徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

田中泯(たなか みん)氏と挟土秀平(はさど しゅうへい)氏の圧倒的な存在感(スイッチインタビューより)

2015-09-20 17:47:12 | ひと
先日放送されていたタイトルの番組。
見た人はたぶんほとんどの人が凄いと思うであろう熱い共演だった。見ていない人は是非、見ることをお薦めする。

そもそも、このお二人知る人ぞ知るであるが、
私は、田中氏は朝の連続ドラマ「まれ」の民宿のおじんさん役でしか知らなかったし、挟土氏にいたっては、初めて知った次第である。

でも、このお二人、テンションが常人とは違う。目つきが違う。エネルギーが違う。凄まじい「存在感」がある。

田中氏は基本的にダンサー。
(田中氏の公式webより)
といっても、ふつうのダンスと違って、「場踊り」という、即興の前衛的な踊り。
(大泉洋に言わせれば、「邪馬台国の人」のよう。言い得て妙)
それは、何かに勝手に体を動かされるかのように踊る。
どのようなものかは、「ウミヒコ ヤマヒコ マイヒコ」という映画を見ればわかるらしい。

挟土氏は飛騨高山を拠点に活躍する左官職人。
(挟土氏の公式webより)
来年の大河ドラマ「真田丸」のタイトルを左官のコテで土に描く。

以下、番組の中で私の心に残っていることを少し書いてみたい。(言っている内容は少し違っていると思いますので、ご確認ください)

挟土:とかくシンプルなものを美というが、過剰なものを全て取り去ったものがシンプル。
田中:華美じゃない昔のお祭り。
挟土:ちんどんや。図面も計画もなくて、ぶっつけ本番。
田中:計画じゃなくて、体になるのが目的。
二人:自分が動いていて、後から頭がついてくる
挟土:仕事は選ばない。両極端の仕事をすると見えてくるものがある
田中:それが命の幅。

つまり、二人とも、考えて体を動かすことなく、勝手に体が動くという
(ただ、場からはみださないように一定の範囲は意識しているようだ)

田中:踊りは言葉以前のコミュニケーションの方法。
   私が踊り出すとちょうちょやトンボが体に止まることが良くあるが、地球上の全ての命と縁があると感じている。
   自分の踊りを見た人に、感じてくれることが「存在感」

二人:自分らは臆病。自信の裏付けがあってやっているのではなく、自信がなくても何かやる。
田中:自分がやる役は「もし自分が今の自分でなかったら、この人になっていたかもしれない」という人を演じている。
   固定されるのはイヤ。死ぬまで新鮮でいたい。


もう、脱帽しかない。天才とはこういう人たちのことだろう。
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