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ここ数日、夜寝る前にちょっと聞いているクラシックの曲がある。
シェーンベルク作曲 弦楽六重奏曲 《浄夜》 作品4 がそれだ。
今年の春はなんだか悲しい。
変に暑かったり、雨が多かったり。
春っていうのはもっと気持ちが良くなくてはダメだ。
世界で起きている自然災害には<明日はわが身>という不安感が消えないし、国内の事件事故といえば自殺や猟奇的な殺人などが新聞やTVを連日賑わせている。
地球のどこかにガタが来て、人心のどこかにすさんだ風が吹く。
夜寝る時もなんだか漠然とした一抹の不安感にさいなまれることがある。
幸いにも自分は寝つきが早く5分ともたずにノン・レム睡眠に入るので、そんな不安感はすぐに睡魔で消えて行くが、布団に入る前には音楽を軽く聴き、ちょっとのシングルモルトで気持ちをほぐすことをしばしばする最近である。
僕にとって夜のBGMの最高峰はマイルス・デイヴィスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」であることは疑いも無いが、そればかり聴いているということではない。
ロックのバラードもいいし、ちあきなおみ もいい。
そしてクラシックの中から単発で抜き出して聴きもする。
今日はそのクラシックの選曲から表題の曲を選んだ。
シェーンベルクはワーグナー、マーラーと続く後期ロマン派の作風から「無調・12音音楽・セリー技法」へと新しい音楽の世界を切り開いた作曲家だ。
この《浄夜》は彼が25歳の時に書いた彼の諸作中極めてポピュラーな1曲で後期の複雑
怪奇な響きの音楽(いわゆる現代音楽)とは異なる比較的に分かり易い(耳になじみ易い)音楽だ。
基本的にこの曲の楽器編成はヴァイオリン2、ヴィオラ2 そしてチェロ2なのだが、オーケストラの弦楽器パートで演奏される弦楽合奏版もある。
しかしこの曲は非常に精緻な音の響きを楽しめるため、ロマンティックにむせかえるような響きの弦楽合奏よりもより室内楽的な六重奏を僕は好んで聴いている。
《浄められた夜》が邦題だが、この曲は標題(プログラム)の付けられた室内楽で、そのプログラムは近代ドイツの詩人リヒャルト・デーメル(1863-1920)の詩集「女と世界」(1896年)の中の「浄夜」によっている。
昔から僕はこの詩が大好きで、音楽と共に鑑賞している。
ここにその詩を意訳したものを載せておこう。
音楽においては単一楽章だが性格を異にする5つのパートで構成されている。
<浄 夜>
(1部)
男と女が月に照らされた寒々とした森を歩いていく。
月がその歩につきそい、二人を見おろしている。
いま月は高いカシの木の梢にかかり、
空は澄み渡り、一片の雲も無く、
黒い木の梢がまるで空につきささっているようだ。
女が一人、語り始める・・・
(2部)
子供がお腹の中にいます。
でもあなたの子ではありません。
私は罪に苦しみながらあなたと歩んでいるのです。
私はひどい過ちを犯してしまったのです。
もう幸福など信じはしませんでしたけれど、
それでもどうしても激しい憧れを断てなかったのです。
子供を生むこと、母となる喜びとその義務を。
それで思い余って見知らぬ男にわが身を委ねてしまったのです。
それでも満ち足りた思いをしたのでした。
ところが人生はなんという復讐をするのでしょう。
今になって私はあなたに、ああ あなたにこうして巡り会ったのです。
(3部)
女はおぼつかない足取りで歩む。
女は空を見上げる。月が共についてくる。
女の暗いまなざしは月の光に溺れ死ぬかのよう。
男が語る・・・
(4部)
君の授かった子を君の心の重荷にしてはいけない。
ほら見てごらん、辺りはなんと明るく輝いていることか!
僕と君の間には、心のあたたかさが行き交っている。
何もかもが輝きに包まれているのだ。
君は僕と共に冷たい海の上を漂ってゆく。
でも心の温かさが行き交いしている。
君から僕へ、僕から君へと。
この温かさがお腹の子を浄めてくれるだろう。
君はその子を、僕のため、僕の子として産んでおくれ。
君は僕の中に輝きを運び、
この僕をすら子供に変えてしまった。
(5部)
男は女の厚く張った腰に手を回す。
二人の息は温かく交じり合う。
男と女は明るく高い夜空の中を歩んでいく。
リヒャルト・デーメル 詩集「女と世界」より“浄夜”
なんという官能美。むせかえるような情念のほとばしり。女の独白に続く男の大きな愛情と包容力。そして美しい月夜・・・。
時々たまらなく聴きたくなる衝動に駆られる音楽なのだ。
シェーンベルク作曲 弦楽六重奏曲 《浄夜》 作品4 がそれだ。
今年の春はなんだか悲しい。
変に暑かったり、雨が多かったり。
春っていうのはもっと気持ちが良くなくてはダメだ。
世界で起きている自然災害には<明日はわが身>という不安感が消えないし、国内の事件事故といえば自殺や猟奇的な殺人などが新聞やTVを連日賑わせている。
地球のどこかにガタが来て、人心のどこかにすさんだ風が吹く。
夜寝る時もなんだか漠然とした一抹の不安感にさいなまれることがある。
幸いにも自分は寝つきが早く5分ともたずにノン・レム睡眠に入るので、そんな不安感はすぐに睡魔で消えて行くが、布団に入る前には音楽を軽く聴き、ちょっとのシングルモルトで気持ちをほぐすことをしばしばする最近である。
僕にとって夜のBGMの最高峰はマイルス・デイヴィスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」であることは疑いも無いが、そればかり聴いているということではない。
ロックのバラードもいいし、ちあきなおみ もいい。
そしてクラシックの中から単発で抜き出して聴きもする。
今日はそのクラシックの選曲から表題の曲を選んだ。
シェーンベルクはワーグナー、マーラーと続く後期ロマン派の作風から「無調・12音音楽・セリー技法」へと新しい音楽の世界を切り開いた作曲家だ。
この《浄夜》は彼が25歳の時に書いた彼の諸作中極めてポピュラーな1曲で後期の複雑
怪奇な響きの音楽(いわゆる現代音楽)とは異なる比較的に分かり易い(耳になじみ易い)音楽だ。
基本的にこの曲の楽器編成はヴァイオリン2、ヴィオラ2 そしてチェロ2なのだが、オーケストラの弦楽器パートで演奏される弦楽合奏版もある。
しかしこの曲は非常に精緻な音の響きを楽しめるため、ロマンティックにむせかえるような響きの弦楽合奏よりもより室内楽的な六重奏を僕は好んで聴いている。
《浄められた夜》が邦題だが、この曲は標題(プログラム)の付けられた室内楽で、そのプログラムは近代ドイツの詩人リヒャルト・デーメル(1863-1920)の詩集「女と世界」(1896年)の中の「浄夜」によっている。
昔から僕はこの詩が大好きで、音楽と共に鑑賞している。
ここにその詩を意訳したものを載せておこう。
音楽においては単一楽章だが性格を異にする5つのパートで構成されている。
<浄 夜>
(1部)
男と女が月に照らされた寒々とした森を歩いていく。
月がその歩につきそい、二人を見おろしている。
いま月は高いカシの木の梢にかかり、
空は澄み渡り、一片の雲も無く、
黒い木の梢がまるで空につきささっているようだ。
女が一人、語り始める・・・
(2部)
子供がお腹の中にいます。
でもあなたの子ではありません。
私は罪に苦しみながらあなたと歩んでいるのです。
私はひどい過ちを犯してしまったのです。
もう幸福など信じはしませんでしたけれど、
それでもどうしても激しい憧れを断てなかったのです。
子供を生むこと、母となる喜びとその義務を。
それで思い余って見知らぬ男にわが身を委ねてしまったのです。
それでも満ち足りた思いをしたのでした。
ところが人生はなんという復讐をするのでしょう。
今になって私はあなたに、ああ あなたにこうして巡り会ったのです。
(3部)
女はおぼつかない足取りで歩む。
女は空を見上げる。月が共についてくる。
女の暗いまなざしは月の光に溺れ死ぬかのよう。
男が語る・・・
(4部)
君の授かった子を君の心の重荷にしてはいけない。
ほら見てごらん、辺りはなんと明るく輝いていることか!
僕と君の間には、心のあたたかさが行き交っている。
何もかもが輝きに包まれているのだ。
君は僕と共に冷たい海の上を漂ってゆく。
でも心の温かさが行き交いしている。
君から僕へ、僕から君へと。
この温かさがお腹の子を浄めてくれるだろう。
君はその子を、僕のため、僕の子として産んでおくれ。
君は僕の中に輝きを運び、
この僕をすら子供に変えてしまった。
(5部)
男は女の厚く張った腰に手を回す。
二人の息は温かく交じり合う。
男と女は明るく高い夜空の中を歩んでいく。
リヒャルト・デーメル 詩集「女と世界」より“浄夜”
なんという官能美。むせかえるような情念のほとばしり。女の独白に続く男の大きな愛情と包容力。そして美しい月夜・・・。
時々たまらなく聴きたくなる衝動に駆られる音楽なのだ。