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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

十五夜です

2016-09-16 01:12:36 | 日記

 

今日はどうしようかと迷っていた。シン・ゴジラをもう一度見たいし泳ぎにも行きたい。だが両方は時間的に難しい。悶々としていたら、山車の人が寄付金集めにやってきた。これでなんとなく水泳は止めになった。

 

 

シン・ゴジラを見に出たのだが、すると今度はお祭がきになる。なるようになると思っていたら、もう見る気力がなくなっていた。そう、あの映画は疲れるのね。さすがに2日連続はきついというのがよくわかった。

ということでシンゴジラから逃げて、喫茶渡辺による。

 

 

結果今日は何もしなかった。喫茶渡辺にメニューがあったというのを発見しただけだった。

 

 

でもシンゴジラの面白さは、多分あの情報量の巨大さなんだろうな。整理しない。あえて言うならばありすぎて整理できない。特に映像でそれをやってるもんだから意図的にやったとしてもわからないところが多いだろう。そう、見る側にとってはだ。だが関係者の数から行けばコントロールがかなり難しかったはずだ。だからある部分はアバウトな指示で作られていたのもあるのかもしれない。何しろ撮影だけで5班ある。

そしてなのだが、言葉がとても早い。情報量が多いから仕方がない。そしてなのだがカメラワークが早い。えらく早い。例えば冒頭の「春と修羅」が映るシーンだが、後で写真で出てくるのでわかりやすい伏線だし、中でも少し尺が長い。でも春と修羅で中身を思い出した時点でもう話は先に進んでしまっているのだから、えらく大変なことになっている。

だからレビューを書いている人たちは、いったいどういった集中をしてみていたのだろうか。

 

 

そういえば日経BPでゴジラ続編を期待する、という方がいた。北野武監督を期待しているという。この記事で重要な情報は「牧悟郎博士の写真が一度出てきますが、これは先にあげた国難映画『日本のいちばん長い日』の1967年の旧作を作った岡本喜八監督なんですね。」だろう。春と修羅の「「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」と重ね合わせて論考しています。

これはこれですばらしい論考です。

ただ北野武監督のゴジラとなると、彼が考えているようなものではなくなるでしょうね。再開発でヤクザが暗躍するバイオレンス東京と、兵器として欲しがる世界の列強との狭間でもがき苦しむ庶民、完全生物であるゴジラの細胞から生まれた魚のようなものを育てている、誰か。そう言った話になってしまいそう。

だから私は、10年後に誰がやっても構いませんがリメイクだけでいいです。続編は今現在だと悲惨すぎますので。だって、今回のバージョンで世界各国にゴジラの遺伝子情報がバラマカれて、サンプルも流れてしまったのですから。ゴジラの遺伝子情報は壮大すぎて遺伝子改良は難しいと思うのだが、うまく飼育して行けば人類並みに知能がアップすることも可能で、世界中の研究所で飼育されていたゴジラ細胞の中からそういった実験が行われる。そこに太陽バーストで起きた強力な電磁波で幾つかの施設からミニミニゴジラが脱出してしまう。あるものは原発の核燃料プールに入り、あるものは海底にある投棄された核物質に向かう。共生関係でゴジラの再生を促していた細菌群が個々に違うために撃破しやすいゴジラと、しにくいゴジラが起きて世界は混乱する。通常兵器でも倒せるゴジラがいて、核を落としたが故に強大化するゴジラがいる。やればやるほどゴジラは多様に進化して行き、対応できなくなる。

まあこういったときに日本の血液凝固されたゴジラが目覚めて世界を救うというのがいいところなのだが、日本のゴジラがもっと進化してしまうのだ。そらそうだ。それしかないだろう。ということで、人類は南極に押し込められるのだ。

で、世界中をゴジラが荒し回ってそれを倒しまくった日本のゴジラはエネルギー量が異常になり形態を維持できなくなり大爆発を起こして地球軌道すら動かして、人類は滅亡するのだ。でもなんとかした。裏側にいたゴジラに打てる核爆弾を全て打つのだ。

そしてこれを決断したのは、ゴジラ遺伝子を導入した新人類だった。

設定上、そういった話しか考えられないのだが。

まあそのときに月はどこにいるのだろうか。


遅まきながらシン ゴジラを見たよ

2016-09-14 21:07:48 | 日記

 

昨日の雨もようやく治まった。今日はシンゴジラを見に行こうと計画していた。何しろ日経BPオンラインがものすごい量の原稿を出している。「シン・ゴジラ」、私はこう読むとまとまっているほどだ。煽られますな。これは見たほうがいいとなったのが、昨日の夜。ものすごい巨漢とすれ違ったのです。まあこれは運命だろう。

あれはなんだったのだろうか。

 

 

と、八幡のお祭りですね。

さてと、誰もがやるいいわけだが、私は決してサブカルに詳しいわけではない。もう少し正確に言えば特撮怪獣ものには小学生低学年以降縁がない。一番好きなのはモスラだったが、あれはザ・ピーナッツが好きだったのだ。モスラ対ゴジラも見ていると思うが、あとはテレビかな。とはいえ覚えていないもののほうが多い。特になぜかキングギドラ対ゴジラに関しての記憶が全くない。ただ周りの情報が半端でなかったので、見たような気がしている。もしかすると見たのかもしれないが、多分ない。パンフレットを見てわかったのだが、夏休み映画三本たてとかで見たというのがかなりありそう。モスラ対ゴジラなんて年代的にありえないからだ。

当然初代ゴジラは生では見ていない。生まれていない。

その上18歳から向こうテレビがない生活を送っている。アニメ等も断片的にしかわからなくなっている。昔はあんなに見たのにな〜と本当に思う。ただ断片的に見る機会があるだけで積極的には追っかけていない。

 

 

オ、ペルシロンとブルトンだ。馬の品種ですね。ゴジラを前に、1トンの生き物を見るとは幸先がいいです。流鏑馬に使うのはアラブとサラブのようでした。

庵野監督の作品は、実は二つしか見ていない。第20回SFコンベンション(ダイコン3)のオープニングフィルムとエヴァンゲリオンの「序」だけだ。でも傾向はわかる。それは当時のSF状況と密接に関わっている。

ダイコン3のアニメだが、ただ単にロボットが走っているだけなのだ。いろいろ障害はあったと思っているが、走っているだけなのだ。ただ単に走っているのだ。これに衝撃を受けたのは、多分当時のマニアックな人たちだけだと思う。それは今までのロボットアニメの全否定だったのだ。ロボットは走ることすら難しいという現実が出ていたのだ。それでは今までのロボットアニメはどうだったかといえば、ガンダムが最先端だった。宇宙でロボットが戦うためにはどうあればいいのかという観点が徹底していた。画角という考え方もそこをモビルスーツが移動する時間も計算されていた。当然若干のディフォルメはあるにしても設定との誤差の少ない演出を心がけていた。

だがやっぱり宇宙では足はいらないんですね。なので私らの周囲でエルメスが最大評価された。足がない。そう、ガンダムでジオンファンが多いのは、ジオンのほうが実は最先端だったということがあります。まあ魔法の粉の登場で変わってくるわけですが、かっこいいガンダムに対して理屈的にうまくできているザクとかエルメスのほうにシンパシーを感じるのですよ。

まあ今現在のガンダムに富野監督がサジ投げているということで私の感想にしておきましょう。

かっこよさは徹底していなければいけないんですね。

 

 

なんで鹿舞があるのかな。これも幸先がいい。

で、エヴァの「序」なんだけどあれはすごかった。今までのアニメシーンの集大成でありすべての矛盾を消しとばしたドラマだった。本当に過去の作品からのかなりの引用がある。でもそれを矛盾なくすべてつなぎ合わせて全く違うものができていた。特に敵の造形が、完璧だったのだ。複雑なものは弱い、この鉄則がある。単純で恐ろしい動きをするものこそが怖い。で、そのとうりなのだが最大の矛盾を、つまりロボットアニメの矛盾を、ロボットではなくしてしまったのだ。意志のない生命体にしてしまったのだ。そう敵もそうなのだ。

逆説的に、人が守るのは徹底した機械化した世界になる。うん、あれは素晴らしい。

僕が大好きなのは表現ではなくて、構造なのだ。だから「進撃の巨人」の構造は分かりにくい。

 

 

オオ〜映画館に来てしまったよ。もうどうしましょ。

さて日経BPというのはある意味論壇誌としても機能していまして、トンデモナイ奴がいます。宮沢賢治の春と修羅との絡みはすごいですよ。多分これだけでも十分楽しんだ気分になります。ネタバレになりますが、盛岡では一応明日で上演が終わるのでまあいいかな。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

そう、この伏線こそがすべての矛盾を覆い隠す、大矛盾ですね。



うわ、終わったよ。余韻をたっぷり残して終わったよ。もう語り尽くせない気分なのだが、エンドロールで席を立つ人がいないと聞いてはいたが、本当に少ない。今日は最終日前で、木曜メンズデーの割引もない。そして2時50分開演でも30人以上人がいた。まず終了どんずまりでこんなに人がいるのは異例だし、エンドロールで客がバラバラ立つこともない。映画がどんなにすごくともこういったことは滅多にない。

多分音楽がすごいのだ。とにかく使い方がすごい。伊福部昭風の作曲とかヴォルフのカルミナブラーナー風の作曲とか劇中音楽がさもありなんという音楽なのだが、抑えている。その上確か第三形態の時に伊福部のメロディーラインで作曲し直すとか、微妙な盛り上げ方なのだ。そう期待感と持続感、ここがすごいのだ。

で、地味なんだけどヤシオリ作戦に成ると音楽がマスクをかぶったようなエフェクトになるのだ。ここはもうここから先の超荒唐無稽を、こちらが主体になっている効果がある。マスク越しで聞く音楽ではなく、彼らが聞いている音楽なのだ。それはマスク越しなのだ。もちろん話す声も同じエフェクトだから声に合わせているとも言えるが、あえてそうしたと思う。それが臨場感なのだ。

でエンドロールで流れるのは歴代ゴジラの伊福部の作品を、当時の録音を直したものだ。もう立てるもんじゃないだろ。音楽がエンドロールを見せてしまうのだ。

わかっていると、もう絶対に立てない。そう、この作品は明らかに過去の名作を踏襲しながら、圧倒的に超えてしまったからだ。過去の名作を回想する時間がそこにある。

 

 

映画館を出て、タバコを吸っていたらたった10分間にゴジラ体型の男性が3人通り過ぎた。

街を見てもゴジラが通過したと見えます。マンション改修工事なのだが。

 

 

特撮マニアの庵野監督だったら、絶対なんとかなると思ってはいたが、ここまで全部を切り捨ててディテールにこだわった挙句に、徹底してフィクションにこだわった作品も滅多にないと思う。日経BPで自民党の石破氏が語っている。

国家主権を守るということが独立と言うことです。国の独立を守るのが軍隊の仕事で、そこで発動されるのが自衛権なんです。自衛権とは国の独立を守るためのものなんですが、攻撃の主体は常に国または国に準ずる組織となる。これって基本中の基本なんですけれど、でも大学でも教わらない。」

ここから始まる話なのですが、石破氏はやっぱりすごいですね。同様の指摘を枝野氏も話しています。法的にはかなり難しいことが起きています。

国家とは何かという問題を実は描いていまして、そこが最も重要なところです。

 

 

多分私だけだと思うけど、ゴジラに全く意思がないという点は大きかったと思う。野村萬斎が中に入っている。ここに批判をする人がいるようだが、結果としてそうなったと思う。ゴジラの演技をできるスーツアクターがいなくなったのだ。その前に生活習慣が大きい。畳から椅子への移行は大きい。そしてなんでもできるスーツアクターしか活躍できない時間が長かった。

でもこの映画のゴジラはモーションキャプチャーなので後から多大な修正が入っているはずなのだ。確実に前半の腕の演技はない。

野村萬斎は必要がないのではないのか?歴代のスーツアクターの2Dモーションキャプチャーの集大成でよくはないのか。

必要なのだ。徹底的に必要なのだ。野村萬斎が嫌いな人が多いので、あえて言う。

今のゴジラだから必要なことがあるのだ。過去のことができる今の人でないと全く成立しないのだ。

最後に、設定上ゴジラは矛盾点だらけだ。ただ人間関係の矛盾点は限りなく抑えられている。もちろん作品の中で「ロジは」という言葉があったと思うが、恐ろしく矛盾している。北海道からどうやって戦車部隊を持ってきたのかとかイロイロだが、初作のオマージュとしておいても、ヤシオリ作戦の重機軍は、特にパワーショベルだが、その中でも最高にでかいやつだが、あれは現地組み立てなのだ。時間がある設定だからなんとかなるのかなと思うが、がれきが散乱する中での作業は多分完璧ムリだろう。しかも2台用意した。

でもあそこでは、あれでないと全く成立しないのだ。だからイチャモンはこれ以上言わない。

だが、これがゴジラだ。これこそがゴジラだ。

「仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です」

全てがくつがえって清々い。

もっとも矛盾点がないゆえの矛盾点と、最も合理的ゆえの不合理とが見えるこの作品こそがゴジラだ。だから第1作が完璧なのだ。

そう言っておけばいい?


そして雨

2016-09-14 01:28:46 | 日記

 

昨日の夕方から降り始めた雨は小糠雨と言うのだろうか、細く弱く続いた。少し強い時もあって0.5ミリの降水量を記録した。真夜中から強く降り始めた。レーダーでのデーターでは沿岸に強い雲が溜まっていた。かなり降ったように見える。

そして今日は午前中はさほどでもなかったが昼からずっと降り続いた。台風10号の被害から2週間経ったがこうして雨が降ると、少し不安になる。今日は結果22.5ミリの雨が降った。

 

 

台風10号の時は中国北部と北朝鮮にも被害が出ると思っていたが、中国の豪雨はニュースになっていたがそれも数日遅れだった。そして北朝鮮の豪雨が、2週間経って届いた。BBCだ

国連と国際赤十字委員会によると、北朝鮮政府は死者133人と行方不明者400人近く、住宅の破壊や農作物への被害を報告している。」

国連人道問題調整事務所(OCHA)は、14万人が「援助が喫緊に必要となっている」と述べた。国連のムラート・シャヒン氏は、被害の規模は「地元当局が経験したことがない」ものだと語った。」

正確には台風10号だけではなく、台風10号でピン止めにされた低気圧が長雨を降らせた上に、温帯低気圧に変わった10号が入ったのだが、AFP通信の写真からは、かなりの被害だったことがうかがえる。中国との国境を流れる豆満江の氾濫が原因のようだが、北朝鮮は食糧増産のために無理やりな開墾をしたのと、燃料不足で木を切り倒して山の状態がとても悪いと伝わっている。結果洪水が起きやすくなっているという。結構頻繁に大災害が起きているイメージがある。90年代に水害と干ばつで苦しんだ時には、300万人が餓死したとも言われている。

その最中に原爆実験を行ったというのは、一体全体どうなのだろうか。だが、実験のおかげで洪水がニュースになったというのは皮肉だ。

 

 

フレディ・マーキュリーが小惑星になった。亡くなった年の1991年に発見された惑星番号17473に、国際天文連合が名付けた。

「フレディー・マーキュリーは『僕は空を跳びまわる流星だ』と歌った。それがますます本当のことになった。たとえ空を跳びまわる『フレディーマーキュリー』を見られなくても、間違いなく空にいる。歌のように『エクスタシーの中を漂って』、何千年も」

アメリカのオバマ大統領がフィリピンのドゥルテ大統領に麻薬撲滅のために司法にかけずに2400人を殺害している状況に憂慮していると、日本語なんで曖昧に書きますが、それに対してドゥルテ大統領が「敬意を示せ。ただ質問やコメントを言いたい放題するんじゃない。売春婦の息子め、その場で罵倒してやる」といったので、会談がキャンセルされてしまったのがこの前のアセアン首脳会議。BBCはねちっこく追いかけています。目を合わせただけで記事にしています。イギリス人というのは面白いもので、オチがひねっている。

ドゥテルテ大統領はこのほかにも、ケリー米国務長官を「狂ってる」と言い、ローマ法王フランシスコ1世も「売春婦の息子」と罵倒している。ただし、フィリピン世論はドゥテルテ政権の麻薬取締政策を強く支持している。」

カソリックの国のフィリピンで言っちゃったというのは、法王をどう考えているんだという気もするが、ドゥルテ大統領が何か言うたびに、フィリピンの外務大臣がえらい目にあっている。最近もアメリカとの同盟関係は変わらないと言っている。だがその先に中国とロシアが南シナ海で軍事演習するし。

オチは特にないのだが、ニューズウイークの八田真行駿河大学台大学経済経営学部専任講師・GLOCOM客員研究員の「レイシズム2.0としての「アイディンティタリアニズム」という記事が面白い。まあせっかくなのだから、本人のブログを張っておく。前に「オルタナ右翼」について書いていたが、アメリカの右翼思想の動向が書かれている。ブログなのでまとまってはいないが非常に優れた論考だと思う。何しろ速報なのだ。

矛盾した言葉だ。優れた論考が速報であるということは、実際のアメリカの右翼がいかに移ろいやすいかということなのだ。その意味では日本のネトウヨも同様の傾向があると見えてくる。それがポストモダン状況なのだが、ここまで明確になってしまえば、これもまた大きな物語になる

いずれその先にさらに大きな物語が復活するのかどうなのかだが、イスラムのメッカ巡礼が今年は低調だったということで、この原因には原油価格低下とかISISの問題とか為替の問題とかもあるようだが、宗教が経済に負けたのかもしれない。

金一強の世界だからこそ、分断されるのだな。


曇っていました

2016-09-13 01:18:18 | 日記

 

今日は早起きをする予定だったが、3度寝した挙句昼前にようやく起きた。だから2度起きてはいるのだが、3度目でやっと寝床から上がったわけだ。

昨日は日曜だったので近所の米屋が休みで、スーパーで買おうと思っていたらすっかり忘れてコンビニに行くと、昨年までのコンビニ3合米というのはもう廃れてしまったようで、どこにもない。仕方なく密封式のパックのご飯を買っておいたのでそれを食べる。だがバカにしたものではない。かなり美味しかった。

ご飯はそれで時短できたのだが、時間がない。泳ぎに行くからだ。ただ天気がどうなるのかわからない。天気情報を総合してみると午後4時までは小雨が降る可能性があるが、3時までだとなんとかなりそうだ。だから早く起きなければいけなかったわけだが、とにかく出発する。

 

 

メドハギにピンクがあるとは知らなかった。黄色もあるようだ。ヤマハギと交雑するのだろうか。

1500メーター泳ぐ。水中エアロビ講座があって2コース使われて、解放しているのは2コースのみだった。ウ〜ン、そう。公共プールといえども自主事業で経営を安定させなければいけないし利用促進を図らなければいけない。大昔、肴町のプール廃止でどうなるのかということで、民間のプールを調べたが、自主事業がやっぱり多くて常に解放しているコースを用意している事業者はいなかった。リハビリ用のプールを用意している施設での解放も、時間限定だ。だが大体のリハビリメニューは午前中に行われるようで、解放時間は長いのだが締める時間が早い。6時以降は解放しない。

常に一般に解放しているコースがあるというのは、公共施設でないとほぼありえない。そしてプールに付きものの監視員たちは、指導者の資格を持っているのも多い。そうなれば当然自主事業をしなければいけない。人件費軽減の問題だ。その上選手育成とかそういった目標を言わないと、何やってんだと言われるのがスポーツの世界でして、だから自主事業に力が入るのですが、肴町の時にもうこれはどうなのという状態だった。

総合プールは大きいので問題は少ないが、ゆぴあすは建設当時からそれを私は問題にしていた。4コースは少ない。せめて5コースか6コースだろう。そういった。いったが、当時の理由はよくわからないものだった。民間のプールが充実して公共事業としてはどうなのか(その後民間のプールは最低二つ消えた)、総合プールができれば解決する、ゆぴあすはレジャー主体なので水泳コースはこれ以上いらない、と言われた。

ただ当時どちらかといえば高齢者の水泳団体に関わっていたので、今後の高齢化社会に対してもスポーツ、特に軽運動に属する水泳のウエートは大きいと言っていたのだが、まあもう少しゴネればよかったのだろうか。後一つコースがあれば、もう少し幸せだったと思う。

ただ、当時の盛岡市政は長期政権の市長とその後に続く助役だった人物の、それこそ20年近い政権だった。なのである意味長期展望で計画した街づくりができたのだが、反面昔に作った事業が生き残りやすかった。そして後にできた計画との齟齬が出やすかった。三ツ割のゴミ焼却場を作った時に用地を収得していたというので、このゆぴあすのあるクリーンセンターは疑惑になった。当時はダイオキシンの問題やその他煙害の問題は誰も言わない時代だったが、クリーンセンターの用地収得と同時に松園ニュータウン計画が行われており、クリーンセンターは初めっから建設するつもりでニュータウンを造成したのかとなったわけだ。当然もめた。ただクリーンセンターに近い北松園の造成を認めたという時点で、ある意味最悪の都市計画になってしまったわけだ。

なお三ツ割のゴミ焼却場の建設の時に、三ツ割に排熱利用の温水プールを作る計画があった。だが当時あんな僻地にということで話は流れて、プール建設だけが残って高松の勤労青少年プールができたというウラ話しがある。この流れが肴町の屋内プールにもあったわけだ。

そういったことは市民は知ることもなく、計画ができて実行段階で了承を得るという、民意とかけ離れたことが往々にしてあった。クリーンセンターの住民懇談会でもサクラが入って建設容認にしようという流れが大きく、反対派は悪だという感じで、しかも市長も助役も薄ら笑いを浮かべながらの気持ちの悪いものだった。

そもそも肴町の市民プールは、2階にアルミのプールを乗せたのが最大の失敗だった。それさえなければ、鉄筋コンクリートの耐用年数からいっても存在しているはずだ。アルミには坑食という現象がある。アルミの雪平鍋で穴が開くことがあるだろう。お湯を沸かすだけでも起きる時は起きる。なのでアルマイト加工して表面処理をするわけだ。ワイヤーブラシでそれを剥ぎ取れば、割と簡単に起きる。

そこにコンクリートと直接接地させた。そこに鉄分があり化学反応、正確に言えば電気化学反応が起きたのだ。もちろんプール内部はペンキで覆われているから水の流出はないはずなのだが、結露とかそういったことで水分が存在して化学反応を起こした。結果坑食が進行したのだ。だがそれだけではない。アルミのプール躯体に鉄のパイプをくっつけたのだ。もちろんパッキンは入っていたと思うが、鉄のボルトで固定していたために、金属間の電位差の反応がさらに進んでしまった。つまりボルトにまでパッキンを用意しなかったのだ。

開業後10年で、鉄とアルミの酸化物で浄水槽が完璧にダメになる。水漏れはアルミのせいだが、鉄分が多かったので特にへたったようだ。そして、その頃には先が見えない状態で、人が泳いでいたものだった。まあミネラル分だからいいのかもしれない。でも水質基準を守っていなかったというのは間違いがない。

こういった工法で建設させた人と、こういった水質で人を泳がせていた人たちはお咎めがなかったようだ。まあ泳がせていた人たちには罪はないが、工事をした人たちは損害賠償請求されてしかるべきだと、今でも思う。

一番の問題は、なぜ私がこういった経緯を知っているかということだ。それは高松のプールでのことだ。泳いで帰る時に職員が「まあ話しでも」といってきたのだが、その時に見せられたのが、コンサルがまとめた写真と報告書だった。衝撃だった。だってこんなにひどいことになっていても、予算をつけなかったのだから。もうこの時点で取り壊しが決定だったということなのだ。

あんまりにも酷いので次の日も見せてもらったが、怒りが湧いた。浄水槽が機能していないのに営業していたのだ。壊すというのは隠蔽だ。

私が見た書類は、何処かの協会の誰かが紛失したのだった!市議会議での書類請求は、紛失を理由に却下された。紛失した人が処分されたというのは聞かない。

 

 

そういった意味で築時の豊洲移転を見ている。普通の人は癒着だなんだとかそう思うだろうが、もっと複合的なのだ。まず築地は移転しないとまずい。ここは大切だ。そこに移転地とその道路計画が必要になる。物流拠点だから道路は重要だ。そこを整備できるめどがあっての計画だが、真面目に地図だけで計画したとしかおもえない。なので東京ガスから言い値で買った可能性がある。

そういった利益相反がとんでもない金額になってしまって、おまけにこれで今の築地と同じ機能を持てるのかという疑問すらある施設ができた。

一体誰がこれで得をするのか。

 

 

 

今の条件で築地から豊洲に移っても、直ちに被害はないだろう。それはフクイチでの言葉だ。ただベンゼンの方が悪質だと言っておこう。あれほど微妙な物質はない。

公開されたモニタリングがあればいいのだが、それすらも担保できない豊洲移転は、全くいただけない。日本中の高級素材は、築地を通過しているのからね。私は食えないけど、結果として築地の問題は地方に簡単に伝播するですよ。

 


今日は飲む

2016-09-11 01:09:59 | 日記

 

快晴を無駄にする寝坊をした。久しぶりの朝日は私にはきつすぎたのだ。3度寝してようやく動く。

響でT君に会い、熱くサー・トーマス・ビーチャムを語ってしまう。

 

 

NHK/FMに「夜のプレイリスト」という番組がある。一人の人が熱く一枚のアルバムをかけて語り尽くすという内容だが、エニグマの「The Screen Behind The Mirror」を大伴良則が出していたのだが、どうも納得がいかない。でもこれは誰に言えばいいのかがわからない。

このアルバムで後半に一番引用されているのは、ヴォルフの「カルミナ・ブラーナ」かもしくは原曲の民謡集「カルミナ・ブラーナ」であってグレゴリオ聖歌ではない。で、実はこのアルバムはラジオのみででしか聞いていなくて、検証していないのだが、グレゴリオ聖歌の引用は私が聞き逃していた前半にあるのだろう。

だがなんで後半までグレゴリオ聖歌と言い続けるのか。カルミナ・ブラーナは民謡集であって聖歌ではなく、旋法も違う。それをなぜ大伴良則ともあろうものがなんでいい続けるのかがわからない。



今日はよいちでベアレンビールを2杯飲みました。そして鷲の尾さんで陸羽を2杯飲みましてへべれけで、米山に疑問をいいますと、「エニグマに興味がない」で、一発終わりました。

なおニコンの10-24ミリってのはなかなかなレンズですよ。もう使いこなしてなんぼですね。本当にわがままだ。



その後米山は真面目なやつで、レコードを調べたようですが、結局よくわからないことになりました。どうもエニグマは最初のアルバムでグレゴリオ聖歌を使ったよでうす。このアルバムでは、そうYou Tubeで聞く限り、一曲目の中盤でグレゴリオ旋法らしきものがある可能性はありますが、全体通してでは圧倒的に「カルミナ・ブラーナ」でしょう。冒頭ででてきます。しかも女性合唱が入っている可能性が高いので、ヴォルフ編曲版でしょう。

ただここは何も言えないのだけど、この曲の前あたりからサンプリングが平然と行われいて、はっきりと聞こえるメロディすらも何が何だかという複雑な状況になっています。ですからどっかの民謡が入っていたとしてもよくわからないとおもいます。

大伴良則さんにはもっと頑張って欲しいと思っています。古い曲を新しい視点で見直したり、視座を自由自在に変えながら新たな音に挑戦する方なので、私に取っても刺激になる最高の評論家で音楽家です。

あれはあれで、これなんで、それでこうでもいいはなしですね。それもこんなどんなそんなあんなどうもこうにもしっちゃかめっちゃかな世界の、ふんだらくんだらなむあみほうらいうんだかしきぞくなんげの、くんだらくんだらのほうらいえんらいのえんだらえんだらくんだらほうだいの、えんうんこうだいこうこうえんだい、ほうかいほうとのそうなんかいな、うんとうんとううんと、うんだらそわか、そわかとそわな。

ここまで呪文をかければ、いいかな。大伴さんを支持しています。

視座が大切です。