山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭シンポジウム「異郷と同胞ー在日コリアンを通してみる日本」記録

2013年06月13日 | 日記
 山形国際ドキュメンタリー映画祭の参加企画の一つとして、10月12日(水)午後3時から、山形まなび館イベントルーム1にて、シンポジウム「異郷と同胞-在日コリアンを通してみる日本」Fellow Countrymen in a Foreign Landが開催されました。残念ながら、時間が取れず、映画そのものを見ることはできませんでしたが、シンポジウムで監督の話を聞くことができました。
 お二人ともに、人を見つめる視線が穏やかで心の柔軟性を持っておられる一方、人として譲れない線がはっきりしておられる印象でした。また、文化の多様性を強調されていることに、AALAの理念と共通するものを感じ、興味深くお聞きしました。前日行われた山大9条の会講演会で、雨宮処凛さんと土屋豊さんが強調されていた、違いを認めることの大切さ、大きなものの前で無視される声に焦点を当て続けるという姿勢に同じものを感じ、貴重な2日間となりました。
 山形国際ドキュメンタリー映画祭は、AALA各国の情報の宝庫ということを改めて感じました。次回は、本格的に観客として参加してみたいと思います。また、フィルムライブラリーの紹介本『異郷と同胞 日本と韓国のマイノリティー 山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー・セレクション第2集』山形大学出版会、もありますので、皆さんもご活用下さい。
 以下は、シンポジウムの内容です。できるだけ、監督の言葉をお伝えする形の報告とさせていただきました。長くなりますが、ご容赦ください。

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パネラー
☆松江哲明氏(映画監督)~1977年、東京立川市生まれ。日本映画学校の卒業制作として、韓国系日本人の家族のルーツを孫の視点でたどった『あんにょんキムチ』を企画・演出。今回、12年ぶりに山形で上映。

☆金明俊氏(映画監督)~1970年釜山生まれ。漢陽大学校演劇映画学科を卒業。今回、上映された、北海道の朝鮮学校に焦点を当てた『ウリハッキョ(私たちの学校)』は監督デビュー作。
☆岩鼻通明(山大農学部)

☆ コーディネーター:松本邦彦(山大人文学部)

1.パネラー(岩鼻)から作品の紹介
「あんにょんキムチ」~在日問題のベースがきちんと描かれている。韓流ブームの始まりになった作品の一つとも言える。日韓交流のきっかけになった。
「ウリハッキョ」~韓国ドキュメンタリー映画としては、かなり観客動員した。日本における教育のありかたに興味を持ち、韓国の先生方がかなり見た。「ウリナラ(私たちの国)」の「ウリハッキョ」が(日本に)あるという共通認識がなかった。日本人も朝鮮学校の実態がよくわかっていない。日本でも韓国でも先入観をもたれていた。朝鮮学校の実態、朝鮮のことを韓国の監督が撮るのは大変なこと。監督の作品の中で、監督自身が新潟港で南北分断を実感するシーンがある。日本の中の見えない38度線。日本の中で38度線がどこにあるかあまり知られていない。山形は38度線より北にある。

2.自分の作品について
【松江監督】まさか、12年後も上映されると思っていなかった。とりあえず、卒制として撮った作品。山形映画祭がきっかけでここまでこれたのは、観て頂いたお客さんのおかげ。ありがたいと思っている。(当時は)是非もわからず、そのとき強く残ったものを写した。それは、12年経っても、不変的なものだった。今、~系日本人というのは考えにくい。日本は国籍イコール血族だが、日本も多民族化し、そうではなくなってきている。単純に、在日とはいえなくなってきている。(映画は)誰でもわかる内容。映画祭でそのことがわかった。山形に来ると、独特の人の雰囲気がある。(映画祭は)いろんな国の現実を見ようとしないとこれない。このことは、多様性を認めることにつながる。
【金監督】学校の中では韓国語、家では日本語という、帰ってからの子どもたちを知りたかった。2004年、日本と朝鮮は、拉致問題・ミサイル問題等の余波があり大変だった。インターネットでの嫌がらせなど。今もいろいろな問題がある。2004年の状況と変わっていない。朝鮮学校の存在はどういうものかよくわからない。このような映画がたくさん制作・上映されなければならないと思っている。

3.お互いの作品について
【松江監督】初めて観たが、感動したのは、撮れないということを目の前にして(監督が)学生との距離を感じたというところ。映像も撮れなくなったときに初めて何かを知るということが大事だと思った。TVなどは撮れているところだけで表現する。この作品は、監督と近い視点で観れ、その伝え方に感動し、監督が撮れなくなってから見え方が変わった。学生に撮ってもらっているが、学生の撮り方は視点が違う。自分も被写体に任せることがあるが、そこでしか撮れない映像がある。被写体へのアプローチの仕方、作り方が(自分と)共通している。「お兄さん」という学生の呼び方が、3年という短い時間を感じさせない。近い関係になっている。
【金監督】初めて観た。16㍉フィルムなので、古いのかと思っていたがそうではなかった。アイデンティティに関する映画はたくさん観たが、憂鬱で暗い、悲しい映画ばかりだった。(自分も学生たちの姿を)仲間同士で楽しく、ありのままに撮りたかった。悲しくはしたくなかった。そうしなければいけないと思っていた。99年に、明るく発信するという自分の思っていたもの(「あんにょんキムチ」)ができていたことがうれしかった。親近感が湧いた。軽くて、明るい。家族の明るさをうまく監督が引き出したと思う。すごく前向きな方というのを感じた。もっと、早く観ればよかったと思っている。最新のものも観たが、監督の成長を見た気がして、12年間のことが気になった。

4.双方への質疑
【松江監督】(在日問題は)暗い一辺倒の描かれ方、ステレオタイプな描かれ方が多かった。そもそも、うちは違うのに、というのがきっかけ。祖父たちの体験は大変だったが、自分の実感は違った。このような映画を撮って、上の人から韓国で何か言われなかったか。
【金監督】韓国では、朝鮮学校という存在すら知らない。今、話されたことを話せるレベルではない。(自分も)「なぜ韓国人なのに韓国語を話せないのか」「なぜ日本人に帰化しないのか」と思っていた。無関心・無知かもしれないものの結果。マイナスに撮らないで、肯定的に撮っている。明るく堂々と発信すべきだと思っている。
【松江監督】『ウリハッキョ』は、いろんな可能性を提示している。一つは、描かれ方の目線が違う。多くは(北朝鮮のことを)暴こうとするものや高い位置で見ているもの。この作品で提示されているものは、学校の中でもいろんな国籍があり、修学旅行に行かないことも認められる。それでも、みんなが学んでいてユートピアのよう。しかし、校門から出たら学生たちが緊張感を持っていることがわかる。一方的に見られがちだが、そこには多様性がある。世界が求めるべきものがそこにある。朝鮮語(韓国語とは違うとのこと)がうまくミックスされているのがいいと思った。朝鮮学校を通して、世界中が認めるべき多様性がそこにあった。「お兄さん」と学校で紹介してもらって、家族のように過ごした雰囲気が出ている。カメラの位置が近いのは、どうやって撮ったのか。
【金監督】ファインダーをのぞかずに撮った。撮影監督としての欲は捨てた。学生たちは、自分の親を認めてくれる人、学校に来る人には親しみを持つ。(「あんにょんキムチ」に)万歳をするシーンがあるが、どんな気持ちだったのか。自分には、ちょっと理解できなかった。
【松江監督】そこには、日本人のスタッフもいたので、その場の雰囲気でそうなったが、何かおかしいなと思った。
【金監督】自分の国に行くときの気持ちは。
【松江監督】初めて行ったのは小学生のときだったので、国に帰る気持ちはなかった。日本人のツアーで行った。 自由時間に、ほかの人が観光しているのに親戚に会いに行くのが変だと思った。事情を知っているガイドの接し方も違った。20年以上前で、当時は厳しい面もあった。韓国語を覚えなさいと言われた。世代によっても違う。今は、(状況が)全然違う。
【金監督】今も、同じだと思う。「韓国は暗い」というのを同胞(おじいさん)の口から聞くのが恥ずかしかった。先輩たちのやってきたことがそう思われるのが。
【松江監督】当時(13年前)は、暗かった。「アイデンティティ」という作品では、(主人公が)家の中に38度線があるといって、一緒に暮しているのに親と口もきかない。韓国に行ったら、(朝鮮語の)話し方が子どものように聞こえるらしく、子どものような扱いをされるので、話したくないという。(北朝鮮の言葉は)古い言葉らしい。
【金監督】自信を持って、国に行ってほしいと思う。
5.コーディネーターから
Q:韓国は婿養子の制度がないので、祖父と父の苗字が違う。松江監督の苗字は祖父のこだわりなのか。
【松江監督】母は、そのように言う。

5.会場からの質問
Q:自分も映画を撮っている。父は、在日で障害もあるが、税金を払っているにも関わらず無年金。現在、その運動を行っている。父が在日ということが母方の親戚にばれて、自分はおろされそうになった。母方の家は、朝鮮人をたくさん使っていた会社だった。89年頃。20年以上前の出来事。民族教育も受けていない。父に、先祖に興味はないと言われた。3世以降は数の問題。日本人との結婚が9割。4世・5世と、どんどん朝鮮人以外の血族になる。昔の北朝鮮のことを信じられない人が増えてきている。朝鮮学校の中・高生は、朝鮮大学校に行き、総連に勤めるしかないのではないか。
【金監督】朝鮮大学校にしか行けないというのは違う。小学校から中学校、中学校から高校にあがるときも自由。20年前の朝鮮学校は偏った教育だったが、今は、全然違う。韓国語検定試験を先生方が受けている。文化も同じ。先生方の教え方も同じ。一度、行ってみたら誤解が解けると思う。

Q:自分は、二重国籍なので、日本名でもいいと思って名乗っている。変化しているとは思いつつ、総連のもとの学校なので、(学生たちが)悩んでいないのかなと思った。
【金監督】日本国民の天皇に対する態度はおかしいと思う。でも、韓国ではないから認める。保守的な韓国人や日本のマスメディアが、金日成などに対してそういう(特定の?)見方をするのかがわからない。
【松江監督】国や考え方が違っても、認めるということだと思う。

Q:「あんにょんキムチ」~同調圧力で「くしゃみも日本人にならなければならない」。日本社会が持っている一方的な部分を笑いで切り出していると思った。「ウリハッキョ」~新潟での出来事(子どもたちへの攻撃)をみて、子どもたちは何もしていないのに、誰が朝鮮を背負わせているのか。同じ日本人として怒りを感じた。こういう映画がもっと作られてほしいと思った。
【松江監督】3・11(大震災)のとき、韓国にいた。いろんな人が助けてくれた。感謝し、居心地はいいと思っても、そこで自分は韓国人とは思えなかった。新潟港でのことは、知らないからそういうことを言うのだと思う。普通に生きている人が、そういう(子どもたちを傷つけるような)言葉を発する。しかし、日本人として悲しいと思わなくていいと思う。知らないから(言葉の)暴力が出てくる。学生たちのことをよく知ったら、きっと悪かったなと感じると思う。

Q:10年前に「シュリ」を観た。韓流ブームの前。当時は公民館とかでの上映だった。運動していた人たちが上映していた。会場で「本名は?」と尋ねられる。日本人だと言うと、「隠さなくてもいいから」と何度も言われた。会場に来たのも「血が呼ぶから来たのだ」とも言われた。映画と運動がなぜ一緒なのかと思った。また、当時、「面白い映画があるから」と誘われて拉致されたという話もあり、映画を見に行くというと親が心配した。ヨン様が来てからは、そう言われなくなった。2005年の映画祭では、もっといろんな在日の映画があったと思う。山形だからできる。先日、NHKで「大阪ラブ&ソウル」という番組を見て、80年代の古い雰囲気があり、なぜ今頃と感じたが、そうカテゴライズするのは第3者であり、そう感じている自分に違和感を覚え、これはマズイと思った。在日と映画については、世代によって描き方が変わるのではないかと思う。これから、どうするかが気になるところ。
【松江監督】映画は、結局は古いもの。古臭いものはずっとある。自分は、震災以降、新作を見なかった。(震災に関するものなど)答えが描けない、進行形のものは見なかった。逆に四日市の喘息問題を扱った東海TV制作のものを観たが、客が入らない。大きなものを優先するときに、ある声を無視して犠牲にする。だから、古いものを観る。不変的なものがある。自分はマイノリティーという自覚は強い。人と違うものを見ている人を撮りたい。ドキュメンタリーという表現が、それに非常に合っていると思う。聞こえない声を撮るのがドキュメンタリー。
【金監督】同感です。

Q:「ウリハッキョ」を観たが、日本の学校とどこも変わらない。明るい子どもたち。一生懸命な先生たち。質問の一つ目は、「南は故郷、北は祖国」というのは共通認識なのか。二つ目は、ドイツが統一したらドイツ人と呼んだが、南北が統一したら、我々は何人と呼べばいいのか。
【金監督】A:植民地時代、南の人は日本に、北の人は満州に渡ったことから発生した言葉。在日の90%の人は南の出身。祖国が北というのはいろんな議論があるが、朝鮮学校ができるときに、北の大きな支援があった。韓人(ハンニン)という言葉がある。韓国人も朝鮮人も韓人(ハンニン)。国は「ナラ」。国と人は違う。国籍がどこにあるかは関係ない。その人の考え方、世界観が貴重。それをみて、人を判断するのが大事。統一したら、深く良い影響を与えると思うが、ドイツに比べたら恥ずかしい。がんばります。

6.次回作のPR
【松江監督】「トーキョードリフター」は節電中の東京で撮った。暗い東京が良かった。都知事が決まったのが違和感があった。「強い東京を作ってもらいましょう」というコメントを聞いて、何を言ってんだと感じた。「明るさを取り戻そう」という言葉に違和感を感じた。自分は韓国で被災したと思っている。被災地という言葉で分けるのは違和感がある。日本が被災したと思わなければならない。10月下旬の東京国際映画祭でプレミア上映、12月から劇場公開の予定。
【金監督】「ウリハッキョ」を撮ってから、在日専門の監督と言われている(笑)。現在、チリタイムスという名前で、コンサート活動をしながら発信している。そちらが忙しくてなかなか映画を取れないが、在日同胞の野球物語を作ることになった。1952年から1997年まで45年間、600人の高校生が韓国に渡って野球をした。韓国の野球好きの観客は、そのことを知らない。
 以上の記録は、山形大学職員組合の鈴木書記のまとめによるものです。
 なお、私のfacebookの2012年2月1日にも、このシンポの記録と写真をアップしています。
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