宗葉の、チョイト思う事。言いたい事。

意見のあわない方は、御容赦。

柴山全慶老師

2006-10-17 10:29:51 | 禅とは
仏教・禅は「中道」の人格上の体現

「禅はあくまでも自己が身をもって体得した事実でなければ
ならず、事実の影にすぎない思想や知識であってはならない。
「無」とは有無を超えるものである、一切の二元的分別を尽
しきった絶対的一者のことだ、などと知解をろうしていたら、
真の「無」は永久に失われてしまう。」
「自と他、主観と客観の二元的分別心を超えて、超個にして
しかも個である一如の妙用(自由無礙な禅的働き)に生きる
ことである。」
「実践的な禅の修行では「声に随い色を逐う」すなわち二元
的な分別意識におぼれて、客観界に引き落されることを何よ
りも避けなければならない。禅は普通次元でいう主客を共に
超えて、絶対主体として生きる真実の自己を確立するものだ
からである。」

禅の究極の目的は、悟りの体験によって全く新しい宗教的人
格を完成し、一瞬一瞬、一挙手一投足に禅を生きることにあ
る。この根源的な悟りの体験を欠くならば、どんなに優れた
技能も心的状態も、それはもはや禅ではない。」
悟りを得た者は、そこにとどまることなく、苦悩する人々の
中に入り、悟ることによって見た本質を生活に体現して、
人格的な体現をつづけなければならない。

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