淡く清楚だった「薄紫の少女」が、濃厚妖艶な「紫の女」へとその姿を変えた。
こうして、時は自然の姿を刻々と変えてゆくというのに、還暦プラス・ツーとなった番頭さんの姿は、一向に代わり映えがしない。
腰痛はかなり回復して、起き抜けに腰痛ベルトの装着を忘れるほどになった。
ところが、風邪の方は一向に治らず、夜になると相変わらずひどい咳に苦しめられている。
これは、鼻づまりで口を開けるために喉が渇くという悪循環のなせる業なのだが、咳のせいで睡眠が途切れて、これが翌日の寝不足を招く。
幸いなことに、熱や頭痛はないとはいえ、腰痛がひどかったときと同様に体の動きが鈍く、頭はぼんやり、ついでに目もかすむという情けない有り様なのだ。
腰を傷めたのが確か先月の末だったから、もうひと月もこんな日が続いている。
なんだかなあ。
*
喜ぶべきことも、あるにはあった。
つい先日、久しぶりに散髪をして、すごい「ハンサム」になったのである。
いや、もともとハンサムなのだと自分では思っているのだけれど、嫁のラーに言わせれば、散髪をした直後にのみ私はすごいハンサムになるのだそうである。
その証拠に、タイ式で遠慮会釈なく襟足やもみあげをバリカンで刈り上げられた私の姿を見る彼女の目は、潤んだようにうっとりとして見える。
昨日まで、「まるで鳥の巣みたいだ」と攻撃していたときの目とはまるで違うのである。
だが、1週間もすれば私は全然ハンサムではなくなり、これがひと月もすると、また呵責のない「鳥の巣だ」攻撃が始まるのだ。
従って、毎日毎日散髪に行けば、毎日毎日「ハンサムだ」と褒めてもらえるのだろうけれど、まさかそういうわけにもいかない。
ちなみに、無精な私が散髪をするのはだいたい3ヶ月おきぐらいである。
従って、ハンサムになるのは年に4回ほど。
嫁と知り合ってから7年になるから、これまでにハンサムと認知してもらえたのは通算でもわずか28回ということになる。
これは、かなり虚しく切ない数字だとは言えまいか。
いったい、彼女の審美眼とはいかなる基準、いかなる体験によって培われてきたものであるのか。
散髪をするたびに、異文化の衝突にもだえ苦しみ、かつ人生の深遠に呆然たる眼差しを向ける番頭さんなのであった。
*
それにしても、嫁の審美眼と同様につかみどころのない天気である。
朝のうちにこんな青空が広がったかと思えば、西の山から薄い雨雲が急速に流れてきて、それを覆い隠す。
干したふとんをあわてて取り込めば、それを嘲笑うように雨はなかなか降らない。
またもや晴れ間が広がり、ふとんを干せば、すぐさま黒雲が太陽を覆う。
なんだか、天にからかわれているみたいだ。
まったく、もう。
仕方がない。
気分を変えて、29回目のハンサムにでもなりに行ってこようかなあ。
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