徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

「愛の国から幸福へ」ブームはいずこへ?「なでしこジャパン」はブームにしてはいけない!

2015-07-12 10:33:11 | 日記・エッセイ・コラム
少し前のNHKニュースで熊本県あさぎり町のおかどめ幸福駅(今は正式にはファッションハウスクローバーおかどめ幸福駅というらしい)のことが放送されていた。結構、お客さんが来ているらしい。

(ウィキペディアより)
それで、思い出したのが、かつての「北海道の幸福駅」のブームのこと。
(ウィキペディアより)
同じくウィキペディアで検索すると
「幸福駅」の駅名の由来は次のとおりである。

近隣を流れる札内川は、広大な河原のわりには水量が少ない。そのためアイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれていた。1897年(明治30年)、福井県大野から集団移住が行われ、入植者によって拓かれた村には幸震の字があてられた。「ナイ」に震をあてたのは、地震のことを古語で「なゐ」と呼ぶためである。しかし難読であるため、次第に音読みで「こうしん」と呼ばれるようになった。その後、幸震には福井からの移住者(「福井団体」という)が多かったことにちなみ、集落名が幸福と改められた。

また、ブームになった経緯は次のように書かれていた。
この駅は一部の旅人に注目されていたが、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 〜帯広〜』として紹介されたことから知名度が上昇した。

周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅付近の商店も入場券の販売をするようになる。特に幸福駅より2つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなる。
(ウィキペディアより)
1974年にはこれを元にした歌「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)も登場した。前年には7枚しか売れなかった愛国 - 幸福間の切符が、この年は300万枚、4年間で1000万枚も売れた。観光客が多数訪れるようになり、待合室の内外に利用者が名刺や使用済みの定期券などを記念に残すようになったのもこのころからである。

隣の大正駅を始めとして広尾線には愛国駅など縁起のよい名を持つ駅が点在しており、これらの駅との間の乗車券も活発に発行された。例えば「大正駅 - 幸福駅」で「たいそう幸福」といった具合である。あるいはそれらの駅相互の間でも「新生駅 - 大樹駅」などの切符が人気を集めた。

しかしこのブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった。最末期は一日片道6本という同線の便数の少なさもあって、この駅を訪れる観光客自体観光バスやレンタカーを利用することが多かった。同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった。

現在は、帯広市によって「交通公園」として観光地化されているようである。

このこととは、直接関係ないが、「なでしこジャパン」準優勝おめでとう!
「ブーム」でなく「文化」にという宮間主将の言葉。
本当に、ブームでなく、強さを持続してもらうために、国民全体でサポートしていかねばならない。


参考
ウィキペディアより引用させていただくこことが時々あるので、本日、ウィキペディアに少額であるが、ネットで寄付させていただいた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人生は「障害物競走」or「... | トップ | ユニークフェイス  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事