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山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

2010年2月の日記

2012年02月29日 | 日記
2010年02月07日

「地域映画祭を考える」シンポその4
 ずいぶん間隔があいてしまいましたが、最後に山形国際ドキュメンタリー映画祭と世界遺産との関わりに言及して、このシンポについてのコメントをしめくくりたいと思います。
 実は、2008年秋に発行された映画祭会報の「アンドユー」での里見理事と武田理事との対談で、里見理事が「文化なんて一朝一夕には形にならない。少なくても50年はかかる。継続と集積が大事だ。そこまでいったらライブラリーなんて世界遺産ですよ」との発言をされています。
 そして、世界遺産のジャンルのひとつに、あまり知られてはいないようだが、記憶(記録)遺産があり、いわゆるアーカイブなどが位置づけられるのです。
 山形国際ドキュメンタリー映画祭は、郊外のビッグウイングの一角にライブラリーを有しており、そこには1989年の第1回映画祭以来の応募作品がストックされています。
 近年は、1000点をはるかに超える応募作品がありますから、まさに、このライブラリーが所蔵するアーカイブは宝の山といえましょう。
 したがって、記録遺産の対象にあります、と言いたいところなのですが、実は記録遺産の規定には増加中のものは対象外となるそうですので、映画祭が継続される限りは対象にならないのです。
 しかしながら、これらのアーカイブはビデオであったり、DVDであったりと保存媒体はさまざまです。とりわけ、DVDでの保存は数年で劣化する場合もあることが指摘されており、経年変化の生じない記録媒体へと移し変えて保存することが急務ではないでしょうか。
 その意味で、経年変化の影響がほとんどない記録媒体が開発された時に、従来のライブラリーを一括して記録保存するという形であれば、記録遺産に該当するのではないでしょうか?
 なお、世界遺産条約に加えて、2005年には「文化的表現の多様性の保護及び促進に関する条約」が発効しており、この条約を活用していくことも課題といえましょう。
 では、以上で、このシンポについてのコメントを終えることとします。

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2009年11月の日記

2012年02月29日 | 日記
2009年11月18日

「地域映画祭を考える」シンポその1
 10月12日に開催されたシンポジウムに関して、コメントを記したい。このシンポは、東北経済産業局の主催で、山形国際ドキュメンタリー映画祭の会期中に行われたが、企画の段階でお手伝いをさせていただく機会に恵まれたので、以下に私見を述べたい。
 まず、パネラーとして、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の澤田直矢ディレクター、あきた十文字映画祭の小川孝行代表、山形国際ムービーフェスティバルの吉村和文運営委員長、山形フィルム・コミッション事務局の山川渉氏、しらたか的音楽映画塾の早坂実ディレクターをお招きしての開催となったが、ゆうばり映画祭と山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、山ドキュと略す)の共通点を指摘したい。
 ゆうばりと山ドキュは日本の三大映画祭といえよう。東京国際映画祭は首都での開催で、日本の大手映画会社が総力をあげてのイベントであるので、別格とすれば、地方都市で開催されてきた映画祭としては、内外からの評価の高さ、そして、2万人におよぶ観客動員、1億円規模の自治体からの財政支援(ゆうばりは夕張市の財政破綻以前)の厚さ、という点で、日本三大映画祭の名に値するものである。
 また、2007年に山ドキュの運営はNPO法人化されたが、ゆうばりもまた、夕張市の財政破綻による中断を経て、復活した映画祭はNPO法人の運営によるものとなっており、その点でも共通性が存在する。
 ある意味で、21世紀の日本の映画祭のあり方を象徴している映画祭であるといえよう。
 では、続きはまたの機会に。

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2009年11月19日


「地域映画祭を考える」シンポその2
 山ドキュとゆうばり映画祭の共通点をもうひとつあげておくと、映画祭の始まった時期が80年代末と同時期であったことだ。
 この時期は山形市の市制100周年にあたり、その記念事業として映画祭が開催されたのであり、一方の夕張市では竹下内閣から地方自治体にばらまかれた「ふるさと創生資金」の1億円の資金によって、映画祭が立ち上げられた。
 この資金を、これほど有効活用した事例は珍しいといっても過言ではなかろう。
 さて、このシンポにお招きした映画祭には、いずれも別の共通点が存在する。それは、アジア映画の紹介に力点を置いてきたことである。今でこそ、韓流ブームの時代であるが、これらの映画祭では、ずっと以前からアジアの近隣諸国の文化の紹介に努めてきたことの先見性は高く評価することができる。
 たとえば、しらたか的音楽映画塾の前身となるしらたかアジア音楽祭は、1992年から2002年まで継続的に実施されたし、ゆうばりファンタではいちはやく韓国映画を上映してきたのであり、十文字映画祭でも韓国映画が継続して上映されている。
 さらに、山形国際ムービーフェスでは、韓国人のベ・テス監督が初のグランプリを受賞し、1000万円のスカラシップを得て、長編映画「ボイラー」を制作しており、山形国際ドキュメンタリー映画祭においては、第1回の開催でアジアからの作品応募が皆無であったことから、当時の小川伸介ディレクターの肝いりで、アジアのドキュメンタリー映画に関するシンポジウムが開かれ、第2回からはアジアの新人監督を対象とするコンペ部門が設置され、多くの新人監督の登竜門の役割を果たしてきた。
 このように、地方の映画祭でありながら、広くアジアとの連帯を図るという一定の成果をあげてきたのが、これらの映画祭であるといえよう。
 では、続きはまたの機会に。

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2009年11月24日


「地域映画祭を考える」シンポその3
 このシンポジウムの開催意義を改めて考えてみると、東京一極集中が進む中で、地方からの情報発信は、いかにあるべきか!?という問題意識が前提として存在する。
 地方分権が叫ばれる中で、自治体の広域合併にともない、文化施設の多くが統合されたりして、広域化に対応した文化行政のあり方そのものが大きな課題となっている。
 そのような情勢下で、山形県内の映画祭の連帯、さらには東北各地の映画祭の横のつながりを模索する手がかりとしてのシンポジウムの意義があろう。
 ここで、参考となるのは、韓国の映画祭のあり方といえよう。韓国の三大国際映画祭として、釜山・全州・富川があげられるが、いずれも首都ソウルではなく、地方都市で開催されてきた映画祭で、それぞれが10年を超える開催の歴史の中で発展してきたのである。
 富川は、ソウル近郊の衛星都市であり、釜山もまた人口400万人の韓国第2の都市であるため、山形と同等に比較はできないとしても、人口60万人ほどの全州国際映画祭は、比較の対象となろう。
 韓国の映画祭に共通する特徴は、政府および自治体の支援が手厚いことである。開催予算の半分以上の財政支援があり、一方で大手企業からの寄付も日本よりはるかに多額である。
 このような財政問題のみならず、韓国の映画祭から学ぶことは多いといえよう。
 では、続きはまたの機会に。

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2009年7月の日記

2012年02月29日 | 日記
2009年07月31日

2006年全州国際映画祭訪問記
 久しく更新を怠っており、申し訳ございませんでした。2006年の全州国際映画祭の訪問記を以下にアップします。

 2006年5月2日(火)
 朝10時半のバスで出発、山形蔵王インターのあたりは、まだ桜が満開だ。仙台空港に着いて、チェックイン。ビジネスクラスの受付のほうが混雑していて、ゴールドカードの意味なし。連休の谷間だが、飛行機は、9割がた座席が埋まっている。
 少し遅れて仁川空港に到着、入国窓口も外国人は混んでいたが、開放された韓国人窓口へ、さっと回る。5時の全州行きリムジンバスに乗車、2万5千ウォンなり。
 4時間余りかかって、9時過ぎに全州のコアホテルに着き、歩いて5分ほどの映画館通りまで来て、すしの遅い夕食、5300ウォン、いつもながら韓国のにぎりは、どうしてこんなに小ぶりなのだろうか?
 すぐそばの旅館にチェックイン、3万ウォンで、バスタブもある。近くの映画館で10時から「裸足のキボン」を鑑賞、まずまずかな。シンヒョンジュンが新たな演技に挑んだことは評価できるが。
 すぐそばの便宜店で、マッコリとパンと缶コーヒーを買い、一杯飲んでから寝る。

 2006年5月3日(水)
 朝はパンと缶コーヒー。いざ、映画祭へ出陣!!
 朝はゆっくりで、11時からのスタート。映画館へ行く道で知り合いと出会う。最初の映画は「サイエソ」と題したムーダンを描いた韓国映画だ。28歳の女性がムーダンとなるまでの過程を追い求めた興味深いドキュメンタリーで、これを見れただけでも、全州まで来た甲斐があった。
 お昼に、韓国で活躍する知人と出会う。1000ウォンののりまきを食べてから、次の映画は「オーロラ姫」、昨年見た韓国映画だが、監督と主演女優のオムジョンファが来てくれて、トークがあり、間近で見れて感動した。女性監督らしい母性愛の表現が英語字幕から良く伝わってきた。
 夕方には、日本のドキュメンタリー「二つの名前を持つ男」を見る。韓国人撮影監督の金学成の生涯を描いたもので、昨秋の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたが、再度、韓国で見るのも一興だったが、観客はあまり多くはなかったのが残念。韓国語字幕スタッフにお礼を述べて退席した。
 次の上映までに、友人たちと軽食の肉饅頭を食べる、2500ウォン。最後の映画は「我が人生の最も美しい1週間」で、これも昨年に韓国で見たが、英語字幕で見ても、複雑なストーリーを、いまいち理解できず、とほほ。こちらにも、若い男優がゲストで来ていて、終わると10時半だ。
 まだ、一般公開の映画を見に行く友人たちと別れて宿へ戻る。映画館通りのはずれに、25000ウォンの旅館を見つけたので、ここに3泊する予定。シャワーを浴びて、缶ビールを飲んで寝る。

 2006年5月4日(木)
 朝はパンとコーヒー。11時からの映画は、韓国映画短編集。最初は実験映画的なもので、はずれだ。次は三星損保の交通事故保険金の支払いをめぐるドキュメンタリーで、有名彫刻家にもかかわらず、不当な扱いを受けたことに抗議する内容で、なかなかおもしろかった。最後は、ニュータウン開発に抵抗する住民のドキュメンタリーで、これまでもしばしば扱われてきた題材なので、新鮮味に乏しく、いささか退屈だった。
 お昼にチャジャンメンを食べる、3000ウォンで、なかなか美味。午後は人権映画「もしあなたなら3」を見るが、こちらもテーマが3作目で、やや突飛なものが目に付き、いささかマンネリかもね。午後5時からは「ロマンス」で、キムジスとチョジェヒョンの共演で、古典的ともいえるメロではあるが、まずまずだった。
 友人と、右足湯の夕食、5000ウォン。夜の映画は「サランニ(親知らず)」で、過去と現在が交錯する、英語字幕ではちょっと理解困難な内容だったが、上映後のシネトークに、主演のキムジョンウンらが来てくれたので満足!!
 終わってから友人たちと三枚肉と豚カルビでビールを軽く飲む、一人7000ウォン。宿へ帰ったら、1時だった。

 2006年5月5日(金)
 朝はパンとホットコーヒー。部屋を出てすぐのところに温水器があるので、持参したインスタントコーヒーを毎朝飲んでいる。
 今日の閉幕作品は、昨年末に既に東京で見ているので、公開中の韓国映画を夕方から見ることにして、旅館のすぐそばのプリモス劇場でチケットを買うが、韓国も子供の日で長蛇の列だった。映画祭のチケットを持っていると、7000ウォンが4000ウォンに割引になるのはありがたい。
 買い終わって、映画祭会場のメガボックスへ向かい、最初の「彼女の30回目の誕生日」を見る。なんだかほんわかした気分にさせてくれる、幼馴染どうしのほのぼの恋愛映画だ。なかば独立映画系であろうから、日本ではまず見れないでしょうね。
 お昼は友人たちと全州名物のコンナムルクッパを食べる。おいしいが、もやしスープご飯が4000ウォンとは、ちと高いかも。午後は、韓国短編アニメを見る。別の短編集を見るつもりが、チケットはアニメのほうだった。でも、韓国アニメも独特の雰囲気に満ちていて、また楽しからずや。
 次は、劇場公開中の「とかげ」を見る。チョ・スンウとカン・ヘジョンの本物のカップル(過去形という情報もあるらしい!?)による恋愛映画だ。ただ、このネタを使うなら、20世紀にしか通用しないよ!と感じさせてしまうところが、ちょっと残念。期待されながら、大ヒットにつながっていないことに納得させられる程度の出来でしかないかな。
 夕食は日式食堂で、ロースカツ、5500ウォンだが、映画のチケットを見せると、100ウォンを戻してくれた。味のほうは、ソウルに比べると、若干は落ちるものの、地方でも、これだけのトンカツが食べられるようになったことを知る。
 そして、今日の最後の映画は話題作「国境の南側」!!朝鮮日報が辛口批評を掲載しているが、このどうしようもない保守派新聞(日本人の多くは、それを理解していないのですけどね)は、当然ながら、この手の内容の映画に冷たいんですよね。
 しかしながら、21世紀唯一の分断国家だと再認識するに十分な出来で、今回見た3本の最新作の中では、ダントツ!!これまでの、いわば派手なつくりの南北ものとは一線を画した、淡々としたタッチで(そこに物足りなさを感じるかもしれないが)、むしろ脱北者の日常を良く描いているといえ、おそらく、そこそこのヒットにはなるでしょうね。チャ・スンウォンのナイーブな好演もさることながら、相手役の女性が秀逸で、軍服姿は、とってもかわいらしさにあふれていた。北の日常生活をも、素直に表現していて、このような表現が許されるようになったことにも、時代の流れを感じさせる。
 もっとも、ピョンヤンのコンサートホールは、ソウルの芸術の殿堂のオペラハウスだし、遊園地はソウル郊外のエバーランド(ジェットコースターは北風に彩色がほどこされてはいたが)だし(南に来てからのシーンではロッテワールドでロケされている)、そのあたりに違和感を感じるところもあるが、それはやむをえないものであろう。このような映画が日本で公開されれば、韓流もホンモノなんでしょうけどね。
 宿へ帰って、日本にはないポリ容器入りの700ccのビールを飲んで寝るが、閉幕式の後に、やっぱりレセプションがあったんだそうな。

 2006年5月6日(土)
 朝は例によってパンとコーヒー。コアホテルまで10分ほど歩いて朝9時のバスに、ぎりぎり乗り込む、ソウルまで17000ウォンなり。
道は空いていて、ちょうど3時間でヨイドに到着、市内バスと地下鉄を乗り継いで、いつもの宿へ。昼食は全州食堂という名の食堂で、ビビンパを食べるが、なかなかおいしい、4000ウォン。重いゆず茶を買ってから、宿に荷物を置いて、再び街へ。
地下鉄に乗って、ソウル人権映画祭の会場へ行って、公式カタログだけ買って、また一駅を地下鉄に乗って、ソウル歴史博物館で開催中の環境映画祭で、ユ・ジテ監督の中編「自転車に乗った少年」を見るが、江原道を舞台にした、子供達を描いた素朴な作品で、監督の性格が反映しているのかも!?次のアメリカのエネルギー問題の映画を見終わって、いっしょになった友人達と別れて、清渓川の中古ビデオ街へ行くが、いまいちおもしろいものがなく、お目当ての「青燕」を、ようやく最後の店で、ビデオをゲット。
宿へ戻って、すぐそばの食堂でテンジャンチゲとビールの夕食、7000ウォン。明日の朝は早いので、3日間はバスタブにつかれなかったため、ゆっくり風呂に入ってから寝た。

 2006年5月7日(日)
 いよいよ、帰国の朝だ。6時前に目が覚めると、けっこうオンドル暖房がきいていて、床が熱い。ところがなんと、昨日に買ったビデオを床の上に置いたまま寝てしまったのだ・・・。
 朝食は、昨日買っておいた餅とコーヒー。身支度をして宿を出ると、近くのバス停をちょうど空港バスが発車するところで、あわてて飛び乗った。日曜の朝で道路は空いていて、1時間足らずで仁川空港に到着。まず、地下のシンナラレコードへ寄って、DVDやCDをチェック、昨日買えなかった「青燕」のDVDをゲットできた。チョ・スンウの「ジキルとハイド」のミュージカルCDがないかと聞いてみたが無く、そこにあったミュージカル名場面集のCDを3つまとめ買いした。これだけ買ったら、いろいろポスターをいただけるだろうと、置き場を探って、パダ・ジャウリム・ピンクル・ボアのものを、ありがたくいただいてきた。
 そして、いつものように、キムチと人参石鹸も買い込み、出国審査を終えた。
 飛行機は窓側を確保したが、残念ながら翼の真上で、景色を楽しめなかった。もっとも、すぐに雲の中へ入ってしまったのではあるが。
 では、これで、2006年の全州国際映画祭訪問記を終わります。

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2009年3月の日記

2012年02月29日 | 日記
2009年03月23日

ゆうばりファンタ映画祭「ひと・まち・映画!ー地域発信 映画祭の可能性」
 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で2月28日に開かれたセミナー「ひと・まち・映画!ー地域発信 映画祭の可能性」の模様をお伝えしましょう。
 このセミナーは北海道新聞社の主催で、日浅文化部長が司会進行を担当されました。パネラーは映画評論家の品田雄吉さん、女優の高橋恵子さん、シアターキノ代表の中島洋さん、ゆうばりファンタディレクターの澤田直矢さんらでした。以下にパネラーの発言内容を紹介します。
 品田:映画祭とは?テレビ祭はないので、そこから性格がわかる。いっしょに映画を見る共通の体験だ。
 中島:夕張というまち、ファンタスティックな映画、ひとのまつりの三者で、90年に始まった。ゆうばり、山形、福岡アジアが同時期に始まったが、いずれも行政主導で、ゆうばりファンタと山ドキュはNPOに移行した。
 高橋:映画の撮影現場は過酷で地味だ。観客の反応を知る機会が映画祭で、コンペの作品評価はドキドキするし、励みになる。最近は舞台の仕事が多いが、ゆうばりファンタはまさに晴れ舞台で、雪の中での映画祭は文字通りファンタスティックな場だ。13年前に招待いただき、2年前はなくなっては困ると思ったので、復活は嬉しく、関係者には頭の下がる思いだ。
 日浅:学校で「黒部の太陽」を見た思い出がある。
 澤田:ゆうばりファンタはふるさと創生資金でスタートした。スキー場が91年にオープンしたが、当時の市長への反発もあった。自身は99年から映画祭に参加した。
 映画祭は、かつてのトップダウンからボトムアップへと変わりつつある。第1回の審査委員長であったジョン・ボイド氏も復活を喜んだ。
 素朴な市民のもてなしが映画人にアピールした。映画祭を通して自身と市民との間に濃密な関係が形成された。破綻直後はマスコミの報道ラッシュだったが、ゆうばりが忘れ去られることが、いちばん悲しい。
 日浅:映画祭で市民が外とつながる双方向性が重要だ。カタチのないものが最後まで残る。それがゆうばりの財産かといえ、文化こそがずっと残るものだ。
 品田:映画祭は狭い空間で集中的に行われる。渋谷や六本木で行われている東京国際映画祭は、それに欠ける。
 ゆうばりには、アメリカからスキーをかついできた女優もいたし、アンジェリーナ・ジョリーも中学生の時に来た。それらが財産だ。
 タランティーノの「キル・ビル」の「GoGoゆうばり」もまた財産だ。映画を見に行くことそのものがハレの日で、おまつりだった。それはテレビとはちがう。映画祭に来た人々が思い出をつくって帰る。
 中島:どういう人を育てて、どういう出会いの場をつくってきたのか、昨年の「僕の彼女はサイボーグ」が、そのシンボル的存在だ。夜の懇談の中からプロジェクトが生まれるのだが、ゆうばりは絶好の場だ。イベントのノウハウを伝えに回っている。税金を使って、市のイメージを悪化させたのではなく、映画祭はモデルケースだ。
 澤田:ピークは年に1億数千万円の予算だった。国からの交付金が映画祭に降りてきたのをベースにした。トータルではプラスだったと信じる。
 日浅:北海道から世界に発信できるものはいくつもないが、そのひとつとして胸を張れる。
 高橋:駅での、おかえりなさい!のあいさつがとても印象に残る。ここが故郷だと思わせてくれる。随所で市民の協力があり、マチとの一体感がある。日本は経済大国だが、映画を文化として認めているのか?映画のよさは、できた作品をどこへでも持って行け、10年20年先でも見れる。 
 日浅:たくさんの人びとが映画の制作に関わり、もっと多くの人たちが映画を見るのだ。
 中島:地方自治の官民共同のモデルともいえる。人の個性と地域の潜在力を引き出すことが重要だ。
 澤田:ゆうばりの予算の内訳は、二分の一が企業からの協賛、四分の一が自治体からの公的支援、四分の一が自助努力だが、北海道からの支援は次年度限りで打ち切りになりそうだ。
 品田:オフィシャル・コンペを復活できるかが鍵で、それは映画祭の顔であるからだ。
 高橋:多くの映画人に、ゆうばりファンタをもっと吹聴したい。
 澤田:ゆうばりファンタには三つの大きな課題がある。ひとつはヒトで、人口流出と高齢化によって、若い世代への敬称が課題となっている。次いで、メイン会場の市民会館の老朽化という課題があるのだが、内外からの募金によって、なんとか継続して使えるようにしたい。最後に財政難の問題が残る。この景気悪化で企業からの協賛金が思ったほど集まらない。これらを克服して、次回以降の映画祭の開催につなげたい。
 以上で、セミナーの記録を終えますが、かなり省略あるいは管理人の補足もある記述となっていますので、文責はすべて管理人にあります。
 なお、市民会館の補修経費の支援を以下の郵便振替口座で受け付けています。
「02750-7-97105 NPOゆうばりファンタ市民会館」です。ぱるるの口座から機械で振り込めば、手数料がかかりませんよ。ぜひ、みなさまも、ご支援を!!

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2008年12月の日記

2012年02月29日 | 日記
2008年12月09日

東京国際映画祭2008年セミナー記録
 今秋の東京国際映画祭の会期中に開催されたセミナーなどの記録をアップします。
 まずは、第5回文化庁全国映画祭コンベンションの模様をお伝えします。
 今年のテーマは「住みたい街、行きたい映画館」でしたが、最後に「街なか映画館の新しい役割と上映を考える」と題したディスカッションが行われ、それを紹介しましょう。
 堀越謙三氏:2年ほど前に渋谷の円山町にユーロスペース&シネマヴェーラ(5スクリーン)をオープンさせた。4~5年先の円山町再開発でシネコンが進出する計画があり、新宿に続いて大都会へのシネコン進出による既存映画館の危機が迫っている。
 立木祥一郎氏:八戸の中心地に2010年にhpmをオープンの予定で、公共ビルに映画館の機能をもたせる計画が進行中だ。
 北條秀衛氏:川崎市で1年前にアートセンターがオープンしたが、東京のベッドタウンで文化人の居住や劇団の稽古場があった芸術の街で、日本映画学校も誘致した。このアートセンターは200人収容の劇場と100人のシアターからなる。
 小泉秀樹氏:地方都市でコミュニティーシネマが増えつつあるが、再開発には多様性と地域性が重要だ。いろいろな人たちの合意形成と連携が求められる。公共性が必要で、具体的な成功例を提示するべきだ。
 佐伯知紀氏:2003年に文化庁が日本映画再生の提言を行った。作品の支援からフィルム・コミッションや映画祭への支援へ移行してきている。大学と地域の連携交流を促進する「創造のまち支援」も始まる。
 堀越:シネマ・シンジケートは地域活性化よりもオータナティブの保証が中心だ。コミュニティーシネマは地域型映画館で、地域の映像文化のバックアップと若い世代の映画ファンを育て、街なかの高齢者にも対応している。遠からず、デジタル映像を高速ネット配信でハードディスクに落とす規格が統一へ向かうだろう。
 小泉:まちづくりには担い手が重要だ。国交省の「担い手支援事業」が数年前からスタートしている。
 続いて、韓国映画「私の頭の中の消しゴム」日韓米リメイクについてです。
 東京国際映画祭期間中に行われたリメイクビジネスのパネルディスカッションの模様をお伝えします。
 木村元子氏:2001年放送のよみうりテレビ・ドラマ「ピュア・ソウル」が原作で、永作博美と緒方直人の共演だった。ハリウッド・リメイクは日韓双方からリメイク権を取得した。
 よみうりテレビの社員だったので、おおもとの権利はテレビ局にある。高村光太郎の詩「山麓のふたり」を読んで、ドラマ化を思いついた。
 次のストーリーは「カンナさん」だったのだが、これをチャさんにすすめたところ、既に韓国で映画化がはじまっていたので、代わりに、このドラマをおすすめした。
 藤村哲也氏:ユニバーサルなストーリーだからこそ、リメイクが成立した。
 チャ・スンジェ氏:私の映画は男が主人公の場合が多いが、2003年にヒロインで、悲しいラブストーリーをとりたいと思った。 それで、木村さんから新しい関係を示されて、これはいけると思った。ドラマを見たのは今がはじめてだが、ドラマを2時間に縮めるのは無理なので、見ないほうがよい。
 イ・ジェヒョン監督は中学2年生でアメリカへ移民した。この制作の5年前から知っていたが、アメリカ的感覚で映像美がすばらしいので、20代女性にアピールできるものをつくろうと依頼した。中間のチェックでも、たいへん洗練されたものだったので、きっと若い女性に受けると思った。
 藤村:シナリオがすばらしく、ギャガの社員が読んで涙したので、ゲットできた時はうれしかった。
 チャ:日本での韓国映画のトップヒットになるとは思わなかったが、マーケティングが20~30代女性を対象にしていた。ので、おばさん映画とは異なる流れで、うまくいくと思った。
 藤村:昨春にマーク氏と食事をした時に、リメイクビジネスを始めたということで紹介したら、彼の社員がロスのコリアンタウンで、この韓国映画のDVDを入手してきた。
 マーク・アミン氏:アクションかゲームがはじめはリメイクしやすいと思った。ビデオを見て、とても感動したので、リメイクしたいと思ったが、簡単ではなく、18ヶ月もかかって書面上の手続きを終えた。
 それで、まず監督たちに見てもらい、CBSフィルムで制作することにした。このような映画はメジャーでしかつくれないので、メジャー系の映画会社でつくりたいとの意向で安心した。
 実際に制作に入るのはせいぜい20%ほどだが、進歩があると思った。映画会社が早く動いて、完璧なライターを用意してくれた。
 以上の文責は管理人にあります。

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2008年12月16日


『ゆうばり映画祭物語』!!
 この本は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のディレクターを第1回から務められた小松澤陽一さんが執筆されました。
 副題は「映画を愛した町、映画に愛された町」ですが、まさに夕張市と映画の関わりを映画祭を通して集大成された書物といえましょう。
 序章は、2006年夏に夕張市が財政再建団体になったことを踏まえて、夕張市の手による映画祭は中止になったところから始まります。
 夕張市は、300億円余りの財政赤字を抱えて破綻したわけですが、著者は、その金額は炭鉱の閉鎖後に再開発に投じられた金額とほぼ同じで、いわばそのつけがそのまま夕張市の負担になったともいえると述べています。
 第1章は、映画祭が船出した経緯を述べ、竹下内閣の「ふるさと創生資金」の1億円を財源として、1990年2月に第1回の映画祭が行われたこと。それは準備期間に乏しい日程で決行されたのだが、実はその年の夏に夕張で最後の炭鉱が閉山することになるので、なんとしても、当時の中田市長は閉山前に開催したかったことなどの秘話が明かされている。
 第2章は、夕張の炭鉱都市としての歴史が述べられ、炭鉱の24時間操業にともない、最盛期にはいくつもあった映画館もまた、24時間営業だったこと、1960年代以降の映画の斜陽化に際して、市の直営の映画館が存在したことなど、夕張と映画の関わりが述べられている。
 第3章は、映画祭に審査員やゲストとして来訪した数々の監督やスターたちの逸話が紹介されている。内外から招待を受諾して、真冬の夕張まで駆けつけた多くの映画人たちの足跡は、まさに著者の人脈の豊かさに支えられたものであったといえるでしょう。
 そして、第4章は、夕張に招かれた監督たちが、その暖かいもてなしと夕張に残された日本の伝統的な姿に感銘を受けて、映画のロケのために再度の来訪を行い、韓国のイ・チャンホ監督の「ミョンジャ・明子・ソーニャ」、台湾のホウ・シャオエン監督の「ミレニアム・マンボ」と「珈琲時光」、タランティーノ監督の「キル・ビル」などの夕張ゆかりの映画が誕生したことが述べられている。
 続く、第5章は、海外で夕張を手本にした映画祭が生まれた経緯が述べられ、私自身も2度訪れた韓国の富川国際ファンタスティック映画祭もまた、イ・チャンホ監督と小松澤さんの出会いから生まれたことを知らされた。
 最後の第6章は、この映画祭が夕張の市民たちの手によって支えられてきたことが述べられ、映画祭の危機に市民が結集して「ゆうばり映画祭応援団」が発足し、2007年3月には「ゆうばり応援映画祭」が映画会社の協力のもとに開催され、2008年3月には市民の手による新生「ゆうばり映画祭」が開かれた経緯が紹介されている。
 まさに、映画を通した地域づくりの実践が具体的に示されている書物であるといえるでしょう。平凡社から、2008年3月刊、本体価格1600円です。
 では、以上、ご紹介まで。

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2008年8月の日記

2012年02月29日 | 日記
2008年08月25日

2008年全国フィルムコミッション協議会から
 今春に広島県尾道市にて開催された全国フィルムコミッション総会の際の新藤兼人監督作品「石内尋常高等小学校 花は散れども」のトークの模様を以下に記します。岩波現代文庫で、監督インタビューと撮影日記、そしてシナリオを含む同名の著作が刊行されたところですし、映画も9月27日からの全国公開が決まり、映画館にポスターも掲示されています。

 尾道で開かれた全国FC協議会総会で、新藤兼人監督の新作が上映され、続いてPDを担当されたご子息によるトークが行われましたので、その模様をご紹介しましょう。
 この作品は3シーンをのぞいて広島県内で撮影された。その3シーンとは、奈良の春日山の場面、その撮影場面は山口県岩国の錦帯橋の近くの神社でロケをした。海の場面は島根県浜田の姉が浜で10月で人のいないところでロケをした。
 それに加えて、汽車のシーンは静岡県の大井川鉄道でのロケだ。
 新藤監督の本籍地が、舞台となった広島県の石内で、自らの生まれ育った風土だ。花崗岩の土地で白いやせた土壌だ。大正時代の小学校も、先生が引っ越してくる小学校も石内ではないが、県内で探してロケをした。石内で撮影したのは、葬列のシーンや自転車に乗る場面だった。
 料亭の場面は、尾道の「たけむらや」さんで撮影した。同窓会のシーンは実話にもとずいたもので、先生が石内小学校の前に移住されたのも実話で、それを長年にわたって暖めてきた。
 新藤監督自身も小学校が最終学歴で、教育の荒廃に接して、この企画が実現した。
 前作の「ふくろう」が終わった翌年には、4本くらいのシナリオがあり、その中からセレクトして映画化された。つくりたい映画と実現する映画は同じではない。
 「落葉樹」と共通する場面が多く、ベースは実話だが、同窓会の同級生のエピソードや、みどりさんについてはフィクションとなっている。「落葉樹」のほうが、より実話的であるといえる。
 男が女に翻弄されるパターンは監督の女性像を示し、それは母親であるといえる。原作を通して自らを表現するのだが、この作品は新藤兼人監督らしいものだ。
 このシナリオでいこうとしたのが5年近く前で、撮影は昨夏だった。元来は一昨年の夏の予定が監督の入院で、メインロケを延期した。
 このような場合、業界では中止に等しいが、より深刻だった。監督の体調が回復してきたので再開したが、その分、コストもかかり、スリリングだった。
 全篇がロケなので、95歳の監督にはシビアだった。孫が健康管理をしたのだが、朝に監督が笑顔かどうかにスタッフ全員が気配りして、盛り上がったので、まったくトラブルもなく終わった。スタッフの中間打ち上げを俳優さんたちがセットしてやってくれた。
 シナリオと監督の演出意図が明確でなければ、映画はできない。
 新藤兼人賞は現役のPDが審査員で、監督のお孫さんの風さんが受賞したが、お父さんの次郎さんが表彰状を手渡すという珍しい受賞風景だった。
 9月に行った時代劇の撮影は36度の気温のなかを3日がかりで、カツラをかぶった役者さんはたいへんだった。
 ロケハンには新藤次郎PDも一部参加したが、基本的にはFCなしでも可能だ。ライン・プロデューサーは現場でかかるお金の担当で、ロケハンで、どのような撮影をするのかというイメージづくりが必要だ。たけむらやさんの2階の広間は広すぎるのだが、カメラをひけるので、撮影はやりやすい。本来は壁をはずせるセットで撮りたいところだ。広角レンズで撮ると、どうしても柱がゆがんでしまう。
 昭和30年代の映画として撮影する時に、道路のガードレールがじゃまになる。山の上から叫ぶシーンが最後までロケ場所が決まらなかったのだが、フィルム・コミッションにハンググライダーの滑走地を紹介してもらった。安全のために足場をつくったが、県内の業者に依頼した。
 監督は最後にすみずみまで念を入れたと語った。斜めのテレビは恩師の実話なのだが、これやビールの傾きなどは監督のこだわりが生んだ映像表現だ。これは江田島で撮影中に突然言われて小道具と議論して工夫した。
 この作品は正確には48作めで、「裸の島」の次に撮ったオムニバス映画がモスクワで行方不明になり、それも入れてのことだ。この作品は9月27日の公開予定で、広島も同時公開の予定だ。
 むだがなく、たんたんとした監督の世界はいまの映画とはテンポ感がちがう。新藤PDは日大芸術学部写真学科の出身で、「かげろう」のスチールカメラ&助監督から出発した。他の監督のプロデュースもするが、やはり新藤監督の作品が主だ。
 以上で、トークの文章化は終了ですが、文責は管理人にあります。

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2008年7月の日記

2012年02月29日 | 日記
2008年07月09日

全州国際映画祭訪問記2004
 またまた更新が滞り、申し訳ありませんでしたが、2004年の全州国際映画祭の記録を以下にアップします。この頃は、まだ映画祭で映画を見ることに、さほどこだわっていなかったのですね。
 なお、文中の「ファン・ジニ」は昨年に映画のリメイクが公開されましたが、大コケでしたね。テレビ・ドラマのリメイクのほうは、日本でも衛星放送で放送されたりして、それなりに好評のようですけど。

 2004年5月1日(土)
 11時から、映画祭の韓国短編を見る。3作の連続上映で、最初は視覚障害者をテーマにしたもの、このような映画が制作されるようになったことは韓国の民主化の成熟度を示すものだろう。ただ、英語字幕では、ちょっときつかった。
 午後からは、韓国の80年代の作品の「ファンジニ」を見る。全盛期のペ・チャンホ監督の作品だ。なかなかの出来で、「情」や「黒水仙」に通じるところがある。ここでも、アンソンギの名演がみられた。映画祭のTシャツとバッグが安売りされていたので、おみやげに買う、あわせて1万won。
 夕方は、劇場公開中の新作「アラハン」を見る。ここでも、アンソンギが渋い!!「キルビル」と「スパイダーマン」の双方をぱくったような内容だが、それなりに痛快だ。主演のリュスンボムもますます快調だ。
 夜も新作の「幼い新婦」を鑑賞。キム・レウォンがコミカルな演技に挑んでいるが、まずまず。ムン・グニョンは、タイトル通りを好演。
 2004年5月2日(日)
 朝は、太祖路周辺で開催中の豊南祭を見物に行く。いろいろな屋台も出ていて、なかなかの人出だ。Tシャツと帽子をおみやげにゲット。あの「ホワイトバレンタイン」の書店の建物が健在なのを確認して戻る。
 また、別の旅館に荷物を置いてから、韓国映画の記録をすべて塗り替えた「テグッキ」を見に行く。ラストの30分間は確かに大感動だ!!ウォンビンも一皮むけたといえる。新記録記念サービスで、入場料はわずか4000won。
 さあ、夜は閉幕式だ。チケットは早々に売り切れたはずが、PCをたたいてもらうと入手できた、1万wonなり。このへんが韓国らしい。会場の入り口には、スタッフが手をつないで並んで待ち構えているが、肝心のスターがまったく来ない、とほほ。閉幕作のスペイン映画「11月」は、さすがの出来だった。これは実話なのだろうか!?
 では、2005年の記録は、改めてアップします。



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2008年07月21日


全州国際映画祭訪問記2005
 今回は2005年の全州国際映画祭の記録をアップしますが、この頃になると、かなり映画祭に集中するようになってきているのが感じられます。
 2005年4月28日(木)
 バスで高速ターミナルへ向かい、全州行きの高速バスに乗る。3列座席の優等バスで、1万5千ウォン。3時間かかって全州に到着。ターミナルから20分ほど歩いて、映画祭開幕式会場の全北大学へ向かう。
 7時からの開幕式の1時間以上前に着き、まずは映画祭のプログラムをもらってチェック。入場券は2時間で売りきれたそうで、当然ながら手に入らない。30分くらい前になると、ぼつぼつスターの乗った車が来て、観客から歓声があがる。チャン・ドンゴンもいたとの声も聞こえたが、確認できず。何枚かは写真を撮ったので、後からチェックしよう。司会のひとりはチョン・ジニョンだったそうだ。
 2005年4月29日(金)
 11時ころの映画館が始まる時間に映画館通りへ出かけて、人気の韓国映画「ダンサーの純情」を観る。初回割引で5000ウォンだった。主演女優のムングニョンのダンスシーンの迫力にびっくり!!これだけ踊るには、どれだけの練習を重ねたことだろう。適当にお茶を濁すことの多い韓国映画界では画期的だ。きっと青あざが絶えなかったことでしょうか。
 午後最初の映画祭での映画は「ピョンヤンの動物園」、字幕がないので、すぐに出て行く外国人もみられた。ピョンヤンの中央動物園の紹介と訪問家族の話だが、いかにも宣伝臭のするのはやむをえないか。獣舎などの設備はやや時代遅れではあるものの、パンダをはじめ、多くの動物が登場した。動物に曲芸を仕込むのも前時代的かと思うが、この国では当然なのだろう。ただ、将軍さまをたたえたであろうセリフのいくつかがカットされ、無音声の部分があった。国家保安法があるとはいえ、お説教だと思って聴けばよいのだし、そんなことは韓国人の多くもわかっているはずだから、検閲を受け入れた映画祭関係者は恥じるべきだ。
 次に見たのは、韓国短編集で、4人の監督はいずれも女性だ。300本から選ばれたとのことだが、この世界にも女性の進出がめだつ時代となったことを象徴していよう。いずれも女性の視点から描いた内容で、うち2本が女性の生理を対象にしているのは興味深かった。
 夕食後に最後の会場へ向かうと、映画館を勘違いして遅れてしまうが、なんとか入れてもらった。「漁火」と題する植民地時代の映画だ。文語調の日本語字幕が付いているが、遅れたせいで2階席だったので、遠くて見づらい。巨津という漁港の姿や当時の京城を画面で見ることができたのは貴重な体験だった。内容は、漁港から首都に出てきた女性がさまざまな経験を経て、故郷に戻る、というもので、その故郷は民族のふるさとを感じさせた。
 外に出て、韓国映画「つぼみ」の中古ビデオをみつけ、3000ウォンの適正価格だったので買う。
 2005年4月30日(土)
 午前中は、まず韓国映画短編集を観る。ここでも、4本中の3本までが女性監督だ。障害者をテーマにした作品が2本あり、ダウン症の障害者も観に来ていた(出演者かどうかは不明)。
 ところが、その障害者に対して、遠慮ないフラッシュの連射を浴びせる若い女性カメラマンがいたのには驚かされた(しかも映画祭関係者かも)。何のために、このような映画が製作されているのかを考えないのだろうか?韓国の若者の無神経さが如実に現れた例かもしれない。カリボン地区の外国人労働者の町を描いた作品もあった。
 宿に荷物を置いて、伝統的町並み地区を歩く。あの「ホワイトバレンタイン」の本屋の建物が健在なのをみて、安心して映画館へ戻る。時折みえる韓国式建物はいずれも観光向けで、がっかりする。
 夕方の映画は韓国映画「羽毛」。あの「イルマーレ」にも登場するチェジュドの牛島が舞台で、10年ぶりに再会しようとする恋人たちと旅館の娘とのふれあいを描いたものだ。中で使われたタンゴのダンスと音楽が印象的だった。終了後に、監督と俳優の舞台挨拶を聞いたが、韓国語字幕付きで、障害者の姿もみられ、このトークには手話通訳が付くという徹底ぶりだった。映画に登場する旅館のおじさんは一言もしゃべらないが、障害者という設定なのか、という質問が手話で行われるなど、なごやかな雰囲気だった。
 映画の後に、イ・ウンジュの出ている韓国映画「虹鱒」のビデオを買う、4000ウォン。
 2005年5月1日(日)
 歩いて、映画館通りへ出かける。昨夜、韓国映画「拳が泣く」の前売りを5000ウォン(早朝割引)で買っておいたので、10時半から観るが、観客は2人のみ。リュ・スンワン監督で弟のリュ・スンボムとチェ・ミンシクが共演するボクシング映画だが、韓国スポーツ映画にありがちな安易な設定(一言で言えば練習不足)が、この映画にもみられた。兄弟愛はほどほどにしてほしいものだ。とりわけ、あのような結末に持っていくのならば、弟の喧嘩ボクシングで勝ち上がれるわけがないのだから。
 その一方で、父親役のキ・ジュボンをはじめとする脇役の充実ぶりと、いつもながら熟練した名演をみせてくれるチェ・ミンシクには脱帽だ。
 午後からの映画祭で韓国映画「5つは多すぎる」を観る。なかなか笑える映画で舞台挨拶も楽しめた。主演男優に「何歳?」という黄色い声が飛んでいた(高校生役だが二十歳すぎとのこと)。その次の韓国映画「真実の門」は板門店で起きた韓国人兵士の自殺事件の真相を追い求める内容で、延々と証言場面が続くのは、いささか退屈だったが、この事件が映画「JSA」のヒントになったことはよく知られている。
 夕食後の最後の映画は韓国映画短編集で、4本とも性を扱った映画だったが、意外に愚作もあって、3本目の「りんご」という夫に先立たれた若妻の葬儀の場面を描いたものが秀作だった。
 宿へもどり、すぐそばの会場から聞こえるライブ音楽をBGMにして温泉気分にひたる。
 2005年5月2日(月)
 映画祭でみる最後の映画は「もしあなたなら2~5つの視線」だ。ダウン症障害者、よっぱらいと同性愛、脱北者、外国人(朝鮮族)労働者などを描いた内容だ。国が資金を提供して制作した前作の評判がよかったために、アニメ版と実写版の双方が制作されたのだが、前作を上回る出来と言えるかどうかは微妙なところかも!?
 チャン・ジン監督の作品はやや期待はずれ、独立映画から起用されたキム・ドンウォン監督(「送還日記」の監督)の作品は、朝鮮族問題を正面からとらえたドキュメンタリーだ。
 お世話になった映画祭の関係者に別れを告げて、コアホテルのリムジンバス乗り場へと向かう。1時半発のバスに乗って、結局は3時間かかって、ヨイド63ビル前に到着。向かうは、清渓川の中古ビデオ街、前に来た際のほこりっぽい雰囲気は消えうせ、川は10月には復元が終わるという。露悪な店も増えているものの、中古ビデオ街そのものは健在だったが、中心はDVDとVCDに移っている。何枚かを買い込んで、また地下鉄で江辺のテクノマートに移動する。
 ここでは、まず上階の映画館で、チラシをゲットに行くが、あまりめぼしいものはなかった。下に降りて、中古DVDを探すが、イマイチ勢いがなく感じられた。龍山駅前に出来た同様の巨大ビルに押されているのかも?「ヨッチンソ(僕カノ)」の特別版(これは新品で定価)を買えたのが収穫。

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2008年5月の日記

2012年02月29日 | 日記
2008年05月28日

全州国際映画祭訪問記2003
 久しく更新を怠っており、申し訳ありませんでした。2007年7月の日記に記した業績リストを最新のものに更新するとともに、この6年間にわたって、毎年通い続けている全州国際映画祭の記録を古いものから順番にアップしていきます。まずは、2003年から。
 
 2003年4月29日
 ソウルからセマウル号に乗り、全州駅に着いて、バスで映画館通りへ向かう。駅の観光案内所に、ちゃんとりっぱな国際映画祭のプログラムが置いてあったのには感動した。毎日、日替わりのちゃんとしたデイリーニュースも出してるのは、さすがです。
 14時からの映画はみたいものがないので、ソンガンホ出演の一般映画を見ることにして、映画祭のチケットをまとめて3枚買ってから(1回5000WONは安い)、14時50分からのガンちゃん映画を鑑賞。ちょっと古くさすぎるイメージで、日本で受けるかな!?
 そして、17時からの映画祭にすぐ移動、といっても、すぐ近くの映画館だから楽だ。次は韓国映画「プラスチックツリー」で、なかなか現代の若者の矛盾と韓国社会の差別を、よく捉えている。いっそう、ガンちゃん映画がクラシックに感じられる。
 最後は20時からの北朝鮮映画だ。浮島丸事件を描いたものだが、いかにも北らしい映画のつくりだ。まともに北の映画をみるのは初めてで、この作品が18歳以上のみ観覧可能の印がつけられているのは、韓国のお国柄からなのであって、まったく成人映画ではない。

 2003年4月30日
 全州の2日めは映画館のすぐそばの宿なので、ゆっくり起きる。11時からの映画祭は、これも韓国映画。チャンギルス監督の弱者に対する暖かい視線に、まだこのような映画がつくれるのだ!!と感動する。今回、みた映画の中で、最高だった。それにしても、最近の韓国映画は子役の演技力のすごさに驚嘆させられる。
 映画を見終わって、街歩きを始め、「ホワイト・バレンタイン」などのロケ地を散策する。

 以上、当時の記録を余分なところは省略して再録したが、映画館で見たのは「殺人の追憶」で、当時は、この映画のすごさがまったくわかっていなかったのが恥ずかしいものです。2日目に見たのは「三日月と夜船」で、いま思えば、こちらのほうが古臭いですね。「プラスティック・ツリー」のほうは未だに新鮮さを保っている実験作といえるでしょうか(今年の全州滞在中にテレビ放映をちらっと見ましたけど)。いずれも、後に韓国版DVDを入手しましたが、なかなかじっくり見返す時間的余裕のないのが残念です。
 また、北朝鮮映画の上映は、この映画祭での上映が韓国初だったはずです。会場には老人の姿がめだったことを記憶しています。
 では、次回は2004年の記録をアップする予定です。


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2007年11月の日記

2012年02月29日 | 日記
2007年11月02日

2004年みちのく国際ミステリー映画祭レポート
 2004年10月に盛岡市で開かれ、みちのく国際映画祭の参加記録です。
 金曜日の夜は、まず韓国映画「スーパースター・カムサヨン」を鑑賞。つい、この間まで韓国で上映していた秋夕映画が上映されるとは!!
 ただ、日本語字幕を間に合わせるのがたいへんだったそうです。字幕翻訳のユン・チュンガンさんに感謝!!
 さて、映画のほうは、主役のイ・ボムスが持ち味を発揮していたのですが、致命的欠陥として、テーマになっているプロ野球シーンが、あまりにもへぼい・・・。
 上映後の監督トークで明らかにされたのですが、彼は右利きで、このサウスポー投手のトレーニングに半年を費やしたのだそうですが、発足当初の韓国プロ野球が低レベルであったことは確かにしても、この野球シーンは、あんまりですね。
 終了後は、ホテルの門限まで、ユンさんはじめ関係者の方などと、楽しく韓国映画の話題を語り合えました。
 続いて、盛岡の2日目のレポートです。午前中は、オフシアターを見ました。日本人監督の短編4作でしたが、もう少しがんばらないと・・・、というレベルの作品が多かったですね。この分野でも、先月に釜山国際映画祭で見た韓国の短編と比べると、見劣りするのは確かでした。
 午後からは、盛岡名物になってきたフィルム・コミッションのイベントを聞きにいきました。韓国の名物プロデューサーであるチャ・スンジェ氏の語る日韓合作に関する話題は、たいへん興味深いものでした。
 詳しい内容は、最後に報告することにしましょう。この第1部の終わり際に移動して、韓国映画「がんばれクムスン」の上映会場へ・・・。このようなバッティングは避けてほしいものです。
 さて、韓国の個性派女優ペ・デュナの主演する、この映画は韓国公開時に例によってコケちゃったんですけど、それなりに魅力的な内容でしたが、とりわけ最後に登場する、黙々と屋台で飲み続けていたアンチャンの変身に爆笑でした。
 そして、夕方は、ホテルでのジャズナイトをスタバコーヒーを飲みながら楽しんだ後に、韓国の監督や女優の出演するトーク・ナイトへ!!小さな会場でしたが、整理券をもらって入場するも、前の方には座れず。
 最初は、新人監督へのインタビュー、アジア合作映画の話題に続いて、最後にペ・デュナ嬢が、先ほどの舞台挨拶に続いて登場!!衣装替えして、「吠え犬」のパーカー姿に会場から、どよめき。近くで見れば見るほど個性派ですね~~。
 終了後には、会場1階に降りてきた彼女から、「クムスン」のDVDの解説用紙にサインももらえて最高でした!!
 最後に、10月30日に開かれた「東北フィルムコミッション・イン盛岡」でのセミナー「韓・日合作映画の製作事情」の概要を以下に記します。
 韓国映画評論家の田代親世さんが、映画プロデューサーのチャ・スンジェ氏から話を聞き出す形で進行しました(以下では、田代・チャと敬称省略で表記します)。
 田代:サイダスは、日中(「武士」)と日韓合作映画を、いくつか制作されましたね。
 チャ:「武士」は98年に企画したが、韓国国内には時代劇のロケ地がないので、中国と合作の形で中国で撮影した。中国のスタッフとも連携する意味があると思い、美術スタッフはすべて中国側で、最初は金儲けと考えていたようだが、仕事を進めるうちに、韓国の年長スタッフを若者が敬うことに共感し、気持ちが一体化していった。
 最初から中国でクランクインしたので、監督らは半年前から滞在し、撮影そのものは4ヶ月間。監督と中国のロケハンマネージャーと車で回ったが、近くても3時間で、ウイグル方面まで回った。中国にはフィルムコミッションのような組織はなく、当時は道路整備も不十分だったので、時間がかかった。先月、またモンゴルへ行ったが、かなり道はよくなっていた。
 田代:力道山は有名だが、日本では映画化もドラマにもなっていませんが。
 チャ:この映画は日韓の歴史を受けて、日本で尊敬される人が韓国で尊敬されなかったりするが、彼だけは両国で英雄だった。
 日本の某氏も手がけ始めており、いっしょに進めることになったが、版権の問題があり、長男は否定的だったが、没後に次男に承諾を得た。某氏とはお互いにシナリオをつくって、よい方を選ぼうとし、結果的に韓国のシナリオが採用された。
 物語の背景は100%日本だが、リングのセットは韓国でつくったので、60~70%が日本ロケ。あくまでも、某氏との共同制作で、撮影と照明は韓国、それ以外の美術やメイクは日本が担当。日本のプロデューサーと監督が全国を回って、昭和の風景を探したが、「座頭市」の広島のセットを多用した。クランクインは桜のシーンをとるのが遅れて、たまたま盛岡になったが、FCにはお世話になった。
 合作映画がよいものに仕上がれば、日本で1本、韓国で1本となって、両国に経済的メリットがあるが、失敗すると、その逆になるリスクもある。「力道山」は基本的には日本映画で、ソル・ギョング以外は日本人で、98%日本語だ。韓国では、それほど知られていない彼を最初に紹介する映画となる。合作は国どうしの対抗戦になって、けんか別れしてしまうこともあるので、相手のスタッフとよい関係をきずくことが次につながる。中国チームとは空港で別れる時は、みなおお泣きして恋愛も生まれたようだ。日中韓は文化も似ているので、ボタンのかけちがえがなければ、うまくいく。
 田代:韓国のファンドについて、お聞きしたいのですが。日本では、松竹時代劇に、今回はじめて、一般からのファンドが入りました。
 チャ:韓国でも、一般から集めるのは珍しい。ネットファンドをはじめたのは、むしろマーケッティングの効果をねらったもので、ネットファンドがふえてきて、当局は不法行為と認定した。
 サイダスはメインの投資会社があり、年間4~6本の映画に投資し、パッケージ(シナリオ・監督・俳優)が決まった段階で投資する。
 ここで、退席しましたので、記録は以上です。
 以上の文責は管理人にあります。

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2007年11月13日


2007年ジャパン・ロケーション・マーケット報告その1
 東京国際映画祭期間中の10月22日に開かれたJLMセミナーの模様をお伝えしましょう。
 第1部は「FCスキルの基礎から問題解決まで」で、最初に「FCベーシックスキル」として、広島FCと前逗子市長から報告があった。
 広島FCからは、今春に公開された「夕凪の街 桜の国」の広島ロケが、ちょうどお盆の時期に重なり、お寺の協力を得て、墓参りの撮影がドキュメンタリー的に行うことができた旨の報告があった。また、長島一由氏からは、釜山の映画祭などは、都市計画とリンクしているという特徴があるとの指摘がなされ、『フィルムコミッションガイドー映画・映像によるまちづくり』が出版されたという紹介がなされた。
 次に、「FC相談室」として、各地のFCに、いろいろな質問を会場から行うという企画が行われた。福岡FCからは、年間予算は700万円(市から500万)で、恵まれているほうだとの紹介があった。
 天草FCは、観光協会から100万円の予算をいただいているが、それほどお金はかからないとのことで、サポーターズクラブ(エキストラ)が250人との紹介があった。
いわきFCの予算はいわき市と商工会で100万づつ計200万円だ。「フラガール」のエキストラは最大1500人だったが、地元のFM局で募集を流し、連絡はシネカノンから行った。
 ヘブンリーバレーはロケ斡旋と制作を業務とする会社で、コーディネーターは9名いる。CMが9割で、年間120本ほど制作する。リサーチャーは4名だ。天草でも、香港の携帯CMを撮影した。

 続いて、第2部「地域資源活用の観点からみた映画製作の作品事例」の紹介です。
 いわきFC:「フラガール」は、80万人の観客動員の予測が125万人となった。スパハワイリゾートの集客(年間155万人)も5%増えたが、リニューアルもあって、映画の直接的な効果は求めにくい。全体の直接効果は100億円で、間接効果が20億円だ。平成10年前後はフラガールを集めにくい状況だった。そこで止めていれば、映画の成功はなかっただろう。企画から3ねんがかりで完成したが、地元には炭鉱住宅しかなかった(ボタ山はCG)。
 いわき市34万人中、ほぼ1割が鑑賞した(「千と千尋」の記録を上回った)。

 映画「早咲きの花」は、原作者の宗田理氏の「ほたるの里」の映画化を受けて、話が進んだ。宗田夫人が豊橋市の出身で、夫妻も今は名古屋居住だが、近年まで豊橋市に住んでおられた。
 最初は、原作者自らが映画化に動き出され、それに周りが巻き込まれたともいえる。豊橋市の市制百周年で外へ発信したいという市民の思いもあった。
 映画に登場する手筒花火は、9月の第一土曜日に市内で行われる。「ええじゃないか」も、豊橋が発祥の地である。
 原作者の3冊の本から、シナリオを構成したが、当初は映画化を、うさんくさいとみたり、本当にできるのか?といった声もあったが、公開初日のシネコンは高齢者で埋まった。
 第二次大戦中の豊橋にあった軍需工場の空爆によって、学徒動員の若い命が数多く奪われたことが映画に描かれており、戦争の記憶を孫に伝えるべく、孫と共に映画館に来た高齢者も多く見られた。
 地元のシネコンでは、7月29日から翌年の1月5日までのロングラン上映となった。
 前年の8月下旬のロケでは、1500人を集める必要があったが、お盆を過ぎても日程が決まらずに、たいへんだった。
 豊橋市の特別予算で、全小中学生に無料招待券を配布したところ、約3分の1の1万人を動員した。
 映画化の年には、ええじゃないかを豊橋祭りで再現した。昨年の東京国際映画祭で上映され、シドニーで開かれた第10回日本映画祭では閉幕上映された。

 日本映画「HAZAN」は、陶芸家である板谷波山の生涯を題材にしたもので、2004年に公開された。
 彼に関心を持っていた五十嵐匠監督が、おそらくは彼の作品のコレクションを有する出光美術館の協力を得られなかったために、彼の出身地(茨城県石館市)の短編映画祭のリーダーに声をかけたのが契機だった。近代の陶芸作品で文化財指定を受けているのは、波山のみである。
 その友人から託されて、車で20万キロ近く走って出資をつのった。友部町長(当時)に、友部学と映画ロケのリンクを提案し、個人事務所を借りて、サポート体制をつくった。9900万円の出資が集まり、2万8千枚の前売りの5400万円と合わせ、制作費に充てた。
 2004年の東京国際映画祭で上映され、ブルガリアIFFでグランプリを得た。映画館では5万人を動員し、NHK-BSと衛星劇場で放送し、DVDの初版は完売した。著作権の事務所が所有しており、出資金はほぼ返済できた。
 彼は名誉県民の第1号であり、没後40周年を記念して、県の補助金1000万円も活用できた。映画制作の大変さを住民が知るきっかけになった。
 以上で、セミナーの要旨を終えますが、文責は管理人にあります。


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2007年10月の日記

2012年02月29日 | 日記
2007年10月27日

映画を通した地域活性化関連情報について
 映画を通した地域活性化についての調査研究に関連する情報を、今後は、この日記で提供していきます。
 今週の東京国際映画祭会期中に実施されたシンポやセミナーの記録は、追ってアップしていきますが、まずは、昨年のTIFF会期中のシンポおよびセミナーの記録をアップしていきます。

「世界の映画市場におけるアジアの台頭」
 06年10月24日の午後に開かれたTIFCOMセミナーに参加してきました。興味深かったのは、映画「墨攻」を製作中の井関プロデューサーの講演でした。以下は、その概要です。
この「墨攻」は、香港の監督が原作権を8年前に買い、6年前に私を訪問した。原作は日本マンガで、7~8ヶ国がからみ、4ヶ国に権利を売った。欧米の映画では何十枚もの契約書を必要とするが、少ない契約書で4社のトップが毎月ミーティングをし、香港にプロダクションを置き、そこに権利を集中させた。香港を通して中国のプロデューサーに依頼した。
中国では11月23日、韓国は1月18日、日本は1月27日、東南アジアでは11月末~12月に公開の予定だ。つくりたいからつくったのであって、この枠組みを使えば、もう一本とれるというわけではない。
日本はアジアの中で孤立して、10年遅れている。首相が映画祭の開幕で、日本はアジアのゲートウェイになるべきと述べたそうだが、そうはなっていない。欧米のマーケットで(日本でも)アジア映画の勢いは落ちている。
先日の釜山映画祭で、韓国が中心になってアジアのプロデューサーのネットワークを立ち上げ、情報交換のみならず、助け合い、新人がアジアに参入できるように信頼を高めていくことなどが提案された。
アニメは別として、日本映画はほとんど輸出できていないのが現状だ。世界第2位の国内市場で満足してきた。「墨攻」は汎アジアを目的としたわけではない。汎アジアとして注目されているが、内容で注目されたいものだ。国際的な映画制作が可能になれば、予算の足かせがとれるかもしれない。

 文化庁映画週間の行事のひとつとして、10月24日の夕方に開かれた全国映画祭コンベンションでは、第1部のシンポのテーマが「映画祭の現在ー」で、まず、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の報告がありました。夕張市の財政破綻によって、市が主催してきた映画祭は今春の17回目で終わらざるをえないが、NPO法人を立ち上げて、映画祭を市民有志の手によって存続させたいという動きがみられるとのことで、現実には上映会場や除雪の問題などがあるため、夕張メロンの季節の開催をめざしたい、という意思表明があった。
 次いで、山形国際ドキュメンタリー映画祭の報告があり、1989年のスタート当初から、当時の市長が3回目以降は民間主導でと発言していたことが紹介された。来春からNPO法人としての活動開始を目標に準備中とのことで、現市長はNPO法人になっても可能な限り支援すると発言している旨の紹介があった。
 以上の市が支援してきた財政規模の大きな映画祭に対して、あおもり映画祭と神戸100年映画祭という予算規模が700万円ほどの小規模な映画祭の報告があった。あおもり映画祭は6地区で開催するスタイルで、近年はフィルムコミッションと連動していることが報告された。
 神戸100年映画祭は、当初、震災復興の目的で市が1億5000万円を支援したが、翌年は2000万、途中から1000万に減ったとのことで、淀川メモリアルに200万の支援などの形もあり、3年前まで市が事務所も提供してくれたが、今は民間主導となっている旨の報告があった。
 最後に、ベネチア国際映画祭ディレクターのマルコ・ミューレル氏の国際映画祭についての講演で締めくくられた。

 10月25日に開催されたロケーションマーケット・シンポの概要を紹介します。
 まず、富士宮市のFCからの紹介があり、このFCでは、来年公開の「フリージア」や、映画版「西遊記」などの撮影を行ったとのことで、青年会議所でFCに出会ったという。FCができたことによって、行政・警察・消防など地域内団体の連携がスムースになったとのことだ。
 次にみちのく富岡FCからの紹介があり、10年前に映画館が廃業したが、東京電力による500人収容のホールが昨年にできたので、そこで映画上映などのイベントを実施しているとのことで、スポーツ宿泊施設は充実しているため、ロケの受け入れ体制は整っており、子どもたちに創造力がつくように育成しているとのことであった。
 次いで、海外映画の日本ロケについての話題提供があり、「トラップト・アッシュ」と題する日米合作映画の伊豆市ロケの模様が報告された。
 1年半前に話がきて、当初は京都ロケの予定が、困難が多く、伊豆に変更された。日米合作のハリウッド映画ではあるが、ホラーなので、地域からの協力に工夫が必要だった。お寺でのロケがたいへんで、第2候補でようやく実現したが、そこの住職がカメラマニアで前年にテレビドラマのロケがあったので、理解が得られた。読経シーンは後姿で住職自身が演じた。スタッフ70名の宿泊にアクセス、インターネット、ベッドの問題で苦労した。和室はせいぜい2泊までしか使えない。
 ロケのケータリングは、弁当ではなく、暖かい食事を要求され、最後はへとへとになったが、よい経験になった。バイリンガルの日本人スタッフが多く、楽に進められた。このような状況があれば、海外からのロケを誘致できる。FCスタッフにバイリンガルがいれば、なおよい。
 日本は雨が多いので、ロケ地のそばに仮設スタジオがあれば助かる。海外映画のロケは、海外へ情報発信する効果や、海外観光客の誘致につながり、FCの底上げにもなる。このロケでは交番もほんものでロケしたが、アメリカでは考えられない。
 「ブラック・レイン」の日本ロケでは、機材などをアメリカからすべて持ち込んだが、お金では解決できないこともあって、結局はすべてを撮りきれずに、アメリカへ帰ってから撮影を続けた。それが、日本での海外映画ロケのトラウマとなってきたが、今は事情が変わりつつある。
 神戸FCからは、韓国のSBSドラマ「ガラスの華」の神戸ロケ支援で、海からの夜景を推奨したことと、韓国からの神戸ツアー誘致のために、韓国での放映にあわせて観光説明会をソウルで開催したことが報告され、その効果で韓国の女性誌で神戸特集が掲載されたことや、半年後に主演のイ・ドンゴンが宿泊したホテルでファンミが開かれたことなどが紹介された。
 また、今夏に公開された「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」では、神戸ロケ地マップを関西地区の松竹系映画館のすべてで配布したことが紹介され、ニューヨークはロケ地紹介HPが充実しており、単に観光地を撮影してもらうわけではなく、他の街として撮影されることも多いので、地元で撮った映画を地元で盛り上げると、ヒットにつながることが強調された。
 宮崎FCからは、韓国ドラマ「ウエディング」ロケで、5000人のファンでホテルが満杯になったことを契機に韓国人観光客誘致の一環として韓国ドラマ撮影を誘致した。昨日まで「雪の花」のロケで、ロケハンからロケまでが1週間しかなく、たいへんだった。いきなり韓国語の台本を渡されたり、住宅地で深夜の撮影をしたり、消防車で雨を降らせるなどの苦労が多かったことなどが紹介された。
 そして、先に紹介した「初恋」ロケの話題が最後に紹介された。予告編のロケは、ほぼ北九州だそうです。映画館やガード下の階段などはここでロケし、新宿2丁目の場面も、ここの繁華街でロケしたのだそうですが、日程の関係で、地元の人々でにぎわう金曜日の夜のロケになってしまい、かなりたいへんだったそうです。当時にはなかったような風俗関係の看板を隠すなどの苦労もあったとのことでした。
 3億円事件現場の府中刑務所の壁は変わってしまったので、刑務所の壁の部分だけは新潟刑務所で撮影したそうですが、旧式のガードレールを200メートルほど設置する(撮影後すぐに撤去されてしまったそうです)などの苦労がやはりあったそうです。
 北九州での撮影は10日間くらいだったが、取り残した場面をここで最後に撮影したり、主演の宮崎あおいさんのスケジュールがきつくて強行軍だったそうです。

10月27日に開催された第4回文化庁全国フィルムコミッション・コンベンションの概要を記します。
 まず、第1部は、全国ロケーションデータベースの紹介で、日本語サイトに続いて、英語版のサイトが公開されたとのことでした。年代別の検索や複合検索が可能な特徴があるのだそうです。
 次に、第2部は「日本の撮影環境への提案」で、「ロスト・イン・トランスレーション」のライン・プロデューサーを務めた井上氏と、セカンド・アシスタント・カメラマンの石坂氏による報告がありました。
 この映画は、オール東京ロケのインディペンデントで大ヒットし、アカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した。日本ロケは、1989年の「ブラック・レイン」の挫折や「ミスター・ベースボール」の名古屋ロケのトラブルなどがあったが、この映画は、2002年10月に25日間の撮影を行った。日本で2.5億円、アメリカで2.5億円かかった。
 渋谷のスクランブル交差点での撮影は無許可(ゲリラ的だが、一部は許可を得て、それを拡大解釈)、制作側が何かあれば責任を持つと名言したが、結果オーライであった。照明は使わなかったし、安全面には十分な配慮をした。昨年の「ワイルドスピード3」の東京ロケでは、関係者が3日間留置されたらしく、アメリカでロケを追加せざるをえなかったそうだ。
 この映画のロケでも、レストランでの撮影が長引いて、制作スタッフが降りるかどうかの議論になった。トランスレーターが間に入って、どれだけ意識を共有できるかが問題だ。監督のソフィア・コッポラ(「地獄の黙示録」のコッポラの娘)は東京にワードロープの店を持っていて、友人も多く、彼女のイメージがすべて描けたかどうかはわからない。
 東京FCには、9月25日に10月から撮影との話が来て、夕方に電話で明朝にビルの屋上でバスケ・シーンを撮りたいとの要請があったが、それはとても無理だった(ダメもとでの依頼だったそうだが)。新宿西口公園ロケも、夜間閉園と警察の不許可で断念した。ゲリラ・ロケは東京でもロスでもだいじょうぶだが、三脚を立てると、すぐにガードマンが飛んでくる。
 NYとロスはFCが機能しており、日本とは、住民の映画に対する対応が異なる。NYではボランティア・エキストラがすぐに集まるが、この映画で渋谷と原宿の街頭でエキストラ募集をしたが、なかなか集まらなかった。外国映画ロケには、日本側に適切なコーディネーターが必要で、いきなりFCに来ることはありえない。
続いて、トークセッション「フィルムコミッションが地域にできること」で、まず、地域映像人材の育成支援と題する早稲田大本庄キャンパスの岡田氏からの話題提供がありました。
 本庄キャンパスでは、篠田監督が「スパイ・ゾルゲ」で、樋口監督が「日本沈没」のポスト・プロダクションで、学生を交えて3ヶ月ホテルに泊まりこんで作業を行った。
 学生の制作する映画も、タレントや照明、ポス・プロはプロを使って本庄で行っている。厚木FCと東京工大、神戸Fcと神戸芸工大とのリンクができてきている。高校生ワークショップの作品を地元に還元している。
 次に、地域における映像文化理解の促進と題して、映画「夜のピクニック」のプロデューサーから話題提供がありました。
 これは水戸一高の行事で、いばらきFCが協力した。昨夏の撮影で、夜のシーンが半分、延べ5000人の生徒を集め、最大は出発式の1000人。
 15名のタレント意外はエキストラで、前年10月に水戸一高へ依頼した。4月からFCとロケハンし、46校を回った。クラスメイトに来てもらう必要があったので、オーディションをして、演技指導のワークショップを週1回行い、エキストラの8割は高校生だった。
 エキストラ登録は日本独自の制度で、50ほどのフィルムコミッションが実施している。大阪FCでは、ロケ地マップを7万部作成して、JR駅で配布したところ、今でも毎日50人のエキストラ登録が集まるそうだ。
 さいたまFCでは、2800人を今春から集めた。新聞と県広報誌で募集し、年に3回のロケ地ツアーを行っている。逗子FCでは、FCと映画祭をリンクさせており、シナリオ大賞を翌年に映像化している。小田原FCでは、ショートコンペを実施している。
 なお、日本映画が海外の映画祭で評価される例が増えてきているが、海外で評価されても、日本で評価されるとは限らず、どの世代にも理解される映画をつくることが大切であるとの指摘があった。
 以上で、東京国際映画祭期間中に行われたイベントの記録を終えますが、文責は管理人にあります。


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2007年10月28日


2006年全国フィルムコミッション協議会長崎大会パネルディスカッション報告
 昨日に引き続き、昨年の全国FC協議会大会での映画上映後の監督トークおよびパネルディスカッションのレポートです。
 6月2日の午後から、長崎出身の緒方明監督の昨年の作品「いつか読書する日」を鑑賞。昨年のキネマ旬報のベスト3に入ったそうだが、じんわり心にしみてくる秀作だ。長崎の石段の風景が巧みに生かされている。
 終わってから監督のトークがあったが、これがまた興味津々の内容で、監督いわく、この映画はR-40作品だそうだ。
 緒方明監督は以下のように語りました。04年モントリオール国際映画祭で審査員特別賞(準グランプリに相当)をいただいた際に、どこで撮影したのか?という質問を多くいただき、長崎でと答えたら、会場から、どよめきが起こった(長崎は原爆で国際的にも知られているため)。前作のベルリン映画祭受賞時に、長崎の同級生の間でネット上で話題になり、長崎で上映会も開くことができた。
 それもあって、この作品を長崎で撮影することになったが、当初は脚本家も、もっと何の変哲もない街でと反対し、プロデューサーもお金がかかると反対したが、監督自身が誘致したような形になった。
 文字を肉体化するには、坂が必要だと思った。長崎では、今なお引越しなどに在来馬を使うことがある。車が入れないところに、よいロケ地がある。
 美術部は、ものをつくるよりも、隠すのがたいへんだった。カステラの看板や教会の十字架などを木の枝などの小道具で隠した。それは脚本家の意図をかなえるためだった。
 路面電車のホームが自転車とすれちがう場面も、大浦停留所のみで成立した。自転車のシーンは、すべて下りだった。そもそも坂の多い長崎で自転車に乗る人間はいないのだが。最後まで空も(海も)入れない演出だった。
 35日間のロケ中、22日は深夜スタートだった。早朝なので、地元住民もロケに気づかないことが多かった。果物の差し入れなど、長崎人は「人がよい」!!
 映画の仕事は、いわば、お役所仕事と最も縁遠く、監督の感性とのつきあいだといえる。
 監督トークの後に、撮影監督とプロデューサーも交えたディスカッションが行われましたので、その模様もお伝えします。
 田中裕子さんの後姿を意識して撮影した。「長崎ぶらぶら節」、「解夏」など、毎年のように長崎ロケがあるけれども、「いつか読書する日」が最も長崎らしい映画だ。昨年の「キネマ旬報」では、ベスト3に入り、佐藤忠男氏の言ではベスト1だと。
 脚本はオリジナル作品で、カメラを持っての坂の移動は確かにたいへんだった。朝の光の当たり方もいろいろなので、苦労してフィルムをつないだ。少し暗すぎる部分もあったが。
 監督はビデオアシストはしないで、演出に力を入れた。早朝シーンは、数カットしか撮れないので集中した。静かな映画だが、スタッフは60人ほどだった。人から資金を預かって製作するので、損をしない映画をつくるが、他にはない作品をめざした。
 某監督によれば、緒方監督は、批判的な助監督だったそうだ。3~4月に長崎ロケを行い、その直後の5月に主演のお二人は「火々」のロケに入ったそうだ。故今村監督の言葉だと、ロケは戦場であって、節目節目で戦場になることが2,3度あり、それを乗り切るのがたいへんだ。
 05年6月の長崎先行公開では、1万人の観客を動員した。東京は7月公開だったが、ふだんは舞台挨拶に出ない田中裕子さんが長崎まで来てくれた。ネット情報よりも、新聞や雑誌の投稿で、いわば口コミ的に評判がひろがった。
 監督いわく、R-40作品で、近頃は若者向けの映画ばかりなので、それへの反発もあって、この作品をつくった。モントリオールでは、歳を重ねることは尊敬されることだと感じた。
 最近はビデオやDVDで見る場合が多いが、スクリーンで10伝わることが、半分ほどしか伝わらない。ロケで景色のよい場所ばかりを選んでいてはだめで、人より風景に観客の目が移ってしまうことがある。ストーリーや人物の感情を撮っているわけだから、風景に負けてはいけない。
 製作本数やスクリーン数の増加だけから、日本映画が復興したとはいえない。長崎上映後に、地元の方々から、ロケ地の問い合わせが多かった。ロケハンにはひと月以上かけて、長崎市内のすべての坂を見た。田中さんに手紙を渡す場面は、風景を入れたくなかったので、金網のある場所で後姿を撮った。ロケには、失われる風景を記録するという意味もある。もちろん、伝統ある景観が保存されれば、なお良いことではあるのだが。
 以上、文責は管理人にあります。

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2007年10月29日


2007年全国FC協議会沖縄大会報告
 今日は、今年の6月に沖縄県で開催された全国フィルムコミッション協議会総会の模様をアップします。
 まずは、日本映画「ドルフィン・ブルー」試写後のティーチ・インからです。
 試写後に開かれた監督とプロデューサーによる、ティーチインの模様です。
 プロ:昨年4月に撮影、シグロは21年目だが、ドキュメンタリー中心に約60本を製作してきた。86年に「読谷ザ沖縄」、90年に「老人と海」、その後に今帰仁で「風音」を製作した。
 この作品は、ノンフィクションをもとに映画化を原作本を出版した講談社とホリプロから持ちかけられた。それまでにも映画化の話があったが、水族館館長の強い意志で擬人化に反対だった。
 地元にゆかりのあるシグロが製作ならと許可が出た。そこで、製作委員会方式をとった。7月公開で全国100館規模だが、その後に自主上映を拡げていきたい。
 監督:美ら海水族館の絶大なる協力をいただいた。一月前から助監督が飼育員に、坂井・池内も1週間前から、松山も空き時間に獣医の勉強をした。今帰仁城での祈りの場面は地元FCの上間氏に紹介してもらった。世界遺産のバッファゾーンで、石垣をくずさないように番号を付けたりした。
上間氏:メイン・ロケは本部町だが、今帰仁も全面的に協力した。個人的にも、車両部の運転手から美術の裏方、ロケ弁の手配まで、いろいろとお手伝いした。
 前沢氏:よく作られている映画で、人に薦められる。役者が調教役をするのは、たいへんだったのでは!?
 監督:フジは、もともと芸をしないイルカだったが、やさしいイルカで、水中では動かせないので、時間との勝負だったが、一月で、クランクアップできた。餌付けもあるが、イルカとのコミュニケーションがよくとれたと思う。別れのシーンは、ワンテイクで撮れた。
 質問:昨年の「いつか読書する日」に続いて、同じ笠松カメラマンで、よく撮れていた。かつては、動物を虐待したりもした映画があったが、プロデューサーが水族館館長を説得したのか?
 プロ:館長には、撮影は乱暴なので、何が起こるかわからない、とは進言した。「風音」で、地元との信頼関係を構築できたことが、受け入れていただいた最大の理由だろう。
プロ:かつて「捕鯨に生きる」というドキュメンタリーを撮ったが、人間と鯨の関係をしっかり描きたいと思った。イルカをかわいいものとして擬人化するのではないという立場を理解していただいた。
 水族館側の決断が、我々にも伝わってきた。手術に使ったイルカの尾びれは本物で、それも水族館からホルマリン漬けにしたものなどを提供していただいた。
 イルカの撮影は手持ちなので、最新の高価なカメラを使った。ふだんのシグロは貧乏なので使えない機材だ。水中撮影は16ミリを使った。HDカメラでは細かすぎて映像がギラギラして薄っぺらに見えてしまうので、あえてザラザラ感を出すために16ミリカメラを使った。
質問:館長さんは、山崎努さんに似ているのか?
 監督:そっくりで、キャラはパクリなほどだ。
 プロ:老人役は、地元の区長さんにお願いした。舟を燃やすシーンは、ガスを使い、ゴミが出ないようにした。プロパン25個の浮き桟橋を作った。CGはいっさい使わなかった。リアル・ストーリーにCGを使うと、何でもありで映画の構造が壊れてしまう。ミチルの存在だけがフィクションで、彼女は沖縄のキジムナー(妖精)的存在だ。
 質問:実際にフジに会いたくなる映画だ。
 監督:監督自身がフジのように復活させてもらった(前作がこけたので)。うまくジャンプできたかどうかはわからないが。
 プロ:NHKの番組をつくった時の助監督だったが、前田監督の「子供の時間」のシナリオを読ませてもらったことが起用の理由だ。「陽気なギャング・・・」で、監督のがんばりがみえたこともある。
 以上で、ティーチインの紹介を終わりますが、文責は管理人にあります。

 続いて、ホストFCプレゼンテーション「沖縄フィルムオフィスと沖縄の撮影環境」の模様を、お伝えします。
 上間氏:今帰仁撮影支援隊は、個人的ボランティアで、「TAKESHIS」を今帰仁でロケ支援したのが、きっかけだった。
 ロケの通行止めとシーミー(清明祭)が重なり、地元民から苦情がきたこともあった。エキストラが沖縄タイムで、なかなか集まらなかったりもした。名護の大学にエキストラ動員をお願いし、大量に確保することができたこともあった。
 ロケに使われたビーチは、地元民の夕涼みの場でもあるので、ロケが増えると迷惑になる。将来は観光協会を設置して、その中で活動したい。
 金城氏:「涙そうそう」へ沖縄市観光協会が支援した。それ以前の映画では「はるかなる甲子園」へ支援したことがあった。最近では「チェケラッチョ」にも支援した。
 「涙そうそう」では、撮影隊が宿泊したので、市への直接経済効果は5000万円にのぼった。50名ほどのロケ地ツアーも実施した。
 「チェケラッチョ」では、市外のロケが多く、エキストラの対応がむずかしかった。将来はフィルム・コミッションを独立させて、音楽によるまちづくりともリンクさせたい。
 西銘氏:石垣島FCで、「パッチギ2」や「恋しくて」といった大作のロケを行った。FCは、2004年6月に市観光課内に設立された。まだ、HPもなく、PRは足りないが、沖縄FFからの照会よりも、直接連絡のほうが多い。
 「恋しくて」は、昨年7~8月の一ヶ月ほどロケをしたが、ラストのエキストラは3000人だった。雨が多かったので、市長の出番の撮影が遅れた。石垣市内でロケしたが、ロケ地の問い合わせも多い(那覇の桜坂劇場で、大ヒット上映中!!)。
 「パッチギ2」は、ヤップ島のシーンを石垣島で撮影した。新空港予定地のカラ岳山ろくでロケしたが、さんま出演のテレビドラマ「サトウキビ畑の唄」も、そのあたりでロケした。地域のキーパーソンと連携した県全体としてのFCの活動が必要となろう。
 フォトオフィス大田代表:県内で、ロケ・コーディネート会社が20社ほどある。FCができて、やりにくくなったところもある。FCのネット情報が増えて、立会いなしの撮影が多くなった。
 それによって、撮影禁止場所が増えてきた。県FFでも、大事なロケ地の写真を削除している。地元の方々と環境への配慮をよく考えて、ロケをされるみなさんには行動してほしい。
 昨年はひとりで43件に対応した。ロケ大県だが、全体的まとなりに欠ける。外国人クルーを受け入れる会社は、自分のところがほぼ唯一で、米英・イスラエルなどの実績がある。海外からのコメントとしては、物価が高いと、よく指摘される。
 以上の文責は管理人にあります。
 最後に、全国FC協議会総会での記念講演&トークセッション「インターナショナル・フィルム時代のFC」の模様をお伝えします。
 井関プロデューサー:ツイ・ハーク作品の「ミッシング」を与那国島で撮影し、この年末に完成の予定だ。沖縄FFに協力を依頼した。先ほど流したのは、カンヌ映画祭で上映したプロモーション・ビデオだ。
 映画は安くつくると画面に現れる。そのクオリティー確保の判断がプロデューサーの仕事になる。
 ツイ・ハークはアイデア豊富だが、其の分わがままで、プロデューサーがコントロールしにくい監督だ。監督は当初、言葉の点で台湾のダイバーを連れてきたが、技量面で沖縄のダイバーを使うことになり、台湾の撮影にも同行した。
 中国では、来年の旧正月に上映の予定だが、不条理なホラー映画は検閲を通らないので、内容はかなり変わるかもしれない。
祷プロ:かつての地方ロケで役に立ったのは地元名士だったが、今のFCは温度差がある。高岡大仏の撮影で、ひともめしたことがあった。また、八丈島は東京都なので、潤沢なためか全く協力してくれなかった。
 FCの人たちはロケが終わった後の見送りでホッとした顔をするが、映画は公開されてナンボの世界だ。「フラガール」のいわき市は一体となって対応してくれ、地元の福島県で大ヒットした。地域活性化とは、人がやってくることだと思う。
 瀬川氏:一日に数百人が利用するマエダ岬のダイビング・スポットでの撮影許可を苦労してとったのに、監督からキャンセルされた。本島での撮影は一日だけで、それも午前2時までのはずが、朝までかかって、現場からはブーイングだった。
 祷氏:ヤップ島や八丈島でロケハンしたが、全てを受け入れてくれた石垣島に決めた。12月27日までに撮影が終わらないと、年末年始のチケットが取れず、帰れなかった。初日が雨で撮影できなかったが、後は降らずに助かった。
 井関氏:祷氏のように現場に出るプロデューサーと出ない人では全くちがう。
 前沢氏:東京近辺のFCと遠方のFCとでは役割がちがうが、制作会社の温度差のほうが大きいのではないか?
 以上、文責は管理人にあります。

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2007年10月30日


仙台映画週間FCセミナー報告
今日は、07年9月21日に開催された、第4回せんだい宮城フィルムコミッションセミナーに参加した報告をアップします。
 FCからは、昨年に東京で開かれたロケ地フェアに、若松監督(宮城県涌谷町出身)が参加され、来年に公開予定の連合赤軍を描いた映画の大崎市でのロケが決まったことの紹介や、「アヒルと鴨のコインロッカー」の撮影では、ラッシュを避けて、午前5時からエキストラを交えての仙台駅ロケが行われたエピソードや、エキストラボランティア制度は2003年9月にNHK朝ドラ「天花」の放送を前にスタートし、その効果もあって、あっという間に900人の登録があり、今は1500人にのぼることも紹介された。
 また、実際に「天花」のエキストラを経験された方から、七夕のシーンが10月の撮影だったので、夏服で参加し、一こまを撮るのに、たいへんな労力をかけていることを実感し、県庁前で夜に不良にからまれるシーンにも参加したことが紹介された。
 細倉鉱山からは、1987年に閉山したが、過疎の老人の町が元気になってほしいという願いから「東京タワー」のロケ地を引き受け、まず「フラガール」のスタッフがロケハンに来て、そこから「東京タワー」のスタッフに情報が伝わり、監督たちがロケハンに来たそうで、工事関係とエキストラは地元でと要請したそうだ。鉱山の住宅には、ガラス戸やふすま、障子など、昭和30年代の風景が残っているし、周囲に高層ビルなどが写りこむこともないので、セットでは表現できない奥行きと広がりが得られたと制作側からのコメントがあった。100人ほどの若いスタッフと地元の交流があったが、ロケ地の保存は法律のしばりなどから、お金と時間がかかり、とりあえず来年3月まで保存することになっている。
 東北学院大からは、「アヒル・・・」のロケに、大学の広報活動の一環として協力し、大学生の物語なので、問題なくロケが実現したとのことで、プロの手によってきれいに撮れており、大学に対するイメージが向上したし、学生のエキストラも喜んで協力した。ただ、撮影時間が長引くと、大学という性格上、深夜までは撮影できない事情もあり、また禁煙スペースの問題などが課題となったし、ロケ地見学にも多少の制約があることが紹介された。
 ロケバスを提供した国際観光からは、1ヶ月間のロケバスの提供は初めての経験で、ドライバーは、延べ200人近くになり、約200箇所を回ったので、コマーシャル効果はあり、始めてみると、楽しいことも多かったことなどが紹介された。
 なお、以上の文責は管理人にあります。


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2007年10月31日


韓国インディペンデント映画2007パネルディスカッション報告
 8月25日に渋谷で開催されたパネルディスカッションの模様をお伝えします。
 トニー・レインズ:06年は2大ヒット作(「王の男」&「怪物」)があり、韓国映画には、良い年となった。しかし、07年は危機となり、韓流がアジアで終焉を迎えつつあり、韓国国内でも映画へのサポートが弱体化している。
 ただ、個々にはうまくいっているものもあるので、ノーマルな状態に戻ったというべきか。制作費や人員の削減、クウォーター制度が観客減につながっている。もし、大ヒットが生まれれば楽天的になるかもしれず、その候補として、キム・ジウン監督、ソン・ガンホ主演の「ウエスタン」があげられる。
 このような商業映画の動向が、インディーズには、どのように影響しているのか?
 ファン・チョルミン監督:直接的な影響はないといえる。独立映画は、映画市場との関わりはないので。だが、商業映画も活発であってほしい。単純なものではなく、構造的危機といえるが、今の対応は、その場しのぎで、観客は魚のようなものにたとえられ、これまでの韓国映画は、うまく網をはってきたが、それがずれてきたようだ。
 日本は観客の望みより少し高いところに制作の意図があり、それが少し低いところに網をおろすようになった。韓国の20~30代が日本映画に関心を持ち始め、より高いレベルに移ってきている。
 キム・サムリョク監督:監督は今回の作品が始めてだが、インディーの世界に入って10年になる。90年代の韓国映画は100万人が入れば、大ヒットだった。もともとパイが小さい。パイが小さくなると、インディー映画にも何らかの影響があると思われる。大手映画会社のサイダスも、制作費を50億から40億ウォンに削減した。
 キム・ミョンジュン監督:商業映画の撮影スタッフからスタートした。5・6年働いたが、当時は芸術性も追及した。また戻ろうとしても無理な厳しい現状だ。今の監督は興行能力が要求されている。そうなると、どこに重点を置くかが変わってくる。
 「ウリハッキョ」の成功のひとつは特別な興行戦略にある。自主上映の成果を劇場主にみせた。商業映画のプロデューサーも、この公開方法に関心を寄せている。資本の論理で進めてきた商業映画が突破口を模索している。
 ファン監督:前作「スパイするカメラ」の製作に5年かかった。制作費支援の工面で時間がかかったので、その反省もあって今回はシナリオも用意せずに1ヶ月で撮影した。
 ヨーロッパで映画を学び、韓国で活動して10年になるが、インディーでも売れなければ投資は集まらない。でも、これからも、インディーを続けたい。
サムリョク監督ー資本から独立しているのがインディーだが映画は資本の産物だ。この作品は百人以上が出演して10年がかりになった。ディテールには多くの人材と技術が必要で、インディーをつくるのは楽しいがディテールは省略せざるをえない。2億ウォンの制作費をペイするには6000人の観客が必要だ。今回の映画への自分の経験度は95%だ。
 キム・ミョンジュン監督ー商業映画には戻りたい。インディーとはまたちがったおもしろさがあるので。
 インディーの制作を通じた在日コリアンの方々との出会いで、人生が180度変わった。今後は、日本・韓国・北朝鮮と在日の交流を深めるようなテーマで作品をつくり続けたい。商業映画になるかインディーになるかは不明だが。
 「ウリハッキョ」の韓国での自主上映は、日本での方法とあまり変わらない。数年前に「送還」が劇場公開の後に韓国各地で自主上映が続けられた。その経験に基づいたが、今の韓国のシネコンで、インディーの長期上映は困難だ。
 それで、まず釜山国際映画祭での上映後に、市民団体に映画をもっていって、ネット上で高い評価をいただき、それを劇場の説得に使った。劇場側も、自主上映との同時進行を了解してくれた。
 劇場で3万5千人、自主上映で4万5千人入り、うち1万人は日本での自主上映だ。
 入場料の数%を朝鮮学校に寄付することとし、韓国で見た80%が学校の先生で他にNPOも影響力のある14地域で自主上映してくれた。今年の末に日本で劇場公開の予定があるために、DVD化はその後になるだろう。
 以上で、パネルディスカッションのまとめを終わりますが、文責は管理人にあります。

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2007年8月の日記

2012年02月29日 | 日記
2007年08月14日

本の過去ログ移転
記事番号 3  編集
書籍名 韓国の智慧   カテゴリー 紀行・エッセイ    
著者名 朴洪二   発行年(西暦) 2005  
出版者 新風舎   値段 1500-2000円  
投稿日時 2006/03/15 16:36 本のサイズ 選択してください
感想 感動度 実用度 娯楽度 ファッション度 難易度
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
 副題に「経かたびらにはポケットがない」とある。本書は、いわば教訓集のような内容で、独特の韓国哲学を平明に語った内容となっている。個人的には、さほどおもしろいとも思わなかったのだが、訳者が山形大学工学部名誉教授の高橋寛氏であることから、ここで紹介させていただいた次第である。
 著者は、韓国ソウルにある延世大学物理学科の教授であり、訳者は力学専攻とのことで、接点があったようだ。また、訳者は、2003年9月から半年間の韓国慶北大学客員教授を勤められた際に、本書との出会いがあったという。
 我が山形大学にも、韓国の書物を翻訳された教員がおられたことに敬意を表したい。






記事番号 2  編集
書籍名 箸とチョッカラク     カテゴリー 語学         
著者名 任英哲・井出里咲子   発行年(西暦) 2004  
出版者 大修館書店   値段 1500-2000円  
投稿日時 2004/10/28 18:11 本のサイズ 選択してください
感想 感動度 実用度 娯楽度 ファッション度 難易度
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
 副題に「ことばと文化の日韓比較」とあるように、日韓の言語学の専門家ふたりが、日本語と韓国語のちがいを通して、比較文化論を展開している。といっても、専門書ではなく、一般向けの記述となっており、たいへん興味深く読破できた。
 たとえば、日本人は過去にこだわる「反復確認型」、韓国人は未来指向の「一回完結型」、日本語の敬語は「相対敬語」、韓国語は「絶対敬語」というように、わかりやすいたとえが多く使われていて、理解を深めやすい。
 日韓の文化のちがいそのものは認識していても、それが言語学の上から、このようにみごとに説明できるとは、まさに目からうろこが落ちる思いがした。韓国文化に関心を持つ多くの日本人に一読を薦めたい。






記事番号 1  編集
書籍名 帝国日本と植民地都市     カテゴリー 日本史        
著者名 橋谷弘   発行年(西暦) 2004  
出版者 吉川弘文館   値段 1500-2000円  
投稿日時 2004/10/28 18:09 本のサイズ 選択してください
感想 感動度 実用度 娯楽度 ファッション度 難易度
☆☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
 日本の植民地支配にともなって形成された都市を論じた書物であり、日本の植民地都市の全体像を比較検討した視点は評価されよう。
 まず、植民地都市を3類型に分類し、新たな都市形成がみられた都市(韓国では仁川や釜山)を第1類型、伝統的都市と植民地都市の二重構造(韓国ではソウル)を第2類型、既存の都市と植民地都市が並存(韓国にはなく、満州国にみられた)の第3類型にわけて、議論が進められている。
 その中で、日本の植民地支配の特徴を浮き彫りにし、本国との同質性が指摘されるが、それは西欧の植民地都市にはみられないものであった。
 また、近代建築という面から、植民地都市を論じているのも、興味深い。ただ、ソウル駅の建築についても論じてほしかったし、朝鮮総督府の解体が1993年からと数箇所で記されているのは不可解だ。1995年8月15日をもって、解体が始められたものと認識していたのだが、1993年とする理由を示してほしいものだ。
 全体的には、日本の近代とは何か、を問う意欲作として、一読をおすすめしたい。




2007年08月16日


山形大学の8月15日国旗掲揚に抗議する!!
 我が山形大学では、本部の置かれている山形市小白川キャンパスの正門に、この数年、8月15日に国旗が掲揚されている。
 そして、昨日もまた、国旗が掲揚された。この大学にとって、8月15日は祝日であるのだろうか!?
 多くのアジアからの留学生を抱える大学として、また、まもなく国連大学グローバルセミナーを開催する大学として、恥ずかしくないのだろうか!?
 ここに、一教員として、このような大学の方針に、断固として抗議するものである。

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2007年1月の日記

2012年02月29日 | 日記
2007年01月17日

韓国映画にみる南北分断と和解の動向
  はじめに
 報告者は、過去数回のJSA総学の場で、朝鮮半島の平和に関する報告を継続して行ってきた。依然として、朝鮮半島は最後の分断国家のままであり、その情勢も一進一退ではあるが、日本における安倍政権の樹立とも関わる朝鮮半島へのバッシングとはうらはらに、金剛山観光や開城工業団地の造成など、着々とした南北和解をめざす事業が進展しつつあることは事実である。
 そのような近年の朝鮮半島情勢を、韓国映画の表現を通して考察することが、本報告の目的である。

  文民政権の樹立と韓国映画の表現の自由
 1993年の金泳三大統領の誕生によって、軍事政権は終焉し、韓国映画も表現の自由を取り戻した。検閲制度の廃止までには、しばらくの時間を要したが、たとえば「ホワイト・バッジ」のような、韓国軍が参戦したベトナム戦争を告発する映画が、文民政権樹立の前後に公開されている。全斗煥と盧泰愚元大統領がともに、ベトナム参戦で名をあげた軍人であったことからも、この映画が公開された意義は大きいといえよう。

  民主化以降の韓国映画の発展
 金泳三政権は、一方で1995年の独立50周年を期して、植民地支配の象徴であった朝鮮総督府の建物を解体するなど、民族主義的な政策も推進したが、韓国映画においても、伝統文化を再評価する動向が現れはじめた。
 その代表が、1993年に、それまでの観客動員記録を更新した「西便制」であり、この映画は韓国の伝統音楽である、パンソリを題材とした内容であった。この大ヒット以降、ハリウッド映画に押されていた韓国映画は活気を取り戻し、財閥資本による映画製作も始まったが、それは1997年末からの国際通貨危機で終焉を迎えた。IMF危機の直前に、サムソン財閥の投資によって製作された作品が「シュリ」であったが、ハリウッド並みのアクションを折りこみ、南北分断の悲劇に切り裂かれる運命の愛を描いた、この映画は観客動員記録を大幅に塗り替える大ヒットとなった。
 IMF危機の最中に誕生した金大中政権は、国内産業の奨励策の一環として、映画産業に多額の補助金を出したこともあって、韓国映画は海外に輸出され、外貨を獲得する産業に成長した。
 そのような中で製作され、「シュリ」の記録に肩を並べたのが、やはり南北分断を軍人の立場から描いた「JSA」であり、それらの記録を2003年末から2004年春にかけて、相次いで更新したのも「シルミド」、「ブラザーフッド」といった南北分断をテーマにした映画であった。

  最近の韓国映画の動向
 2005年夏に韓国で公開され、その年で最大のヒット作となったのは「トンマッコルへようこそ」という、ファンタジックな南北分断映画であった。この作品は、「シュリ」以来のリアルな南北分断映画とは一線を画した内容となっており、米軍兵士も登場するという設定は、もっぱら南北に分かれた民族しか描いてこなかった従来の表現とも異なる描写を含んでいる。
 ところで、2006年の正月映画で、「ブラザーフッド」の記録を更新した「王の男」は、朝鮮王朝時代の暴君として知られた燕山君を新たな視点から描いた時代劇であり、いわば「西便制」以来の伝統文化への回帰とも受け取れるが、韓国映画の多様性を開拓した作品といえよう。「トンマッコル」とともに、スター俳優に依存しない映画が大ヒットしたことでも特筆される。儒教文化では忌避されてきた同性愛的内容が支持された点でも、革新的であった。
 その一方で、2006年夏に公開され、「王の男」の記録を早くも更新した映画「怪物」(日本公開タイトルは「グエムル」)は、怪獣映画というよりも、社会の底辺に生きる家族や、米軍基地問題、さらには反米民主化運動を暗示した現代ものであり、この映画が韓国の若い世代に熱狂的に支持されたことは、マスコミで伝えられるような韓国の若者の保守化が、けっして一枚岩ではないことを物語るものといえよう。
 それに対して、このような基盤に乏しい日本での公開がかんばしくなかったことは、ある意味で想定内の結果であったともいえ、宣伝面でも「怪獣」映画と謳わざるをえなかったのはやむをえない。

  最近の韓国映画にみる南北分断
 「トンマッコル」のヒットについては、先に触れたが、2006年5月に韓国で公開された映画「国境の南側」は、前評判にもかかわらず、あまり多くの観客を動員することはできなかった。この映画は、いわゆる脱北者を描いたものであり、南北分断をいわば日常生活のレベルでとらえた内容であったが、従来からマスコミでしばしば報道されてきた題材であり、新鮮味に欠けたことが、ヒットに結びつかなかったのであろうか。南北で切り裂かれた男女の悲劇を描きはしたものの、「シュリ」のような斬新さ、大胆さに欠けたことが人気を得られなかったのかもしれない。
 2000年の南北首脳会談以降、上記の他にも、いくつかの南北分断映画が製作されはしたものの、ヒットに至らなかったものもある。ある意味で、テーマとして陳腐化した面もあるといえようか。韓国映画において、南北分断が大ヒットに直結する題材であった時代は終わったともいえよう。

  終わりにー韓流ブームと南北分断
 日本では、2002年の日韓Wカップ共催の終了後に、いわゆる韓流ブームが到来したが、その流行は偶然ではなく、1988年のソウル五輪前後の第1次韓国ブームに続いて、日韓Wカップ共催が決まって以降の第2次韓国ブームが基礎を支えたものであることは疑いない。   
 ただ、日本における韓流ブームは、いわばタレント至上主義におちいった問題点が残り、けっして朝鮮半島問題全体への理解が深まったとはいいきれない面を有している。
 報告者は、日本における韓流ブームは「冬のソナタ」に始まり、「四月の雪」で終焉を迎えたと理解しているが、日本が積極的に出資したタレント主義的韓国映画は、韓国でも日本でも大ヒットには至らないという現実が露呈しはじめている。
 しかし、韓流ブームが、従来は朝鮮半島問題に最も縁遠かった中高年女性層を引き付けたことは事実であり、彼女たちの関心をいかにして、客観的な朝鮮半島情勢に向けさせることができるかどうかが課題となろう。
 ただ、残念ながら、2006年夏の北朝鮮のミサイル発射に際して、日本のマスコミのみならず、革新政党までもが、当初は翼賛体制的反応を示したのは遺憾であった。北朝鮮が国際的に厳しい状況に追い込まれていることは確かではあるが、まだまだ、その体制が簡単に崩壊するようなことは考えにくく、日本が北朝鮮を「テロ国家」視するアメリカ盲従的政策を取り続ける限り、東アジアの平和への道は遠いと言わざるを得ない。
 日本の取るべき道は、戦後責任を戦争被害者が存在しなくなるまで引き伸ばすことではなかろう。
 以上は、2006年12月の日本科学者会議第16回総合学術研究集会予稿集に掲載したものに、一部修正を加えました。


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2006年7月の日記

2012年02月29日 | 日記
2006年07月27日

韓国の博物館10 国立中央博物館
 2006年7月のソウルツアー時に、2005年秋に開館した、国立中央博物館を訪問することができた。
 この博物館を見学した回数は数え切れないほどだが、その建物は4度にわたって移動している。最初の訪韓の1983年には、景福宮内にある現在の国立民俗博物館が、中央博物館として使われていた。その後、80年代後半に旧朝鮮総督府の建物に移転するが、1994年の2度目の訪韓の際には、この歴史的建造物の内部をも含めて見学することができた。1995年8月に、この建造物が取り壊されたのは、歴史的景観保全の意味からして残念であった。
 その過程で、中央博物館は、総督府の脇にあった事務棟に暫定的に移転するが、龍山家族公園内への新築移転が進められ、今回は、その新しい中央博物館を見学することができた。この地もまた、植民地支配下で、日本軍基地となった場所であり、戦後は米軍基地となっていたものが返還されて、ようやく平和利用となったものである。
 さて、博物館の全体像は、まさに巨大な展示館を構成している。東館の展示館の1階は考古館と歴史館、2階は美術館Ⅰと寄贈館、3階は美術館Ⅱとアジア館から成るが、それぞれの展示館は10ほどの展示室から構成され、ざっと見学するだけでも、たっぷり2時間を要した。展示館の内部は吹き抜けになっており、そこには古代の巨大な石塔が展示されている。展示そのものは、壁面埋め込み展示が主体で、やや見づらい感もあった。
 一方、西館には、1階に二部屋の企画展示室と子供博物館、それにレストランとミュージアムショップがあり、2階には図書館と劇場「龍」(3階も占める)が配置されているが、残念ながら、西館までは見学する余裕がなかった。この劇場では、この正月映画として大ヒットした「王の男」の原作となった演劇がリバイバル上演されたそうだ。我々の訪問時は学校の夏休み(韓国では、6月末~8月末まで)だったので、子供向けの劇が上演されていた。
 もうひとつ、気にかかっていたことは、大学時代の同級であった、故千野香織氏(前学習院大教授、元東京国立博物館学芸員)の寄贈品が収められているのを確認したかったのであるが、幸い、クロークに日本語の達者な老婦人がおられて、彼女の蔵書が図書館に寄贈されていることを知ることができた。
 なお、休館日は毎週月曜日と元旦で、開館時間は午前9時から午後6時(土日祝日は7時)まで、入場料金は一般個人が2000ウォンだが、毎月第4土曜日は無料開放されている。交通は、ソウル地下鉄4号線二村駅から徒歩5分。

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2006年4月の日記

2012年02月29日 | 日記
2006年04月19日

山形フィルム・コミッションでエキストラ募集中!!
昨年、山形市にフィルム・コミッションが誕生しましたが、近々、映画とドラマの撮影があるそうで、エキストラを募集中とのことです!!
 希望される方は、下記のフィルム・コミッションのサイトから、エキストラ登録をお願いいたします。
 では、以上、お知らせまで。

 http://www.fc-yamagata.jp/


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2005年11月の日記

2012年02月29日 | 日記
2005年11月11日

東北合同民俗研究会のご案内
毎年東北各県持ち回りで開催している民俗学合同研究会を岩手県遠野市で開催します。どなたでも参加できます。懇親会に参加されたい方は12月3日までにお知らせください
=============================
1.テーマ 「民俗と観光」
2.場 所 遠野市立博物館視聴覚ホール TEL0198(62)2340
3.日 時 平成17年12月10日(土)~11日(日)
4.参加費 300円(資料代)
5.日 程 
 12月10日(土) 
  12:30     受付開始
  13:00~13:15 開会の挨拶
  13:15~14:00 基調講演「遠野の民俗と観光」
           東京学芸大学教授・遠野市立図書館博物館長 石井 正己 
  14:00~14:25 ①研究発表「青森ねぶたの変容」青森県民俗の会 清野 耕司 
  14:25~14:50 ②研究発表「祭祀儀礼日の変容と観光」秋田民俗学会 齋藤 壽胤 
  14:50~15:15 ③研究発表「さんさ踊りについて」岩手民俗の会 大石 泰夫 
  15:15~15:25 休憩
  15:25~15:50 ④研究発表「長野県戸隠高原の30年~信仰と観光のはざまで」
             山形県民俗研究協議会 岩鼻 通明 
  15:50~16:15 ⑤研究発表「観光と民俗-仙台市の都市祭礼をめぐって」
                 東北民俗の会 中富 洋 
  16:15~16:40 ⑥研究発表「いわき市のじゃんがら(念仏踊り)と観光~舞台化をめぐって」
                福島県民俗学会 太田 史人 
  16:45~17:00 今後の合同研究会についての話し合い
  17:00~17:30 遠野の昔話をきく
  18:00~20:00 懇親会(一力・会費5000円)

12月11日(日)  
9:00~11:00 総括シンポジウム「民俗と観光の可能性を考える」
コーディネーター 東京学芸大学教授・遠野市立図書館博物館長 石井正己、
パネリスト    遠野物語研究所研究員 佐藤誠輔、ほか岩手県内民俗研究者2名
(お問い合わせ)
遠野市立博物館(いわて土俗懇話会事務局) 前川さおり
 TEL0198(62)2340/FAX0198(62)5758
saori@city.tono.iwate.jp




2005年11月28日


「山形民俗」19号刊行!!
 この度、「山形民俗」19号が発刊となりました。目次は以下の通りです。
筒井裕「昭和期における鳥海修験者の調製と配札」
村山正市「神憑りと祈祷・託宣ーある人物の例を見てー」
大友義助「鮭川歌舞伎について(一)」
菊地和博「獅子踊りと鎮魂供養」
市村幸夫「山形石工と秘伝帳」
武田正「昔話「語り」の民俗ー伝承の装置ということー」
岩鼻通明「韓国映画に描かれた民俗文化」
渡辺信三「享和二年の近火見舞受納帳」

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