そもそもケガレとは何かというと、人の生死のはざまにあるもの、なのだろう。古事記ではよくまとめられていると思う。例のイザナギの黄泉下りの話しだ。そこに祓えがある。
妊婦の後産はケガレであった。(妊娠そのものもケガレとするばあいもあるようだ。)家畜の出産もケガレであり、当然死もケガレであった。人の死は最も重いケガレだ。これらを忌む習慣は、平安時代からあるようだ。そしてそのカガレを祓う儀式や祭りが発達した。
若干蛇足だが、私はこのケガレの元になった概念は、神話以前からあったのではないのかと考えている。縄文時代の埋葬で、手足を折られて埋葬しているのがよくある。これらから、死体そのものに何らかの禁忌するものがあったのではないのかと考えている。それが仏教と古事記から別の形で出来たのが、ケガレなのではないのかと思う。
問題は放射性物質とケガレがどこで一致したかだ。これは間違いなく、広島と長崎だろう。原爆で大量に人が死に、生き残った人も多くは突然発症し、急に亡くなってしまった。疫病にみられても仕方がないものがあったが、科学的な見解が流布しても、生き残りの多くは差別されたのだった。
一発の原爆による大量の死、そしてそこで生まれた地獄絵図とその後病にかかった人たちの無惨な死に方、ここからケガレと結びついたのではないのだろうか。そしてケガレた人を禁忌して差別が生まれる。
第五福竜丸の事件もそうだ。放射能は人に移らないと言われていたが、やはり生き残りは差別された。
放射能には、死と病のケガレと認識されたからこその差別だったのではないのか。
そして現在では、放射線による被爆と放射能物質による内部被爆と分けられて考えられているが、これがケガレを厳密化させている可能性もある。あまり私はしらないが、メチル水銀による水俣病やカドミウムによるイタイタイ病にも差別が起きたと聞いている。
霊ならば、宗教的に祓えが出来る。しかしこういった化学物質による祓えは可能なのか。水俣病やイタイタイ病は地域が限定され風土病の認識もあったため、全国的なケガレにはならなかった。しかし基本的には時間による解決しかなかった。
これに対して放射性物質の問題は、全国区だ。水俣の魚を市場に出さなければいい話しだった(しかし水俣の漁民は困窮した)。今回はそれと違い、ありとあらゆるものが東北から全国に流通している。被害も北関東から千葉・茨城・群馬・埼玉、東北は福島・宮城・岩手と広域にまたがる。風評で東北の残る山形・秋田・青森も巻き添えを食らっている。この広域と流通から、全国区になった。
放射性物質のケガレは強烈なイメージしかない。即死だ。髪の毛が抜けて血を吐いて血便が出る病だ。そして癌になって抗がん剤で髪の毛が抜けるのだ。
実は鉢路元経済産業大臣の、「放射能移しちゃう」発言のとき、記者たちが何を問題にしていたのかが実はよく解らなかった。原子単位で100個程度か、と思っていた。これをケガレとすれば、確かに問題がある。逆に死の街発言が、なぜ問題だったのかはよくわかる。死=ケガレ=放射性物質であったからだ。福島で若干の反応があったのもこれだろう。
しかしあまりにも単純に説明出来るのに、不安を覚える。
妊婦の後産はケガレであった。(妊娠そのものもケガレとするばあいもあるようだ。)家畜の出産もケガレであり、当然死もケガレであった。人の死は最も重いケガレだ。これらを忌む習慣は、平安時代からあるようだ。そしてそのカガレを祓う儀式や祭りが発達した。
若干蛇足だが、私はこのケガレの元になった概念は、神話以前からあったのではないのかと考えている。縄文時代の埋葬で、手足を折られて埋葬しているのがよくある。これらから、死体そのものに何らかの禁忌するものがあったのではないのかと考えている。それが仏教と古事記から別の形で出来たのが、ケガレなのではないのかと思う。
問題は放射性物質とケガレがどこで一致したかだ。これは間違いなく、広島と長崎だろう。原爆で大量に人が死に、生き残った人も多くは突然発症し、急に亡くなってしまった。疫病にみられても仕方がないものがあったが、科学的な見解が流布しても、生き残りの多くは差別されたのだった。
一発の原爆による大量の死、そしてそこで生まれた地獄絵図とその後病にかかった人たちの無惨な死に方、ここからケガレと結びついたのではないのだろうか。そしてケガレた人を禁忌して差別が生まれる。
第五福竜丸の事件もそうだ。放射能は人に移らないと言われていたが、やはり生き残りは差別された。
放射能には、死と病のケガレと認識されたからこその差別だったのではないのか。
そして現在では、放射線による被爆と放射能物質による内部被爆と分けられて考えられているが、これがケガレを厳密化させている可能性もある。あまり私はしらないが、メチル水銀による水俣病やカドミウムによるイタイタイ病にも差別が起きたと聞いている。
霊ならば、宗教的に祓えが出来る。しかしこういった化学物質による祓えは可能なのか。水俣病やイタイタイ病は地域が限定され風土病の認識もあったため、全国的なケガレにはならなかった。しかし基本的には時間による解決しかなかった。
これに対して放射性物質の問題は、全国区だ。水俣の魚を市場に出さなければいい話しだった(しかし水俣の漁民は困窮した)。今回はそれと違い、ありとあらゆるものが東北から全国に流通している。被害も北関東から千葉・茨城・群馬・埼玉、東北は福島・宮城・岩手と広域にまたがる。風評で東北の残る山形・秋田・青森も巻き添えを食らっている。この広域と流通から、全国区になった。
放射性物質のケガレは強烈なイメージしかない。即死だ。髪の毛が抜けて血を吐いて血便が出る病だ。そして癌になって抗がん剤で髪の毛が抜けるのだ。
実は鉢路元経済産業大臣の、「放射能移しちゃう」発言のとき、記者たちが何を問題にしていたのかが実はよく解らなかった。原子単位で100個程度か、と思っていた。これをケガレとすれば、確かに問題がある。逆に死の街発言が、なぜ問題だったのかはよくわかる。死=ケガレ=放射性物質であったからだ。福島で若干の反応があったのもこれだろう。
しかしあまりにも単純に説明出来るのに、不安を覚える。