私が現在住んでいるのは三重県伊賀市島ヶ原という場所で現在は人口が2500人ほどの集落だ。
伊賀市の北西端に位置し、東隣は伊賀市上野、西隣は京都府南山城村、南隣は奈良市月ヶ瀬、北隣は甲賀市信楽という4府県の境界にあり、13年前に伊賀市に合併するまでは人口3000人くらいの独立した村であった。(そのため以下「村」という)
村の中心を東西に木津川と国道163号線と関西本線が走り、明治30年という古くから「島ヶ原」という駅もある。奈良まで約45分、大阪の天王寺や京都まで約1時間半、大阪の梅田や名古屋へは約2時間という場所である。
北に北山と呼んでいる600mほどの山があるため、雪もめったに降らない。盆地のため寒いが。
古くは東大寺の荘園として機能し、正月堂というお寺が村の中心部にあり、秘仏十一面観音像(33年に1度の開帳で2年前になされた。詳しくはこのブログにも掲載)や二月堂の修二会と同じだけ古い伝統行事である修正会も毎年2月11日~12日に行われている。(詳しくはこのブログにも掲載)
江戸期には大和街道の宿場町として栄え、今でも当時大名が宿泊した本陣が残されている。
それ以外に天理教の大教会があり、島ヶ原カントリークラブ(ゴルフ場)があり、やぶっちゃランドという立派な天然温泉・キャンプ施設もある。(ここのお湯はさらっとしていてぬるっとするスベスベ感あり)
このようなところで生まれ育ったわけだが、ご多分にもれず、人口は減り続けている。
若者が外へ出て働き、帰ってこないというのが一番の原因である。
しかし、そうした、状況に「待った」をかける流れが今少し出来つつある。
少し前から駅前で、学生の方がたくさん来られて地元の材木でコテージのようなものを作ったり、村の活性化のために瓦版を作ってくれたりしているのは知っていた。
また、3年ほど前から、若い夫婦が農業をしに遠くから来て下さっているのも知っていたが、昨日参加したPLAYというイベント(PLAYについては、http://www.artistbank-jp.comをご覧下さい)で、若い陶芸家夫婦が2年前から来てくれていることを初めて知った。
大阪の芸術大学を卒業されて、陶芸の道に目覚め、どうしても土の窯で売れる作品を作りたいという情熱にかられていたところ、この村で適当な家を見つけられ、お住まいになられているとのことであった。
ご主人は大リーグのイチロー選手のような方で、陶芸に対するまなざしは真剣そのものであった。
この村の印象について、
とにかくのどかで落ち着くし、人の顔が見える交流が適度にある。隣の上野まで車があれば15分で行けて買い物も便利だし、少し寒いことを除けば不便なことはないとのことであった。
確かに、地元にあまり働き口がなく奈良や大阪へ通うのが不便だが、陶芸をするには支障がないだろうと思う。
また、ご夫婦の話を聞いていて思ったのだが、
今まで、「都会にはあってこの村にないもの」ばかりをネガティブ(悲観的)に考えていたのだが、
この村の持つポテンシャルなエネルギー(それは、自然や風土や人の温かさや適度な便利さなどなど)は「この村にあって都会にはないもの」だという逆転の発想で考える重要性を教えてくれた。
こうした、この村の価値に気づいてくれる若い力が徐々にでも出来つつあること、また、そうした村の価値を気づかせてくれるイベントを企画運営してくれる若い人がいることを嬉しく思う。
このイベントのために時間をさいてくれる地元の方々もたくさんおられたが、自分もできる範囲で協力させてもらいたいと思う。
伊賀市の北西端に位置し、東隣は伊賀市上野、西隣は京都府南山城村、南隣は奈良市月ヶ瀬、北隣は甲賀市信楽という4府県の境界にあり、13年前に伊賀市に合併するまでは人口3000人くらいの独立した村であった。(そのため以下「村」という)
村の中心を東西に木津川と国道163号線と関西本線が走り、明治30年という古くから「島ヶ原」という駅もある。奈良まで約45分、大阪の天王寺や京都まで約1時間半、大阪の梅田や名古屋へは約2時間という場所である。
北に北山と呼んでいる600mほどの山があるため、雪もめったに降らない。盆地のため寒いが。
古くは東大寺の荘園として機能し、正月堂というお寺が村の中心部にあり、秘仏十一面観音像(33年に1度の開帳で2年前になされた。詳しくはこのブログにも掲載)や二月堂の修二会と同じだけ古い伝統行事である修正会も毎年2月11日~12日に行われている。(詳しくはこのブログにも掲載)
江戸期には大和街道の宿場町として栄え、今でも当時大名が宿泊した本陣が残されている。
それ以外に天理教の大教会があり、島ヶ原カントリークラブ(ゴルフ場)があり、やぶっちゃランドという立派な天然温泉・キャンプ施設もある。(ここのお湯はさらっとしていてぬるっとするスベスベ感あり)
このようなところで生まれ育ったわけだが、ご多分にもれず、人口は減り続けている。
若者が外へ出て働き、帰ってこないというのが一番の原因である。
しかし、そうした、状況に「待った」をかける流れが今少し出来つつある。
少し前から駅前で、学生の方がたくさん来られて地元の材木でコテージのようなものを作ったり、村の活性化のために瓦版を作ってくれたりしているのは知っていた。
また、3年ほど前から、若い夫婦が農業をしに遠くから来て下さっているのも知っていたが、昨日参加したPLAYというイベント(PLAYについては、http://www.artistbank-jp.comをご覧下さい)で、若い陶芸家夫婦が2年前から来てくれていることを初めて知った。
大阪の芸術大学を卒業されて、陶芸の道に目覚め、どうしても土の窯で売れる作品を作りたいという情熱にかられていたところ、この村で適当な家を見つけられ、お住まいになられているとのことであった。
ご主人は大リーグのイチロー選手のような方で、陶芸に対するまなざしは真剣そのものであった。
この村の印象について、
とにかくのどかで落ち着くし、人の顔が見える交流が適度にある。隣の上野まで車があれば15分で行けて買い物も便利だし、少し寒いことを除けば不便なことはないとのことであった。
確かに、地元にあまり働き口がなく奈良や大阪へ通うのが不便だが、陶芸をするには支障がないだろうと思う。
また、ご夫婦の話を聞いていて思ったのだが、
今まで、「都会にはあってこの村にないもの」ばかりをネガティブ(悲観的)に考えていたのだが、
この村の持つポテンシャルなエネルギー(それは、自然や風土や人の温かさや適度な便利さなどなど)は「この村にあって都会にはないもの」だという逆転の発想で考える重要性を教えてくれた。
こうした、この村の価値に気づいてくれる若い力が徐々にでも出来つつあること、また、そうした村の価値を気づかせてくれるイベントを企画運営してくれる若い人がいることを嬉しく思う。
このイベントのために時間をさいてくれる地元の方々もたくさんおられたが、自分もできる範囲で協力させてもらいたいと思う。