今月(4月)は極端に更新が少なかったですね。ごめんなさい。
新年度のスタートというのは仕事的にも家族(子供たち)にもいろいろ忙しいことが多いんです。
特に仕事はその疲労度がかなり増してしまって毎日けっこう疲れているんですよね。
もちろん肉体的になんで、休息・睡眠で大方は楽になるんですけどね。それでもPCに向かう作業となると、それより一刻も早く眠りたい!となってしまうんです。
街中のハナミズキが美しいですね。運転していても、気晴らしの散歩をしていてもこの花が赤白混ざって咲く今の時期はすばらしいです。生命の息吹を暖かくなったそよ風の中で感じています。
さて4月最後の今日はこのところずっとBGMで流していたクラシックの音楽を紹介します。
と言ってもたまたま自分の気分にマッチしていたというだけで他意はありません。
春の陽気の中でとろけるようにまどろみながら聴いていた音楽なのです。
ライブが近くなると決まって別ジャンルの音楽に浸ってしまうクセがある、という話は以前からここに書いていますが、きっと軽い緊張感がステージを目前にして心に走っているのだと思います。
たくさんのクラシック・コレクションの中から取り出して僕の心を平安にしてくれた2枚のアルバム。
ここ2~3週間、ヘヴィー・ローテーションなんですよ。
★ヴュータン(Henry Vieuxtemps 1820-1881)
ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ短調
ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ短調
アルテュール・グリュミオー (ヴァイオリン)
コンセール・ラムルー管弦楽団
指揮:マニュエル・ロザンタール
なんというすばらしい協奏曲なんでしょう!
ヴュータンの名前をご存じない方も多いでしょうが、ヴァイオリンの世界ではコンクールの課題曲になったりするほどの有名曲です。
俗に3大ヴァイオリン・コンチェルト(ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー)などと呼ばれる名曲がありますが、僕はこの2曲(4番が特に好きなのです)がそれらに加わればもうそれでこのジャンルは十分と言い切れるほどヴュータン作品が大好きなんです。耳触りはとても良いのに暖かく穏やかでいて色彩も豊か。
響きがモダンなところは同世代の作曲家(パガニーニ、ショパン、ベルリオーズなど)とはちょっと違う独自の音楽です。
★ワーグナー (Richard Wagner 1813-1883)
管弦楽曲集
歌劇<ローエングリン>から 第1幕への前奏曲
楽劇<ヴァルキューレ>から ヴァルキューレの騎行
楽劇<ジークフリート>から 森のささやき
楽劇<神々の黄昏>から ジークフリートの死と葬送行進曲
楽劇<トリスタンとイゾルデ>から 前奏曲と<愛の死>
楽劇<ニュルンベルクのマイスタージンガー>から 第3幕への前奏曲
舞台神聖祭典劇<パルジファル>から 聖金曜日の不思議
メトロポリタン・オーケストラ
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
僕はいわゆる<ワグネリアン>ではありません。ワーグナーの楽劇にはあまり食指が動きません。
でも多くの大作から抜粋された<おいしい部分>の曲のいくつか、このアルバムの中に収録されたような曲は大好きです。
官能的で艶があり、静謐な雰囲気と神々しい空気がこれらの音楽から濃厚に感じ取れるのです。
多くの近現代シンフォニスト(マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなど)の交響曲を聴くにはある種の覚悟・気合いが必要ですが、同じように感動的な音の洪水に揉まれようとするならこのワーグナーの管弦楽曲もなかなかとっつき易くていいのです。
さあ風薫る五月です。
ライブが終われば<春の写真>でもゆっくり撮ろうかななんて思っています。
そういえば最近このブログに<歳時記>をあまり書いていませんでしたね。いつも思うことは、この低迷する日本の現状と三流以下に落ちてしまった政治への不満だからです。
経済もシビアだし、僕のようにバブル期の楽しさを知っている人間には今の閉塞感がとても窮屈に思えてなりません。
少なくとも、よく悪く言われることの多いバブル期は、今より人々が生き生きしていました。
経済的側面からはその儲け主義や札束をちらつかせて買収をしかけるなどの商売のモラル低下の部分はありましたが、多くの人がビンボーではありませんでした。今みたいなのは本当につらいです。
今まで使っていた携帯を機種変更しました。
僕は携帯のヘヴィー・ユーザーではなくて、ただ電話とメールができればそれでよし!という人間です。 そんな人間が最新機種の携帯に買い替えたわけですから、多くの余分な機能を無視するか使いこなすかを考えなければなりません。
今、携帯に付いてきた<取扱説明書>を暇さえあれば読んで勉強しています。
携帯によって実に便利な世の中になりました。
昔は彼女に電話するにも、電話口に本人が出るとは限らないので、家の人が応答してくれるとドギマギしたもんです。それが今は彼女・彼氏が直接出てくれるわけで、昔より恋のハードルは格段に下がったように感じます。
僕の<恋の時期>に携帯があったなら、どんなに楽だったでしょう。
そんなことを考えながらBGMにヴュータン、読んでいる本は新しく来た携帯の説明書だったりしてます。
新年度のスタートというのは仕事的にも家族(子供たち)にもいろいろ忙しいことが多いんです。
特に仕事はその疲労度がかなり増してしまって毎日けっこう疲れているんですよね。
もちろん肉体的になんで、休息・睡眠で大方は楽になるんですけどね。それでもPCに向かう作業となると、それより一刻も早く眠りたい!となってしまうんです。
街中のハナミズキが美しいですね。運転していても、気晴らしの散歩をしていてもこの花が赤白混ざって咲く今の時期はすばらしいです。生命の息吹を暖かくなったそよ風の中で感じています。
さて4月最後の今日はこのところずっとBGMで流していたクラシックの音楽を紹介します。
と言ってもたまたま自分の気分にマッチしていたというだけで他意はありません。
春の陽気の中でとろけるようにまどろみながら聴いていた音楽なのです。
ライブが近くなると決まって別ジャンルの音楽に浸ってしまうクセがある、という話は以前からここに書いていますが、きっと軽い緊張感がステージを目前にして心に走っているのだと思います。
たくさんのクラシック・コレクションの中から取り出して僕の心を平安にしてくれた2枚のアルバム。
ここ2~3週間、ヘヴィー・ローテーションなんですよ。
★ヴュータン(Henry Vieuxtemps 1820-1881)
ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ短調
ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ短調
アルテュール・グリュミオー (ヴァイオリン)
コンセール・ラムルー管弦楽団
指揮:マニュエル・ロザンタール
なんというすばらしい協奏曲なんでしょう!
ヴュータンの名前をご存じない方も多いでしょうが、ヴァイオリンの世界ではコンクールの課題曲になったりするほどの有名曲です。
俗に3大ヴァイオリン・コンチェルト(ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー)などと呼ばれる名曲がありますが、僕はこの2曲(4番が特に好きなのです)がそれらに加わればもうそれでこのジャンルは十分と言い切れるほどヴュータン作品が大好きなんです。耳触りはとても良いのに暖かく穏やかでいて色彩も豊か。
響きがモダンなところは同世代の作曲家(パガニーニ、ショパン、ベルリオーズなど)とはちょっと違う独自の音楽です。
★ワーグナー (Richard Wagner 1813-1883)
管弦楽曲集
歌劇<ローエングリン>から 第1幕への前奏曲
楽劇<ヴァルキューレ>から ヴァルキューレの騎行
楽劇<ジークフリート>から 森のささやき
楽劇<神々の黄昏>から ジークフリートの死と葬送行進曲
楽劇<トリスタンとイゾルデ>から 前奏曲と<愛の死>
楽劇<ニュルンベルクのマイスタージンガー>から 第3幕への前奏曲
舞台神聖祭典劇<パルジファル>から 聖金曜日の不思議
メトロポリタン・オーケストラ
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
僕はいわゆる<ワグネリアン>ではありません。ワーグナーの楽劇にはあまり食指が動きません。
でも多くの大作から抜粋された<おいしい部分>の曲のいくつか、このアルバムの中に収録されたような曲は大好きです。
官能的で艶があり、静謐な雰囲気と神々しい空気がこれらの音楽から濃厚に感じ取れるのです。
多くの近現代シンフォニスト(マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなど)の交響曲を聴くにはある種の覚悟・気合いが必要ですが、同じように感動的な音の洪水に揉まれようとするならこのワーグナーの管弦楽曲もなかなかとっつき易くていいのです。
さあ風薫る五月です。
ライブが終われば<春の写真>でもゆっくり撮ろうかななんて思っています。
そういえば最近このブログに<歳時記>をあまり書いていませんでしたね。いつも思うことは、この低迷する日本の現状と三流以下に落ちてしまった政治への不満だからです。
経済もシビアだし、僕のようにバブル期の楽しさを知っている人間には今の閉塞感がとても窮屈に思えてなりません。
少なくとも、よく悪く言われることの多いバブル期は、今より人々が生き生きしていました。
経済的側面からはその儲け主義や札束をちらつかせて買収をしかけるなどの商売のモラル低下の部分はありましたが、多くの人がビンボーではありませんでした。今みたいなのは本当につらいです。
今まで使っていた携帯を機種変更しました。
僕は携帯のヘヴィー・ユーザーではなくて、ただ電話とメールができればそれでよし!という人間です。 そんな人間が最新機種の携帯に買い替えたわけですから、多くの余分な機能を無視するか使いこなすかを考えなければなりません。
今、携帯に付いてきた<取扱説明書>を暇さえあれば読んで勉強しています。
携帯によって実に便利な世の中になりました。
昔は彼女に電話するにも、電話口に本人が出るとは限らないので、家の人が応答してくれるとドギマギしたもんです。それが今は彼女・彼氏が直接出てくれるわけで、昔より恋のハードルは格段に下がったように感じます。
僕の<恋の時期>に携帯があったなら、どんなに楽だったでしょう。
そんなことを考えながらBGMにヴュータン、読んでいる本は新しく来た携帯の説明書だったりしてます。