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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日も天気が良かった

2015-10-19 02:38:03 | 日記

 

学祭も終わった。今年は何か手応えのない撮影だった。何だろう。たぶん剣道部が工学部の端っこにいたからかとも思う。

レイヤーが少なかったというのは大きい。

 

 

二日間天気が良かったのも珍しい。だが天気が良すぎてスペシャルゲストライブの時、変なことが起きていた。ステージの前に人がいないのだ。なぜかと思ってよく見ると、太陽が眩しすぎてみんな日陰の脇にいってしまったからだ。

歌は良かったのに残念なことになってしまっていた。

 

 

今日はプロのパーカッショニストの柿崎さんと久しぶりに会ったことだろうか。

肩がこるというのは日本人のみの現象らしいが、どうも肩が凝った。明日は泳ぎに行こうか。


忙しくなる

2015-10-18 00:50:05 | 日記

 

金曜から少し忙しくなってきた。黒石野のホーマックに行く。例のノイズ対策のためにイザという時の電材を買いに行くのだが、大した話じゃない。2階から持って行けばいいのだ。ウチの2階の出窓には穴が空いている。なぜかといえば昔テレビのアンテナを引き込むために誰かが開けたもだ。それがまだ残っている。それを使えば4メートルで一気に持ってこれるはずだ。まあそんなつまらない準備のために買い物をするとは。

もうそろそろ緑ヶ丘のフウの木の並木も色ついてきていた。

 

 

喫茶響に行くとセロニアス・モンクだったと思うが、そのレコードがかかっていた。B面になったらなんか変な音で演奏している。なんだろうと思ったら。ピアノとチェレスタを同時に弾いているようだ。器用というか貪欲と言おうか、何か凄まじさを感じる。

そして3曲目にはドラムが、ボボボヨ~ンというわけのわからない音を出す。バスドラでは不可能に近い音だ。ティンパニーのようだ。ドラムの鳴り方からすればパーカッションがもう一人欲しい内容だ。だがライブということだし、クレジットでも確かに一人のようだ。それではどうやってんの?右利きだったらドラムセットの右にティンパニーを置いて、ティンパニーが欲しい時に、スティックからマレットに瞬時に持ち替え、ボボボと叩いているウチにバスドラの足をティンパニーのペダルにもっていって押してボヨ~ンという音を出すとしか思えない。ペダルを踏むとキーが高くなるのだ。それでヨ~ンという音になるのだが、にしてもモンクという男は、現代音楽に近いことを平気でやるよな。4ビートに聴こえる変拍子の演奏もあった。先駆者と言えばいいのだろうが、嫌いな人もいるのはよく分かる。酔っぱらうといい感じだと思うのだが。

 

 

仕事のことになると突然書くことがなくなる。コマーシャル中心だと書くこともあるだろう。卒業アルバムとなれば全くない。

とはいえ岩手大学の学祭の話だったら多少はかけるだろう。

 

 

まず今年の模擬店では、獣肉が目立つ。鹿肉ソーセージ・馬肉串焼き・国産牛串焼き・ソーセージ・岩手短角牛串焼き・イノシシ串焼・ラム肉焼きそばと、学祭模擬店とは思えないメニューがあった。ニジマス串焼というのもあったな。ここあたりの商品は原価が高いので、それなりのオネダンになる。とはいえ300円程度か。だから原価に近い商品なのでオススメできる。

ヘンなメニューでは、アメリカザリガニのスープ春雨スープがあった。これは原価が安いようで200円だった。

なんでこんなことになるのかといえば、自然観察系のサークルが多いから。そしてそれらのサークルは横でつながっているのでこういった発想になる。

 

 

とはいえ彼らはかなり健全だ。なぜなら自然保護の前に、人が自然を利用してきた歴史に興味があるからだ。つまりは食うこと。まずは食べてみようという発想がある。それがこの5年間の間にかなりでてきている。

ここには自然保護のジレンマがある。単純に保護するのではなくて、利用しながら維持する方法を模索しなければいけないのだが、その答えがないという大問題があるからだ。シカとイノシシの農作物被害の問題だ。実はこの影に隠れて、サルの問題もある。ハクビシンもアナグマも問題になっている。

だから適当な量をとって食べるのが、一番の利用法だと考えるのが日本人の学生の考えそうなことなのだが、食べたことがないというのが一番のネックだ。だからみんなで食ってしまおうという発想になる。ただ、残念なことに彼らが捕まえてと畜はできない。理由は産地証明ができないからだ。それでは保健所がウンと言わない。実はジビエというのが日本で一般的にならないのは、この産地証明なのだ。農産物の一般的な法律が、野生動物の肉流通の最大の妨げになっている。

それでもこいつらの中から、猟銃免許を取るやつが現れ始めた。流通を語るためには、まず免許が必要なのだ。獲らないと語れない問題がある。とはいえ彼らが鹿を取れるようになるには、免許の関係でかなり時間がかかるのですな。まあそれでもはじめの一歩を踏み出すというのが、大切です。

意識が高い学生だと思いますが、アオサギってどんな味ですかねと聞いてきた学生がいた。

胃袋は全てを凌駕する。

 

 

とはいえこういった反応は、実はシーシェパードとかの自然保護過激派に対する日本的な反応だと思うんですね。クジラは食べてはいけない、だが目の前にある。だから食べてみてから考えよう。シカもそうだ。増えすぎている。どうしよう。まずは食べてみて美味しかったら流通を考えて、みんなで食べよう。

まずかったらどうしようという発想がないのが無邪気だが、食べる方法も考えようというところまで踏み込みつつはある。

もちろん模擬店ではそういった、オタメシはないですけどね。流通しているものしか扱えないというのが悲しいところです。

とはいえ私、クロマグロは10年ぐらい日本人が食べなくってもいいんじゃないのかとは思っています。マグロ類は全て4年くらい禁漁したほうがいいのではないのか、そうも思っています。

絶滅状態に追い込みそうな勢いですから。日本の食文化を守るためには、実は必要です。


今日は天気が良かった

2015-10-16 01:39:54 | 日記

 

最低気温が5.5度と寒い朝だった。その代わり1日ほぼ快晴だった。とはいえ1日家に引きこもっていた。

ルガーノフェスティバルでのアルゲリッチのCDを聞きまくっていたからだ。やっぱりこのオバサンはすごい。どうすごいのかといえば、なんとなくなのだが一時期とても演奏が悪くなったと思う。FMでライブ録音を聴いて痛々しくなることがあった。だがルガーノ音楽祭の中でアルゲリッチが音楽監督をするコーナーが出来てから、何か一気に花開いたように感じるのだ。

そもそも天才というのはこういった人なのだという珍しい例だ。オフシーズンはバッチリ休んで子供と一緒にずっと遊ぶのが習慣という。その間ピアノに触れないという徹底ぶりだ。それが何を意味するのかは、誰もが分かることだろう。3ヶ月だぞ。ピアノのために生まれついた人である。

そういった人なので、インスパイアされる人としか組まない傾向がある。ギドン・クレーメルが中心だったロッケンハウス音楽祭も中心人物だったが、ロッケンハウスそのものが当時からオッソロシイ天才集団で、最高に尖っていた。だがやっぱり天才たち。内紛だらけで大変だったようだ。そこからルガーノ音楽祭の間にイロイロあったのだろう。

多分その頃の演奏だと思う。聴いて何かおかしいと思ったものだった。歳かなとも思った。

だがルガーノで、天才的な後輩たちと「遊ぶ」という形で、マジメに遊んでいるんですね。そうして若さを保っている、そんな演奏がギッシリで面白いです。

 

 

そういった意味ではマジメ一点張りで、超つまらない日本の中村紘子さまですが、最近病気で休養中です。でも実のところ、この1年この方オソロシイ演奏をしております。71歳ですか。ライブ録音を放送で聞いたときに驚きました。

中村紘子さまは、ある意味不幸な星の元に生まれたところがあります。日本でクラシックが認識されていない時代に、ショパンコンクール入賞という輝かしい成績は、彼女の音楽性を伸ばす方向にはならなかったかもしれません。むしろ国内との戦いがあったかもしれません。一点の曇りもないテクニックと男に負けない強烈な音、それでいながらフツーの解釈。その矛盾が中村紘子です。

昔、谷川俊太郎との対談を読んだことがあるのですが、天才少女としてひっっぱりだこだったのだが、地方に行けば訳のわからない要求があって辟易したと言っておられた。和服でピアノを弾けと言われたエピソードは記憶に残っている。いやそれだけではない。足を外したピアノで弾けと言われたエピソードもあったと思う。

そういった無理解という状況と合わせた演奏をせざるを得なかったのが、中村紘子という存在だったと思う

だから彼女は完璧でなければいけなかったし、強くなければいけなかったのだ。そして日本を引っ張るという気概もあったのだ。

だが病魔に冒され、気がついたのだろう。自由でいいんだと。

アルゲリッチと中村紘子を並列にするのを嫌がる向きはあると思うが、実はアルゲリッチは1941生まれ、中村紘子は44年生まれなのです。それでは過去にこの年齢で現役の女性ピアニストがどの程度いたのかという話になります。多分かなり少ないでしょう。コンチェルトをやるレベルになると、相当いない。しかもこのレベルで。ここは注目されるべきだと思う。

中村紘子を再評価しつつあります。

 

 

岩手山は雪をかぶった。

 

 

アルゲリッチはオソロシイ。


アース工事をする

2015-10-15 01:01:22 | 日記

 

アンプのトランスがどうもうるさいので、自分でアース工事をしてみることにした。アースで多少は改善する。そこで50センチのアース棒を4本打ち込むことにする。ここなら乾燥することもないからいいだろうと思った。あとは下に石がなさそうな場所を探す。とは言っても石があるかどうかなんてわからない。だから50センチにしたのだ。本当だったら1メーターは打ち込みたいものだが、貸家というのもある。50センチなら引っこ抜けるが、1メーターを越えると引っこ抜けなくなるだろう。

まあそこで数で勝負!我が家の地層は30センチはコクボク土、そこから砂と粘土の混ざった層が50センチは続く。うまくいけば50センチで300Ω稼げるから、4本で75Ω程度のアースになる。とりあえす規格内に収まるだろう。

 

 

思った以上に大変だったが、時間的には大したことがなかった。これだったら1メーターでもよかったかと思ってしまうほどだった。結線して熱収縮チューブで覆って作業終わり。家の中はコンピューター電源用のタップにアースがあるのでそこと、パソコン電源とパソコン電源ケーブルにかえたアンプの電源ケーブルのアースラインに結んで行く。

すると我が家のマックの起動音が綺麗になった…というのは冗談だが、アンプのトランス鳴りはかなり小さくなった。耳をシャーシに当てても、微かにしかなっていない。というか元々は蛍光灯より静かだったのだが、たまに大きく唸ることがあっただけだ。さて今後どうなるかだ。

 

 

VWのエンジン問題は、えらいところに飛び火してしまったようだ。ドイツ政府は補助金を受けてVWのエコカーを買った人から、補助金の返還を検討するようだ。09年から10年の70万台で、1台当たり約34万円、総額2400億円になるようだ。法的には確かに補助金を受け取った側は返還しなければいけない。ただ購入者も政府も騙されたわけで、道義的にはVWに補助金の返還を求めるのが筋だろう。だがVWの救済策も考えなければいけないドイツ政府としては、購入者に負担を求めようと言うのだろうか。

いやもしそうなったら、VWを買ったドイツ人がかわいそうだ。いいことずくめで買ったのに、多少パワフルで走りが楽しいが、エコでもなければ燃費も実はよくもないものだったのに、政府から補助金返せと言われたらもうどうしようもない。

アメリカでは懲罰的制裁金だけでなく、購入者の集団訴訟が待ち構えている。騙された苦痛に対するものだけではない。中古で売れなくなり資産として大幅に減損してしまったことに対する訴訟だ。これがどこまで行くのかわからない。

 

 

実はここで一番考えなければいけないのは、日本の対応だ。日本もエコカー減税や補助金を08年からバラ撒いてきた。もしも日本のメーカーも同様なことをしていたらどうなるのか、ないとは思うが、大変なことになるのは間違いない。

各当するエンジンを積んだVWの車はほとんど日本にないという。そこが幸いなのかもしれない。ただ少量存在しているだろう車両について、どう行政指導するのかが見ものだ。

 

 

そういえばスエーデンでヒゲの愛好団体「Bearded Villains」の集会があって、それがISISと間違われて通報されたという。CNNの記事だ。写真もあるが、確かによくわからない人が見たら間違えるだろう。日本人だったら90%間違える。そしてググッた人がようやく気がつくレベルだ。

”ウェブサイトでは、同団体は「あらゆる人に対する忠誠と名誉、尊敬のためにささげられている。友愛と慈善、思いやりの心を通じて人類の向上に尽くしていきたい」としている。”

ということらしいが、「ひげを生やしたエリート男性」のクラブというのもどうなんだろうか。



2015年のノーベル経済学賞は、米プリンストン大学のアンガス・ディートン教授に決まった。貧困問題の専門家だ。

さてノーベル経済学賞は今までどんな人に賞を与えてきたのでしょうか。資本主義社会の経済構造をブラッシュアップした人が大半なんではないんですかね。特にこの20年はそうではないのでしょうか。それでは経済学のもう一つの問題、貧困の解決という命題からかなり遠ざかっていたと思います。ただこの貧困問題は社会学の領域とかなり被ってきます。なので経済学者が敬遠したというのは間違いがないでしょう。

ディートン教授の研究は、極度な貧困が対象であったようです。ただ今後問題になってくるのは、資本集中による格差問題、生きて行けない貧困ではなく、生きられる貧困問題に成ると思います。

ピケティ氏がノーベル経済学賞という、アメリカ人のために作られたような賞を受けられる時代がきたかもしれません。

昔の格差問題は、国内だけでした。だからマクロ経済だけで済む話だったのが、コングロマリットやタックスヘイブンの問題など国家の枠を超えた経済が当たり前になっています。その中での格差問題というのはとにかく大きな命題になるでしょう。

 

 

今日山田線に見慣れない列車が走った。調べたが、この時間には上りの列車はない。これはなんだったのだろうか。いつもよりかっこよかった。

さてアンプのうなりだが購入した会社に問い合わせたところ、「他の家電製品で起きる場合が多い。特にファジー回路を持った機器でとのくみあわせで起きる報告が多く、全くわからないケースもある」とのことでした。さてファジー回路ですが、往年のファジー回路というのは16ビットのCPUを搭載した家電のことです。ファジーというのは曖昧という意味ですが、そのファジーを最適にコントロールするためには、16ビット以上ののCPUパワーが必要だったわけです。現在ファジーなんてそんな言葉では済まない厳密なコントロールを24ビット以上のCPUで、行っているはずです。今ウチにある家電でそれに各当しそうなものはファンヒーターと扇風機、強いて言えば冷蔵庫でしょうか。いやそれ以上の物はパソコン・カメラ等いくらでもある。ファンヒーターは関係なさそうだし、扇風機は今動いていない。ACアダプターを使うモデムや充電器の類も疑ったが、今やかなりアース処理できている。

それではなぜアンプが唸るのか。

盲点があったようだ。我が家の電気配線はかなりおかしい。電気工事士がやったとは思えない箇所が多く、入居して初めてやったのが電気工事だ。あんまりにもひどかったのだ。トイレのコンセントから台所の一部に流していたりしていた。ようは複雑な蛸足配線だったのだ。それを単純に整理しただけだが壁の中の配線はできない。これは資格がないとできない。

で、整理していなかった屋外配線につなげていた、人が近づけば光るLED電球が原因であると、かなりなところに近づいてしまいました。

どうゆうことかといえば、ムチャクチャな配線の中に屋外コンセントがあってそれがかなりの悪さをしている。そこに、人が近づけば光るLED電球との組み合わせがどうもおかしなことになってしまったいる。そのLED電球のコンセントを屋内のに変えただけで、トランスのうなりは激減するわけです。

あたりは付いていたのです。なぜか夕方5時から10時にかけて唸るわけです。機器としてはそのLED電球が一番疑わしい。点灯するとトランスが唸りだすのも確認しました。そこで整理したコンセントを変えてみると激減するわけです。

ということで、実証実験はもう少し続きます。

なお、アースを作るというのは電気の世界では間違いのないことだと、しみじみ思いました。なんちゃって水道管アースですら効果はないわけではないのに、適当にやっただけでも効果があるとシミジミ思いました。教科書は正しい。


thomannのS150パワーアンプは確かに見事だ。

2015-10-14 00:24:40 | 日記

 

プロケーブルから買ったパワーアンプです。こいつは最高ダゼ!とか言っていました。ただ業務用なのでSN比が悪い。でもまあそんなもんでしょう。業務用は音中心ですから。能率の悪いスピーカーなら聞き取れないはずです。

ということで少し不安だったのですが、蓋を開けてみました。

おっと驚いたのは、電源から直流に流す最後段をアンプ部にオンボードしています。オーデオマニアからは怒られそうな答えです。ただオンボードであるから電力供給の自由度があるのかもしれません。

 

 

トロイダルコアのシールド最低限の電源トランスです。トロイダルコアは原理的に電磁漏れがないはずです。でも電磁シールドをしたケースに入るのが通常です。でもなぜ入っていないのか。理由は簡単です。大きくなりすぎるからです。その前に原理的に磁気漏れがほとんどないのがトロイダルコアです。

オーディオの世界と違って、業務用ではラックに入れなければいけません。そこで重量や高さの制限があるためにトロイダルコアのトランスになったのだと思います。たぶんトランスの高さ制限でしょう。

 

 

基盤もガラスエポキシと思われる。

ドイツ設計、メイドインチャイナです。3万です。

マジメにこれでは、音がいいはずだ。