この前入院した時、前から購入して読めてなかったこの本を読んだ。
この本は既に発売から3年を経過しているが、最近ドラマでこのタイトルのものが始まったということで、影響力が大きい。
もう、既に読まれた方も多いと思うが、私流に解釈すると、この本の一番大きなテーマは
今まで信じてきた原因論による心理学を目的論による心理学により否定しているところである。
と書いても何のことかわからないかもしれないが、
ふつう我々は、できないことの理由づけをしたがる。
家が貧乏だからとか、親が偉くないからとか、先生が教え方が悪いとか、つきあってる友達に誘われてとかなんとかかんとか理由を付けてできないという。
しかし、アドラーはこういう。
「大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」と。
だから、「人は変われる。そのためには勇気がいる。変わらないでいるのは、自らに対して変わらないということを決心しているからである」と。
つまり、「もしも、○○だったらと可能性の中に生きている内は変わらない。変われないのは、自分の短所ばかり見て長所を見ようとしないから。
自分が他者から嫌われ傷つくことを怖れているから」と。
ここまで読んで読者の方も思い当たることがあるのでは?
我々はオギャーと産まれてくる。その時はみんな人間としてはほとんど同じ。
それが、10歳くらいまでに周りの環境にも影響を受け性格形成される。
そして、段々と他人との競争の中で多くの人はへこんでくる。
弱い自分は強い人に認めてもらうしかない。
そのため、自分の意思を明らかにせず、従うことで社会と調和しようとする。
しかし、それでは、いつまでたっても自立しない。つまり自由ではないのだ。
それを打ち破る考えが「嫌われる勇気」
八方美人の生活を捨て、10人の内1人くらいに嫌われようと、自分を応援してくれる人と協力して前向きに行動することこそが大事なのだ。
しかし、このことはアドラーが人に嫌われるように生きなさいと言っているのではない。
もちろん、人に好かれることは良いことである。
人に感謝してもらうことをすることも良いことである。「他者貢献」
それが、生きがいにつながっていることも認める。
しかし、人の顔色をうかがってばかりいると自分でなくなる。
ありのままの自分にできることをこつこつと積み上げること、
将来なりたいことへ向けて歩み出すということ
失敗してもいいから「今」を大事にして全力で行動するということ。
これこそが、人生において最も大事なことであると言っているのだと思う。
そして、もし、自分の周りに立ち止まって悩んでいる人がいるとしたら、
命令するのではなく、その人の長所を認めて、その人が自信を持って進めるように「勇気づけ」をしてあげなさいと言っている。
そして、これはすぐには受け入れにくいと思うが、
人は目標を山のように考えて登っていこうとするが、別に山に登る必要はない。
どこに到達するかではなく、どう生きたかが問われるのだ。旅そのものが目的なのだ。
だから、特別な存在になろうとするのではなく、「普通であることの勇気」が必要だという。
そう考えると、ちょっと気持ちが楽になったと思うと同時に目標を失ったように感じる。
ここのところは、人それぞれでかまわないと思う。
特別な存在であろうと努力することも必要だと思う。
過去を後悔することに時間を費やすことも、いつ死ぬかもわからないのに高い目標を掲げてストイックになることもムダなのかもしれない。
「人生とは連続する刹那である」
この意味をかみしめましょう。
この本は既に発売から3年を経過しているが、最近ドラマでこのタイトルのものが始まったということで、影響力が大きい。
もう、既に読まれた方も多いと思うが、私流に解釈すると、この本の一番大きなテーマは
今まで信じてきた原因論による心理学を目的論による心理学により否定しているところである。
と書いても何のことかわからないかもしれないが、
ふつう我々は、できないことの理由づけをしたがる。
家が貧乏だからとか、親が偉くないからとか、先生が教え方が悪いとか、つきあってる友達に誘われてとかなんとかかんとか理由を付けてできないという。
しかし、アドラーはこういう。
「大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」と。
だから、「人は変われる。そのためには勇気がいる。変わらないでいるのは、自らに対して変わらないということを決心しているからである」と。
つまり、「もしも、○○だったらと可能性の中に生きている内は変わらない。変われないのは、自分の短所ばかり見て長所を見ようとしないから。
自分が他者から嫌われ傷つくことを怖れているから」と。
ここまで読んで読者の方も思い当たることがあるのでは?
我々はオギャーと産まれてくる。その時はみんな人間としてはほとんど同じ。
それが、10歳くらいまでに周りの環境にも影響を受け性格形成される。
そして、段々と他人との競争の中で多くの人はへこんでくる。
弱い自分は強い人に認めてもらうしかない。
そのため、自分の意思を明らかにせず、従うことで社会と調和しようとする。
しかし、それでは、いつまでたっても自立しない。つまり自由ではないのだ。
それを打ち破る考えが「嫌われる勇気」
八方美人の生活を捨て、10人の内1人くらいに嫌われようと、自分を応援してくれる人と協力して前向きに行動することこそが大事なのだ。
しかし、このことはアドラーが人に嫌われるように生きなさいと言っているのではない。
もちろん、人に好かれることは良いことである。
人に感謝してもらうことをすることも良いことである。「他者貢献」
それが、生きがいにつながっていることも認める。
しかし、人の顔色をうかがってばかりいると自分でなくなる。
ありのままの自分にできることをこつこつと積み上げること、
将来なりたいことへ向けて歩み出すということ
失敗してもいいから「今」を大事にして全力で行動するということ。
これこそが、人生において最も大事なことであると言っているのだと思う。
そして、もし、自分の周りに立ち止まって悩んでいる人がいるとしたら、
命令するのではなく、その人の長所を認めて、その人が自信を持って進めるように「勇気づけ」をしてあげなさいと言っている。
そして、これはすぐには受け入れにくいと思うが、
人は目標を山のように考えて登っていこうとするが、別に山に登る必要はない。
どこに到達するかではなく、どう生きたかが問われるのだ。旅そのものが目的なのだ。
だから、特別な存在になろうとするのではなく、「普通であることの勇気」が必要だという。
そう考えると、ちょっと気持ちが楽になったと思うと同時に目標を失ったように感じる。
ここのところは、人それぞれでかまわないと思う。
特別な存在であろうと努力することも必要だと思う。
過去を後悔することに時間を費やすことも、いつ死ぬかもわからないのに高い目標を掲げてストイックになることもムダなのかもしれない。
「人生とは連続する刹那である」
この意味をかみしめましょう。