のっけから変な質問だが、みなさんは自分の葬儀(規模の大小は問わない)の時にBGMで流してほしい音楽があるだろうか?
僕は正直に言って今までそのチョイスにはいくつかの変動があった。ただしロックやジャズはいつだって選外だった。
となれば、もちろんクラシックの中から、となる。
中年と呼ばれる年代に入った今、僕は心に決めたその音楽がある。
先日仕事中にFM番組を聴いていたら、なんとその音楽が流れているではないか!
お客と話をした後、車に戻った時のことで、その音楽はすでに後半の少しを残すのみとなっていた。
はっとした。この曲がラジオから流れるなどということはまず想像できなかったからだ。
そしてこの一瞬に、最近忘れかけていたこの曲への愛情がまた大きく心の中で復活した。
この曲から離れていたことをなぜか申し訳なく思った。今の自分の心もちに一番寄り添ってくれそうなこの音楽を日常から外していたことに罪悪感さえ感じた。
これ以上ありえないと思えるほどの簡潔・簡素な曲作り。
音楽でありながら恐ろしいまでの静寂感。 あえて言えば極上の静謐(せいひつ)。
目をつむって10分余りのこの曲を聴いていると無限を感じる。そして心の中にいろいろな情景が湧き出てくる。
アルヴォ・ペルト作曲 「鏡の中の鏡」 Arvo Pärt- Spiegel im Spiegel (1978)
デュエットの曲である。ヴァイオリン&ピアノ、ビオラ&ピアノ、チェロ&ピアノ、など3つのバージョンを聴くことができる。
高音が好きな人はヴァイオリン版。渋い音色が好きな人はビオラ版。僕のように朗々とした低音が好きな人はチェロ版。
発売されているCDやYOUTUBEにアップされているものは3バージョンが揃っている。
アルヴォ・ペルト(1935~)はエストニアの現代作曲家である。僕が彼を知ったのは1984年にジャズのレーベル「ECM」から発売された「タブラ・ラサ」(演奏:ギドン・クレーメル&キース・ジャレット)という作品でその時はこの「鏡の中の鏡」の存在は知らなかった。
彼の音楽は非常に独特なもので、それは例えばフランスの作曲家サティのように、他に例を見ないような存在である。
簡素な三和音の分解に乗る単純な音階風メロディ(?)は他のクラシック音楽のような劇的展開とは無縁である。くりかえす音型はミニマル・ミュージックにも通じる不思議な高揚感はあるものの、温度は低く粘ることもない。
「鏡の中の鏡」はピアノの分散和音に弦楽器の行きつ戻りつの音が繰り返し流れる。
これを聴くと誰もがみなその静寂感の中に漂わされる。
悲しくもなく楽しくもなく、濃くもなく薄くもなく、明るくもなく暗くもない。
それは例えば山奥の森の中にこんこんと湧く清冽な泉のようでもあり、せせらぎを流れる落ち葉のようでもある。
またベンチに座る老人の横顔のようでもあり、亡き両親のアルバムを静かに開いて子供の頃を思い出すような気分でもある。
秋の透明な空気の中に見渡せる遠くの山々の姿を見るようでもあり、凍てつく夜空に光るオリオン座のようでもある。
力強い朝日が昇るようでもあり、秋のはかなげな西日が沈むようでもある。
私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう。プリズムのみが、その光を分光し、多彩な色を現出させることができる。私の音楽におけるプリズムとは、聴く人の精神に他ならない。
/ アルヴォ・ペルト
あえて言うならどのようなシチュエーションでも、その情景が思慮深く慎み深く孤高の輝きをみせるための音楽なのだ。
僕はかつてこの曲を聴くたびに涙が出た。この、人を強要させない純粋な音の流れがしばしば人生の流れのように同化してしまう。
心が安らぐ音楽だ、と言うのは少し陳腐ではあるが、この音楽に最もあてはまるのはやはり「静謐」という言葉なんだろう。
僕はベーシスト(=低音楽器好き)なので、この曲はチェロ・バージョンで聴くことが多い。
ちょっと気分がへこんだ時、この曲を聴いてその後は深い眠りにつけた。
朝でも昼でも夜でもいつ聴いてもその時に応じた優しさにあなたが包まれることを約束する。
アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」は僕の葬儀の時に流してほしい音楽なのだ。
(チェロ版)
(ビオラ版)
(ヴァイオリン版)
(楽曲の構成)
何度か聴いていただければ分かるように、メロディに相当する音列は最初2音での上がり下がりがあって、ピアノのズ~ンという低音(ファの音)とピン!という高音を合図に上行下行を繰り返す。
そしてその後は3音を使い、上がって下りる。
音列は1音ずつ増え4音~9音までを使い最後は1音のみとなり終わる。
各音列は音階的であり、すべてラ(A)の音で終わる。
感情的に盛り上がったりすることなく淡々と流れる。
僕は正直に言って今までそのチョイスにはいくつかの変動があった。ただしロックやジャズはいつだって選外だった。
となれば、もちろんクラシックの中から、となる。
中年と呼ばれる年代に入った今、僕は心に決めたその音楽がある。
先日仕事中にFM番組を聴いていたら、なんとその音楽が流れているではないか!
お客と話をした後、車に戻った時のことで、その音楽はすでに後半の少しを残すのみとなっていた。
はっとした。この曲がラジオから流れるなどということはまず想像できなかったからだ。
そしてこの一瞬に、最近忘れかけていたこの曲への愛情がまた大きく心の中で復活した。
この曲から離れていたことをなぜか申し訳なく思った。今の自分の心もちに一番寄り添ってくれそうなこの音楽を日常から外していたことに罪悪感さえ感じた。
これ以上ありえないと思えるほどの簡潔・簡素な曲作り。
音楽でありながら恐ろしいまでの静寂感。 あえて言えば極上の静謐(せいひつ)。
目をつむって10分余りのこの曲を聴いていると無限を感じる。そして心の中にいろいろな情景が湧き出てくる。
アルヴォ・ペルト作曲 「鏡の中の鏡」 Arvo Pärt- Spiegel im Spiegel (1978)
デュエットの曲である。ヴァイオリン&ピアノ、ビオラ&ピアノ、チェロ&ピアノ、など3つのバージョンを聴くことができる。
高音が好きな人はヴァイオリン版。渋い音色が好きな人はビオラ版。僕のように朗々とした低音が好きな人はチェロ版。
発売されているCDやYOUTUBEにアップされているものは3バージョンが揃っている。
アルヴォ・ペルト(1935~)はエストニアの現代作曲家である。僕が彼を知ったのは1984年にジャズのレーベル「ECM」から発売された「タブラ・ラサ」(演奏:ギドン・クレーメル&キース・ジャレット)という作品でその時はこの「鏡の中の鏡」の存在は知らなかった。
彼の音楽は非常に独特なもので、それは例えばフランスの作曲家サティのように、他に例を見ないような存在である。
簡素な三和音の分解に乗る単純な音階風メロディ(?)は他のクラシック音楽のような劇的展開とは無縁である。くりかえす音型はミニマル・ミュージックにも通じる不思議な高揚感はあるものの、温度は低く粘ることもない。
「鏡の中の鏡」はピアノの分散和音に弦楽器の行きつ戻りつの音が繰り返し流れる。
これを聴くと誰もがみなその静寂感の中に漂わされる。
悲しくもなく楽しくもなく、濃くもなく薄くもなく、明るくもなく暗くもない。
それは例えば山奥の森の中にこんこんと湧く清冽な泉のようでもあり、せせらぎを流れる落ち葉のようでもある。
またベンチに座る老人の横顔のようでもあり、亡き両親のアルバムを静かに開いて子供の頃を思い出すような気分でもある。
秋の透明な空気の中に見渡せる遠くの山々の姿を見るようでもあり、凍てつく夜空に光るオリオン座のようでもある。
力強い朝日が昇るようでもあり、秋のはかなげな西日が沈むようでもある。
私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう。プリズムのみが、その光を分光し、多彩な色を現出させることができる。私の音楽におけるプリズムとは、聴く人の精神に他ならない。
/ アルヴォ・ペルト
あえて言うならどのようなシチュエーションでも、その情景が思慮深く慎み深く孤高の輝きをみせるための音楽なのだ。
僕はかつてこの曲を聴くたびに涙が出た。この、人を強要させない純粋な音の流れがしばしば人生の流れのように同化してしまう。
心が安らぐ音楽だ、と言うのは少し陳腐ではあるが、この音楽に最もあてはまるのはやはり「静謐」という言葉なんだろう。
僕はベーシスト(=低音楽器好き)なので、この曲はチェロ・バージョンで聴くことが多い。
ちょっと気分がへこんだ時、この曲を聴いてその後は深い眠りにつけた。
朝でも昼でも夜でもいつ聴いてもその時に応じた優しさにあなたが包まれることを約束する。
アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」は僕の葬儀の時に流してほしい音楽なのだ。
(チェロ版)
(ビオラ版)
(ヴァイオリン版)
(楽曲の構成)
何度か聴いていただければ分かるように、メロディに相当する音列は最初2音での上がり下がりがあって、ピアノのズ~ンという低音(ファの音)とピン!という高音を合図に上行下行を繰り返す。
そしてその後は3音を使い、上がって下りる。
音列は1音ずつ増え4音~9音までを使い最後は1音のみとなり終わる。
各音列は音階的であり、すべてラ(A)の音で終わる。
感情的に盛り上がったりすることなく淡々と流れる。
記事を読み、先日図書館でCDを借りてきました
この曲が入っているのが一つだけありました
(「GRACE」 チェロ:向山佳絵子 ピアノ:仲道郁代)
今日は雨降りで、家の中は薄暗くてとても寒いですが、
雨音の中、この曲を聴いていたら、
あたたかな光が射しこんできたような気持ちになりました
よい音楽を教えていただき、ありがとうございました
お久しぶりでした。ブログは拝見していますのでお元気そうだなと安心はしていました。
さっそくこの音楽をCDで聴いていただいたようでとてもうれしいです。
というのも、TOMOさんとブログでお話するようになったきっかけは「静謐(せいひつ)」という言葉をRシュトラウスの音楽の時に使ったのをあなたが検索されて・・・だったと記憶していて、再びその「静謐」を使う今回、僕ははっきりとあなたのことを意識してこれを書いたからなのです。
あなたのブログから感じ取れる柔らかな日差しの匂い・・・その穏やかな世界にこの音楽は最高のBGMになるのではと勝手に思っているのです。
だからコメントを頂いて、我が意を得たり!と本当にうれしく思いました。
寒い雨の日も、心地よい秋の日射しの中でも、いつもどんな時でも心が和む素晴らしい音楽ですよね。
ありがとうございます
果てしない宇宙みたいに深い。
そのときの心情で「音」に対しての反応(感想)が
違ってくるのも不思議だと思います。
だけど
この曲って、ホントに七変化するというか…
かといって
ニュートラルという曖昧さではなく…
旋律はいたってシンプルなのに
心に突き進んで行く力強さと
すべてを包み込む壮大な懐の深さを併せ持つ
なんとも琴線に触れる音楽ですね。
教えてくださってありがとう。
いつも、いろいろ、ありがとう。
また、サントリーホールへ行きたいね!
コメント、ありがとう。
この音楽はシンプルさゆえ、聴く時々の心情で受け止め方が色々に変化しますね。
メロディーとは言えないような「音階」が音数を増やしながら上がったり下がったり・・・でも最後の音は必ず「ラ(A)」なんですね。
そして節目節目に深~く心に響く低い「ファ(F)」がとてもいい感じで印象的です。
温かな音楽と感じられたり、悲しみいっぱいの音楽とも受け取れたり・・・深いです。
気に入ってくれたようでよかったです。
2、3日まえにこの曲を聴き、忘れられなくて、
いろいろ検索していたところ、ちょうどこのブログに出会いました。
三つのバージョンがあるのですね!CDも探してみます。私はバイオリンバージョンが、低音がしみるので気にいりました!
私は、鏡の中の鏡を聴いた瞬間、静かな昼下がりの明るいやさしいひかりをかんじ、自分と深く、心地よく向き合うような世界に入り込む感覚になりました。
何回か聴くうちに、これは
夜明け前でも、夜でもいいなぁ、と
バンマスさんのおっしゃるとおり、
いつ聴いてもあう音楽だなあとおもいました。
詳しくペルトさんについてもわかって嬉しいです。
ありがとうございました。
はじめまして。
ご訪問、ありがとうございます。
この曲との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
あなた様のこの曲に対するご感想は素敵ですね。
自分と深く向き合うような感覚になられたとのこと。これこそ本当の癒しではありませんか!
音楽書法は最もシンプルな部類に入るものですが、それだからこそ人の心に何の抵抗も無く入ってくるのかもしれません。
この音楽を聴いて、雪がしんしんと降る情景を思い浮かべる人も多いとか。
さしずめ冬に聴けばそうなるのかもしれません。でも夏に聴いたらまた別の光景が広がるのでは・・・。
あなた様の心にいつもこの曲が寄り添い、潤してくれることを願っています。
コメント、うれしかったです。ありがとうございました。
最近の海外のCDケースは角が丸いんでしょうか??
欠けにくくていいデザインだ!なんて思いました。
そうそう、この曲との出会いは、お正月でした。
久々に帰った実家で母が、最近気に入っている曲~、といってパソコンで流していて。それで一瞬で吸い込まれました。
私はクラシックはほとんど
買うことはありませんし、普段聞くこともそんなにないんですが、唯一好きなのはグレングールドのピアノでした。
そういえばそれも、思えば母からのオススメなのでした。
ひょんなきっかけでまだまだ知らない素晴らしいものに出会う、なんてことありますよね。
バンマスさんの鉄拳のパラパラアニメも、感動しました!
コメントへのお返事、嬉しかったです。
CDをお買いになりましたか。
これでこの曲がいつでもお好きな時に聴けますね。四季折々、いろいろな時間、いろいろな精神状態・・・変化のある環境下でこの曲がそれぞれどんな表情を見せるのでしょうか。
懐の深い音楽です。
お互い大切にしていきましょうね。
さらに興味深いのはコメントでグールドをお聴きになっているとのこと。
ちょうど僕も今月はずっと彼の「バッハのトッカータ集」や「フーガの技法」を繰り返し聴いていましたので、偶然とはいえとてもあなたを身近に思えました。うれしかったです。
僕がバンマスと呼ばれるのはハードロック・バンド(ハードブルース・バンド)を組んでいるからなのですが、ポピュラーの世界とはサウンドが明らかに違うクラシックの世界も心の中で湧きあがる感動の質はジャンルに関わらず同じだと思うのです。
いろいろな音楽を分け隔てなく聴いて感動のレンジを広げていく・・・最高の贅沢じゃないですか。
のやさん、また機会がありましたらお話しましょうね。ありがとうございます。
TVドラマのスティルライフのバックグラウンドに使われてたのを聞いたのが最初です。も、少しで吸い込まれそうになった。あのドラマ、賞取ったんですがお蔵入りです。こないだ20年ぶりくらいに再放送していました。テーマでアルボスやってね
ご訪問ありがとうございました。
「評伝」未読ですが沈黙の音楽というのは面白い表現ですね。勉強になりました。
ありがとうございます。