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・・・で、J-Wave の [Still Shine] の話の続きです。
朝っぱらからのその意味不明&無節操な選曲からこの番組には驚かされることが多々あるのですが、先週17日の放送では終わりのほうでゴキゲンなファンク風ロックが流れたんです。
その時は中仙道の巣鴨付近を走行中でしたが、その曲が始まってすぐ、あまりのノリのいいロックに唖然として思わず車を路肩に止めてしばし聴き入ってしまったのです。
恥ずかしながら正直言って初めて聴いた曲でした。
でも歌を聞いて、その歌いまわしや歌声から・・・ジミ・ヘンドリックスだ!と察しがつきました。リフにグルーヴ感があって、よく動き回るベースのプレイが新鮮で恐ろしくファンキー。
僕がリアルタイムで聴いていたあのジミ・ヘンとはイメージが少し違うんです。
「あれぇ~・・・、でも~・・・これってジミ・ヘンだよなぁ?」と思いつつ、番組の最後に(最初にして最後の)ナレーションでの曲目紹介があるのでそれを楽しみにしばし待つことにしました。ここで車を走らせると、なんかの拍子に聞き漏らす恐れがあるので、ナレーションをじっと待ったのです。(後でこの番組のホームページで曲目が見られることを知りましたが)
そしてしっかりと曲名をキャッチしました。
やはりジミ・ヘンドリックスでした。
その曲名は「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」というアルバムから「Ezy Ryder(イージー・ライダー)」というものでした。
そもそもこのアルバムはジミが1970年のエレクトリック・レディ(スタジオ)完成後、その個人スタジオに寸暇をおしんで入り少しずつ制作・録音されていったもので当初は2枚組のアルバムになる予定でした。それが予期せぬ突然の彼の死によって中断され、一部はボーナス・トラック的にばら売りされたようですが、近年(1997)ジミの版権の複雑な権利関係が整理されて、エンジニアのエディ・クレマーが遺族の了解のもとにデジタル・リマスタリングして完成・発売されたものなのです。
ジミ・ヘンの<新譜>は1997年に発表されたのです!
リアルタイムで彼を聴いていた僕はその音楽の微妙な変化から(特にジャズ・ミュージシャンとの交流など)それまでの重いブルース・ロックからダンサブルでこじゃれた音楽にサウンドを変えていくんじゃないか、と考えていました。
そして彼の突然の死によってその微妙な変化も具体的にならずに終わったのでした。
が、彼はエレクトリック・レディでその変化を記録に残していたわけです!
そうです。彼は後の「80年代ダンス・ミュージック」を予見していました。
それがはっきりと確信できるのがこのアルバムであり、今日のテーマの「Ezy Ryder」という曲なのです。
一言で言うとこの曲は<ジミ・ヘンのファンク>です。
あのおどろおどろしい ジミ・ヘン・コード「♯9th」 が出てきません。
力まずに軽く流すように歌うジミのバックではビリー・コックスの黒人特有のノリのいいファンク・ベースが動き回っています。
「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディー」などのあの独特なサウンドとは明らかに違うこのサウンド。
僕は80年台のファンク・ベースよりチョイ前のファンク・ベースが大好きなので、いや~しびれます、このライン!
当時僕がとても気に入っていたバンドに「ハミングバード」というのがありました。
マックス・ミドルトン(Kb)を中心にしたグルーヴ感の権化と言えるようなサウンドでしたがそこの黒人ベーシスト、クライブ・シャーマンにあこがれていた僕はこの時代から徐々に台頭してきた「アメリカン・ファンク」にかなり傾倒していたので、あのジミ・ヘンがその頃すでにこのようなサウンドを完成していたのを知って(Ezy Ryderという曲にこの歳になって偶然出会って)彼こそロックの神様だと再確認するに至りました。
失礼かもしれないけど今生きている「神」と呼ばれるプレーヤー(クラプトンしかり、シェンカーしかり)はまだまだその領域に達していないと思えてきます。
そんなすごいプレーヤーだったジミ・ヘン。
それを再認識するきっかけを作ってくれた無節操な音楽番組「Still Shine」・・・早起きは三文の得、を僕は図らずもしてしまいました。
朝っぱらからのその意味不明&無節操な選曲からこの番組には驚かされることが多々あるのですが、先週17日の放送では終わりのほうでゴキゲンなファンク風ロックが流れたんです。
その時は中仙道の巣鴨付近を走行中でしたが、その曲が始まってすぐ、あまりのノリのいいロックに唖然として思わず車を路肩に止めてしばし聴き入ってしまったのです。
恥ずかしながら正直言って初めて聴いた曲でした。
でも歌を聞いて、その歌いまわしや歌声から・・・ジミ・ヘンドリックスだ!と察しがつきました。リフにグルーヴ感があって、よく動き回るベースのプレイが新鮮で恐ろしくファンキー。
僕がリアルタイムで聴いていたあのジミ・ヘンとはイメージが少し違うんです。
「あれぇ~・・・、でも~・・・これってジミ・ヘンだよなぁ?」と思いつつ、番組の最後に(最初にして最後の)ナレーションでの曲目紹介があるのでそれを楽しみにしばし待つことにしました。ここで車を走らせると、なんかの拍子に聞き漏らす恐れがあるので、ナレーションをじっと待ったのです。(後でこの番組のホームページで曲目が見られることを知りましたが)
そしてしっかりと曲名をキャッチしました。
やはりジミ・ヘンドリックスでした。
その曲名は「ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」というアルバムから「Ezy Ryder(イージー・ライダー)」というものでした。
そもそもこのアルバムはジミが1970年のエレクトリック・レディ(スタジオ)完成後、その個人スタジオに寸暇をおしんで入り少しずつ制作・録音されていったもので当初は2枚組のアルバムになる予定でした。それが予期せぬ突然の彼の死によって中断され、一部はボーナス・トラック的にばら売りされたようですが、近年(1997)ジミの版権の複雑な権利関係が整理されて、エンジニアのエディ・クレマーが遺族の了解のもとにデジタル・リマスタリングして完成・発売されたものなのです。
ジミ・ヘンの<新譜>は1997年に発表されたのです!
リアルタイムで彼を聴いていた僕はその音楽の微妙な変化から(特にジャズ・ミュージシャンとの交流など)それまでの重いブルース・ロックからダンサブルでこじゃれた音楽にサウンドを変えていくんじゃないか、と考えていました。
そして彼の突然の死によってその微妙な変化も具体的にならずに終わったのでした。
が、彼はエレクトリック・レディでその変化を記録に残していたわけです!
そうです。彼は後の「80年代ダンス・ミュージック」を予見していました。
それがはっきりと確信できるのがこのアルバムであり、今日のテーマの「Ezy Ryder」という曲なのです。
一言で言うとこの曲は<ジミ・ヘンのファンク>です。
あのおどろおどろしい ジミ・ヘン・コード「♯9th」 が出てきません。
力まずに軽く流すように歌うジミのバックではビリー・コックスの黒人特有のノリのいいファンク・ベースが動き回っています。
「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディー」などのあの独特なサウンドとは明らかに違うこのサウンド。
僕は80年台のファンク・ベースよりチョイ前のファンク・ベースが大好きなので、いや~しびれます、このライン!
当時僕がとても気に入っていたバンドに「ハミングバード」というのがありました。
マックス・ミドルトン(Kb)を中心にしたグルーヴ感の権化と言えるようなサウンドでしたがそこの黒人ベーシスト、クライブ・シャーマンにあこがれていた僕はこの時代から徐々に台頭してきた「アメリカン・ファンク」にかなり傾倒していたので、あのジミ・ヘンがその頃すでにこのようなサウンドを完成していたのを知って(Ezy Ryderという曲にこの歳になって偶然出会って)彼こそロックの神様だと再確認するに至りました。
失礼かもしれないけど今生きている「神」と呼ばれるプレーヤー(クラプトンしかり、シェンカーしかり)はまだまだその領域に達していないと思えてきます。
そんなすごいプレーヤーだったジミ・ヘン。
それを再認識するきっかけを作ってくれた無節操な音楽番組「Still Shine」・・・早起きは三文の得、を僕は図らずもしてしまいました。
そう、クリームの「サンシャイン オブ ユア ラブ」です。
そうですか、1997年の新譜ですか。 今度、聴いてみます。
このアルバムを聴くと、それまでの3枚のスタジオ制作のアルバムと「香り」が違いました。
ブラック・ファンクのグルーヴ感とジミ・ヘン節がうまく絡み合って、後年の技術を用いて本人不在で制作されたとはいえ、この路線でどんどん行ってくれたらどんなにすごいことになっていただろう、と思わせる内容になっています。
彼の早すぎた死が、今さらのように残念です!