管理下に置かれた韓国は、折りしも誕生した金大中政権下で、輸出産業の奨励政策を断行せざるをえなかった。
 その柱のひとつがIT産業育成であり、もうひとつが映像産業の育成であった。いわゆる「韓流」ブームは国策として推進されたのであり、まず東南アジアの華僑を含めた中華圏がターゲットとされ、日本にブームが到来したのは、二〇〇二年のW杯日韓共催の後で、ブームの掉尾を飾るものとなった。
 韓国政府は映画産業にさまざまな支援を実施し、その一環として多くの映画祭も誕生することとなった。韓国三大映画祭として、釜山国際映画祭・全州国際映画祭・富川国際ファンタスティック映画祭をあげることができるが、いずれもソウル以外の地方都市で開催されていることが大きな特徴となっており、地域振興の役割も担っている。
 一方、ソウルでは、ソウル国際女性映画祭など、人権や環境といったテーマ別の映画祭がいくつも存在しており、女性映画祭は仁川や光州でも近年に始まり、結果的にソウル国際女性映画祭が凋落するに至っている。韓国古典映画の上映を中心に据えて始まった忠武路映画祭のように数年で消滅した映画祭もあるが、日本に比べると、全国各地で新たな映画祭が立ち上げられており、地方自治体が地域活性化を目的に映画祭を支援する例が多い。
 映画祭の予算は、金東虎釜山国際映画祭前委員長によれば、公的支援・民間支援・自己収入が均衡する比率が望ましいとされるが、実際には釜山のような大規模映画祭においても、入場券などの自己収入は一割程度にすぎない。
 韓国の映画祭の多くは公的支援の比率が大きいが、日本では例外的であり、手弁当によるボランティア運営の映画祭が多くを占め、しかも自治体による支援は縮小の傾向にある。日韓ともに、一億円の予算で延べ二万人の観客を動員するという対費用効果は共通しているが、日本では映画祭事務局のスタッフも事務所も過小であるが、韓国ではスタッフ・事務所ともに充実しており、待遇の差異は非常に大きいといえる。
 また、国際映画祭は、自国の映画を海外に輸出する絶好の機会でもあることから、映画のマーケットが開催される。とりわけ、釜山国際映画祭のマーケットは大規模であり、二〇一一年にはマーケットが開催される国際展示場に近接して映画祭専用劇場の「映画の殿堂」がオープンした。この専用劇場は屋根をかけた巨大なオープンステージを有し、数千人の観客を収容することができ、開幕・閉幕上映を天候に左右されずに行うことが可能となった。
 一方、東京国際映画祭は六本木をメイン会場に開催されてきたが、近年、マーケット部門がお台場開催に分離された。釜山が映画上映とマーケットを一体化して、相乗効果を高めたのに対して、東京が映画上映とマーケットを切り離したことは不可解であるといえよう。
 また、韓国では、KOFIC(韓国映画振興委員会)という政府の外郭団体が存在し、百人ほどのスタッフを抱えているが、日本では、これに相当する組織は存在しない。この点でも、日韓の行政による支援の相違をうかがうことができる。日本では、一時期、経産省がコンテンツ産業育成の観点から映画に対する支援を始めたが、結果として文化庁との二重行政となり、二〇一一年の大震災以降は熱意を失ったようにみえなくもない。
 ただ、韓国では、政府や自治体の指導者が変わると、政策が大きく転換することがあり、保守化傾向が著しいパク・クネ政権下において、映画に対する検閲とも言える事態が相次いで生じるに至っている。
 二〇一四年秋の釜山国際映画祭で、この春に起こったセウォル号沈没事件を批判的に描いたドキュメンタリー映画「ダイビング・ベル」に対して、釜山市長が上映中止を要請した。映画祭事務局は要請に従って上映を中止した前例はないことから上映を実施したが、上映館に多くのマスコミが殺到した場面を筆者も実見した。
 その後、映画祭委員長に対して辞任勧告が市長から出され、KOFICもまた、今年度の釜山国際映画祭に対する支援を半減することを決定した。また、ソウル国際青少年映画祭に対しても、支援打ち切りが決まるなど、映画祭に対する政治的圧力が増しており、映画人から反発が高まっている。

 三 フィルム・コミッションをめぐる現代民俗
 韓国では、一九九六年にスタートした釜山国際映画祭を追うように、一九九九年に釜山フィルム・コミッション(以下FCと略記)が立ち上げられた。釜山の市街地でのカーアクションや大火災シーンの撮影をフォローした実績が高く評価され、またオール釜山ロケ・釜山弁の映画「友へ チング」が当時の観客動員記録を塗り替える大ヒットとなったことなどから、多くの商業映画のロケが釜山に集まることとなり、二〇〇〇年代前半には、劇場公開される韓国映画の半数近くが釜山でロケされるに至った。
 それ以前から、KOFICはソウル南郊の南楊州市にソウル総合撮影所と称する大規模な撮影スタジオと野外セットを有し、二〇〇〇年に公開された映画「JSA」では、現地での撮影が不可能な板門店のセットを組んで、ここで撮影が行われた。このセットは今も存在して、国境の板門店へ簡単には行くことのできない韓国人観覧客の人気を集めている。
 釜山に少し遅れて、全州でもFCが立ち上げられ、国際映画祭と協調しながら実績を積み重ねてきた。ただ、近年は仁川や京畿道FCが立ち上げられ、ソウルFCも二〇〇四年に公開された「僕の彼女を紹介します」では、国会議事堂前でのカーアクションと爆発シーンの撮影をサポートするなどの実績をあげ、ソウル近辺でのロケが多くなりつつある。
 映画ロケには、多くの人手を要し、長期間の撮影となることもあって、費用を抑えることのできる近距離でのロケが、日韓ともに増加しつつある現状といえよう。そのため、釜山国際映画祭では、プロジェクト・ピッチングなとと称して、これから制作を開始する映画のシナリオを公募し、プレゼンを実施して、優秀作品には釜山ロケを条件に支援金を助成する試みを行いはじめた。
 日本でも、釜山FCに刺激を受けて、二〇〇〇年代に入ると、雨後の筍のようにFCが続々と立ち上げられた。神戸FCは映画「GO」の地下鉄駅の線路内シーンの撮影をサポートし、首都圏では撮影不可能だった原作小説の重要な場面の再現をフォローし、高い評価を得るに至った。
 日本では、韓国とは異なり、警察組織が自治体から独立しているために、カーアクション場面など、警察と協力して道路封鎖の必要なシーンの撮影が、とりわけ大都市の市街地では困難であるが、神戸においては深夜のロケなどによって、この点を克服している。
 山形県においては、山形FCが二〇〇五年に立ち上げられ、近年では映画「超高速!参勤交代」や「るろうに剣心」の撮影をサポートしている。また、二〇〇六年に株式会社として設立された庄内映画村は月山麓に広大な野外ロケセットを有し(二〇一四年からスタジオセディック庄内オープンセットに移管)、時代劇を中心に数多くの映画を生み出してきた。アカデミー賞外国語映画部門賞を受賞した「おくりびと」もまた、庄内映画村が制作に関わった作品である。
 しかしながら、日本では諸外国のFCが実施している戻税の制度が税制上から実施困難であり、海外から大規模なロケを誘致することは難しい。二〇〇九年にジャパンFCが設立されたものの、大規模なハリウッド映画ロケの誘致には至っていない。

 四 映画館をめぐる現代民俗
 映画を上映する場となる映画館も大きく変貌してきた。テレビが普及する前は小都市にも映画館が存在したが、今日では人口十万人以下の地方都市で商業映画館を維持することは非常に困難となりつつある。
 また、一九九〇年代以降は、シネコンの台頭とミニシアターの出現によって、スクリーン数は旧に復した。もっとも、かつてのような数百人を収容できる大劇場は少なく、シネコンも百人から二百人規模のスクリーンが主体で、スクリーンごとに収容人数が異なる構造となっている。
 これは、ヒット中の作品を大規模スクリーンで上映し、不人気作品は小規模スクリーンへ移動させるといった操作で、来場した観客を取りこぼさないための工夫とされる。上映時間も三〇分ごとに始まるようなスケジュール管理が行われ、鑑賞作品を決めないで来た観客が長時間待たずに映画を鑑賞できるようなシステムになっている。
 初期のシネコンは郊外の大規模小売施設に併設して設置されたが、近年では大都市の都心部に鉄道ターミナルの再開発などにともなって設置されるようになり、立地傾向が変化しつつある。シネコンの小規模スクリーンでアート系映画が上映されたりすることから、ミニシアターの経営が厳しくなってきている。
 もうひとつ、映画館に大きな変革の波が押し寄せている。それは、この数年で急速に普及したデジタル上映である。撮影機器のデジタル化の進展にともない、ポスト・プロダクションと呼ばれる編集作業もパソコンで行われるようになったが、上映時には三十五ミリフィルムに焼き付けての上映が続いていた。
 しかし、フィルムの焼付けにコストがかかるために、全国の大規模公開時でも数百本のフィルムを用意する程度で、この上映が、いわゆる封切り上映と呼ばれた。一番館と称された封切り館での公開を終えたフィルムは、地方の二番館と呼ばれる映画館へ移動されて公開が行われていた。
 ところが、デジタル上映は、データを運ぶだけなので、全国の映画館のどこでも封切り上映が可能となった。この点は画期的といえようが、デジタル上映設備の導入には一千万
円単位のコストを要するとされる。最近は少し値下がりしたようだが、シネコンにメリットはあっても、ミニシアターには大きすぎる投資が必要となり、ほとんどの新作映画がデジタル配給となったために、地方の映画館の閉館が相次いだ。
 一方、韓国では、日本よりも急速にシネコン化とデジタル化が進展した。二〇一四年夏に公開され、観客動員記録を大幅に塗り替えた時代劇「鳴梁」の上映時には、映画館の多くのスクリーンが、この作品に独占され、同時期に公開された映画をほとんど鑑賞できないという事態に陥った。
 今の韓国では、映画制作会社がシネコンを経営するスタイルになっているため、かつての日本映画のように、自社の上映館で重点的に自社作品を上映する傾向が強まっている。もちろん、大ヒット作品は他社作品でも数多く上映するのではあるが、低予算映画や不人気映画は短期間しか上映されなかったり、しかも早朝と深夜しか上映が行われないといった極端な不公平が生じるに至っている。
 そのために、KOFICが支援して、大都市では低予算映画やインディペンデント映画を上映するスクリーンが確保されてはいるものの、観客は非常に少ないという課題が顕在化している。

 五 おわりに
 韓国へ地域調査に訪問する間に、韓国映画に関心を持ちはじめ、また、韓国では映画を通した地域活性化が政策的に実行されていることを認識したことから、日本との比較研究を行うようになって、十年余りが過ぎた。この間、予期せぬ韓流ブームが起こるなど、日韓ともに映画をめぐる変化の波は顕著なものがあった。
 しかしながら、この波は頂点を過ぎたように思われてならない。映画のデジタル化とともに、ネット配信の新たな波が到来しつつある。かつては、ビデオやDVDで鑑賞するようになった映画が、いまやパソコンの画面上で容易に鑑賞できるようになりつつある。
 もちろん、画質などの面で不満は残るものの、わざわざレンタルで借りる必要もなくなりつつある。DVDの百円レンタルによって、映画館の観客が減少したともされるが、それ以上の危機が映画館に迫りつつある。
 実は映画産業は、劇場公開のみでペイする作品は少なく、DVDやテレビ放送などの二次使用から得られる収入で補われてきたところが大きかった。韓国では、日本以上の高速ネットの普及もあって、以前から二次使用料が激減しているとされ、映画制作費を抑制せざるをえなくなっている面があるとされる。
 日本においても、テレビ局が制作に加わっていない映画は予算をかけられない状況下にあり、質的な低下を免れることが困難になって、観客も入らないという悪循環になりかねない。これらの課題を克服することは次世代にゆだねられているといえようか。
[付記]本論文は、二〇一二~二〇一四年度科学研究費補助金「映画を通した地域活性化の日韓比較研究」(基盤研究(C)、研究代表者:岩鼻通明、の研究成果の一部である。
注1 岩鼻通明「映画館をめぐる現代民俗-鶴岡まちなかキネマを事例として-」山形民俗二十八、二〇一四年。
注2 岩鼻通明「地方における映画文化の育成と活用-映画祭・フィルムコミッション・映画館の連携-」『コンテンツと地域』所収、ナカニシヤ出版、近刊。

[追記]投稿後の朝日新聞に、映画館でのポップコーンを食べる音が気になって、映画に集中できなかった旨の読者投稿があり、これをめぐって読者間の議論が続いた。実は谷国大輔氏の著書『映画にしくまれたカミの見えざる手』講談社+α新書、2009年、の冒頭に「なぜ映画館でポップコーンを売っているのか」という節がある。そこでは、せんべいなどに比べて音がしない、掃除しやすい、加熱するので衛生的、原価が安く儲けが大きい、という4点が理由として指摘されている。
 もちろん、映画館内部でのマナーは大事だが、観客を泥棒よばわりする、くだらない映画泥棒のCMの代わりに、ミニシアターの中には観客マナーを呼びかける工夫に満ちたCMを流す映画館もある。日本の観客は、ある意味で上品にすぎる。韓国の映画館では、コメディー映画では大笑いし、サスペンス映画のクライマックスでは拍手喝采があがるなど、映画と観客が一体感を有しており、このような雰囲気が個人的には好ましいものだ。朝日新聞のポップコーン論争は、まさに映画館で映画を見る文化の終焉を告げるものに思えてならない。
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