バンマスの独り言 (igakun-bass)

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タイムスリップ時代劇 「JIN 仁」 完結編 最終話

2011年06月30日 | ドラマやTV番組
先日の日曜日、TBS 制作のテレビドラマ「JIN 仁」がついに最終回を迎えた。

2年前の前シリーズの最終話における結末の曖昧さにはさすがの高視聴率ドラマも批判を免れなかったようだったが、今回の完結編最終話は全ての伏線がどう収束し、広げられた風呂敷がどうたたまれるかを固唾をのんで見守ってきた。きっとそれは全ての視聴者が同じ思いだっただろう。

先に書くが僕は最終話を見終えて、なにか得体の知れない大きな喪失感を感じてしまった。
今までいろいろなドラマを見てきたが、見終わった後にこれほど空しく複雑な気分を引きずってしまったドラマの最終話も珍しい。
心が晴れ晴れとするような結末ではなかったけれど、それでも<これでいいのだ!>と無理やり自分に言い聞かせてしまうような気分になったのだった。

でも当たり前だ。前シリーズから今回の完結編まで連綿と続いた江戸でのたくさんのエピソードがすべて消え失せたかのような、仁自身があの街に存在しなかったかのような幕切れだったからだ。

このドラマの展開にまんまと踊らされてきた僕としては、当然、最終話が放送される前にそのエンディングをあれこれ想像してきた。

最もベタでハッピーエンドだと思われるのがやはり仁と咲が江戸時代で結ばれる、というものだろうが、それでは物語の余韻が短いものになるような気がしていたので、もしかしたらとんでもないどんでん返しがあるかも?なんてちょっとわくわくしていた。

たとえば、仁と咲が一緒に現代へ戻り、お互い過去を忘れようと努力しながら新生活をおくってゆく、とか・・・。



本来タイムスリップものはストーリーを先にこうと決めちゃった者勝ちなのだ。つじつまが合わないなんてことは当たり前なので、ツッコミ所だって満載になるのが常識ってものだろう。
だから些細なことであれこれ言っても無意味だし、たかがフィクションの物語だと思えばどのような経過と結末を迎えようとも、僕らは承服しなければならない。

しかしこのドラマは、細かな謎をストーリーに巧みに散りばめていったためにその結末に視聴者の過剰なまでの期待が高まってしまった。(例外の一つ:10円玉のエピソードは不発だった)

またヒロイン咲が気丈で古風で控えめで頭のいい女性だったために視聴者の反感を買うことも無く、咲の行く末が気になって仕方がないファンを増やしていった。
すばらしいヒロインだったと思う。



そのようないくつかの特異点が絡まりながら、タイムスリップという人間の理解の範囲を超えるような事象に巻き込まれていく主人公の葛藤と江戸時代というノスタルジーが作品への途切れない興味をつないでいったのだ。




最終回の前半は幕末の江戸。そして放送時間の半分は現代。
ストーリーは<現代>の部分で伏線の収束にむかうが、重要なのは「タイムパラドックス」と「パラレルワールド」というキーワードだ。

専門家ではないので詳しくは説明できないのだが、
タイムパラドックスとは例えば「過去にタイムスリップし自分の先祖を殺すと自分は生まれてこない。でも自分は今この世に存在するという矛盾」のことを言うのだが、パラレルワールドは「過去に行って自分の先祖を殺した時点で自分がいた時間軸とは別の時間の流れになるので、自分の存在は消えない」という考え方なのだ。

最終回では他人には理解してもらえないであろう自身のタイムスリップ体験を小説という形でまとめていこうと考えた仁が後輩医師に理論武装のための意見を聞く、というくだりがある。
ここで若い医師は自分なりのパラレルワールドの考え方・・・これは一連の謎解きのシークエンスである・・・を仁に披露するという形で視聴者にも同時に解説をしていくのだ。

パラレルワールドという考え方で見ると、南方仁が江戸時代にタイムスリップし、歴史に関わったことで元いた時代とは別の時間軸になってしまったため、仁が住む江戸と仁がいた現代とのつながりが無くなってしまったということが重要な点なのだ。つまりは仁が一度現代に戻ったとしたらもう二度と知っている江戸にはもう戻れないということでもある。

したがって物語の最後に来て、前シリーズの第1作の内容が(現代の仁が包帯男を手術する、だとか、婚約者である友永未来(ともなが みき)の存在などなど)が消去・否定されてしまう。
これはこのドラマをずっと見続けてきたファンの思考回路を基本的出発点から混乱させることになる。


江戸時代の描写は仁と恭太郎が咲の緑膿菌感染症の特効薬(ホスミシン)を探すために錦糸公園へ行き、仁だけが崖から意識的に落ちて現代へ戻る、というところで終わる。
(物語の始めも恭太郎とまず出会い、最終話でも最後まで一緒だったのは恭太郎だったというのが面白い)

お茶の水の病院の非常階段で江戸へ行き、錦糸町から現代へ戻ってくるのだが、江戸に行っていた仁(包帯男:仮に仁Aとする)が脳腫瘍の摘出手術を終えた後、仁B(江戸には行った経験がない仁)と非常階段でもみ合ううちに江戸にホスミシンを持って帰り咲を助けたい仁Aに代わって仁Bが江戸にタイムスリップしてしまう。(しかしおそらく仁Bが行った江戸での咲は緑膿菌とは無縁の生活をしていると思う)

しかし江戸に戻れずに残ってしまった仁Aのいる現代は彼自身の江戸での思い出(記憶)以外はすべて以前知っていた現代とは異なっている平行世界(パラレルワールド)なのだ。

その世界には恋人<友永未来>は存在せず、なんと咲の子孫(咲は独身を通したとのことだから安寿の子孫かも?)である橘未来がいた!

僕はこの時の仁の驚きと、今だ記憶にしっかりと残る江戸の人々との暖かい交流の喪失に涙が出た。

江戸の人たちにまた会いたい、と思った視聴者は多いだろう。


医学史を研究していた橘未来は仁に写真を見せて謎解きのシークエンスをさらに続ける。
さてここで本編開始後1時間24分あたりからトータル5秒ほど、「医療結社仁友堂の面々」という写真の載った本がでてくる。
仁が図書館で調べていた本(小道具)の1ページだが、これなど実に良くできていた。
あの懐かしい仁友堂の面々が歳をとって写っている。

佐分利祐輔(1838-1906):外科手術の第一人者
福田玄孝(1832-1902):東洋内科の創始者
山田純庵(1833-1901):日本の抗生物質研究の始祖 
などの注釈付きでいかにも それ らしく。

いずれも放映中に慣れ親しんだ面々だ。



この後のシーンは「橘医院」での橘未来との会話になるが、ここからは怒涛の小道具オンパレードだ。
古い写真を手に江戸の面々の<その後>が説明される。謎解きのシークエンスだ。

橘未来は面談後に外で仁を見送る時、「あの~、揚げだし豆腐はお好きですか?」と聞いてくる。
このセリフには正直言って心にズキンときた。
仁が「はい!」と言ったところで過去に何度か出てきた揚げだし豆腐が伏線だったことに気付く。

揚げだし豆腐は咲と仁との共通の合言葉みたいなものなのだが、未来は仁の返事に何かの確信を得たかのように<○○先生へ>という橘咲が消えゆく自分の記憶を書き残した手紙を仁に渡したのだった。

さあ、この手紙を読み進めるシーンこそがクライマックスを形作る重要なポイントだ。
(ちなみにこの緑道のある住宅地でのシーンでチラっと写る電柱の住所表示:湯島4-79は存在しない。小道具はここまで徹底している)


橘咲は○○先生をお慕い申しておりました・・・。


咲はすでに○○=南方ということを忘れている、というか知らないのだ。
でも心の隅にそういう生活があったということを実感を伴わないまま<感じて>いる。
なんと悲しいことだろう!


現代へ戻った仁Aの江戸に対する思い出ははっきりと残っているけれど、一方の咲の仁との思い出は仁という名前や顔も思い出せないほど希薄になっている、というか幻想の一部と化している。
(仁友堂の面々に至っては仁の存在すら無い世界にいる)

パラレルワールドの咲が仁の存在を認知するわけがないので、仁友堂の面々が仁を知らないのは当然のことと言える。
最終話のもっとも悲しい点は現代(と言っても仁が仁を手術した第1話の現代)の仁Aがあの江戸のことを鮮明に記憶しているのに、錦糸公園に帰って来た仁の現代は物語の始まりの現代とは違うパラレルワールドの現代だったことだろう。

橘未来はパラレルワールドにいる人で、仁はその後彼女の頭の手術をすることになり、後に二人は接近していくことを暗示している。
出会いは異なるが仁と未来は最初のパラレルワールドとは別の形で人生を共にしてゆくのだろう。


さて余談になるがこのドラマの最終話を見終えた時の印象があるアニメ映画を見た後の印象に近いことを感じたので書いておきたい。

それは宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」だ。

別世界でいろいろな体験をした主人公が現世界に戻って来た時、それまでの全ての記憶が自分の心の中にしか存在しないという点において似ている。

こういうパターンのストーリーは終了後も後まで尾を引くから、僕らは複雑な気分にとらわれる。
僕は実際今の時点(放映から4日経った)でも江戸の人たちと仁とのすばらしい交流が思い出される。
そして現代に戻って来た仁はそれらの歴史は無かった、というスタンスからまた新しい生活を始めなければならないところが妙に寂しい。

仁は夕日を見て言う。
自分も少しずつ忘れてゆくのだろう・・・と。

長文になってきたのでこのあたりで終わらせようと思うのだが、完結編で各回の終わりに流れていた平井堅の「いとしき日々よ」について少しだけ書いておきたい。
毎回ラストシーンでこちらの感情が多少なりとも盛り上がっている時にこの腑抜けた声でズカズカと入り込んでくるこの曲が嫌いだった。
でも最終回では不思議とこの曲の歌詞が心に染みた。そうか、最終話の内容に沿わせた歌詞だったんだと思った。


最後にもう一言。
ドラマの基本軸は「パラレルワールド」であったわけだが、人間がどうあがいても認識することが不可能なこの世界を複雑な展開と手法(時には駄作とも不要とも思えるエピソードがあったが)そして伏線で見事に視聴者を引っ張り続けた制作者の力量には脱帽したと、付け加えたい。


それにしてももう一度あの江戸の人々に会いたい・・・!


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (トラベラー)
2011-07-07 23:07:20
検索から来ました。すごいですね! 最終回のすべてを語り尽くしています。僕も全く同感です。

ちなみに僕も自分なりにまとめた疑問点などを書いてみます。長くてすみません。


●パラレルワールド設定

野口がホワイトボードで説明したパラレルワールドは、タイムトラベルSFではよくある設定だが、納得がいかない。

パラレルワールドなら過去で何をしようが仁自身には影響がないのだから、野風と関わることによってミキの写真が変化したり、お初ちゃんを助けようとして仁の身体が消えたり、龍馬の運命を言おうとして頭痛が起こったりするのはおかしい。


●「歴史の修正力」について

第2期でやたらと出てきた「歴史の修正力」だが、そもそもパラレルワールド設定なのだから、タイムトラベラーが過去を改変した瞬間(厳密にいうと過去に到着した瞬間)に世界は分岐する。修正力という概念はそぐわない。

それに歴史修正のタイミングも解せない。仁が錦糸堀からダイブして、現代の錦糸町公園に到着したときは着物姿だった。そして自分自身に手術され、非常階段でもみ合いになり「若い仁」が幕末へタイムスリップ。ここまでは出発前の世界Aだったのに、包帯の仁が目を覚ますと全てがなかったことになっていた。つまり、ここでようやく世界Bに切り替わったことになる。この変な時差がわかりにくい要因。


●ホスミシンのワープ経路

「入口と出口は別だったんだ」という発言のとおり、病院の非常階段からつながっている夕日の丘が「入口」で、錦糸町公園につながる錦糸堀が「出口」ということになる。

ではあのホスミシンはどこからワープしてきたのか? 咲を助けたいという仁の思いがホスミシンを飛ばしたという意図はわかるが、ホスミシンは非常階段でのもみ合いで落としたので、「入口」である夕日の丘に到着しなければおかしい。


●平成22年の十円玉

第1期で仁は平成21(2009)年から幕末に来たが、夕日の丘で拾ったのは平成22年の十円玉。それにあの丘では季節外れのちょうちょが飛んでいて、咲が不思議そうに見ていたこともある。仁のほかにもタイムトラベラーがいることを示唆していた。

そして第2期で佐久間象山が未来に行った経験を明かす。象山は医療用ネットの切れ端で巾着袋を作り、中に十円玉を入れて首から下げていたが、あれは夕日の丘で落ちていた十円玉とは
別物。そもそも象山のタイムトラベルは出発も帰還も同じ田舎の木の下なので、夕日の丘は関係ない。

その後も夕日の丘の草が夜間にカサカサ揺れ動いたり、川に不審な波紋が広がったりする描写があったので、象山以外にもタイムトラベラーがいるのだろうと確信していた。でも結局、謎は回収されないまま終わった。


●まとめ

原作は少々強引ではあるが、みんながハッピーエンドでわかりやすいオチだった。仁と咲は結ばれ、東都大学病院は仁友堂病院になり、野風の子孫も登場する。安直かもしれないが、その
ほうがよかった。

パラレルワールドだ、歴史の修正力だと言っているが、結局は何もなかったことになるという点では「夢オチ」に匹敵する無念さ。手紙のくだりは感動したが、仁は「忘れられた」のではなく最初から「いないこと」になっているので、あまりにも空しい。

ラストはミキの手術に失敗しない、自信たっぷりの仁(修正力によってすでにあの幕末に行った仁ではなくなっていると思うが)が執刀するが、あの取って付けたようなラストには、大沢たかおと綾瀬はるかの破局が影響しているらしい。

映画化が内定していたのに、破局のせいで綾瀬はるかは出演を断った。映画につなげるためには、原作どおり咲と結ばれるラストにするわけにはいかず、なんとかミキで話を続けるために
やむを得ずあのようなラストにしたらしいのだ。

しかし、大沢はイメージ固定化を懸念して仁はもうやりたくないと言っているらしいので、映画化はかなり難しい状況。

個人的には映画で原作のラストを描いてほしいと思う。仁と咲は結ばれてほしい。咲がかわいそうだ。
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楽しいです! (バンマス@発行人)
2011-07-09 15:12:37
>トラベラー さま

コメント、ありがとうございます。

いや~、読ませていただいてもう楽しくて仕方がありませんでした。

いくつもの「疑問点」を挙げていただきましたがいちいちごもっとも!

タイムトラベルものは基本的にツッコミどころ満載なのは当たり前ですから、それをオカズにして後日あれこれ話すのが楽しいんですよね。

それにしてもトラベラーさん、相当細かい観察眼をお持ちですね。それに普通ならあれっ?で終わらせてしまうような細かな、しかし重要な点をよくあぶりだしてくれました。

こんなにニヤニヤしながら読めたコメントは初めてでした。
本当に楽しめました。
ありがとうございました。
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Unknown (トラベラー)
2011-07-09 15:59:36
バンマスさんの文章力にはかないませんが、共感して下さって光栄です。
僕のまわりは「感動したからいいんじゃね」「もう終わったからどうでもいい」という人ばかりで、疑問の持って行き場がなかったのでスッキリしました(笑)。

『JIN』が終わってもあの江戸の日々は忘れられませんね。いい作品でした。
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そうなんです (バンマス@発行人)
2011-07-09 17:17:08
>トラベラー さま

「江戸の日々」の喪失・・・これが見終わった後感じてしまった悲しさでした。

振り返ればいろんなエピソードがありました。
あの日々をいくらパラレルワールドだとはいえ、簡単に消してしまうような結末を、むしろ許せん!気持ちです。

龍馬、橘家、仁友堂の面々、野風、辰五郎親分、喜市少年、ヤマサ醤油の濱口、そしてけっこう好きなキャラだった医学館の多紀元琰、など江戸の人々とのあの世界が恋しいです。

出来ればあのメンツで(現代の仁の話はもうけっこうです)江戸の続きを続編で制作してもらえたらなぁ・・・トラベラーさんのお話によると<はるか&たかお>の間に恋愛のもつれがあるようで・・・無理なんでしょうかね。

最後にトラベラーさんの「疑問の持って行き場」がなかったというのは同情、というより同感です。
これはドラマなんだと分かっていても、いろいろしゃべってみたいですよね。

江戸での描写が魅力的だった分、こういう気持ちが抜けきれないファンも多いのではないでしょうか。

僕はまだ最終話の寂しさを引きずっています。
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Unknown (ままぱん)
2020-05-08 08:29:30
すみませんww

江戸時代に仁が手術する時にゴム手袋をしていましたが、あれは現代から持ってきたというくだりはあったおでしょうか。気になって。。
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ありがとうございます (バンマス@発行人)
2020-05-27 14:22:27
>ままぱん さま

お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

最近のコロナ騒ぎで「仁」も編集された再放送があり、そこそこの視聴率だったそうですね。今時には見られないようなしっかり楽しめるドラマは年数が過ぎても色あせないということでしょうね。

コメントありがとうございました。
手元のDVDでチェックをしてみましたが、わかりませんでした。
しかし、たぶんですが、タイムスリップ時に持っていた赤い救急カバンの中にあったのではないでしょうか?
タイムスリップ物はどれでもそうですが、つじつまの合わないことが多いので、僕は見て見ぬふりをして楽しんでいました。
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